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第二話 (後編) 伯爵令嬢の婚約事情


 なんたること、なんたること、なんたることだ!

 エグマリヌ嬢とあの横領役人が婚約?

 先生がストラスを殺してなかったせいだ。

 湖底神殿に行く前に惨殺しておけば、こんな汚らわしい事態にならなかったのに。

 うぅ、悔しさと苛立ちで、涙が溢れてきた。

 辛い、つらい。

 ぼろぼろ泣いていると、誰か駆け寄ってきた。

 クワルツさんだ。

「ミヌレくんが泣いてる……! 何が起こったのだ?」

「ぶえ…ぅえ…先生が、先生が、あいつ、殺しておかないから……なんで殺さなかった……ぅうう、殺しに行く……」

 太ももから短剣を抜く。

 泣きながら行こうとすると、クワルツさんに腰を横抱きされた。手足動かして抵抗すると、ペチコートがしゃらしゃら鳴り、ヴェール付きの帽子が落ちる。

「落ち着きたまえ、ミヌレくん! どこに行くつもりだ」

「王宮に……殺ちに……」

「あの魔女の根城に行くなど自殺行為だぞ」

「行く。ぉげっ、うぇ……」

 泣き過ぎて、しゃっくりが吐き気に変わってきちゃった。

 サフィール×オプシディエンヌどころじゃねぇよ、あれが地雷とかわたしはペロペロキャンディだった。

 この世にさらなる地雷カプがあるとは。

「ぅっ、ううぅ………」

 地雷のせいで、わたしの涙腺が決壊した。

 わたしの右ほっぺをクワルツさんがハンカチで拭いてくれて、左ほっぺはエグマリヌ嬢が拭いてくれる。

「ミヌレくんは何故こんなに滂沱しているのだ?」

「ボクの縁談が持ち上がった殿方が、ストラス氏だって言ったら突然……」

 途端、クワルツさんが眉を顰めた。

 クワルツさんもあの横領役人のこと、知ってるのか。そういやマダム・ペルルの舞踏会に招待されていたものな。

「そんなのと縁組されそうになっているのか。それはミヌレくんも心穏やかではあるまい」

 心穏やかとかそういうレベルじゃねーよ。

 殺意一択!

 即時実行!

 他に無い!

「うっ、う、殺ちゅ……殺しゅの………」

 怒りと辛さで情緒がぐちゃぐちゃだ。こんな震える手で、ストラスの眼球と心臓を抉ってやれるだろうか。

「何か問題のある方ですか?」

「吾輩とてマダムから聞かされただけだ。子供にいたずらするのが趣味だという噂があるから、絶対に近寄るなと釘を刺された。子供の頃は、大人なのにいたずらっ子なんだなと暢気に思っていただけだが……」

「ただの噂でしょう?」

「噂じゃねぇよ………わたしも連れ込まれたぞ………」 

 瞬間、エグマリヌ嬢の顔から体温がこそげ落ちる。

「先生が駆けつけてくれたので、わたしは大丈夫でしたよ」

「分かった。その男を社会的に抹殺すればいいんだね」

「エグマリヌ嬢……分かって頂けたんですね…」

「殺意が増えた」

 クワルツさんが漏らした呻きは、なんだかすっごく疲れていた。

「だがあの魔女に捕まったら、吾輩でも太刀打ち困難だぞ。とにかくあの教師が作る闇魔術を待った方がいいだろう」 

 先生が開発したオーバーキル魔術【破魂】。

 ラスボス撃破専用魔術だ。

「しかたない、横領役人の惨殺は後にします……」  

 わたしは洟を啜る。

「エグマリヌ嬢、賢者連盟の象牙の塔に行きましょう。保護してもらえます。このまま婚約本決定になったら、ほんとに身動き取れなくなっちゃう」 

「保護される気はない」

 凛と言い放つ。

 いや、それは困る。

 保護したいし、サフィールさまの事もゆっくり伺いたい。

「ボクは兄を取り返す。そのために賢者連盟に与する」

「ありがとうございます! 休学届は用意しておきました」

 特殊アイテム『エグマリヌ伯爵令嬢の休学届』

 オニクス先生監修、怪盗クワルツ・ド・ロッシュ偽造の完璧な休学書類だ。

 これで冒険に時間制限がなくなります!

「え、なんで兄のサインが」

「偽造しました」

 何もしてないわたしは、偉そうに胸を張った。

「いいのかな。この非常事態だし仕方ないのかな………でも突然、持っていっても、シトリンヌが受け取ってくれるかな。学院に戻って、確認するって流れになるんじゃ……」

 エグマリヌ嬢の言う通りだ。

 いきなりシトリンヌに休学届を出して、受理してくれるのかな?

 保護者や学院長に確認するのが普通だよね。鉱石電話を使って確認するなら、時間もかからない。

「吾輩が届けよう」

 そう告げて、クワルツさんはスカーフを出し、胸元に固く結んだ。

 服がきりっとした印象になる。

 瞬間、クワルツさんの顔つきも変わった。さっきまで侍女の柔らかな雰囲気だったのに、今は厳しい眼差しをしている。クワルツさんが演じる人物を変えたのだ。

「ミヌレ。この方はどちら様だい?」

 実はクワルツさん、侍女の変装したままだけどいつもの声になっている。

 だけどエグマリヌ嬢は異性装に対して、さらっと流していた。ディアモンさんの時にびっくりして悩んでたから、今更、驚くことでもないのだろう。

「ミヌレくんの友人だ」  

 クワルツさんはそれだけで十分だと言わんばかりに告げて、素早く、そして優雅さを欠かさずにバザー会場へと歩いていく。

 わたしたちは急いで追う。

「受け取ってくれるでしょうか?」

「あのシトリンヌという教師は、己が社交界の状況と不文律を熟知していると思っている。あの手の輩は自分で判断可能だと思わせる領域で話を通せば、処理してくれるだろう」

 自信たっぷりの物言いだった。

「交渉は吾輩がする。ミヌレくんはエグマリヌ伯爵令嬢のシャペロン役として控えてくれればいい」

「ふへっ? シャペロンなんて見たことありませんよ」

 シャペロンは、未婚の令嬢に付き添う既婚女性だ。

 社交に出席した令嬢に礼儀作法を耳打ちしたり、正装ドレスでのお手洗いを手伝ったり、不埒な遊びに巻き込まれないか監視する役目である。侍女のような使用人ではない。親戚筋の貴婦人が任される。準保護者的な立場だ。

「ディアモンはきみのシャペロンだろう」

「それも、そうか……」

 ディアモンさんみたいに、エグマリヌ嬢の背後に控えていればいいのか。ちょっと理解した。

 バザー会場の日差しの中、ひときわ輝いているシトリンヌがいる。ちなみにこれは褒めていない。

「はじめまして、シトリンヌ先生」

 クワルツさんは女性の声色を作って、恭しく呼びかけた。

 見知らぬ女性に話しかけられて、シトリンヌは笑みを目元や口許に塗りたくる。社交界用の愛想だ。

「伯爵家の事務弁護士を務めているものです」

 そう告げて、クワルツさんはカーテシーをする。

 事務弁護士ってのは、遺言の預かりや遺産の配分、不動産売買やギルド労働法なんかの法的アドバイスをする民事の専門家だ。

 小金持ちは何かあるたびに事務所へ行って、事務弁護士を雇う。でもお金持ちのおうちなら、お抱え事務弁護士がいるのだ。民法の改正に目を光らせ、節税アドバイスしたり、財産管理をしたり保険ギルドの手続きをする。あと示談金とか賠償金とか発生したら、それらを処理するのだ。

 たしかクワルツさんの実家にも、事務弁護士がいる。それにレトン監督生の実家なんて、五人くらい専属事務弁護士を抱えているんだよな。商会の法務とはまた別で、私財の動産不動産の管理だ。

 侍医とか個人教師と同じ上級使用人である。

「エグマリヌ伯爵令嬢の?」

 不意打ちの挨拶だけど、エグマリヌ嬢が堂々と隣に立っているので納得したらしい。

「当家の令嬢の佳き日のために、いろいろと持ち上がりましたお話は聞き及んでおられると思います」

「ええ、少しばかり」

「内々のことではありますが、お嬢様に参内のお許し賜りました。まことに急ではありますが、しばらくお嬢様をお休みさせて頂きたく存じます」

 休学届を差し出す。

 つまりクワルツさんは、エグマリヌ令嬢が婚約した関係で休学したいと申し出たのだ。

 婚約って枷を逆に利用するのか。

「ずいぶんと急ですこと」

 シトリンヌが訝しげに瞳を細める。当然だ。

 けどクワルツさんは平然としていた。シトリンヌの疑いさえ、台本に印字された科白と同じように受け止めている。

 いつの間か舞台になっているんだ。

 クワルツさんが主演と脚本と演出し、結末も思いのままの現実舞台。

 わたしもエグマリヌ嬢も、そしてシトリンヌも脇役だ。自覚があるかないか、その違いだけ。

「まことに。本来なら伝統に則ってことを進めるべき事柄ですが、この国の最も尊いご婦人にもご都合がありまして」

「それは確かに。帝国からおいでなった王妃は、宮廷に居つかない方ですものね」 

 エクラン王国で最も身分の高い女性に対して、シトリンヌの口ぶりは冷たい。ともすれば無礼と受け取られかねない口調で王妃を語るのは、すごく意外だな。だってシトリンヌって階級重視のタイプだもの。

「休学届、確かに受け取りました」

 シトリンヌは納得してくれたらしく、さくっと休学届を受け取った。


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