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第一話 同人誌三冊は出せるレベル


 授業が始まる。

 わたしは半月遅れで入ったけど、最初の半月は入学ガイダンスとか、歓迎ピクニックとか、交流ティーパーティーとか、観劇会とかで本格的な授業は少なかったらしい。

 なんとか遅れを取り戻せるレベルだ。

 字さえ、読めればな!


 魔術

「【水】の魔術は、大気中の水分を、魔力によって結露させて集める術です。ゆえに乾期や砂漠地帯では使用しても、さほどの効果が得られません」

 脳内麻薬が駄々洩れになるレベルで楽しい。 


 歴史

「貴石や半貴石だけでなく、鉱石に魔術を込める技術が開発され、魔術は大衆化していき、市民の中で富豪と言われる中産階級が発展していきました」

 ここらへんは公式設定資料集で暗記しているけど、知らない情報もある。 

 鼻血でそうなくらい興奮した。

 だって知らない公式情報が、同人誌三冊は出せるレベルでやってきたんだぞ。興奮するに決まってるじゃない。


 法律

「攻撃魔術は課税されますが、これが学院生に適応されない理由は、攻撃のためでなく学術研究が目的だからです。国家の発展のために免除されているのです。では攻撃魔術を実際に活用したらどうなるか。法律上は正当防衛か否かで、不法使用かどうか判断されます」

 知らない公式情報、ありがとうございます第二弾!


 臨書

「本日は水魔術の呪文を、臨書していきます。全体のバランスや行間の正しさも意識して臨書するように」

 これは書道だった。

 呪文を正確に書き写す授業。

 この世界のインクとペンには慣れないけど、原稿のペン入れだと思えばなんとかいける。


 鉱石学

「宝石を照らす光源、あるいは角度によって色が変化してみえる宝石があります。これを多色性といいます。では偏光顕微鏡を実際に使ってみましょう」

 魔術に使う宝石そのものを学ぶ。硬度だの密度だの比重だの劈開だの。いわゆる理科だ。

 綴れない単語が多すぎる。わたしのノートの文章は虫食いだらけだった。


 星智学

「そんでこの土星の次にあるのが、時間障壁ってものじゃ。大賢者カマユーどのが、【幽体離脱】による星気の旅で観測なさって時間障壁が判明した。この時間障壁の果てにある現象が、始原的魔力『ゼルヴァナ・アカラナ』だと仮説されている。無窮神性のひとつじゃな」

 これは天文学と占星術が合体した授業。

 綴れない単語が過半数で、やっぱりノートが虫食いだらけである。


 美術

「呪符や護符のデザインの主流は、金や銀で作る金線細工の古典派と、新素材のプラチナを多様した優美派があるのは昨日やりましたね。さて、例外として、旅芸人が作る放浪芸術系があります。今日はこれを軽くやります。予備知識として覚えておいてください」

 ぅへへ、楽しい……楽しすぎて涎が出そう。

 宝飾品が間近で見れるし、ノートに宝飾デザインを模写していくとか、最高過ぎる。


 算術

「ひとつの整式をふたつ以上の整数の積に表すことを、もとの整数を因数分解すると言い……」

 普通に数学。

 数字は一緒で良かった。読めるもので授業が進んでいくのはありがたいなって思った。





「……綴りなんだっけ?」

 授業がひととおり終わったら、学習室で講義内容をノートに綴っていく。わたしの筆記速度じゃ間に合わないのよ。

 わたしは選択科目を取ってないのに、時間が足りない。

「特に鉱石電話と鉱石ラジオの発明を『通信革命』と呼び、通信……通信」

 綴りが出てこねぇなあ。

 自作の単語帳をぺらぺら捲り、文字を綴る。

 最近は放課後に、絵入りの単語帳をちまちま作っているのだ。

 ああ~、こういうちまちました絵、描くの大好き。

 人物画や風景画には興味ない。でも小物の模写してると胸がきゅんきゅんする。

 食文化が違うひとたちが日常的に使っている道具とか、昔は日常的に使われていたけど現代ではもう忘れ去られた道具とか、そういう小物を模写するひとときがいちばん幸せかもしれない。

 でもこの単語帳、豊富なのは道具の単語だけ。通信とか革命とかそういう単語はあまり載ってない。お粗末である。作ったのわたしだけど。

 なんとかノートに講義をまとめると、ちょうどエグマリヌ嬢がやってきた。選択科目のフェンシングが終わったってことか。

「書き終わったのかい? 早くなったね」

 歴史や理科のノートの綴りをチェックしてもらえている。ありがたやありがたや。

「綴りに間違いが少なくなってきたね。ここ、違うのはシュとツェだけだよ。通信の綴りはこう」

 典雅な手跡で、文字が綴られる。

 わたしの習いたての字は泥まんじゅうだけど、エグマリヌ嬢の文字はレースの繊細さだった。

「綺麗な文字」

「ありがと。ミヌレは絵が巧いよね」

 流れるように絵入り単語帳を褒めてくれた。

 えへへ。嬉しい。

 実はこういう同人誌を出したかったのだ。ゲームに登場するアイテムを描いて、あとそれをテーマにした四コマ漫画を付けた図鑑漫画系の同人誌。

「偏光顕微鏡のイラストも写実的な正確さがある上に、タッチが可愛いよね」 

 身に余りすぎるお褒めの言葉に、照れくささが耐性突破したぞ。

 なんといっても微笑みは理想な王子さまそのもの。

 ゲームしてる間は、この子をマリヌちゃんなんて気軽に呼んでた。でも目の前にいると圧倒的な王子様オーラが放たれていて、畏れ多くてマリヌちゃんなんて絶対呼べない。

 そう、彼女はこの学院の王子さま。

 いや一応さ、男子もいますよ。でも良家の子息って騎士を目指したがるので、あまり在校していませんがね。だけど男子が増えたって、マリヌちゃん以上の美形で、気品があって、その上、親身になってくれる優しさを持った男は、いません。

 ファンクラブ的なものがあるみたい。

 ただ本編にかかわってこないんだよなあ。これ設定資料集にちろっと記載されていただけなんだよなあ。

 詳しいこと聞きたいなあ。公式からの情報は一行だけだもん。

 でもいきなり話題をふるの、失礼かなあ。 

 ゲームキャラとはいえ、わたしはこの子を傷つけたくない。

 選択肢の内なら正しい台詞を選べるけど、自由に発言できるってのは実はすごく窮屈かもしれない。

「ミヌレ。難しい顔してるけど、どこか分かりづらいことあった?」

「いいえ、わたしに基礎学力がないため、エグマリヌ嬢にご迷惑かけてばかりだと、心苦しく思っております」

 おしとやかさを作って答える。

「ボクは授業の話をしている方が好きだから、楽しいよ。ほら、女の子って、集まると色恋沙汰を喋り始めるし。お菓子やお洒落くらいならいいけど、最近ちょっとね」

「ファッションオタと恋愛オタしかいないって、ジャンル違い過ぎて辛いわな」

「え?」

「あ、いえ。色恋沙汰を話題にするなら、学院ではなく社交界の方がふさわしいですわね。せっかく学院でさまざまな分野を学べるのに、そんな話題ばかりでは惜しいですわ」

 わたしはお嬢さまらしく言い直す。

 たまにあっちの世界の言葉が飛び出しても、田舎の庶民だからって、みんな聞かなかったことにしてくれる。エグマリヌ嬢もわたしの言葉の前半は、聞かなかったことにしてくれた。   

「社交界のノリとはちょっと違ってね………紳士寮のレトン監督生は知ってるかい?」

 レトン監督生は攻略対象キャラだから詳しくデータがある。

 最上級生でないにも関わらず、品行方正かつ成績上位しかなれない監督生の地位を貰っている。

 この世界は、というかほかの国のことは公式ガイドブックにも書かれてないので知らんけど、とにかくこの国家は民主主義ではない。

 だから学院も民主主義ではない。

 先生たちが優秀な生徒の中から、監督生を指名する。

 民主主義国家の学校なら生徒会長だろうけど、身分制国家の学校で生徒選挙なんて存在しえない。

 国立の学校制度と、国家の政治制度が合致してると、世界観に信頼置けるよな。もちろん新進気鋭の私立校なら納得する。でもこのスフェール学院は国立伝統校ですしな。

 監督生は下級生を指導する義務と、罰則を下す権限がある。ほかにもいろいろとご褒美があって、寮の部屋が広くて居間と風呂付きだったり、下級生をこき使えるのだ。

「それとプラティーヌ殿下」

「……へ?」

 聞いたことのない名前に、眉間にしわが寄る。

 プラティーヌ殿下なんて知らないキャラだぞ。

 名前からして女性で、敬称からして王族。

 設定資料集の王族欄には「当代の国王ピエール19世は若いが、安定した治世を築いている。叔父であるディアスポール公爵の補佐は大きい」と書かれてあった。プラティーヌなんて文字は一行もなかったぞ。まさかこのわたしが見落とし?

「あのふたりをロマンチックな関係にしたいって、盛り上がっているんだよ」

「は? したい?」

「見た目がふたりともロマンティックだから、お付き合いしてもらいたいんだって。わけわかんないよね」

「顔カプ厨かよ」

 思わず素で吐き捨ててしまった。

 マジかよ、この世界にもいるのかよ、顔カプ。滅しろ。

 エグマリヌ嬢がきょとんとしてる。

「いえ、その、本人の心を慮らないのは、淑女らしくないと思います」

 しかしプラティーヌ殿下、ねぇ。

 ゲームに登場してなかったキャラだけど、どういうことだ。

 ボツキャラって発想が出たけど、ここはわたしの夢だ。

 そういえばこのゲーム、ライバル的な女キャラがいないし、ほかのゲームや漫画からキャラ拝借して、ライバルポジション埋めたのかな。夢の中だと好きじゃないカプとか、オリキャラとか登場するからなあ。

 そう思うと同時に、学習室の扉が開く。

 ………えっ? 

 マジかよ、うっそだろ、こんな美少女がこの世に存在するのかよ。

 白銀に輝く髪を揺らし、純白のレースに埋めつくされたドレスを纏っている。

 作画コストが地獄だな。

 しかし「髪の毛は三つ編みにするか結い上げる」って校則、完全に無視してやがる。ふわふわさせているの似合うけどさ。

「どうなされました、プラティーヌ殿下」

 エグマリヌ嬢が恭しく頭を下げる。

 彼女がプラティーヌ殿下。

 美少女がこちらを見た。

 深い闇色の瞳。髪も肌もドレスも真っ白いのに、大粒の瞳だけがどこまでも昏い闇。

 まるで、蚕だ。

「これ、図書館の本なの」

 臙脂色の本を出す。

 図書館の本は原則、すべて貸出禁止だ。というか書物が貴重なこの世界で、図書館から本を借りるという概念が無い。閲覧室を使うしかない。本を借りられる特権は、監督生と教諭のみ。

「姫はね、天才だし美少女だけど、暗いのはきらいなの。だから図書館に返してきて」

「お役目を仰せつかりまして、恐れ多くもありがたきことでざいます、殿下」

 エグマリヌ嬢は、宮廷作法にのっとった完璧な挨拶をした。麗しい姿だけど、プラティーヌ殿下はまったく眼中にない。むしろ何故かわたしを凝視している。

「そこの子、『何』?」

 何って、すごい失礼な聞き方するな。

 せめて「誰」だろ?

「殿下。彼女は編入生のミヌレです」

「ああ、魔力がすごすぎて測定できないって子。鉱石色の髪ってめずらしいのね。ねっ、髪の毛ちょうだい」

 一本くれってことかな?

 わたしが一本、髪を抜く。

「ちがうの。呪符の媒介実験に使ってみたいから、ひとふさ」

「はい?」

「ハサミ、あるでしょ」

 プラティーヌ殿下は微笑む。

 純真無垢そのものだった。

 エグマリヌ嬢は一瞬、困惑したけど素早くハサミを持ってきた。

 ん、いや、ちょっとまってまって。ひとふさって、どういうことだ?

「すまない、ミヌレ。ここで断るとあとで厄介だ」

 状況を呑み込めないうちに、耳の横でハサミの音がした。

 一気に断ち切られる鈍い音。

「どうぞ、プラティーヌ殿下」  

「ご苦労さま」

 プラティーヌ殿下は無邪気な笑顔で行ってしまう。

 ぼーぜん。

 ………………えっ? いきなり髪をざっくりやられたんですが、結構な量ですよ。

「いやいやいや! 待ってください、いきなり他人の髪を切るって、暴行罪とかなんかそういう罪になりませんか?」

「申し訳ない」

「絶対王政は廃止されたはずでは!」

 この国は民主主義じゃない。でも貴族院と商工院の二院制になっている。かつ立憲君主制(王様より法律が偉い)であっても、絶対王政(法律より王様が偉い)じゃない。

「言い訳になってしまうが、もしここでミヌレが断ったら、忖度した誰かによって、きみの髪がある日突然切られるだろう。そうなったら髪どころか、耳や目まで傷つきかねない」

 マジかよ。またとんでもない洗礼を受けちまった。

 ざっくり切られた髪に触れる。

 実際にミヌレの髪の毛は、魔術媒介になるんだよなあ。一角獣の角の破片。媒介は、処女の髪をひとふさ。魔術的インクは、自分のために流してくれた涙と、処女雪。これで獣属性呪符が完成する。

 一角獣の角の破片なんて素材、手に入れる場所ってクリア後ダンジョンのみだけどさ。

 うーん、先に自分で切っておけばよかった。自分のものだと思っていた素材を、あっさり横取りされるとは。ひでぇ。

「あとで髪を整えようか。ボクのリボンをプレゼントしたいんだけど、いいかな?」

「ういうい」

 切りそろえるついでに、自分用に確保しておくか。

 気に入られてしまったら、また切られかねん。

「わたしは田舎育ちで、高貴な方々には詳しくないのですが………」

 小声で切り出す。

「プラティーヌ殿下は、どういったお立場なのですか?」

「殿下はディアスポール公爵の一人娘だよ」

「なるほど。国王陛下の従妹ですか」

「ああ、正統な王族だ」 

 正統な王族。教会に認められた結婚で産まれ、王位継承権を持つということだ。国王と愛妾の間の子孫ではない。

「ってことは、あれがうちの第二王位継承者ってことですか?」

「推定第二王位継承者だよ」

 現在の国王が結婚して子供が出来たら、継承順位が入れ替わるため「推定」である。

 国王は可及的速やかに、教会で認められた結婚して子供こさえてくれ……

「殿下って、どんな書を借りてるんですかね」

 臙脂の革表紙に『時空間魔術の位相入門』と金で箔押しされていた。

「と、時属性……!」

 ちなみに時魔術は、魔術として実用化されていない。時属性という属性があるという仮説のみ。実現できるかどうかも疑わしい分野だった。仮に魔術として実用されるにしても、あと五万日は先だろうと有識者の見解がある。

「どんな内容なんだ?」

「ボクらが読んでも、ちんぷんかんぷんだよ」

「そのちんぷんかんぷんさを楽しみたいんですよ」

 わたしは時魔術の書を開く。

 知らない単語だけで文章が構成されている上に、見たことのない数学の式が描かれていた。

 魔術も高等になってくると、数学が必要なんだな……

 やばい、もっと算術がんばろ。

「これを解読できるくらいの学力って、相当だぞ………」

 読める文章がありゃしねぇ。

 一番後ろのページには、三日月の紋章と『査読中 1611-12』って捺印されていた。

「査読中……?」

 エグマリヌ嬢が首を傾げる。

「これは賢者連盟が、この魔術が正しいかどうか検証している最中ってことですね。この査読をクリアすると満月印が押されて、正式なグリモワールとして世界に認められるんですよ。査読終了前に出版する場合は、査読中の三日月印が押されます。賢者連盟が検証しているって時点で、研究する価値が高いって証明ですから、終了前に出版する魔術師もいるんですよ。研究盗用の防止になりますし」

「この数字は?」

「1611年の12番目に受け付けたってことですね。難しい魔術は、検証に何年もかかるんですよ」

 世界観をべらべら喋る。

 こういう世界知識を垂れ流すのは本当に楽しい。

 調子こいて喋っていると、氷色の瞳がわたしをじっと見つめていた。

「ミヌレって………学院に入る前は学校に行ってなかったんだよね?」

「ぇ、ええ、まあ」

「どっかの貴族の隠し子だったりする?」

「そうだったらいいですねえ。そしたら遺産が転がり込んで、アイテム作りたい放題ですよ」

 話しているうちに、図書館にたどり着いた。

 そう、図書室ではない、図書館なのだ。 

 スフェール学院付属図書館。

 本館は地下二階から二階までの吹き抜けになっている。壁にはひとつの窓もない。ひたすら書物がみっしり詰め込まれている。

 古びた革と本についた手垢の匂いが混ざって、独特の臭気に満ちていた。動物じみた臭気だけど、わたしは好きだ。

 この本館が蔵書室。

 申請がなく読める書物がこれだけある。

 それから申請しないと閲覧できない魔術書が、また別の蔵書室に収められている。

 さらに閲覧室と写本室。司書さんたちの執務室と、書物の手入れをする修繕室。他にも会議室や資料室など。この図書館だけでも、一日かけても回り切れない広さがあった。

 魔術関連の蔵書の質と量は、国内屈指。と、公式ガイドブックに記載されていた。

 丸メガネの司書嬢さんに『時空間魔術の位相入門』を返す。

「あまりひとがいませんね」

 静かなのは当然とはいえ、人の姿がほとんどいない。

 スフェール学院付属図書館は学生や教職員だけじゃなくって、卒業生や聴講生も入る資格がある。ここに入れるってだけで、すごいことなのだ。わたしが文字を読めるようになったら、通い詰めになるのに。

「最近、幽霊が出るって噂が立っちゃったんですよ」 

「魔術学院でも幽霊のこと幽霊って呼ぶんですね」

 幽霊。

 魔術的に言うと星幽二重体。

 人体を構成する星幽体が、肉体と精気が朽ちた後に残ってしまった状態である。

 肉体がない相手には、物理攻撃が通らない。

 魔術のこもった武器を手に入れるか、攻撃魔術を覚えるまでは逃げるしかないんだよねえ。攻撃魔術さえあれば雑魚である。 

「その幽霊ってどこに………」

 もっと詳しいことを尋ねたかったけど、他の閲覧申請者がきてしまった。

 わたしたちはカウンターから離れる。

「エグマリヌ嬢って普段、幽霊を切れる武器って持ってます?」

 この子の初期装備は、水の加護を受けたレイピア。でも今は持ってないかな。学院内だしな。

「監督生にならないと、学院内で帯刀できないよ」

「あら。監督生特権っていろいろあるんですねえ」

「芝生の上を歩く権利もある」

 監督生特権を語りながら、階段を降りていく。

「なんと監督生は、ペットも飼っていいんだ」 

「マジですか!」

「犬猫は定番で、ほかにも鸚哥とか鸚鵡とか飼うね。あと魔術糸の研究していた監督生は、いちから糸を紡ぐために、羊を飼ってたんだよ」

 それはペットではない。

 実験動物である。

 階段の踊り場に着くと、かつん、かつん、と音が響いた。

 硬い音だ。

 だんだん近くなってくる。そしてふいに音が消えた。だけど階段を見下ろしても見上げても、誰もいない。

「ミヌレ。どっかで変に音が反響してるんだよ、早く帰ろう」

「誰かいますよ」

 この「階段の物音」イベントは、ただ怪しげな音が響くだけ。

 だけどわたしはこの正体を知っている。

「オニクス先生。どうして【幻影】で姿を隠しているんですか?」   

 踊り場の空間の一部が揺らぐ。

 現れたのは、長身の男のひとだった。

 漆黒の髪、漆黒の隻眼、そして漆黒のローブ。それだけでも威圧的なんだけど、顔の左半分を仮面で覆っているから、さらに悪役っぽさが倍増している。悪の大幹部って肩書がどんぴしゃだ。

 悪役じゃなくて、この学院の教師オニクス先生だ。

 黒瑪瑙の杖を突きながら、わたしの方へゆっくり近づいてくる。そんなに年配じゃないはずけど、片足が悪いからゆっくりなんだよ。

 このひと、キャラブックで経歴不明扱いなんだよなあ。趣味・年齢・家族構成ぜんぶ不明なの。

 黒い隻眼で見下ろされる。

 スチルと違って、実際に対面すると身長差がすごい。威圧感でぺちゃんこになりそう。

「きみが編入生の生徒番号320か。なるほど、魔力内蔵量が測定不可能だというのは本当らしい。魔力を感じたのだろう」

 ひとりで納得してくれる。

 抑揚がないけど、澄んだ低い声をしていた。ボイスのなかではいちばん好きだな。

 極悪人めいた笑みを浮かべた。

「いいサンプルになりそうだ」

「そこでサンプルって言っちゃうのは、馬鹿正直やな!」

 1000回くらい突っ込みしたので、1001回目も言ってしまった。

 静まり返る。

「え、ええっと……言わない方がサンプルとして観察しやすいのに、そこで口に出してしまうのは素直な性分なんですね」

 お嬢様語で言い直してみた。

 おぉう……まずいな。ダメだ。取返しつかねーぞ、これ。

 闇魔術は習得したいのに。

 だってミヌレは、闇属性が得意属性なのだ。

 オニクス先生は無言で行ってしまうが、杖をつく速度には追いついた。

「大変失礼いたしました…あの、お詫びに雑用なりと引き受けます」

「いらん」

 めっちゃむべなく言われた。

 まあ、馬鹿正直とか初対面で言われちゃったら、困るよなあ。

「きみは『生徒番号』で呼ばれても不快ではないのか」

「はァ? 不快になるかもって分かってて、わざわざ呼んでんですか」

 黒い目と視線が合う。

 ヤバい。これ以上、好感度を下げたくない。冷汗が出てきた。

「先生。せっかくだから、わたしは仲良くしたいです」

 せっかく素敵な夢を見ているんだ。いつまで続く夢か分からない。

 だから悪夢にしたくない。

「私は仲良くしたくない」

「分かりました。気が変わったら教えて下さい。では失礼致します」

 わたしはお嬢様っぽく頭を下げる。エグマリヌ嬢が追いかけてきてくれた。

 ちょっと顔色が悪い。

「ミヌレ。あのひとに関わらないほうがいいよ」

「なぜです?」

「何故って? きみは怖くないのかい?」

「なんで怖いんです?」

「知らないのか? あのひとはね、闇の魔術に関しては最高位だよ。【恐怖】や【魅了】で人間を操れる」

 闇の魔術は、懼れられている。

 口にするのも憚られるくらいだ。嫌悪され、忌避され、不要とされている。

 魔術っていうのは、炎が熾ったり、風が吹いたり、雷が落ちたり、光が灯ったり、物が浮いたり、水を弾いたり、そういう物理的なものだ。

 そして物理現象を生じない魔術が、闇の魔術。

 霊視系の【遠見】【予知】、催眠系は【魅了】や【混乱】。チャームなんてよくある系の魔法だけど、確かに現実に使われたら脅威だよなあ。心が紛い物になったら、誰を信じればいいか、そもそも信じている自分さえ疑わしくなる。

 国王や将軍が敵国に【魅了】されたら、暗殺より国に混乱を齎せる。

 人間社会を根底から覆す魔法だ。

 でも、ハサミで他人の髪の毛を切れと命令するひとと、どっちが怖いんでしょうね。少なくとも今日、わたしに危害を加えたのは、どちらだったのか理解しているつもりだ。   

 人間を操れるというなら、王族への忖度も似たようなもの。

 だけど、その本音を、貴族であるエグマリヌ嬢へ言う気にはなれなかった。



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