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第十二話(前編) 喋らずの島の人魚姫


 バギエ公国の渦潮海峡に訪れれば、お天気はどんより模様だった。

 曇天と荒波がどこまでも続いている。

 そのはざまに、島がぽつんとひとつ。

 賢者連盟から逃げて、わたしたちはこの島に隠れているのだ。

 わたしはごつごつした岩肌に鼻先を突っ込んで、水苔をもしゃもしゃ味わう。

 そこらに生えている水草を齧り、苔を舐めとる。完全一角獣化しているので、硬い水草や水苔も栄養として消化できる。

 クワルツさんも魔狼化して、狩った海鳥を生のまま食っている。

 ちなみにクワルツさんが魔狼化しているのは、一角獣になっているわたしと会話するためだ。あと寒いのでライカンスロープ化していた方が、体力を消耗しない。

「カリュブディスの皮膚に苔が生えていれば、食糧になるのに」

「水苔を持っていくしかないな」

「これあんまり美味しくないですよ」

「アレよりマシだろう」

 ……アレか。

 クワルツさんが言わんとしているのは、先生が食べているアレのことだ。

 先生は箱馬車の上で、冒険者ギルド印の乾パンをもしゃ…もしゃ…していた。『歯くたびれ』とか『頭痛製造パン』とか呼ばれているあの激硬パンである。日持ちと腹持ちだけを特化させたアイテムだ。

「人間の姿しか持ってないの大変ですね」

「ミヌレ。何か喋っているようだが、獣の鳴き声にしか聞こえんからな」

 先生は不機嫌そうに呻く。

「こんな食事、徴兵されたばかりの頃と同じだな」

 先生は忌々しそうに顔を顰め、何度も何度も噛み、唾液だけで乾パンを胃に収めていく。

 徴兵の食事か。

 良い思い出じゃないよな。思い出っていう単語さえ憚られる。もうトラウマって言ってもいいだろう。

 煮込めば暖かくて食べやすいけど、ここで調理はできない。

 だってここは、火気厳禁の島なのだから。

 マッチや蝋燭の一本くらいなら大丈夫だろうけど、煮炊きできる焚火は危険だ。

 わたしの魔法空間を現実に引っ張り出して、煮炊きできねーかな。こういう時こそ、わたしの所帯じみた魔法空間が役に立つのに。

 なんといってもわたしの魔法空間は、キッチン完備、居間に寝室と、居住性ばっちりですからね。

 足元が揺れた。

「ぴやっ?」

 地べたが動いたんだ。

 海鳥たちが騒ぎ、曇り空へと飛び立っていく。

 うにょんと岩が伸びた。

 伸びてきた長い岩には、おめめがついている。とってもつぶらなおめめだ。

 そして草木を食べ始めた。

 わたしたちがバカンスしてる島は、ほんとは島じゃない。

 島亀ザラタンだ。

 アトランティス海に生息する巨大亀で、巨大帆船より大きいのだ。その甲羅には水草や水苔が生えているため、むかしは島と間違えて上陸する船員がいたそうだ。

 火を焚くと島亀ザラタンはびっくりして、海に潜ってしまう。 

 というわけで、ここは火気厳禁。

「島亀ザラタンって、平和な生き物ですよねえ。自分の甲羅に生えている水草とかを、もしゃもしゃして生きてるんだから」

「己の肉体を畑と成して、自給自足するとは天性の農家だな」

 クワルツさんは海鳥を噛み砕きつつ語る。

 この海鳥たちの死骸や糞が、苔や水草の肥料になっているのだ。

 海の宿木として楽園を供しつつ、鳥の亡骸が緑を濃くしていく。生命の循環だ。

「至高の生き物といえる」

「個人的には蜜蜂さんが至高の生き物ですよ。誰もが他の命を喰らって生きているのに、蜜蜂さんだけは命を増やしながら生きているんですから」

 草を食べる生き物、肉を食べる生き物。

 人類も幻獣も魔獣も等しく他から命を奪っているのに、蜜蜂さんだけは何も奪わず生きている。

 もし生き物の中でもっとも尊いものがあるとしたら、蜜蜂さんである。

 わたしはチョーカーになっている日長石を、蹄でつつく。蜜蜂のかたちを模した日長石は、きらきらと輝いた。 

 その蜜色の輝きに水滴が落ちる。

 海水じゃない。

 雨だ。

 しとしと降り始める。 

 水平線の彼方に、潮吹きの白さが流れていた。

「巨躯人魚だ」

 先生が箱馬車の上で、立ち上がり【飛翔】を詠唱していく。

 やっと人魚のおでましか。

 これで【水中呼吸】のインクと媒介が揃うぞ。

 わたしはにょろんと、上半身を人間のかたちにする。一角半獣ユニタウレ化だ。

 オリハルコンシルクのプリーツドレスは、わたしのかたちが獣でも半獣でも人間でも、優雅に従ってくれる。ヴリルの銀環は自動的にサイズ変更する。太ももに装備したナイフの鞘を締めなおし、チョーカーを結びなおした。

 わたしと先生は【飛翔】の魔術で海上を翔け、クワルツさんは【水上歩行】の魔法で波間を駆ける。

 わたしは巨躯人魚の目の前をうろちょろ飛び回り、囮になる。

 その隙に、クワルツさんが巨躯人魚の背後へと飛び乗った。首後ろに掌底をかまし、経絡を一瞬絞める。

 巨躯人魚の動きが鈍くなった。

 先生は【浮遊】を巨躯人魚にかけ、続けざまに【飛翔】も重ね掛ける。波間から岩場へと引きずり出した。

 でけぇ。

 体長は20メートルくらいで、体重は10トンかな。湖底神殿のボスと比べたら小ぶりだけど、やっぱホエール級の人魚って馬鹿でかいな。

「ミヌレ。これは私が引き上げたから健康体だろうが、基本的に座礁鯨類の呼吸器官には近づかんようにな。病んで座礁し、呼吸器から瘴気が漏れている危険性がある」

「人魚でも座礁鯨類って言うんですか」

「イルカでもヒポカンパスでも、座礁鯨類と呼ぶ」

 人魚は尾を激しく動かした。

 ざぶんと海水が掻き回される。飛沫がめっちゃ跳ねてくる。目を瞑ったけど、鼻の中がしょっぱい。

「ポーポイエス級の人魚でよかったんですけど」

「小さいと発見しにくいだろう」

 クォオオ…オオ………ン、と鳴く人魚。

 人魚の歌だ。

 獲物を魅了する魔法の歌。

 闇耐性が低いと魅了されちゃうんだけど、ここにいるメンツときたら、賢者連盟にも【探知】されないレベルの耐性持ちだ。人魚の歌は通じない。

 わたしはナイフを抜く。

「ミヌレ。弱ってからの方が採取しやすいぞ」

「でも元気なまま、海に戻してあげたいですし」

「返すのか?」

「返しますよ」

 オニクス先生。まさか座礁させた人魚を、放置するつもりだったのか。

「このあたりでは座礁鯨類は珍しくないから、放置しても私たちの痕跡にはならんぞ」

「食べないなら殺したくないです」

「マンティコアは解体したのに?」

「だってマンティコアはこっちを食う気だったじゃないですか。あれは返り討ちだからいいんですよ」

「ならば食べるか? 人魚の心臓のマリネは美味いらしいが」

 う。

 美味しいのか。

 それは興味がある。

「一般的には尾のあたりが美味らしい」

 知りたい。

 人魚の肉の味が、知りたい。頬張って、肉と筋の硬さを味わい、肉と脂の味を舌に染み渡らせたい。

「でも食べきれないのに殺すのは、さすがに気が引けますね。あ、でもクワルツさんが人魚を食べたいなら、解体しますよ」

「吾輩は口に出来ん。オンブルが嫌がる。北方湾岸諸国では、人魚を海洋人類だと思っているらしくてな、人間と同じ扱いをするという運動が起こっているらしい」

 え?

 人間を捕食してくる実害ある生物なのに?

 どういう危険思想なの?

「こっちを捕食してくるような生物を同胞扱いするのは、さすがに脳みそパンケーキミックスですよ」

「致し方あるまい。共和国は思想犯の吹き溜まりだからな」

 クワルツさんが毒舌吐いた。

「文明が成熟したのだろう」

 意外にも先生がフォローした。

 珍しいな。クワルツさんが毒吐いて、先生がフォローすんの。

「アトランティス時代にも、そういう事例があった。後期アトランティスは、擬人類が生物的に繁栄した時代だからな」

「擬人類?」

 クワルツさんが疑問を挟む。

「生物的には人魚より遠縁だが、姿かたちは人類に酷似した哺乳類だ。収斂進化だな。その擬人類を家畜扱いではなく、人権を与えようとした活動家がいたらしい。オプシディエンヌが見てきたように語っていた」

「見てきたんだろうなぁ……」

「結局、その人権活動はどのような結末を迎えたのだ?」

「オプシディエンヌはそこまで語らなかったな」

「あの魔女、結末を見届けてないんでしょうか。やっぱり時空間を飛び飛びで生きてるんですかね」

 何億年も生きているのか、何億年か前に誕生して時空間を漂流しているのか。

 どっちにしたって強敵なのは間違いないんだけどね。

 わたしは刃を突き立て、人魚の髪の毛をざくざく切る。さすがダマスカス鋼の刃、切れ味抜群。

 オプシディエンヌもこんな風に、ざくざく仕留められたらハッピーなのに。

 媒介採取していると、人魚のつぶらな瞳から涙がこぼれる。

「悲しくて泣いているのか」

「これは陸に上がった時に眼球の乾燥を防止する生理現象で、感情とは関係ない」

 クワルツさんの呟きに、先生がハイパーリンク辞典する。

 陸に上がって眼球が乾かないと流れないから、涙は採取が難しいのである。

 わたしはナイフの柄を使って、ちょいちょいと涙を硝子瓶に入れる。

 魔術インク採取。

 よしよし。無事に媒介と魔術インクを、たくさん採取できたな。

 四度目の難易度エクストリームにならなくてよかった。

 だってわたし、【一角獣化】も【土坑】も【飛翔】も、洒落にならない状況で作ってるからなあ。

 涙は小瓶にたっぷり。

 まだ人魚から涙が溢れている。

 貴重な魔術インクなのにもったいない。

「ミヌレ、舐めるんじゃないぞ。瘴気が入っていたら腹を下す」

 味を知りたかったのに止められた。

「わたしおなか壊さない子だから大丈夫です」

「大丈夫じゃない。なんでもかんでも口に入れるな」

 先生が人魚を【飛翔】させた。海へと返す。

 泳ぐ人魚を見送る。

 巨体が海をうねらせ、億千万の飛沫を跳ね上げる。

 カリュブディスはあの人魚より巨大なんだ。

「ミヌレ。やはり私が【水中呼吸】を使おう」

 先生もおんなじことを考えていたのか。

「駄目ですよ。生身でカリュブディスの水支柱に入るなんて、絶対に駄目です。だいたい以前、先生は獣属適性がないっておっしゃってましたよね。百四時間も獣化を続けられるか、保証はないじゃないですか」

 【一角獣化】とオリハルコンシルクで身体を守り、無限の魔力で獣化を維持する。

 これはわたしの役目だ。

「……しかし、ミヌレ」

「あ、帆船ですよ」

「ほお。ずいぶんと旧式の帆船だな。浪漫がある」

 帆船から小さな船が数隻下ろされて、巨躯人魚を取り囲む。

 人魚へ銛が打たれていった。

「捕鯨船だった! あ、人魚を狩る船も捕鯨船って言うんですか?」

「……いや、あれは海賊船だ」

 海賊ですと!

「海賊船って分かるんですか?」

 別に髑髏のマークがついてるわけじゃない。

 わたしの知識では、ごく普通の帆船に見える。

「略奪船でなく密輸船か密漁船だな。カリュブディス産卵前後は荒れるため、帆船の行き来が禁止のはず。海軍も目が行き届かん時期だ」

 なるほど。

 カリュブディスの産卵期って危険だから、ここら辺は正規の船は通らないのか。

「海賊と戦闘したことないです!」

 戦闘はエクラン王国内ばっかだから、海賊とのエンカウントないんだよなあ。

「そうか。犯罪者かつ隠蔽が簡単だから、後顧の憂いなく殺せるぞ」

「あの、そうじゃなくて弱点とか注意点とかドロップアイテムとか」

「殺せば死ぬ相手だから、特に注意点はない」 

 ……殺して死ななかったオプシディエンヌがいるので、そういうコメントになっちゃうのですかね。

「せっかく浪漫がある帆船なのだ。吾輩は予告状を出してから登場したい」  

「下らん。海賊相手に気取ったところで……」

 言いかけて、先生はわたしをちらっと見た。

「ミヌレ。海賊を殺して構わんか?」

「わたしたちを殺そうとしてきたら、別に構わないですよ」

 ぶっちゃけ密輸とか密漁とか、脱税してるやつらは嫌いだもの。

 呪符を所持している魔術師が、年間どれだけ税金払ってると思ってんだ。

 わたしはまだ学生だから免除の身分だけど、脱税者どもに対しては殺意が湧く。

「そうか。ならば殲滅戦だ!」

 いきなりテンション爆上げする。

 この戦闘狂は血に飢えていたのかな?

 海賊船が島に近づく。海賊たちはこの島亀を、小島だと思ったのかな。ハズレです。

 わらわらと降りてくる。

 櫛を通してない髪とか、むさい不精髭とか、擦り切れた服とか、いかにも無法者って感じの連中だな~

 ……あれ?

 あいつらどっかで見たヴィジュアルだ。

 どこで見たっけ?

「あ! 湖底神殿の山賊さんたちだ」

 声を上げると、海賊さんの視線がわたしに集まってくる。

 わたしの姿を網膜に映した次の瞬間、全員の顔が恐怖に塗り替えられた。どうした?


「ギャアアアアア! 『幽霊喰いのミヌレ』だァアアアア!」


 島亀ザラタンの森では、悲鳴の大合唱が響き渡った。


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