第十五話 真夜中学級会
真夜中過ぎの本館食堂。
暖炉には焚火が燃えている。薪は心地よい暖かさだった。
炎の前にはステンドグラス製のファイヤースクリーンが置かれ、色付きの光がちらちらと影に踊る。
教員は過半数が集まっていた。女性教員たちは適当な椅子に腰を下ろして、若い男性教員は立っていた。かなりご高齢な星智学のおじいちゃん先生と、オニクス先生だけは例外的に椅子を使っている。
学院長は暖炉に近い場所で、背もたれのある椅子に腰を下ろしていた。
「さて、ミヌレ一年生。事情を」
「今夜は【浮遊】と【防壁】の修練をしていました。そしたら図書館で強い魔力を感じたので、覗きに行ったら、怪盗と鉢合わせました」
作っておいた嘘を嘯く。
学院長は顔中の脂肪に皺を寄せた。
「ミヌレ一年生。夜間外出はこれで二度目です。いいですか、夜は休むべき時間なのです。特に成長途中である生徒は、十分に睡眠を取らなければいけません。そして許可されていない時刻に、修練や勉学に励むなんて、紳士淑女らしからぬ浅ましい振る舞いです。それは級友への背信です」
学院でありながら、勉学に励むことを窘められるなんて。
だけど学校というシステムが現実の延長なら、ここは貴族社交界の延長線だ。
貴族社会は分を弁えることが肝要。
資本主義的な学習意欲をしていたら、異物者として認識される。当然といえば当然か。
「以後、身を慎み、淑女としての振る舞いを心がけるように。三度目はありませんよ」
イエローカード二枚目か。
これはちょっと気を付けないとほんとやばいかな。
「それであなたは怪盗と名乗る犯罪者を、間近で見たのでしょう。何か特徴は?」
「肌の色からすると、民族的にわたしたちと同じです。髭は綺麗に剃られていましたし、浮浪者特有の垢の饐えた匂いがなかったので、ある程度の生活レベルを保持している王都および近隣の定住者だと判断しました。年齢は二十代くらいでしょうか?」
ほんとは十九歳だ。
なんだったら本名から家族構成から、現在住所まで知ってますけど。
「気づいた点は以上です」
「分かりました。他に思い出したら、すぐに報告するように。では寮母が迎えに来たら下がりなさい」
寮母さんを待つことになる。
壁の隅っこに行こうとしたら、扉が開いた。
実技担当のシトリンヌだ。
それからプラティーヌ殿下?
純白の姿に、この場の全員が息をのむ。
「遅参をお許しください、学院長。調査結果をまとめておりました」
実技担当のシトリンヌは、学院長へ頭を下げる。身にまとっている無数の宝石たちが、じゃらじゃらと鳴った。
「怪盗の調査ですか?」
「いいえ、そこにいるミヌレ一年生の素行調査です」
は? なんでやねん?
「実家の経済状態が芳しくないにも関わらず、彼女は試験に耐えうる宝石を所持していました。しかも複数回」
「それは冒険者を雇って採石してきたものです」
「近隣にゴーシェナイトやヘリオドールが採石できる場所はありません」
それは、そうだけど。
「にも拘らず宝石を入手していました。そして今回の怪盗騒動。部外者に侵入を許したのは、警備の問題でなく、内通者の存在があったからでしょう」
「わたしが怪盗の内通者? なんだその妄想!」
「では宝石の入手経路をお言いなさい」
図書迷宮だ。
それは、言えない。
そこを白状したら、先生が図書迷宮の場所と開門日をわたしに教えたと思われる。
「呪符用の宝石のみならず、冒険者ギルド内でも販売できる護符の数々」
シトリンヌは書類の束を机に置いた。
あたかもライムライトが当たっているように朗々と語り、大きく身振りする。多彩に輝く宝石たちが、ぺかぺか光っている。
主役気取りか。
このゲームの主役はミヌレだっつーの。
「ミヌレ一年生が売った護符の種類と数です。冒険者ギルド経理より伺って参りました。ご覧くださいませ」
学院長に書類を渡す。
乾いた指先が紙をめくる音が、食堂室に響いた。
誰も何も言わない。視線はわたしとシトリンヌに集まっている。
「護符の素材はどこから手に入れたのですか。怪盗を手引きする謝礼でなくば、いいえ、淑女として恥じぬ行動で得たものならば、どこから採石してきたのか言えるはずですわ」
勝ち誇ったシトリンヌの声。
殺意ってわりと簡単に沸くものなのだな。
「ミヌレ一年生。この数字が本当なら、お小遣いの範囲ではありません。答えなさい」
学院長が書類を置いた。
瞬間、杖が床を叩く音が響く。
オニクス先生だった。
周囲の視線を集めるように、ゆっくりと立ち上がる。
「学院長。その詰問は私が代わりに受けましょう」
「オニクス教員?」
「何故ならば彼女の持っていた宝石は、私が個人的に譲ったものだからです」
えっ、オニクス先生、フォローしてくれるの? マジ? 放置かと思った。
教職員たちが顔色を変えて、もの言いたげにしている。呻きや吐息だけに留まっているのは、学院長の言葉を待っているからだ。
「なんていかがわしい!」
ヒステリックに叫んだのはシトリンヌだった。
ははっ、殺すぞ。
「だから給費生の受け入れなんて反対だったんです! 伝統ある王立学院の誇りはどうなるのです!」
「シトリンヌ教員、今は給費生の意義が論点ではありませんよ」
学院長が窘める。
そしてオニクス先生へと視線を移した。
「オニクス教員。女生徒ひとりに肩入れするのは、由々しいことですよ」
「公平ではないから? そもそも試験の公平性に欠けているのが問題です。これに関しては、私も一昨年から提議していたことです」
「そうですね。給費生に試験用の宝石を譲るだけなら、心情的には納得できます。ですが護符の数が尋常ではありません」
誤魔化されてくれねぇえええ……
「学院長! この給費生と、それからこの馬の骨を辞めさせれば話は解決です! 教師の自覚もない人間を、教員扱いしていた方がおかしいんです! 調子に乗ってこんなことを仕出かすんですよ!」
殺意というものは、感じるものではなかった。
通り過ぎるものだった。
すでにわたしは呪文を完成させていたからだ。殺意はあまりに素早く鋭い。それを感じる前に通り過ぎ、制御もできないまま、わたしの【水】の魔術がシトリンヌの周囲を取り囲む。
それから【浮遊】の魔術。
ダン……ッ
オニクス先生の杖の音が響く。
隻眼がわたしを射抜いていた。
――私は殺意で人を殺したことなど一度もない――
――きみが最善手だと胸を張れるなら、それでいい――
――世界が咎めようと、私は咎めんよ――
先生の言葉が、鼓膜より深いところで反響する。
この攻撃は考え抜いた先なのか。この選択は思慮があるのか。この結果はわたしにとって最適解なのか。
敵のいのちはひとつきり。
殺してしまっては、取引も見せしめも出来ない。
わたしは【浮遊】の魔術を中断した。
びしょ濡れのシトリンヌがなんか金切り声で叫んでいたけど、別にもういい。いつでも殺せる相手に拘泥する必要はない。
菫の香りがした。
甘ったるい香りの嫌な感覚に、わたしの皮膚が粟立つ。
いつの間にかすぐ横に、プラティーヌ殿下が立っていた。
「端正に彫ってあるカエルね」
プラティーヌ殿下の指先に、わたしの【水上歩行】の呪符があった。
「返して!」
いつの間に掏摸やがった、このクソ殿下!
王族のくせに手癖が悪いし、趣味も悪い!
わたしが手を伸ばしても、プラティーヌ殿下はワルツでも踊るようにくるくると逃げる。レースが揺れて可憐だけど、その微笑みに腹が立つ。
「【水上歩行】が嵌ってる彫金の裏、オニクスってサインが入ってるわね」
プラティーヌ殿下は学院長に、わたしの【水上歩行】を渡す。カエルと葉っぱのスカートグリップは、オニクス先生のお手製だ。
「ミヌレ一年生。あなたの所持している呪符、すべて出しなさい」
「あ、あの……ガーターリボンの金具も装具なので、後で寮母さんに提出させて頂いてよろしいでしょうか?」
「その金具も、オニクス教員の作成したものですか?」
「そうだ」
先生が答える。
食堂は一瞬、音が空白になる。その空疎に、可憐な笑い声が響いた。
プラティーヌ殿下だ。
ひじ掛けのついた椅子に、腰を下ろしている。まるで道化師を見物している姫君だ。楽しそうに微笑んでいる。
「戦争の梟雄が淫行教師になっちゃうなんて、がっかりだわ。落ちぶれすぎよ、みっともない」
「殿下。戦地で功を立てた方に、そこまでおっしゃるのが王族なのですか?」
わたしの反論は、貴族社会では許されないことだ。
学院長さえ顔を蒼褪めさせる。
「だってほんとのことだもの。そうじゃない? 二度も王国を救って、一度は世界さえ救った男が、ここまで無様になるなんて」
世界を救った?
えっ、マジで救世主やった経験があるの?
「滅ぼしておけばよかった」
オニクス先生は小声で呟く。
このボイスは、マジだ。
「飛地戦争の勝利の立て役者、闇の教団を壊滅させて……………ああ…世界を救った話は、王宮機密だったわね。ごめんなさい、あなたたちには関係無い話よ」
「世界を? そんなお話、聞いていませんわ! 王宮機密だとしても教えてもらっていいはずです」
叫んだのはシトリンヌだった。
すっかり蒼褪めている。びしょ濡れになっているんだから、着替えた方が良かんべ。
「何故、教えなくちゃいけないの?」
「わ、私は先々代国王の孫ですよ!」
「私生児って身内に数えなきゃいけないものだったの? 姫、知らなかったわ」
朗らかに微笑む。
非の打ち所の無い血統の王族からの言葉に、シトリンヌは魂が抜けたようにへたり込んだ。
そして黒い瞳がわたしへと向けられる。
蛾の瞳の黒さだ。
「彼は偉大な英雄だったわ。血縁にも財産にも頼らず、己の腕ひとつで成り上がった。宮廷の勢力争いに負けてこんなところに落ちたけど、それでも彼は英雄だった。姫は姫なりに、敬意を払っていたわ。なのに、それを貶めたのは、あなた。あなたがオニクス教員を、下劣で愚かな男にしたのよ」
わたしが。
先生を。
「殿下ッ!」
裂帛は先生の口から迸った。
「詰問も叱責も私が受ける。この子はもういいだろう」
「あら、そんなにこの子がかわいいの?」
プラティーヌ殿下は微笑む。
愛くるしく、清楚で、美しい。
なのに瞳の昏さといったら、なんだ。あれは魚のように無表情で、虫のように無感情で、石のように無機質だ。人間が宿していい瞳じゃない。
「オニクス。あなたも所詮、凡百の男だったのね」
プラティーヌ殿下の言葉が響く。
その響きには蔑みや冷やかさ、悲しさや哀れみがあった。愛おしさも含まれていた。
ひとときの沈黙のなか、寮母さんがやってきた。
深夜にも関わらず、ラヴェンダー色のヴェールをかぶっている。
学院長は寮母さんに、わたしのスカートグリップを渡した。
「このデザインは…」
「そう、オニクス教員が作ったものよ。その子はね、オニクス教員の新しい『オプシディエンヌ・フロコン=ドゥ=ネージュ』って発覚したのよ」
殿下は鈴を転がすように笑う。
オプシディエンヌ・フロコン=ドゥ=ネージュ。
名前の後に、添え名が付いている。出身地の地名を付けるやり方。その名の付け方は、流浪の民、蜂蜜色の肌のひとたちがする風習だ。楽師のラピス・ラジュリさんや、ジャスプ・ソンガンさんと同じ。
「誰がその名前で、殿下のお耳を汚しましたの?」
「王宮の女官だって、口の軽いのはいるのよ。いくらでも」
可憐に微笑む。
わたしは寮母さんに引っ張られるように、食堂を出ていく。
廊下はぞっとするほど底冷えしていた。
「寮母さん。発言の許可を」
「却下致します。さっき殿下が語られた女の名なら、わたくしは何も言いたくありませんよ」
「いいえ、わたしの推論をお聞きください。殿下は口の軽い女官とおっしゃいました。ならばオプシディエンヌという女性がいたのは、王宮、しかも中枢近くですね」
わたしの推論を、寮母さんは否定しなかった。
廊下に靴音だけが響く。
「現在わたしのせいで、オニクス先生が詰問されます。もしかしてオニクス先生が宮廷の勢力争いに負けたのは、その女性と何かあったのが一因ですか?」
「わたくしは何も答えたくありません」
否定的にわたしの推理を肯定してくれた。
以前、先生は「蜂蜜色の乳房の女には近づかない」って言っていた。
それがひょっとしてオプシディエンヌ?
寮の応接間に連れてこられた。
「ではミヌレ一年生、あなたの呪符を預かります」
わたしは渋々、ペンダントを外す。
それからガーターリボンも。
「あ、普段のリボンが無いので、これはあとで」
「いいえ、すぐにあなたの部屋に取りに行きますよ」
「いや。オニクス先生の部屋に、忘れて……」
「アァ?」
なんか寮母さんから、淑女にあるまじき声が発されたぞ。
寮母さんは沈黙して、指を組んだ。忙しなく指を動かす。手袋の硬い革が、きしきしと耳障りに鳴った。
ヴェールの下の表情がまったく分からないから、逆に怖い。
「あなたのガーターリボンが、オニクス教員の自室にあるんですね」
その口調だけで、打擲された気分になる。
「わたしがソファに置きっぱなしにしちゃっただけで、今日は別にいかがわしいことしてないですよ!」
「今日、は、ぁ」
瘧じみて震える寮母さん。
これはひょっとして最大級の失言だったかもしれぬ。
応接間の扉が開いた。オニクス先生だ。
「オニクス教員! あなたはどうしていつもいつも世間様に顔向けできないことばかり!」
「ああ、分かった、分かった、分かりましたぁ、お説教はあとだ、あと。あとで聞くからちょっとジャムでも食べてろ」
寮母さんを押しのけて、先生はわたしの前に膝をついた。
「五分だけ時間をもらった。きみに話したいことがある」
「はい」
「今回のことは些細なことだ。私の人生の中では大した出来事ではない。気に病むな」
「マジかよ」
「きみに大事な話がしたいが、今は時間がない。それまでおとなしく待っていてくれ」
大事な、はなし?
「と、釘を刺しても絶対に何かやらかすだろう」
「わたしの信頼度ってマイナスなんですか?」
「目を離すたびに、とんでもないことやらかしたのは誰だ」
「えへへ」
「褒めてない!」
「褒めてません!」
先生と寮母さん、同時に叱られてしまった。ステレオ再生かよ。
「いいか。私の蔵書を貸す。だから、問題が落ち着くまで、読書していなさい」
「やったァアアッ!」
ガッツポーズ。
「やった、じゃないッ!」
「やった、じゃありません!」
ステレオ再生である。
「わたし『獣属基礎論一』と『獣属基礎論二』、『生命宝石総覧』と『幻獣解体新書』と『解剖魔術学』が読みたいです」
この書物をすべて読破しないと、【水中呼吸】の呪符が作れないんだよ。
三年生にならないと閲覧許可は出ないから、どうしようかと思ってたけどさ。
「獣属性の魔術は危険だ」
「読むだけですよぅ」
「肉体変化させる術は、基礎から徹底的に学ばないと不可逆的になる。呪符を作らないと約束できるなら貸す」
「ありがとうございますッ!」
「結局、貸すんですか?」
「と、言うわけだから、寮母どのは私の部屋から蔵書を貸してやってくれ。では」
オニクス先生は去っていく。
足音が聞こえなくなると、寮母さんが手袋をこすり合わせる音だけが響いた。聞いているだけで鼓膜と神経が摩耗する気がする。
「あんな弟さんがいて大変ですね」
途端に、勢いよく寮母さんが顔を向けた。
ヴェール越しなのに、視線が痛いぞ。
「あの子はそこまで喋ったの?」
「いえ、姉がいるのは伺ってました。今のやり取りで身内感があったので、鎌をかけただけです」
姉弟だったんだね。
そりゃ距離が近くてもおかしくないよな。ふふ。なんかほっとした。
寮母さんは黙って、手のひらを擦り合わせた。神経質な軋みが響いていたけど、なんでかちっとも気にならなかった。
年越し休みの後半は、最高読書タイムになりました。
おっ、謹慎だった。うへへ。




