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第九話 (前編) 月が味方じゃなくたって


 先生は風の加護が届く限界まで高度を上げ、月が照らす雲海を飛ぶ。端切れめいた雲に紛れながら、西へと速度を上げていった。

 吐息が白い。

 月の光に凍らされているみたいだった。

 わたしも先生に抱っこされていなかったら、月のせいで凍っていたかもしれない。

「怪盗。賢者連盟が敵に回ったとは、どういう意味だ?」

「詳しいことは知らん」

「そもそもどこからの情報だ? 刺繍遣いからの密告か?」

「いや、ディアモンではない。湖底神殿で瀕死になってディアモンに救助されたのだが、そのあとは会っておらん。よくは覚えておらんが、連盟支部で治癒されたらしい。数か月ばかり昏睡状態で危篤だったが、なんとか持ち直してな」

「獣属性が高い人間は、殺すのが難しいからな」

 ナチュラルに殺す側からの発言である。オニクス先生は殺伐してんな。いや、いつものことだけど。

 愛想よくしろって言わんけど、もう少しこう……無事でよかった的な相槌を打てないのか。

「黒炎の不死鳥とは吾輩のことだからな! 経絡がすべて切断されてしまって、回復に時間がかったがな。だからこそ魔術師たちは油断していたのだろう。別室とはいえ、上層部からミヌレくん抹殺指令が下ったと話し合っていた」

「わたし? オニクス先生じゃなくて?」

「聞き間違えではないか? 私が殺される心当たりなら数える指が足らんほどだが、ミヌレは次期鎮護の魔術師。連盟は世界の存続を第一としている。それを反することはあり得ない」

 そう、世界存続は絶対。

 ラーヴさまを眠らせることができるなら、どんな罪人でも許されてしまうほどに。

「もしかしてわたしより適任が見つかったんでしょうかね」

 わたしは才能的に適任かもしれんけど、オニクス先生派という致命的なところがあるからなあ。

「だとしてもミヌレを抹殺する理由がない。きみの魔力も才能も素晴らしいものだ」

「吾輩もそこはよく分からんが、指令を受けた側も混乱していた。ミヌレくんを殺すくらいなら、オニクスを殺した方が絶対にいいと言っていたぞ」 

「誰でもそう思うだろうな」

 深く深く、それはもう湖底神殿よりも深く同意するオニクス先生。

 わたしもうっかり頷きかけたけど、ぐっと我慢した。

「どうせ私の抹殺指令が、どこかでおかしくなったのだろう」

「然もありなん」

 即座に肯定するクワルツさん。

「だが、やはりきな臭い。本当にミヌレくんへ抹殺命令が下ったならば、なんとしても連盟と接触するより先に、ミヌレくんに知らせようと思ってな」

 クワルツさん……

 心臓がきゅうと縮こまる。嬉しいのか、申し訳ないのか、泣きたいのか、色々な感情が押し寄せてきた。胸が弾けそうだ。

「で、当座の身の振るまいとして、マダムのところに転がり込んだ。歌姫に化けてな」

「何故、元遊興庁官長どのは、身元の分からん人間を雇うんだ?」

 直系親族だからです。

「ハッハッハッ、マダムは面白ければなんでもいいご婦人だからな」

 お、曾孫が他人のフリしている。

「周りの人間は普通止めるだろう」

「仕方あるまい。マダムは跡取りを亡くしていたからな。常軌を逸した振る舞いをしても、口を容れられん」

「跡取りって………その」

「ああ、マダムの曾孫が参内した帰り、事故に遭って亡くなった」 

 自分のことを他人事のように呟くクワルツさん。

 事故の犯人はオプシディエンヌか。

 王姫プラティーヌとして、あるいはディアスポール公爵を介して、クワルツさんを宮中に参内させた。魔術で傀儡にして、身代わりを事故に遭わせたのか。そうすればクワルツさんを、自分の手駒に加えられる。

 怪盗クワルツ・ド・ロッシュは生き延びたけど、プレニット農園の跡取りクワルトスは殺されてしまった。半分が喪われた。そっちだって、大事な半分だったのに。

 農園に戻れば、またオプシディエンヌの手が伸びてくるかもしれない。

 クワルツさんは家族の元に帰れない。

 わたしのせいだ。

 わたしはわたしの我を張るだけで、いったいどれほどの犠牲を齎してきたんだろう。

「ミヌレくん? 傷が痛むのか?」

「いえ。痛覚はうまいこと遮断できてます」

 心配かけないように笑顔を装う。

 後悔をぶちまけたところで、きっとクワルツさんはわたしを慰めてくれる。半分を喪っても味方してくれるこのひとに、慰められるのは辛い。

「プラティーヌ殿下が魔女オプシディエンヌだって、クワルツさんはご存じですか?」

「無論。【魅了】をかけられた記憶は残っている。朧げながらな。もう一度あの魔女とやりあうつもりなら、吾輩は無理だぞ」

「賢明だな」

 先生が皮肉っぽく呟く。

「あの魔女とは、魔力的な実力差がありすぎる。また【魅了】されて、ミヌレくんを傷つける結末にしかならん。あの魔女と相対しないなら、手伝えるのだが」

「ほんとうに賢明だな」

 先生は感心したように言う。

「共和国に高跳びするなら手伝えるぞ。おもにオンブルが」

「いいえ、地雷カプを見逃すわけにはいきません!」

「地雷カプ……?」

「オプシディエンヌがサフィールさまと結婚するのを阻止したいんですよ!」 

 次の瞬間、クワルツさんの空気が凍った。

 クワルツさんはサフィールさまが次期伯爵ってことも知ってる。上流階級での立場なら、わたし以上に熟知しているだろう。

「まずいな。それはまずいぞ。プラティーヌ殿下がサフィール次期伯爵と結婚か」

 仮面と月影で表情は分からない。

 だけどその声からは、冷や汗が伝うほど青ざめていた。

「む! 隠れ家通り過ぎた」

「早く言え」

 雲海から降りれば、そこは森。

 今度の隠れ家はアパート系じゃなくて、森の中の一軒家なのかな?

「あれが吾輩の隠れ家だ」

 指さした方角を見る。

 巨大な廃墟だった。

 わたしたちは中庭だったであろう場所に降り立つ。

 屋根や窓は残っていない。月あかりが床まで差し込んでいる。石のどっしりした支柱と壁だけなんだけど、屋根の高さや、窓枠の滑らかな曲線からして、在りし日は相当りっぱな建物だったんだろう。

 神秘的な隠れ家だ。

「厳かな雰囲気で、浪漫がありますね。教会の廃墟ですか?」

「ああ、修道院だった。むかしは鉱泉のご利益でにぎわっていたらしいが、五百年前の地震によって泉が涸れた上に、流行り病で打ち捨てられ以降は、訪れるものは絶えて久しい。修道士が冬に暖を取っていた小部屋だけは、まともな壁が残っている」

 壁の残る部屋からは赤々とした光が漏れて、黒い影を石壁に描いている。赤と黒の切り絵細工みたい。

 あれは暖炉の色。

 もしかして幽霊が暖を取っているのか。

 いや、幽霊は洗濯物を干さないな。壊れた柱にロープが張られ、靴下だの付け襟だのが吊るされている。壁にはぴったりと薪が積まれて、生活感があった。

「ただいま帰ったぞ!」

 クワルツさんが小部屋に入る。

 暖炉の傍らの人影が揺れた。

「どうした? おまえ、今日はマダムのところに宿泊するって……」

「オンブルさん!」

 クワルツさんの友人のオンブルさんだ。

 もっこもこの毛皮の外套を着こんでいる。

「うわっ、ミヌレさん! 無事だったのか!」

 オンブルさんの金褐色の瞳が輝き、そして硬直した。

 どしたん?

 硬直して沈黙しているオンブルさんは、わたしの背後に焦点を合わせ、ゆっくりと視線を上げていく。

「……オニクス教師」

「聴講生番号0066」

 そういや、オンブルさんって聴講生として学院に出入りしてたんだよな。

「人違いです」

 オンブルさんが絵にかいたような無駄な抵抗をする。

 完全に手遅れだ。わたしもさっき名前を呼んじゃったし。

「聴講生番号0066。カルトン共和国エラーブル準州からの留学生。カルトン共和国立大学博物カレッジ卒業後、労働派修道院付属神学校造園科へ留学。そののちスフェール学院にて魔術基礎課程修了、星智地理学を聴講」

 身元バレバレか。

「まさか怪盗と組んでいたとはな」

「オニクス教師、ご婚約おめでとうございます。婚約祝いは学院にお届けすればよろしいでしょうか」

「その話は置いておこう」

 話と一緒に、わたしも椅子に置かれる。

 この圧倒的に不利な局面で、オンブルさんはドローまで持ち込んだ。すげーな。

「オニクス先生って、聴講生の身元まで熟知してるんですか……」

 どういう記憶力だよ。

 エメラルド牌を暗記している時点で、驚異的な記憶力なのは察していた。でも聴講生まで記憶しているか?

「全員、記憶しているわけではない。聴講生番号0066の曾祖父が有名人でな」

 曾祖父。

 そのワードに記憶が刺激される。

「そういえばひいおじいさんが検閲に引っかかった思想犯で、オンブルさんのお父さんとおじいさんには、入国許可が出なかったって……」 

「ああ。身分否定に繋がる『自然回帰論』を著した思想家だ。思想犯で逮捕される前に、共和国へ逃亡したがな。その処世と賢明さがありながら、どうして絶対王政時代に『自然回帰論』など著したのかは疑問だが、それはさておき学院では受け入れるか否かの会議になったものだ」

 あれ?

 さっきマダム、『自然回帰論』云々って言ってた気がする。

「当時の国王って、ジョワイヨー3世ですか?」

「そうだ」

 先生があっさり肯定してくれた。

 オンブルさんの曾祖父を、クワルツさんの高祖父が追放したのか。

 奇妙な因縁があるんだな。

 暖炉の炎に照らされてるふたりを眺めて、わたしは因果の不思議を噛み締めていた。



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