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第十七話(前編) 善き司祭の懺悔 除幕譚


 眼球や心臓や脳だけの小瓶もある。

 血管や皮膚だけを摘出した額縁もある。

 奇形骨格もある。

 果てしなく終わりなく、人間だったものが並んでいる。


「オニクス先生の……研究……」 

「ええ。ご理解頂けたなら、もう目を瞑って下さい。あなたは私が抱えて走りますから」

 それは慈悲というより、懇願だった。

 テュルクワーズ猊下の優しさを受け入れてしまいたくなる。

「平気です。いえ、ぶっちゃけ平気じゃないですけど、不意打ちがあったら危険です。このまま走ります」

「ですが……」

「直視できないなら、オニクス先生の傍らにいられるはずがありません」

 わたしは罪の世界を駆けていく。血染めになったオリハルコンドレスが少し重いけど、一刻も早くこの通路を抜け出さなくちゃ。

 でもどこまで駆けても駆けても駆けても、歩いても歩いても歩いても、人間の標本は続く続く果てなく続く。もしかしてわたしが死ぬまで蹄を進ませても、この通路は終わらないんじゃないか。

 益体も無い妄想が、冷や汗と一緒に湧いてきた。

「ミヌレ・ソル=モンドさま。顔色が悪いですよ。やはり私が手を引いて進みましょう」

「テュルクワーズ猊下。以前、わたしは猊下に、先生が変わることを望んでないと申し上げました。今も、先生に変わって頂きたいとは思いません。ですが……」 

 無知な己が恥ずかしい。

 よりによってこんな惨い過去を抱え込んでいるテュルクワーズ猊下に、「先生が悪辣なら、悪辣で結構です」って言い放ったんだよな。

 自分の幼稚さに、眩暈がしてくる。

「だめです。今その話をする事態ではないですよ。それは明日の私に伝えて下さい」

 おっしゃる通りだ。

 こんな場当たり的な謝罪、テュルクワーズ猊下に失礼だろう。

 気持ちを切り替えなくちゃ!

「月下老の元に急ぎましょう。出来ることなら、先生より少し早く会えればいいんですが……」

「何故です?」

「わたしの処刑を撤回して頂くためには、こっちだって譲歩する必要があるでしょう」

 処刑しないでって訴えるだけで、聞き入れてくれるわけがない。賢者連盟には賢者連盟の正義がある。全人類の安全という、誰もが認める正義だ。

 正義を撤回させるなら、こちらも正義に匹敵するものを差し出さなくちゃいけない。

「ただ譲歩案は先生が絶ッ対反対するので、先に話を着けちゃいたいなって」

「なにを譲歩するおつもりです? 危険な案ですか?」

「まさか。むしろ一石二鳥な案ですよ」


「お師匠さん!」


 闇に響く声に、心臓がびくっとした。

 だって死体が喋ったと思ったんだもの。

 でも喋ったのは生きてる人間。当然なんだけどほっとする。いや、攻撃される可能性が高いんだから、ほっとしてちゃいけないんだけどさ。

 通路の先に居たのは、わたしよりちょっと年上の男の子だ。魔術師っぽいケープに、丈の短いローブ。魔術師見習いって雰囲気だ。でも靴を履いていないし、呪符は持っていない。

 わたしが数歩進めば、彼の色彩はもっとはっきりした。

 砂漠の民の血を引いているのか、肌はとびきり濃い蜜褐色、瞳は両目で違う色。青林檎色と黄林檎色だ。 

 それよりもっと印象的なのは、彼の耳。

 猫の耳だった。

 ぴくぴく動いているから、飾りじゃなくて本物だ。

 あの子も『妖精の取り換え仔』なのか。

 猫の耳には護符がピアスされている。【抗狂】や【抗魅】だ。闇魔術への耐性を高める護符だ。

「お師匠さん、どうしてこんな場所に……」

 耳をぴくぴく動かしながら、彼は駆け寄ってきた。素足だからか、猫みたいに足音が立たない。

 わたしに気づいて、猫っぽい眼で凝視する。

「おいらの名前はウイユ・ド・シャ。テュルクワーズ師の直弟子なんだよ」

「ウイユ・ド・シャ……」

 名前を唇に乗せれば思い出した。

 エグマリヌ嬢の護衛をしていた魔術師だ。暗殺組織に育てられた『妖精の取り換え仔』で、テュルクワーズ猊下に救出されて弟子になっている。

「怪我はもう平気? ごめんね」

 何故か愁傷に謝られた。

「……怪我って、呪符を体内に取り込んだことですか?」

 さっき抉った皮膚は、完治している。

 皮膚の下の肉は、呪符が入っているせいか、まだぐじゅぐじゅしているけど。

「違うよ。おいらが傷つけちゃった脇腹の方。ライカンスロープしてると頭が働かないんだ。女の子を傷つけるの、嫌なのに」

 ライカンスロープで、わたしを傷つけたって?

 一拍後、仮面仮装舞踏会を思い出す。

 シャンデリア輝く会場に、乱入してきたサーベルタイガーとマンモス。

「もしかしてサーベルタイガーの?」

「うん。ほんとは蛇蝎を殺しに行ったんだよ」

「……賢者連盟はわたしを処刑して、オニクス先生をふたたび世界鎮護にするおつもりでは?」

「いやだよ」

 ウイユ・ド・シャくんは見た目よりずっと幼い口調で、硝子瓶たちを見つめた。

 硝子に映る彼の面差しは、泣きそうになっている。

 見た目はわたしより年上だけど、年下を相手にしている気分だ。

「この子たちはね、お師匠さんの孤児院にいた子たちなんだよ。お師匠さんに助けられたおいらにとって、兄弟みたいなものだよ。なのに、蛇蝎は、実験のためにみんなを誘拐したんだよ」

 その事実に、わたしの喉が締め付けられる。

 嬉々として実験する姿が、ありありと思い浮かんでしまったからだ。

 砂漠で目の当たりにした狂いの片鱗は、教団時代を想像させるに充分すぎる。

「きみは蛇蝎に助けられたかもしれない。でもどれだけ蛇蝎が善いことしたって、いのちは償えないよ!」

「そうですね」

 こいつの言う通り、罪は善行で贖えない。

 だったら善行も罪で穢せないだろ。

 先生がわたしに与えてくれた優しさを思いだす。この一角獣の心臓が覚えている。

「蛇蝎を殺そうよ」

 暗がりの通路に響く彼の訴え。

 硝子瓶に封じられた犠牲者も、テュルクワーズ猊下も何も言わない。

「名案だよね。あいつさえ殺しちゃえば、きみが唯一の世界鎮護の魔術師だよ。誰もきみを傷つけられないよ」

「あなたの主張は分かりました」

「じゃあ……」

「あなたは憎い相手に復讐したい。わたしは好きな相手を助けたい。それでいいですね」

 すこぶるシンプルな結論。

「どうして助けるんだよ! こんなことをした男だよ」

 癇癪が響き渡る。

 こんなこと、か。

 口にするのも悍ましい実験の結果たる死体。

 ここにいる死体さんたちは当然だし、傍らにいるテュルクワーズ猊下だって、この少年の味方だろう。

 まったくわたしはアウェイだ。

 だけど彼らに屈して、先生から貰った優しさを手放したりはしない。

 わたしが手放してしまったら、先生の愛情や献身が報われないじゃないか。

「愛しているからですよ」

「なんであんな男……っ!」

「自分が憎んでいる相手は、世界人類すべてが憎んで欲しいとか駄々こねないで下さいよ。あなたの宿す憎悪は、誰かに認めてもらわないと保てないような赤ちゃんなんですか?」

 わたしの挑発は、彼の尾を踏んだみたいだった。

「もうそこまでにしましょう、ウイユ・ド・シャ。ひとが悔い改める道を遮ってはなりません」

 テュルクワーズ猊下が優しく促す。

「あなたの嘆きも怒りも分かりますが、己を救い賜うは神であり、己を罰し賜うも神であるのです。復讐は神のものですよ」

「いやだよ! 蛇蝎のせいでお師匠さんは苦しんで……」

 ウイユ・ド・シャくんが固まる。

 蝋に固められたみたいに止まり、それからゆっくりとテュルクワーズ猊下を見上げた。猫めいた瞳は、信じられないものを映しているように丸い。

「どうしてお師匠さんが、ここにいるの?」

「ミヌレ・ソル=モンドさまを保護するために……」

「お師匠さんはここに入れないよね。入れないんだ。だって、入ったら呼吸できなくなるくらい辛くなるのに。それに、イヴォワールは? まだ緊急状態が解除されてないよ。なんで緊急事態なのに、イヴォワールが護衛してないの?」

「……」

 テュルクワーズ猊下が動いた。

 わたしを抱えて、間合いを取るため後ろへ飛びのく。

 えっ、ええっ? テュルクワーズ猊下って、こんなめっちゃ俊敏に動けるひとだったの?

「お師匠さんじゃない? 誰だ!」 

 ウイユ・ド・シャくんから獣の臭気が渦を巻く。

 殺気だ。これは息苦しいほどの質感を伴った殺気だ。

「直弟子を騙すには、吾輩の精進が足らんようだな」

 芝居がかった抑揚。

 テュルクワーズ猊下だったひとは、自分の顔面を酷く引っ掻いた。皮膚を剥がして、血を滴らせ、超回復していく。顔かたちが変わっていく。瞳と肌から色素が抜けていく。髪も輝かしい水晶色に透けていく。

 傷だらけの顔に、黒い仮面を付けた。 

「月を蹂躙する影とは吾輩のこと! 怪盗クワルツ・ド・ロッシュ! 見参!」

 司祭服めいたローブを除幕するが如く脱ぎ去れば、そこに佇むのは怪盗クワルツ・ド・ロッシュ。水晶めいた髪や、露出した皙い肌が、常夜灯で冷たく際立つ。

 ライカンスロープ術の応用で変装してんのか?

 そんなこと出来るなんて聞いてねーぞ!

 演技派だな! クワルツさんがテュルクワーズ猊下を見たの、わたしの婚約式と監禁事件の折だけじゃん!

 その変装用の司祭っぽいローブ、どっから拝借してきた! 

 っていうか、敵を騙すにはまず味方からを実践されると、ちょっと腹が立ちますね!

「クワルツさんっ!」

 頭の中にいっぱい突っ込みが沸きすぎて、クワルツさんの名前を叫ぶことしか出来なかった。



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