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第二十話(前編)戒められた幸福


 黙祷と香華で、お別れが終わる。

 シッカさんの遺品は、二人のお弟子さんが殯宮へと運んでいった。

「ディアモンさんはご一緒されなくていいんですか?」

「ええ、パリエト師との別れは、もう先に済ませておいたもの。アタシは師から賜った遺言を実行するため、ここにいるわ」

 大きな空飛ぶ絨毯が翻る。

 織り込まれたオリハルコン糸が煌めき、染色されたバフォメット綿が艶めく。

「ニック、ミヌレちゃん。月下老の元に参りましょう」

 月下老ユエ・チャンシー。

 東方魔術の権威にして、月の開拓者。

 ついに話し合いの相手に会えるのか。

 長かったな。

 処刑の撤回してもらいに来ただけなのに、賢者さんが三名も亡くなったし。


 ひとりは自殺。

 ひとりは事故。

 ひとりは寿命。


 カマユーの死因には見解に食い違いがありそうだけど、不全呪文での死亡は法律上、事故として処理するからな。

「私から呪符を取り上げ、【封魔】せずともよいのか? 話し合いが決裂した瞬間、その場で月下老を殺して、月を更地にして賢者連盟を乗っ取るかもしれんぞ」

「そうね。アナタの武装解除すべきでしょうけど、アタシはしないわ。パリエト師も……それをお望みではないでしょうから」

 寂しそうに語る。

 ディアモンさんがシッカさんの名を呼ぶ響きは、哀悼の静けさだった。

 オニクス先生はしばらくディアモンさんを見つめる。ゆっくりと手甲を外し、鴉の仮面を取る。

「喪中だ。攻撃魔術だけはきみに預ける」

「………よいの?」

「構わん。それくらいしか私は喪を示せん」

「ありがとう、でも杖は預かれないわ。アナタ、杖が無いと咄嗟に動きづらいでしょう」

「お言葉に甘えよう」

 空飛ぶ絨毯に乗せられる。

 常夜灯が続く廊下を進むと、行き止まりには大きな穴がぽっかり開いていた。常夜灯に縁どられているけど、底が見えないくらい深い。

「こんな穴の底にいらっしゃるんですか?」

「ええ、月下老は最下層で、地下開拓を進めていらっしゃるわ」

「さらに地下に行くのか。まさか処刑場ではないだろうな」

「あらあら、それは疑心暗鬼よ。そういえばアナタって、月地下の開拓には関わってないものね。この下に何があるか見たことないのね」

「月下老の隠居所と、その弟子どもがいるのだろう」

「それは正しいけど……」

 空飛ぶ絨毯は下へ下へと、ゆっくりと降りていく。

 暗すぎるから霊視モードに切り替える。

 ただ岩肌が続くだけ。

 沈黙が立てる物音が、妙に鼓膜に反響する。

「あの、月下老って人類最年長なんですよね。おいくつなんでしょうか……?」

 黙っているのが苦痛になってきたから、素朴な疑問を口にした。

 不完全な【羽化登仙】でさえ、寿命が千年延びる。

 じゃあ完全版を達成した月下老は、千年より遥かに長く生きているってことだよね。

「私が知りたい。推測では二十万歳から五万歳くらいだ」

「ひへ? ご本人が生きているのに、推測なんですか……?」

「アトランティス時代と暦が違う上に、氷河期が訪れるたびに冬眠したらしいからな。月下老自身にも正確な年数は分からんのだ。発音からして、五万歳より若くはないだろうが……」

「発音?」

「月下老の母国語は、後期アトランティス語東方域だ。アトランティス語で母音が六つに洗練されているのは、最も後期の発声だな」

 母音が六つ?

「めちゃくちゃ少ないですね、母音」

 ジスマン語の母音は12、それから鼻母音4と半母音3。合わせて19個だもの。

「母音がたった6個しかないとか、縛りプレイな言語だな……」 

「ミヌレちゃん。ジスマン語の母音が多すぎるのよ。古代デゼル語は長母音みっつの短母音みっつで、六つだもの」

「ちなみに古代エノク語は母音が五つだぞ」

 クワルツさんまで会話に加わる。

「へえ、ジスマン語って母音が多かったんだ……」

「古代から現在まで、最小母音言語は2母音で、最大母音言語は55だ。比較的多い方ではあるな」

 先生が淡々と述べる。

 そういや先生って、エメラルド牌の神聖文字を研究してたから、古代語を網羅しているんだよな。

 読めないのは色彩象徴言語と、神聖文字くらい。

 正確には神聖文字って、言語じゃなくて文字化けだったけど。

 底から、光が見えてきた。

 そろそろ終着地?

「ここが月下老の洞府よ」 

 光が和らぎ、かたちがはっきりしてくる。 

「………………あおぞら?」

 わたしたちの頭上には、明るい紺色の空が広がっている。

 色は夜明けめいた紺だけど、明るさは昼間くらい。紺青の空に、雲じゃない何かが揺らいでいた。あれは、波だ。空が波打っている。

 波の模様の空!

 空に添う白は雲じゃない、寄せては返す波だ。

「ここは賢者の海の下か」

 オニクス先生の呟きには、驚きが滲んでいた。

 先生まで驚いてるってことは、相当、びっくりな事態なんだな。

「ええ、ちょうど賢者の海の下にあたるのよ。象牙の塔最下層にして、賢者の海の底」

 青空を模した蒼海から、太陽の光が透けている。弱水が大気の代わりになっているのか、ほどよい明るさになっていた。

「空の上から波の音がするの、面白いですね。それに光の差し方も水模様……!」

 手のひらを光へと差し出す。

 わたしの膚の上で、波模様の光が揺らいでいる。

「水のステンドグラスみたい!」

「明け方に見た夢のようだな………」

 クワルツさんは四肢を投げ出すように寝転がって、波打つ空を眺めている。

 お行儀悪いけど、わたしも真似しよ。

 ごろんと転がったら、すかさず先生に引っ張られて、クワルツさんから離された。何故だ。

「火星が真上に昇ったら、今までどんな人類が見た夢より神秘的よ。賢者の海の底から見上げる火星は、月の絶景のひとつだわ」

「ぅおお、見てぇ」

 思わず叫んでしまう。

 だめだ。これから大事な交渉があるんだから、落ち着かなくちゃ。観光じゃないんだぞ。

「ミヌレくん、滝があるぞ、滝!」

クワルツさんが宙を指さした。

 一筋、天の波間から水が流れている。

「ほんとだ! 滝だ! 綺麗!」

「ええ、月の飛瀑。賢者の海の下で真水を循環させて、生活用水にしているの。弱水は蒸発しないから、真水の保護になるのよ」

「へえ~」

 空飛ぶ絨毯が岩場を越えて、空から落ちる滝を目指していく。

 もうびっくりしないだろう。

 そう思っていたのに、まだ驚きがやってくる。

 だって滝を取り囲んでいたのは、街だったんだもの! 

「街ですよ、街があります!」

 滝壺と虹をぐるっと取り囲むように、東方風の建物がたくさん立ち並んでいた。まごうことなく都だ。

 黒や赤褐色の焼き物の屋根と、白い漆喰の壁たち。 

「都があるとは。これなら予告状が出せるな!」

 クワルツさんがはしゃぐ。

「東方大陸の都市に来たみたいです」

「そうね。現在、ここに定住している魔術師は約五百人。都市と呼ぶには少ないけど、開拓地だとすれば立派でしょう。移住してきたお弟子さんたちが作った居住区よ。建築様式は二百年前の東方大陸から、あまり変化していないわ」

「住民は、すべて月下老の弟子か?」

 オニクス先生の質問に、ディアモンさんは首肯する。

「直弟子が大半だけど、孫弟子もいるわ。曾孫弟子もいるでしょうね」

「魔術師だけの楽園か。月の植民計画がここまで進んでいるとは思わなかった。これならば邪竜に滅ぼされたところで、痛くも痒くもないだろう」

 先生の軽口に、ディアモンさんは柳眉を釣り上げた。

「冗談は止して。ニック。地球ほど多様な魔術素材を採取できる星が、この時間障壁内のどこにあるっていうの。火星や金星でも採取は進んでいるけど、魔術発展には多様性豊かな地球が欠かせないわ」

 魔術師って人類愛が欠けてるな。わたしもだけど。

 ラーヴさまの方が人類愛が高いのかもしれない……

 大通りを進む。

 広い道の傍らには広い水路が流れて、極彩色の屋根付き船が浮かんでいる。立派な石橋だって架けられていた。蟹やうさぎの模様の石橋だ。あちらこちらに緋灯篭や銅灯篭が下がっている。ひとつひとつの色彩や模様が異国情緒たっぷりで、胸がときめく……!

「お弟子さんたちの姿が見えないですね」

「喪中だから、みんな廟で香を焚いているのよ」

「ディアモン! あの船を盗んでみたいが、予告状はどこに出せばよいのだ?」

「今は喪中だから控えてあげて」

「已む無し」

 クワルツさんがぴたりと静かになった。

 空飛ぶ絨毯が辿り着いたのは、だだっ広い広場だ。中心に、見たことない木が聳え立っている。エクラン王国では見かけない常緑樹だ。幹はそれほど太くないけど、葉の茂りは豊かで緑陰が重なっている。東方の樹かな?

 濃い木陰に、クマさんがいた。

 めちゃくちゃでっかいクマさんだ。

 たぶん立ったら、三メートルくらいあるぞ!

「クマさんなんですか! 月下老ってクマさんなんですね」

 なるほど、動物枠かあ。

「動物に率いられる賢者というのも寓話的で愉快だが、あの熊は月下老のファミリアされている使い魔だ。洞穴熊。月下老は、その影にいる」  

 先生が影を指さす。

 でっかいクマさんの影にいたのは、普通のおじいさんだ。

 頭のてっぺんは禿げて、後頭部からの白髪が地面まで垂れてうねっている。東方風のローブの裾は擦り切れていて、裸足だった。

 このおじいさんが月下老。

 へえ、わりとイメージ通りのご老人なんだ。

 いかにも半ば隠居してる東方の魔術師って雰囲気。

 イメージ通りで拍子抜けした。

 だってカマユー猊下は二百年以上も生きていたのに、外見は六歳か七歳くらいだもの。テュルクワーズ猊下は司祭っぽいし、ブッソール猊下は冒険者ぽいし、月下老も意外性のある外見かと思ったけど、正統派だな。

 ディアモンさんは絨毯を地に下ろす。

「お目通りのお許し頂き、ありがとうございます。月下老」

 己の拳を手のひらで包み、片膝をついて頭を下げる。東方式の最敬礼なのかな。わたしも真似した方がいいのかな?

「ミヌレちゃん。こちらのお方が月下老。仙道……東方魔術を極めしお方よ」

「はじめまして」

 わたしは一歩、前へ踏み出した。

 ディアモンさんみたいな東方式の挨拶と、西方式のカーテシーとどっちが相応しいんだろう。ちょっと迷ってから、わたしはカーテシーをした。普段やり慣れている方が、失敗しないし。

 カーテシーをすると、風が吹いた。

 よそいだ梢が揺れ、おじいさんから木陰が取り払われる。木漏れ日が風に散っていった。

「ふへっ」

 シミと皺だらけの顔は、猿に近かった。

 顔の筋肉、いや、頭蓋骨のかたちからして人類と違う。

 人間じゃない?

 月下老はわたしを見つめる。

 両目とも、月長石を填め込んだみたいに白濁していた。白そこひかな。

「ようおいでなさった、『夢魔の女王』。儂がユエ・チャンシー。『月下老』と呼ばれておる」

 ジズマン語だったんだけど、発音には獣が呻くような掠れがあった。お年を召して嗄れてるだけじゃない。ブッソール猊下みたいなイントネーションの違いじゃない。根本的に声帯が違うんだ。

「猿のライカンスロープか?」

 クワルツさんがド直球な発言をぶちかました。  

 いやいや、わたしも気になっていたけど、率直すぎるだろ!

 ライカンスロープ術者じゃなくて、顔立ちがおさるさん似のおじいさんだったらクソ失礼だぞ!

 あまりの失礼さに言葉を失っていると、嗄れた笑いが響いた。月下老からだ。

「いやいや、儂は猿じゃよ。半分な」

「半分とは?」

 率直に返しているクワルツさんの後ろで、ディアモンさんとオニクス先生は顔色を悪くしていた。

「ニック、説明していなかったの?」

「見ればわかると思った」

 オニクス先生が、ことさら低く呻く。

 み、見れば分かるかあ。

 先生は無性別体も見れば分かっちゃうひとだけど、他のひとはそうじゃないんだぞ。

「『未来視の狼』、アトランティス文明の時代は、哺乳類繁栄期じゃったとご存じかな。マンモス、サーベルタイガー、ダイアウルフ……そして擬人類」

「人魚?」

「いや、人類も人魚も精霊を祖として、分岐していった種。じゃがアトランティス時代には、先祖が違うのに人類に姿かたちをよく似せてきた哺乳類が出現した。収斂進化による擬人類、クロマニョンとネアンデルタールじゃ。いや、今は学会でどういう名称じゃったかな」

「ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスです」 

 ディアモンさんが答える。

「そうじゃったな。アトランティス文明ではその擬人類らは奴隷種じゃった。見た目は酷似し、会話が通じ、そして知能は人類に次ぐ。ただ魔力は持っていなかった」

「月下老は………擬人類とアトランティス人との子孫なんですか?」 

 わたしの疑問に、ゆっくり首肯する。

「その通りじゃ。クロマニョン……今でいうところのホモ・サピエンスとの混血じゃよ。半分は猿じゃろう」

 マジかよ。

 長生きってレベルじゃないぞ。ホモ・サピエンスって何万年前に滅びたんだっけ……

「ホモ・サピエンス絶滅は、3万5000年前と推測されている」

 先生が小声で耳打ちしてくれる。

 3万5000年前か~

「そのころ第四人類も、文明崩壊後に氷河期が訪れ、数が少なくなっておったのじゃ。世界各地にぽつりぽつりと生き延びてはおったが、先細りするばかり。儂の母の集落では、とうとう男がおらんようになった。儂の母は子孫を得ようと、奴隷種たちと交わった。普通ならば子を成せるはずもない。それでも母君は夥しい肉塊と蛭子を、産みて産みて産み落としていった」

 気持ちのいい話じゃないな。

 そこまでして子孫が欲しかったのか……?

 まったく共感は出来ないけど、そこまでして己の欲しいものを得る苛烈さと執念さに、畏怖が湧く。

「…………そしてついに産声上げたのが、儂じゃ。生まれるはずのない仔が産まれたのじゃよ。魔法はすべてを凌駕するからのう。時空も物理も血統も」

 魔法によって、第四人類と擬人類の間に産まれた仔。

 それが月下老か。

 奇蹟なのか祝福なのか、それとも呪いだと思っているのか。本人である月下老の口ぶりからは読み取れない。 

「ひとは死ぬもの、文明は亡ぶもの、種は絶えるもの。宇宙や精霊とて、いつかは滅するものじゃ。万物、虚空より生じ、虚空へ還る。とはいえ終焉は先延ばしにしたいのじゃよ。のう、蛇蝎」

 月下老の視線が、オニクス先生へと向けられた。

 白濁した眼なのに、鋭さがある。

 野生の獣が、縄張りを侵した獣に対する眼だ。こっちの対応しだいで、飛び掛かって攻撃されそうな気配がする。

 だけど威嚇じゃない。

 攻撃でもない。

 月下老は攻撃を抑え、言葉を紡いでいる。

 わたしたちと賢者連盟の交渉が始まったんだ。

 今までは挨拶。ここから先、ただのひと呼吸だって、不用意な言葉は許されない。


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