第九話 (中編) 月が味方じゃなくたって
「ところで血の匂いがするけど、誰か怪我しているのかい?」
「あ、わたしです」
「ミヌレくん、湯が用意できたぞ」
暖炉の前に張られたロープには、シーツが掛けられて、ファイヤースクリーンの仕切りがある。
洗濯たらいには、お湯とシーツが張られていた。
湯舟のなかにシーツを突っ込んで、湯舟と膚が触れないようにするのって、上流階級の所業って感じだな。学院とかディアモンさんちだと、湯舟にシーツが張ってある。
服を脱ぎながら、エグマリヌ嬢とお風呂に入ったことを思い出す。
賢者連盟を頼れないんだったら、どうやって地雷カプを阻止すりゃいいんだ。あの邪悪の魔女が、エグマリヌ嬢の義姉になるなんて耐えられない。
──あの子たちも【屍人形】にして、あなたを守る人形にしても見栄えがするわね──
お湯の溢れる音に、湖底神殿で聞いた忌まわしい台詞が蘇る。
阻止しなくちゃ。
でも間に合うのか?
……いや、もうとっくに傀儡にされてる?
恐怖が不安を呼び水にして這い上がり、ぞっとする感覚が喉まで満ちる。
「エグマリヌ嬢は無事でしょうか!」
素っ裸のわたしに対して、ローブやバスタオルがぶち投げられた。
「きみは羞恥心を思い出したのではなかったのかね」
「吾輩、投げるより早く目を閉じたからな」
「私は見ていないよ」
全力で視線を逸らしながら言う三名。
ここにいるひとたち、わたしの裸を見たことあるからいいじゃん。
先生は温泉入ったとき、クワルツさんとオンブルさんはわたしが一角獣バグを起こした時。
「それよりエグマリヌ嬢は無事でしょうか? もうとっくに【屍人形】にされていたりとか……」
自分の言葉に震えが来る。
プラティーヌ殿下がサフィールさまと結婚するのは今より未来だけど、下準備としてエグマリヌ嬢が毒牙にかかってるかもしれない。
「その可能性は否定できる」
きっぱり言ったのは、先生だった。
「生徒番号220は、賢者連盟に監視されている。私たちが【時空漂流】されたことは賢者連盟は把握してないはずだから、きみが会いにくる可能性を考えて、常に監視しているはずだ」
たしかに賢者連盟からすれば、唐突に消えたもんな、わたしたち。
「だが逆に【時空漂流】させたオプシディエンヌにとって、私たちの帰還は思いもよらないはずだ。急いで【屍人形】にする必要が無い。社交界で利用できる素材ならば、成長が終わってからの方が長く利用できるからだ」
そうだよな。
オプシディエンヌはわたしたちの帰還を、思考に入れてない。
つまりあの魔女にとって、エグマリヌ嬢を今すぐ【屍人形】にするのは、賢者連盟に正体バレするかもしれんし、エグマリヌ嬢が成長しなくて周囲に不審に思われるから、デメリットが多いんだ。
「たしかに片っ端から【屍人形】にしているなら、クワルツさんも【魅了】だけじゃなくて【屍人形】になってますよね」
「社交界で使い勝手があるタイプだけだそ。怪盗の場合は、ただ時間が足りなかっただけだろう」
いや、クワルツさんは社交界で使い勝手のあるタイプなんですよ。
怪盗の正体に関しては、勝手に暴露できないので黙る。
なんかわたしの視界の外で、クワルツさんとオンブルさんが手話でやり取りしてる。オニクス先生が、クワルツさんの正体を知らん件についてかな?
「そこの怪盗と聴講生は何をこそこそしている?」
「手話だ。神学校で習うからな」
「会話方法でなく、会話内容を問うたのだが?」
「ハッハッハッ、きみの悪口だ」
「なるほど」
先生はすっと納得した。
え? 納得するんだ、その答えで。
「ミヌレ。早く血を洗い流すといい。きみが血染めになっていると、私の血の気も引く」
「ういうい」
先生に促され、わたしは湯に戻る。
エグマリヌ嬢のことは少し安心できた。
だけどあの理屈じゃ、サフィールさまが無事かどうかは保証されない。
急ぐしかない。
わたしは傷を撫でた。サーベルタイガーの爪で、皮膚が引き裂かれている。
むむう、普段より治りが悪い。やっぱり魔力が枯渇しきっているせいか。
【時空跳躍】後は、わたし、無防備なんだな。
傷口を綺麗に拭く。肌着の替えはあるんだけど、服はない。血染めのワンピースに袖を通すのは抵抗がある。
一角獣化しちゃえば服がなくてもいいけど、お喋りできないし。
服が、欲しいなあ。
なんとなく腕輪にしてるヴリルの銀環を撫でる。
淡い光がふわっと広がり、わたしの目の前にワンピースが落ちてきた。
地味な紺色にプリーツスカート。胸には白くて大きなリボン。
これ、わたしが魔法空間で着ていたワンピースじゃないか!
わたしは紺色ワンピースに袖を通す。
「お風呂ありがとうございました」
「ミヌレくん。その服は魔法空間の服ではないか?」
「はい。魔法で出しました」
「おお! いかにも魔法使い!」
「無から有が生じている……?」
クワルツさんは感心して、オンブルさんが驚愕して、そんでもってなんか知らんけどオニクス先生は渋い顔で睨んでいた。
「ミヌレ。【時空跳躍】したばかりなのだから、魔力を浪費して……」
「あ! ミヌレくん! ならあれも出してくれ。吾輩のインタビュー誌!」
「やってみますね」
クワルツさんが幽体離脱でわたしの魔法空間にやって来た時、自動生成されちゃった雑誌だ。
わたしはヴリルの銀環を錫杖化し、ちからを解放する。
錫杖に月のような輝きが灯った。焚火より静かなのに、すべての影を払いのけていく。
ひゅっと振る。
ぽすっと、落ちてくる『ファンブック 怪盗密着二十四時間』。
よし。成功!
ふむふむ。ヴリルの銀環のお陰なのか、わたしがレベルアップしたのか分からんけど、魔法空間の出し入れが制御できるようになっているぞ。
「これこれ。オンブル、これ、吾輩の受けたことないインタビュー記事が載ってる!」
「なんだそれ怖いな」
「む? 読めない文字になってる」
「魔法空間の書籍は現実に出すと、文字化けしちゃうんですよね」
「そんなことしている場合ではない」
先生の短い一言は、冬の森厳さより肌に沁みてきた。
「オプシディエンヌにも見つからんように行動せねばならんが、連盟からも手配されているんだぞ」
スキュラ&カリュブディス状態だからな。
「私たちはプラティーヌ殿下の肉体から、オプシディエンヌの魂を引きはがしたい。プラティーヌ殿下本来の人格さえお救いできれば、王族と敵対するという厄介な事態は避けられる。解決の糸口が、象牙の塔にあるはずだ」
「書庫に行きたいんですよ、なにがなんでも!」
「追われているのだぞ。月に殴り込みをかけるつもりか?」
「必要なら殴り込みますよ!」
「ミヌレ。きみは戦争は嫌いだったはずだな」
「これはOKです」
「許容ラインが分からん」
「わたしも分からん!」
「ミヌレくんは味方を刺すと落ち込むから、味方が死ぬのが嫌なのだろう」
ロックさんと同じ評価だった。
「敵も味方もいのちの価値は等しいのだがな」
「ガブロさんは大事にしてたじゃないですか」
「彼は恩人であって、味方などという駒ではない」
「マジか……味方を何だと思っているんだ……」
思わず呻いてしまう。
「ふむ。言わずもがなだが、オンブルを捨て駒しようとしたら許さんぞ」
「きみは私がそこまで残酷な男だと思っているのかね」
そう語る口許には、嘘臭い冷笑。
「先生。本当にダメですからね。オンブルさんにはお世話になっているんです。捨て駒にされたら、わたしがショックで寝込みます」
「駄目だったのか。分かった」
この言い草、率先して捨て駒にはしないけど、なんかあったら躊躇なく見捨てる予定だったのかな。
ぴしりぴしりと氷にヒビ入るような音がする。
クワルツさんの皮膚の近くで、微細な冷気が結ばれながら割れていた。
霊視してみたけど、あれ、クワルツさんの魔法が暴走してないか?
クワルツさんの魔法発動って、体内か皮膚接触タイプだから、こっちに暴発してくることはないだろうけどさ。
「ミヌレくん。やはりこの男、きみの一途さに報いる男ではないのでは?」
「えーと、それはあとで論じましょう! まず今後の行動をまとめると~」
クワルツさんの問いかけを受け流して、計画をまとめる。
そのいち
賢者連盟の本拠地へ行く
そのに
象牙の塔で【憑依】の術式を調べて、オプシディエンヌをプラティーヌ殿下から切り離す方法を探す
そのさん
【破魂】の呪符を完成させる
そのよん
【破魂】でオプシディエンヌの高位の構成要素を破壊
プラティーヌ殿下の人格をサルベージ
そのご
オニクス先生が後追いで死ぬ
「大まかな予定はこんな感じですね~」
「ミヌレくん。吾輩はこの教師がどうなろうが構わんが、その最後の項目は必須か?」
「必要ですよ! オニクス先生はオプシディエンヌと死にたいんですからね!」
わたしの力説に対して、先生は何故か低く呻いた。なんかの鳴き真似かな?
「いや、その教師に必要かどうかは心底どうでもいいが、きみにとってその結末は満足するものなのか?」
「先生が死にたいんだから仕方ないじゃないですか」
わたしが満足するために、先生が存在するわけじゃねぇからな。
本当は生きて欲しい。
欲を言えば、わたしの傍で。
でもそれは単なる我儘だ。そんなものは呑み込む。
「早く死ねるといいですね」
わたしが励ますと、先生の顔から感情という感情から剥がれ落ちていく。顔の筋肉を硬直させたまま、もいっぺん呻いた。
「だからなんですか、その無表情」
「別に」
先生は無表情のまま、そっぽ向いた。
そっぽ向くってことは触れられたくない話題か。そっとしておこう。
「ミヌレくん。その計画には入っておらんが、最も迅速にやらねばならんことがある」
「なんでしょ?」
「この事態から、オンブルを避難させてくれ」
クワルツさんは完全に真顔だった。仮面つけてるけど真顔さが伝わる。
「そうですね。オプシディエンヌに人質にされたり、先生に捨て駒にされたら、クワルツさんのメンタル壊れちゃいますからね」
隠れ家で狙撃された時を思い出す。
オンブルさんの死という未来視した光景に、クワルツさんは過呼吸になっていた。未来視が現実になったら、過呼吸どころじゃすまないかもしれない。
オンブルさん保護が最重要課題だ。
「ミヌレが捨て駒にするなと言ったから、しないぞ」
先生も真顔だった。
「その台詞を、どうして吾輩が信用せねばならんのだ。オンブルはこの中でいちばんか弱いから、早く避難しないと駄目だ」
「いや、自分が弱いのは弁えているよ」
オンブルさんは力なく笑う。
「でもおまえは吾輩で苦労するのがアイデンティティだから、最終的に無理をするのではないか?」
「はは……」
力のない笑いが、さらに脱力した。
オンブルさん、否定しないんか。
「そうだね。クワルトスの足手まといや人質になりたくないから、しばらく実家に帰らせてもらうよ」
実家って、カルトン共和国か。
「共和国なら連盟未加入だ。オプシディエンヌも現状エクラン王国に掛かり切りだろうし、安全ではあるな」
先生は納得したけど、クワルツさんは何故か不服そうだった。
「遠いだろう」
「快速船で六週間しかかからないよ」
大人のひとの時間感覚って、やっぱわたしと違うな~
六週間はいくらなんでも長旅だろ。
船旅は羨ましいけどね。わたし、お船に乗ったことないから、優雅な船旅とか憧れる。
クワルツさん的にオンブルさんには安全なところにいてほしいけど、共和国は遠すぎると駄々をこねた。オンブルさんは淡々としつつも結論は変えない。押し問答だ。
焚火の音が、耳にこだまする。
うとり、うとりと、足音なく忍び寄ってきた睡魔に、わたしはごくんと呑み込まれてしまった。




