第十四話(後編) 怪盗紳士はキャラが濃い
怪盗クワルツ・ド・ロッシュ。
大胆不敵に予告状を送り付け、神出鬼没に盗んでいく。
貴族や財閥から華麗に盗むその犯行は、庶民からの人気を博していた。
この学院にも予告状が送り付けられる。
騒ぎになるから生徒には内緒だけど、目的は図書館に秘されている古代書。
わたしは夜陰に紛れ、図書館にふわふわと近づく。光の護符によって常夜灯が照らしているけど、人影が一切ない。予告状がきてるはずなのに、いつも巡邏している夜警さんたちがいない。
わたしは物音をさせないように、針葉樹に隠れる。
図書館の最上階の窓から、黒い人影が現れた。
水晶色の髪の青年で、黒仮面をつけている。
怪盗クワルツ・ド・ロッシュだ。
こいつだけキャラデザが世界観と違うんだよな。ぴったりした黒革のサポーターで、背中と肩を覆っている。黒革のベルトとポーチ。下肢には黒革のズボン。
どっちかっていうと、セクシーな女怪盗がする格好だよね。
彼は細身だが筋肉がついている。ロックさんの筋肉は岩っぽくて登山系だけど、怪盗は競泳選手的なしなやかさがあった。脇腹に大きな古傷があるけど、それさえお洒落な雰囲気だった。
怪盗は図書館の屋根に佇み、腰に手を置く。
「吾輩は予告状を送っておいたのだ。そろそろ罠のひとつやふたつ登場する場面ではないかね!」
そうだ。
これだけ露骨に警備がいないってことは、学院側は何か仕掛けている。
「我は汝を恐れるがゆえに、呪を紡ぐ」
夜陰から響く呪文、月影に波紋する魔力。
オニクス先生の【恐怖】だ。
どっから唱えてるのか分からんけど、詠唱が耳に届いた怪盗は、顔を上げて鼻を動かす。
「炎を恐れぬ勇者あれど、痛みを恐れぬ聖者あれど、死を恐れぬ賢者あれど、恐れを恐れぬものは在らず」
やばい。いや、これわたしも効果範囲に入っちゃってる。
魔力対抗しないと、メンタルが死ぬ。
胆に力を籠める。
「恐れよ。涙に嘆き、悲鳴に叫び、闇に額ずくがいい。【恐怖】」
魔術が発動した。
怪盗が遠吠えする。狼のごとき咆哮だ。
「砕かれぬ水晶とは吾輩のこと! 怪盗たる吾輩が、魔術などで心萎むと思うか?」
あいつ、魔力防御がわたしに次ぐからなあ。
状態異常はわりと防ぐ。
図書館の出窓の影から、オニクス先生が飛び出した。
すでに【飛翔】を纏っており、その手にはエストックが構えられている。信じられない速さで、怪盗の胸を貫こうとしていた。
このまま怪盗、死ぬんじゃ?
いやいや、攻略キャラなんだから死ぬわけねーよ。
不安が一瞬で沸き起こって、一瞬で解決した。
怪盗は鼻を動かし、あらぬ方向へ蹴りをかます。
重い音がした。
怪盗の背後に、先生が姿を現す。蹴りを腕で受けていた。
【幻影】で自分を一体出して、自分自身は姿を消していたのか。
先生は二重の【幻影】が破られても、平然とエストックで攻撃し続ける。だがその攻撃すべて、怪盗は躱していた。
離れているからわたしにも体捌きが追えるけど、近づいたらついていけない。
ふたりとも目で追うのがやっとだ。
「ほほお。吾輩以外にも仮面の紳士がご登場とは、まるで仮面舞踏会ではないか。心躍るな」
怪盗の茶化しにも、先生は無言でエストックを奮う。
片足の不自由を【飛翔】で補って、互角に戦っている。
「月影より速き疾風とは吾輩のこと!」
そうだな。速度も全キャラ最速だ。
だが怪盗が減らず口を叩いている間に、先生は呪文を唱え終わっていた。
周囲に舞い上がる赤煉瓦たち。
赤煉瓦のブロックが、怪盗の頭を狙って飛翔する。
なんで【水】使わないんだ?
あっ、そうか。盗まれたのが書物だからか。
貴重な古代書だもんな。
火気厳禁。水漏れ厳禁。
怪盗は、減らず口に見合った能力を持っていた。数えきれない煉瓦さえも軽快に躱して、手のひらで受け止め、逆に投擲して間合いを計る。まるで打ち合わせ済みの曲芸を披露しているみたいだ。
先生が術を詠唱する。その途端に姿が、二重、いや、三重にぶれた。
【幻影】だ。
幾重にも分かれた幻の姿が、四方から怪盗へ襲い掛かる。
「吾輩に【幻影】は効かぬと知れ! 夜に駆ける銀の悪夢とは、吾輩のこと!」
「減らず口のバリエーションが豊かなことだ」
「すまんが、ほんとに効かぬからな。吾輩、ド近眼であるからして、見えるものは逆に幻術だって分かるのだ」
「そんな理由かッ!」
思わず先生が突っ込んだ。
あいつ、普段は瓶底眼鏡キャラだしな。
【幻影】を解く。
「うむ。吾輩が持ちうるのは、聴覚と嗅覚と皮膚感覚のみ。せっかく幻術いっぱい用意してもらったのに、ごめん。だが歓迎、痛み入る」
「貴様のせいで、私は時間外労働を強いられている!」
先生が本音を口にした。
ちょっとこれはメンタル的に押されているな。
メンタル的には不利でも、先生のエストックの速さは衰えない。
「ほほお。吾輩は組織の苦労にとんと疎くてな」
「獄中で学ぶといい」
「檻を知らぬ銀の猛禽とは吾輩のこと! そろそろ月下の仮面舞踏会を終わらせてもらおうか!」
「ああ。貴様の死で舞踏会の幕は落ちる」
あいつら、ふたりとも中二病だな。
大好き。
先生が深く踏み込む。
エストックの切っ先が、怪盗の革ベルトを裂いた。
ポーチが落ちる。
「返してもらうぞ」
「それは構わんよ。本当の目的は見つかった」
怪盗が咆哮して、屋根から跳ぶ。
そう、跳んだ。
飛んでいるわけじゃない、重力を御しているわけでもない。人間としてあり得ない跳躍力だ。
図書館の煙突を蹴り、針葉樹の枝に跳ぶ。
へっ、こっち来た?
「やっと見つけたぞ!」
怪盗は嬉々として叫び、わたしの隠れているところに飛び込んできた。
ひょいっと抱きかかえられる。
「ふへっ?」
針葉樹の中から姿を出したわたしに、オニクス先生のぎょっとした顔ったらなかった。
「なんでいる!」
「では吾輩はお暇させて頂こう! さらば」
わたしを抱きかかえたまま、怪盗は夜風を切って跳ぶ。
待って、待って。こんなイベント無い。
怪盗にさらわれるってどういうことだ。
「ミヌレくん。ミヌレ・ソル=モンドくん。きみを探していた」
「へほっ?」
なんでわたしの名前を知ってる?
それどころ祖名まで?
通常、祖名ってのは名乗らない。誕生とか結婚式とか葬式とか、そういう人生の節目に、教会書類に記載されるもの。学校の書類にだって書かないんだぞ。
貴族なら他人に祖名まで知られているけど、わたしみたいな田舎娘の祖名なんて、教会簿で調べない限り知られない。
「吾輩の問いに答えてくれるならば、この素顔を月下に晒しても構わん」
「問いって……」
「きみは『何』だ?」
質問の輪郭が漠然とし過ぎていて、わたしは問い返す言葉さえ探せない。
「最初から話そう。きみも魔術学院の学生なら『魔術』と『魔法』の区別はつくな」
「はい」
それは初歩の初歩。
魔法っていうのは、原始の力。
むかしは魔力が膨大なひと以外は、魔法を扱えなかった。近代技術によって、呪符と呪文が発明されて、魔力が低い人間でも扱えるようにした魔法が魔術。
「吾輩は『魔法使い』だ。魔法によって肉体を強化して、遠見と予知を併用している」
「へぇ~~」
それでステータスが異常に高いのか~
「吾輩の予知限界は数日先までだ。だが今年の夏の終わりごろ、数年先まで予知が届くようになった」
「成長したんですか?」
「いいや。予知の範囲が限定され過ぎている上に、予知精度が低い。たぶん吾輩の予知に、共鳴と抵抗が起きている」
怪盗は仮面越しにわたしを見つめる。
「吾輩の予知に干渉してきたのは、ミヌレくんか?」
他人の予知への干渉?
「わたしは魔法なんて使えませんよ」
「だがきみは吾輩にとって、不可思議だ。吾輩の予知に現れたり現れなかったりする。こんなに吾輩の予知がブレることはない」
夜風に水の冷たさが混ざった。皮膚の下まで伝わる冷たさだ。
わたしは頭上を見上げる。
満月の夜が、水に覆われていた。
わたしたちの頭上いっぱいに、水が揺蕩っている。
「生徒番号320、【水上歩行】っ!」
オニクス先生の叫びで、わたしは【水上歩行】を詠唱して展開させる。
同時に【浮遊】した水が落下した。わたしと怪盗を取り囲む。
反水魔術を使ってるわたしの周囲だけは、水が弾かれた。
だけど怪盗の周りに水が張り付く。大地の加護から解き放たれた水は、凶器だ。
「返してもらうぞ! うちの生徒だっ!」
【飛翔】を纏った先生が、わたしを引っ手繰る。
月下香に包まれる。
いつもだったら安心する香り。だけど今はそれどころじゃない。怪盗クワルツ・ド・ロッシュが死んじゃう。
わたしが変に首を突っ込んだせいで、彼が死ぬなんて。
だけど怪盗は、水を弾いた。
魔法だ。
図書迷宮の第一階層で、わたしが水にキスして解除したのと同じ要領。だけどレベルは格上だ。わたしと違って、彼は皮膚接触だけで解除している。
成程。だからあんな露出狂、いやいや、セクシーな怪盗スタイルなのか。
「きみは『魔法使い』か」
「然り! 愚者の寓話とは吾輩のこと! まさしく吾輩は魔法使い。だからといって魔術が使えないわけではないぞ」
魔力が動く感覚がする。
先生は水を飛翔させて、水の弾丸を繰り出す。
だけど怪盗は拳で弾いた。物理的な動作だが、皮膚接触で魔力解除をしている。魔法だ。
怪盗は魔法を使いながら、魔術を紡ぎあげる。
「吠えよ、我は獣」
この術は獣属性ライカンスロープ系の詠唱。
彼は戦闘中に獣化できる。
獣化したステータスは、人間時の三倍。
「爪を立てて疾駆せし獣、まなこ光らせ、牙を剥き、汝を屠りて食らうもの 【魔狼獣化】」
魔術によって、彼の身体が変化する。
水晶色の髪の青年から、漆黒の狼へと。
身をひるがえして、針葉樹の暗がりへと消え去った。先生の【飛翔】より速い。
「どこに呪符を持ってたんでしょうか」
「脇腹に傷があった。そこだろう」
「体内に?」
「体内の一部が欠損した状態で、獣属性の呪符を作りながら埋めると、術師の肉体と馴染む。魔術師でもライカンスロープ系が秘伝として伝わっている家系では、あえて若い頃に肉体の一部を抉って、獣属性呪符を埋め込む伝統がある。その家系かもしれんな」
いや、あいつの実家は普通の農家ですよ。
学院の私有林に、光が打ち上げられる。閃光の護符を【浮遊】で打ち上げているのだ。真昼のように煌々と照り輝く私有林。
図書館のほうから、人の気配がたくさん集まってきた。
オニクス先生が前衛するとして、後衛がいるのは当然だな。
「ところで生徒番号320、どうしてここにいる?」
「怪盗の素顔を見たかったんですよ!」
「そんなことで?」
威圧感のある呟きに、わたしの心臓が跳ねあがる。
「イベント早回ししたくて!」
思わず本音を喋ってしまった。
また訛りだと思って、スルーされるかな。
「…………」
オニクス先生は、微かに、細く息を吐く。
空気が初冬の水みたいに冷たい。
隻眼と目が合った。
黒い隻眼に、わたしが映り込んでいる。
いや、わたしじゃない。これはミヌレ。鉱石色の髪を持つ、このゲームの主人公。
「きみは………ひょっとして、この世界が……物語か戯曲の世界で、入り込んだと思っている、のか?」
一瞬、言われたことが飲み込み切れなかった。
この世界が、
物語か、
戯曲
先生が次の言葉を紡ぐ前に、他の教員たちがやってくる。
学院長もいた。
ぎょろりと睨まれる。
「どうしてミヌレ一年生がいるのです」
「怪盗に誘拐されそうになったから保護した。なぜここに居合わせているかは知らん」
先生は口では突き放していたけど、わたしを抱き締めたままだった。
片手で古代書を出す。
「書は取り返したが、怪盗には逃げられた。あれは魔法使い且つ、ライカンスロープの術の使い手だ。狼に変化できる。憲兵にそう通達を」
「分かりました。学院長室に。いえ、食堂に集まって下さい」