第二話 (中編) 伯爵令嬢の婚約事情
「ミヌレ、久しぶり。クラスのみんなには詰め所に行くって言ったから、ついてきてないよ。静かなところに行こう」
「ど、どうしてわかったんです?」
わたしの変装って、お粗末じゃないぞ。
濃い色のヴェールで顔も髪も隠して、低空で【飛翔】して身長を底上げしている。なんといってもディアモンさん衣装協力、クワルツさん監修の変装だ。
そもそも近づいてさえいないのに。
バレる要素が分からん!
「動き方」
即答するエグマリヌ嬢。
「うごき、かた……?」
「姿勢とか、頭や手の動かし方とか。高速でちまちま動いているからミヌレっぽいって思ったら、指がミヌレだった」
レースの手袋に包まれた手を、エグマリヌ嬢に取られる。軽く手の甲にキスされた。
貴族の子弟が、女性にする挨拶だ。
かっこいいけど、それより高速ちまちま動き……?
「エグマリヌ嬢。わたし、そんなに特徴的な動作でした?」
「特徴的じゃなくても分かるよ。友達だもの」
わたしだって、ディアモンさんとシッカさんの挙措が似てるって思ったことはある。動作だけで人物を見抜いても不思議じゃないんだよな。
「わたしは、エグマリヌ嬢が変装してたら見破れるでしょうか……?」
「どうかな? ボクは武術をやってるから、他人の動きを記憶する習慣がついている。それに冒険してるとき、ロックさんが先頭、ミヌレ真ん中、ボクがしんがりだったろ? ミヌレの歩き方は見慣れているんだ」
エグマリヌ嬢はえくぼを作る。
王子さま度はUPしたけど、可愛い笑顔は変わらない。
「ミヌレ。教会の裏手に行こう。警備のひとの詰め所があるんだ」
連れてこられた教会の裏は、木々が濃く生い茂っていた。仮設テントが張られて、木製のベンチが置かれている。苔むしているせいか、空気がしっとりしていた。
「ところでその恰好は、オニクス先生が亡くなったの?」
お悔やみを申し上げる口調なんだけど、えくぼが出来てるぞ。
オニクス先生に亡くなってほしいのか。
「単なる変装ですよ。先生はお元気ですが、どうあがいても目立つので、支部の方で待機してます」
「いろいろ事情がありそうだものね」
「ごめんなさい。行方不明になってご心配おかけしました」
「ミヌレが謝ることじゃないよ。オニクス先生が原因だろう?」
「邪悪な魔女のせいですよ」
即座に言い返す。
わたしが砂漠を彷徨ったのも滅ぼしたのも、賢者連盟に殴り込みかけたのも、もとはと言えば大毒婦オプシディエンヌが原因だよ。
あの女のせいだ。
「魔女……って?」
「そうなんです。最悪の魔女が、サフィールさまを狙っているんですよ」
サフィールさまの名が出た途端、エグマリヌ嬢の顔が凍り付いた。凍る音さえ響きそうなほどの強張り。
「……兄を?」
「絶対的な事実です。どうして判明したのかは長くなるからあとでお話します。あの邪悪な魔女、サフィールさまを【魅了】するか【屍人形】にするか、とにかく許しがたい方法で手に入れる気ですよ」
「【魅了】………たしかにこの頃、兄の様子がおかしい」
氷色の瞳が憂いで罅割れた。
「おかしいってほどおかしくはないんだけど、兄らしくないというか」
「サフィールさまらしくないサフィールさま? どんな感じでしょう?」
「うーん……」
「まさか先生みたいな皮肉を吐いたり、ロックさんみたいに娼館に興味を持ったりとか……」
「違う違う、全然そんなのじゃない!」
大慌てで否定するエグマリヌ嬢。
「ええっと最近、よく手合わせしてくれるんだ。剣術もエシェックも。あとこの前ね、冒険に行ったんだ、兄とふたりで。媒介や素材を採取してきたんだよ」
「それってサフィールさまらしくないんですか?」
「らしくないというより、頻度が高すぎるんだ。ボクに構ってくれるのは嬉しいんだよ。兄といっしょにしたかったことが叶うから、幸せで………でも騎士の任務とか、次期伯爵としての仕事とか、以前ほどの熱心さがないんだ。蔑ろってほどじゃないけど、後回しにしたり適当だったり。それに親戚との付き合いだって、最近ぞんざいなんだ。兄らしくないなって……」
闇魔術は心を歪ませない。
口にすることが出来なかった願望、無かったことにして忘れた感情、沸き起こる前に殺してしまった衝動。闇魔術はそれらを見つけ、燻る火種に息を吹き込むよう膨らませる。
サフィールさまの願いは、妹と過ごすことか。
仕事や親戚付き合いするより、妹と共にいる方が楽しいんだろう。家族との時間を増やすのは、責められることじゃない。もともとサフィールさまって、責任感が強すぎて思いつめるタイプだし。
何でもそつなくこなすけど、抱え込み過ぎるきらいがある。
レトン監督生のようにお金で処理できることはお金で処理するという要領の良さも無く、ロックさんみたいに自分のいない場所のことは考えないってほどざっくばらんでもない。ましてクワルツさんみたいに、表と裏の顔を使い分けて人生を謳歌できるほど器用でもない。
今の状態は、むしろ丁度いいんじゃないか。
ただオプシディエンヌの思い通りにさせれば、行きつく先は間違いなく地獄。
「兄はお疲れなのかなって思ってたけど、魔女のせいなのか?」
「はい。わたしはエグマリヌ嬢を守りたいんです。あの邪悪な魔女は、エグマリヌ嬢だって【屍人形】にしかねない」
「……でも、その、実は今ちょっと事情があって、あまり身動きできないんだ」
「婚約したの、本当だったんですか」
「どこからその話を……? いや、きみなら予知があるか」
予知じゃないけど、納得してくれた。
「婚約は兄の勧めでね。父と従軍したことがある方だよ」
「オニクス先生より年上じゃないですか」
「うん、父と同じくらいかな。抵抗が無いわけじゃないけど、ボクが騎士になりたいって夢を全面的に応援してくれる」
「それほんとですか? 口先だけじゃないですか? おじいさまやサフィールさまに何かあったら、手のひらくるーってされますよ。くるー!」
「ボクも不安だったんだけど、攻撃魔術に向いている宝石をいくつもプレゼントしてくれたから、手のひら返しは無さそうな気がする。それに父や兄のことを尊敬してるみたいで、武勇伝を語ってくれるんだよ」
笑顔になるエグマリヌ嬢。
エグマリヌ嬢はサフィールさまが大好きだからな。兄に薦められて、兄を賛美する殿方なら、相手がおっさんでも婚約者として認めちゃうのか。
なにより騎士になるって夢がある。
その夢を応援してくれる殿方なら、わたしだって賛成したい。
「お名前を伺ってよろしいですか? もしかしたら先生がご存じの殿方かもしれませんし」
「まだ本決まりじゃないから、お名前を出すのは憚られるよ」
「稀代の詐欺師だったらどうするんです。サフィールさまが選んだお相手なら問題ないでしょうが、あの邪悪な魔女の息がかかってるかもしれないんですよ。というわけで、教えて下さい」
「ミヌレ。いくら親友でもね、こういう繊細なお話は触れ回っちゃいけないんだよ」
エグマリヌ嬢の慎み深さは見習うべき点だけど、今は緊急事態なんだ。べぎぃってはぎ取ってやりたい。
「社交界の礼儀作法より、エグマリヌ嬢の安否が大事です」
「そこまで心配する方じゃないよ。爵位こそお持ちでないけど、お血筋やんごとない方でね。騎士団に長く所属されているから習慣にもお詳しいし、呪符や護符にも理解がある知的な方なんだ」
「それはそれとしてお名前を伺いたいんです」
「だから、ミヌレ……」
「教えてくれなかったらわたしは暴走カリュブディスになって、お相手のことを調べ上げますからね」
「ミヌレ、やりそう……」
一瞬にしてエグマリヌ嬢の顔が蒼褪めた。
「教えるけど内緒にしてね」
「ういうい」
周りに誰もいないか確認して、エグマリヌ嬢は口を開く。
「婚約のお話があったのは、騎士団所属輜重文官ストラス氏」
「…………」
「どうしたの、ミヌレ?」
「………」
「あ。輜重文官は、騎士団の兵站を担当する役職だよ」
「……」
「み、ミヌレ?」
「殺せェエエエエエエエエエエエエエエッ!」
大絶叫が轟いた。
「そいつかわたしを殺せェエエエ! わたしは生きる!」