第十話 (前編) 友情の定義
箱馬車が揺れる。
乗っているのはオニクス先生とわたし、それから旅装束のオンブルさんだ。クワルツさんは御者に変装して、お馬さんを御している。
舗装されていない道は泥濘が多いけど、クワルツさんは上手に馬車を御していた。フォシルくらい上手だな。
揺れる箱馬車の中だってのに、オニクス先生は新聞を読んでいた。
この隻眼の身長209センチが歩くと目撃情報が多発するので、ずっと箱馬車に押し込めて移動しているのだ。四人乗りの箱馬車だけど、長ったらしい足のせいで窮屈だった。
オンブルさんも園丁仕事で鍛えられていて、上背あって厚みがある体格。
しかも旅行鞄も場所塞ぎだし。普通は旅行鞄って馬車の上に乗せるけど、長距離旅行者だって一目瞭然なのであえて馬車内に置いてあるのだ。
先生は新聞を読み終わり、畳んでいく。
オンブルさんが挙手した。
「オニクス教師。オプシディエンヌが数億年は生きている魔女だと伺いましたが、やはり無理がありますよね」
「きみが無理があると思った箇所を述べてくれ」
「そもそも五億年生きてる第三人類という証言が信じられません」
そりゃそうだな。
わたしもあの魔女に【時空漂流】なんて圧倒的な魔術かまされてなかったら、信じられなかったもんな。
「千年単位で生きる魔術師は、稀に存在すると知っています。オプシディエンヌ元公妾も見た目より長生きしてるのでしょうが……その、言葉は悪いですが、億単位はさすがにコケ脅しでは?」
モリオンくんがオプシディエンヌに騙されてるって仮説か。
確かにありうる。あの魔女のことだから、自分の息子だって平気で騙すだろう。
「当然の疑問だな。私のプライバシーを侵食するが、答えよう。私は彼女の愛人だった期間がある。彼女の肉体は間違いなく先天的両性具有者であり、妊娠期間がなかったにも関わらず私の子供を作っている。第三人類で間違いないだろう」
淀みなく答える。
この狭苦しい箱馬車が、気まずい空気でますます狭くなったじゃねーか!
「申し訳ありません」
「謝罪は聞かん。不要だからな。学術の徒が疑問を払うため突き進まんでどうする? 気を害さなかったといえば虚勢になるが、前提条件を確固たるものにする姿勢を不快に思わんよ。さて、疑問はそれだけではないだろう。続けたまえ」
オニクス先生は促した。
「はい。五億年前から環境激変による五度の大量絶滅があります」
「我が師の寝返りだの羽ばたきだので引き起った絶滅か」
ラーヴさまは笑ったり怒ったりするだけで、地震を引き起こすお方だ。動いたりなんかしたら、そりゃ全世界が壊れちゃう。
「種単位でさえ生存困難な大量絶滅を、個が幾度も生き延びれる可能性は低いのでは?」
「尤もな疑問点だ。だが彼女は【時空漂流】が使える。大海溶岩化やエーテル濃度急上昇、および全球凍結があろうとも、【時空漂流】で移動できる」
そうか。五億年前に生まれたとしても、五億年ずっと生きてるってことはイコールじゃないもんな。
あの魔女は時魔術が使えるんだから。
「それでも……彼女なら何億も生きていようが納得できる。いや、これは願望かもしれんな。彼女は誰より特別であってほしいという、私の望み」
言葉のひとつ声色のひとつ、余すところなく恋の残滓が漂っていた。
わたしは聞いていたくなくて、馬車の窓の外を眺めた。
「海は穏やかそうですね」
窓からは港町が一望できた。
ここはヴィネグレット港。この港の波間にまで響くのは、出航の鐘や、船乗りたちの掛け声だ。
ひときわ大きな帆船が出航を待っていた。
潮風が紋章旗を揺らす。
たなびく紋章は真紅の海蜊蛄。カルトン共和国籍を示している。
「やれやれ。やっとか弱い人間が撤退してくれるか」
先生ったら、オンブルさんに対してめちゃくちゃ失礼な冷笑をかます。
「吾輩、こいつ嫌い」
クワルツさんは先生を指さす。
自分だってオンブルさんのこと、か弱いとか言ってたのに。
「幼稚な物言いだな」
「すみません、オニクス教師。こいつは望まれて生まれ愛されて育っているから、他人の嫌い方が未熟なんです」
フォローするオンブルさん。
最初にいらんこと言ったのは先生なので、わたしはフォローしなかった。
先生は長い舌打ちをかましてから、箱馬車内に引っ込んだ。わたしたちはオンブルさんを見送る。クワルツさんは御者という使用人ルックなので、荷物持ちをしていた。
「オンブル。実家に帰ったら、徴兵があるのだろう」
「いや、衛生兵希望で出しているから大丈夫だよ。おまえこそ無理するなよ。王立銀行に預けた資金は、見張られてるかもしれないから絶対に引き出すなよ。新しいアジトの鍵は、いつものところに送っておいたからな。カルトン共和国に高跳びするなら、偽装書類と資金は司書補に預けてある」
オンブルさんは優しく語る。
心配する母親みたいな口調なんだけど、言ってる内容が犯罪的である。いや、「的」は要らんな。犯罪だ。
「とにかく無理だけはするなよ」
「ハッハッハッ、無理はせん。またおまえに苦労させてやるから安心するといい」
「楽しみだよ」
オンブルさんは蜜褐色の瞳を優しく細める。
甘やかすから、クワルツさんが図に乗るのでは?
そう思ったけど、苦労も離別もふたりの友情の領域なので、わたしは口を出さなかった。
オンブルさんが帆船に乗る。
巨大帆船の真っ白い帆が、魔術の風を受けてめいっぱい膨らむ。圧倒的な風を受け、出航した。
魔術の風の勢いは港にまで駆け巡って、わたしのスカートを大きく揺らす。それからベレー帽まで。
あっ、ベレー帽が飛んだら、鉱石色の髪が目立っちゃう。
冷や汗かいた瞬間、クワルツさんの手がベレー帽を押さえてくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言ったけど、クワルツさんは水平線を見つめていた。
青い波の彼方へと小さくなっていく帆船。
「偽造書類とかって、オンブルさんの仕事だったんですね」
「偽造は怪盗七つ技能のひとつだからな」
何故か自慢げに言う。
ああ、でもクワルツさんにとって、オンブルさんも『怪盗クワルツ・ド・ロッシュ』に含まれているのかな?
「変装と開錠と偽造……あとよっつはなんですか?」
「ハッハッハッ、そこをべらべら喋ってしまうのは三流だな。言葉にすれば安っぽい砂糖菓子になるだけだ」
「でも味方側のアビリティ把握は必要ですよ」
結局、教えてくれなかった。
港の隅っこに留めてある箱馬車に向かう。
「さて。ミヌレくんのドレスを用立てるのが肝心だな」
「必要か?」
オニクス先生は眉を潜める。
ちなみにわたしの服は、魔法空間から召喚したプリーツスカートのワンピース。それから古着屋で買ったケープとベレー帽だ。
「これから戦に向かうならば、己を奮い立たせる身なりでなくては! ディアモンのアトリエにドレスと呪符を取り戻しに行くぞ」
「ディアモンさんと敵対するのは避けたいですね……」
「あのアトリエからは、月への疑似空間転移も撤去されているだろう」
「だがもうアトリエへ予告状を出してきてしまったからな」
「出したんですか!」
「何故そういうことを!」
わたしと先生が叫ぶ。
「吾輩は怪盗であるからな」
誇らしげに微笑む。
己の倫理に従い、哲学を貫いて生きている人間の笑顔だ。自由で良いよ。そういうところ好きだよ。でも前以て一言、言ってくれてもよかったんだよ。
「どのみち呪符は取り返したいんですよね」
「月へ行く手がかりも聞かねばならんしな」
ディアモンさんのアトリエか。
半年ぶりだな。
故郷の記憶が欠けてしまっているわたしにとって、実家にも似た場所だった。
夕方と夜のはざま。
わたしと先生は箱馬車の屋根に腰かけて、クワルツさんは御者席で夜風を浴びていた。
馬のない箱馬車は、【幻影】を纏わせ、【飛翔】させている。闇魔術が使える時間帯は、飛んだ方が距離を稼げる。ちなみにお馬さんはクワルツさんが旅籠に売った。
夕日が沈み、月が昇ってきた。
「先生って、賢者連盟のうち五人と折り合いが悪いんでしたね」
「そのうちひとりは死んだがな」
ブッソール猊下のことか。
「折り合いが悪くない方のおふたりって、どんな方ですか? テュルクワーズ猊下と……」
「いや、あれは折り合いが悪い方だ」
「え?」
「正確に言うなら、元司祭の門下に敵視されている」
「マンモスさんとサーベルタイガーさんですか?」
「ああ。昔、元司祭が保護していた『妖精の取り換え仔』を、闇の教団が検体として拉致したからな」
「……」
「あの元司祭、破門されて連盟に拾われてからは、保護活動をしていた。啓蒙ではなく保護に切り替えたが、教団にとってはサンプル収集の代理をしてくれているようなものだった」
喉に不快感が突っ込まれた。
知っていたはずだ。
先生がどれだけ邪悪で冷酷だったか、わたしは聞かされていた。先生がどれだけ横暴で無慈悲なのか、わたしは砂漠で見た。具体的に言われたからって、吐き気なんて今更だ。
わたしは意志で、不快感を呑み込む。
呑み込んだのを見計らったかのように、先生は口を開く。
「折り合いが悪くないひとりは、月下老」
月下老がどんな魔術師かは知らないけど、名前と功績だけなら知っている。
魔術史のテストに登場する名前だし、設定資料集にも載っていた。
二百年ほど前に月世界を開拓して、象牙の塔を建て、魔術師たちの楽園を作り上げた偉人。
東方魔術の最高位にして最年長の人類、『月下老』ユエ・チャンシー。
つまり賢者連盟でいちばん偉いひとだ。
いちばん偉いひとと折り合いが悪くないというのは、朗報である。
「あとは刺繍遣いの師匠だ」
「パリエト猊下ですか」
大賢者パリエト。
専門は羊毛とか絹とか動物繊維への魔術付与と、空飛ぶ絨毯や疑似空間転移を代表する古代魔術。
オニクス先生を世界鎮護の魔術師として推薦した魔術師だ。そんでお弟子のディアモンさんを、監視役としてつけている。
「ディアモンさんのお師匠さま。パリエト猊下が、先生を世界鎮護魔術師として推薦したんですよね」
「推挙された理由は、私にも分からん。私と一切かかわりない魔術師だ」
「実は陰でこっそり恨まれていませんよね」
「そうであっても不思議ではないが、私が飛地で戦っていた頃から、結界に籠り古代魔術を作っていた。砂漠の魔術は紡ぎと織りだから、時間がかかるだろう」
わたしは空飛ぶ絨毯工房を思い出す。
何年がかりで織られていく絨毯。
既存の魔術を織りなすだけでも年単位。さらに研究しながら紡いだり織ったりの試行錯誤を繰り返すとなったら、気を遠くなる時間を要するよな。
「そもそも恨んでいたら、私を鎮護魔術師に推挙しない。世界鎮護の魔術師は、連盟の要でもある。当時、他に適任者がいなかったとはいえ、そこに罪人を座らせようなど正気の沙汰ではない」
「パリエト猊下とは話し合いできそうですか」
「面識がないと言ったろう」
「話し合いで済むなら話し合いで何とかした方が、戦略的にいいかなって思ってます」
「留意しておこう」
ほんとかよ。
「だがミヌレ、元司祭の弟子どもや他の賢者は、世界を滅ぼせるきみの存在を許すかどうか分からんぞ。特に……あの女」
「どなたですか?」
「精霊遣いの妻だ。もし砂漠での出来事を把握しているなら、私たちへの報復を辞さん。【隕石雨】の開発者だ」
「賢者アエロリット猊下ですか」
「私が【隕石雨】を使って大被害を齎した件を、我がことのように悔んでいてな。毎年、慰霊碑に参りに行く」
自分が開発した魔術で、数えきれないひとが死んだ。
術式公開しなければ、悲劇が起きなかったっていう悔恨があったのかな。
「呪詛のごとく私への罵倒を絶やさん女だったが、夫まで殺したのだ。容赦はせんだろうな」
ブッソール猊下の配偶者か。
それはもし真相を知っていたら、恨み骨髄だろうな。
「彼女の得意としている魔術は、鏡化と呼ばれる土と水の複合魔術だ」
「鏡……」
「罪人を封印する役目も担っていて、私を封印できる程度の能力はある」
「わたしのキスであっさり消えた六角水晶の封印ですか」
「甘くみるな。内側からは出られん」
不機嫌そうに言う。
たしかに自分が完封されていた魔術を、あっさり消えたとか面と向かって言うなんて失礼だよな。
「あの六角水晶は【無限鏡影】。封印対象から睡眠と五感を奪い封じる魔術だ。象牙の塔にある鏡は飾りではなく、彼女の支配領域だ。【無限鏡影】に絡めとられたら数日うちに発狂する」
「えぐい刑罰ですね」
発狂するタイプの禁固かよ。
処刑よりある意味、きっついなあ。
「きみは魔法空間を持っているから問題ない。あれに意識を置けば発狂は免れる」
月で待つのは、お馴染みのカマユー猊下。
己の魔術を大量殺戮に利用され、夫まで殺されたアエロリット猊下。
保護していた『妖精の取り換え仔』を検体にされたテュルクワーズ猊下のお弟子さんたち。
敵が……多いなぁ……
「あれ? あとひとり賢者さん居ましたよね」
「ああ、あとひとりは私が殺しかけたから、寝たきりになっているはずだ。専門は魔導技術でな。門下の弟子たちは帝国空軍に属しているから、おいそれと動けん」
「恨まれまくっていますね」
「何を今更」
「まったくです」
そして今から、恨んでいなかったひとと敵対しに行くのだ。
先生の友人、ディアモンさん。