第七話 (前編) 仮面舞踏会に愛妾の末裔は集う
極彩の鏡を泳ぎ、満天の星を越え、繧繝の虹を渡り、わたしたちは時を跳ぶ。
「寒ッ!」
叫びと一緒に血を吐き出す。
この空気を呼吸するたび、鼻の穴まで凍りそう。冬に跳んでしまったみたいだ。しかも厳冬。
一角半獣ユニタウレ状態は耐寒性があるけど、上半身が辛い。完全一角獣化したいけど、魔力のないわたしは形態を変化させることはできなかった。
先生がぎゅっと抱きしめて、吐血の処置をしてくれた。三度目となるとさすがに素早い。
美しい音楽が、鼓膜に届く。
優美な三拍子は、エクラン王国の舞踏円舞曲だ。
リアルじゃ聞いたことないけど、ミュージックディスクに収録されているからよく知っている。
「王宮……ですか?」
背筋が凍る。
魔力ゼロでオプシディエンヌと鉢合わせたくねーぞ!
「いや、王宮ではないな。どこぞの財閥か貴族の邸宅か?」
先生は即座に、【幻影】を詠唱する。
わたしたちの姿を、誰からも視えなくするための闇魔術だ。ってことは夜なのか。
先生が存分に力を奮える時間帯なら安心だ。わたしは錫杖を腕輪にする。
「ここは舞踏室のテラスだ。仮面舞踏会の真っ最中だな」
仮面舞踏会!
ドレスだ。
絶対にドレス博覧会状態だ!
わたしは手探りで鞄を開けて、アルケミラの雫を一気飲みした。MP回復させる錬金薬だ。
眼球の経絡を意識する。
「霊視回復!」
白い靄でのっぺりしていたばかりの視界に、一気に色彩と輪郭と遠近感が生まれた。
色が分かる。
形が分かる。
遠いものと近いものの区別がつく。
「ドレス!」
わたしは硝子窓に額を張りつかせた。
仮装仮面舞踏会だった。
いくつものシャンデリアの下、絢爛豪華に輝く衣装たち。
海賊の衣装に、獅子戦争時代の鎧姿、それからあれは東方大陸の衣装だ。東方竜の刺繍が豪華絢爛に輝いて、今にも生きて飛び出してきそう。
護符を緞子や繻子に縫い込んで、やたら飾り襟に糊を効かせたモネ女王時代のドレスもある。紫紺のローブに鬱金ヴェールは、アトランティス文明時代の衣装かな。
知らない形式のドレスもある!
てんでばらばらなドレスが踊っていた。
取り留めなく秩序もなくただ浮かれ騒いでいる様子って、夢の世界みたいだ。おもちゃ箱の人形たちみたい。
わくわくするけど、飲み込まれてしまいそうになる。
でも仮装舞踏じゃ年代が分からんな~
「あ、でもメリス州のレースがありますよ。あれは歴史が浅いやつですよね?」
「メリス州でのレース産業が盛んになったのは、ピエール16世の時代からだからな」
「先生。あっちのドレスの独特の緑色って、もしかしてヴェズュヴィアニットのメゾンの染料じゃないですか?」
「おそらくはそうだろう。ヴェズュヴィアニットのメゾンということは、少なくとも戦後か」
「服飾にもお詳しいですね」
「刺繍遣いが横で騒いでいるのを覚えているだけだ」
先生はディアモンさんと友達だから、興味が無くても聞きかじりの知識はたくさんあるってことか。
「私たちの時代に近いかもしれん」
両開きの硝子窓をそっと押して、身を滑り込ませる。
舞踏会の会場へ足を踏み入れた。
円舞曲に合わせて踏まれるステップ。ひとびとの笑い声にざわめき、シャンパンの泡たちが、光と一緒に弾けていく。光の護符と蝋燭が組み合わさったシャンデリアは、金と銀の葡萄みたいだった。
「ドレスの年代は分からんが、シャンデリアの光の護符を見る限り、私たちの時代とかけ離れてはおらん」
溜息が出る煌びやかさに、クワルツさんを連想する。
もしかしてこの舞踏会場に、怪盗の予告状を出してやってくるのかも!
だってシャンデリア輝く仮面仮装舞踏会なんて、クワルツさん絶対好きだと思うもの!
クワルツさんに会える!
いやいや、願望だけで仮定を押し通したら駄目だ。
まだ年代だって確定してないんだし。
「サフィールさまが招待されているかもしれませんね」
先生とわたしの共通の知り合い且つ、大きな舞踏会にいるひと。やっぱり伯爵家のサフィールさまかな。
あと他に可能性を考えると、ディアモンさんが招かれているかもしれない。
「生徒ならば丸め込めるが、騎士の若造だと面倒だな」
「オプシディエンヌとエンカウントする以外だったら、なんでもいいです」
ぶっちゃけ実技担当シトリンヌでも構わんぞ。
シトリンヌも裕福かつ王家の血を引いているから、招待客でも不思議じゃないんだよな。
「きみの意見に賛同しよう。とはいえ仮面舞踏会で人探しほど不向きな作業もあるまい」
「でもサフィールさまがいないのは確実ですね」
サフィールさまの背丈は、先生の次くらい高身長なのだ。
平均より頭ひとつ高いから人込みでも目立つけど、見当たらないってことは招待客じゃないのかな?
途端、舞踏会のざわめきが凪いだ。
どしたん?
疑問に思った一拍後、舞台に誰か立った。
薔薇細工の仮面を付けた女性だ。
ほんとの美人って、仮面をつけていても美人ってオーラが強いな。
真っ赤なくせ毛に、真っ赤なルージュ。口許には大きなホクロがついている。
露出の少ない衣装だけど、ドレスの赤さが官能的だから、清楚って感じじゃないな。
女性は歌い始める。
舞踏室に響き渡る歌は、女性とは思えない声量だけど、間違いなく女性の声域だ。
あのね、手なずけられない小鳥がいるの
銀の小鳥
羽ばたくも眠るも自由な小鳥よ
鳥籠を与えても逃げ出すわ
そうよ、この心臓こそ気ままな小鳥
銀の小鳥
囀るも死ぬも自由な小鳥よ
果物を与えても飛び去るわ
うっかり聞き惚れてしまった。
ここまでひとを虜にする歌は、ラピス・ラジュリさんに匹敵するぞ。
「オペラ『盗み鳥』か。あれほどの声量と高音域を兼ね備えた声は、初めてだな」
先生も感心してるってことは、かなりの歌い手なんだな。先生はオペラで居眠りするの趣味なひとだから。
歌姫が何曲か歌い終われば、またざわめきが舞い戻ってくる。
円舞曲が流れれば、踊るひと、シャンパンを飲むひと、お喋りするひと、様々にこの空間を楽しんでいく。
ダンスとぶつからない場所に移動すれば、機智と韜晦と優美と衒学に富んだ会話たちが、あちこちから飛んできた。会話が混線している。
「王宮ではもう舞踏会も観劇会も滅多にありませんことよ。あの王妃……」
「結局、落ちていた恋文の送り主は誰か分からず、大騒動で……」
「バギエ公国の海運事業への投資は……」
「あの歌姫はどこの歌劇場のプリマドンナですかな?」
「去年まではプドリエ大公国の大使館に勤めておりまして、やっと帰国……」
「妻が慈善バザーに熱中していましてな。とにかく誰か気の利いた講演できる方を呼ぶようにと……」
「畢竟、マナーとは、それを正しく遂行する程度の能力があるか否か証明する、能力保証書のごときもので……」
「うちの娘ときたら、跡取りを産んでからも自分の夫にべったり。愛人のひとりも作れないなんて、育て方を間違たわ」
「労働者階級の人間のお顔って、丸焼きされた豚みたいでしょう。知性が感じられないから分かりやすいのよ」
「お久しゅう。プレニット農園の跡取りの葬儀以来ですか?」
すぐ横にいた紳士の挨拶が、わたしの耳朶に引っかかった。
プレニット農園の跡取りって、クワルツさんだ。一人息子のクワルツさんが跡取りなんだ。
葬儀?
クワルツさんの葬儀?
そんなことない。きっと時代が違う。クワルツさんが跡取りとして生まれる過去か、あるいは当主になった未来だ。
不安に早鐘打つ心臓を抑えるように、わたしは拳を握る。
「招待客名簿を見ればいいのか」
先生が不意に嘯く。
「名簿って誰が持ってるんですか?」
「出迎えをする従僕なら、持っているはずだ」
先生は舞踏会の会場を飛び出して、廊下を突き進んでいく。
夜の廊下は肌寒く、薄暗い。
「仮面舞踏会であっても、正式な催しなら招待された客しか入れない。出入り口の従僕なら名簿を持っている。小規模なら暗記するだろうが、これほどの規模なら名簿を持っているはずだ」
進む先から話し声が聞こえてきた。
「急ぎの用事があるのかな。後で案内してくれればいい」
「いえ、あの、代わりの者を呼びますので………」
「ここに居る従僕は、きみほど気が利かないんだ。案内してくれるなら、きみのように利発で品の良い少年がいいんだよ」
廊下を曲がった暗がりで、大人と少年が話をしている。
少年の方は聞いたことない声だったけど、大人の方は聞き覚えがある声だった。聞き覚えていたくない声である。とはいえ忘れるわけにはいかない。
オニクス先生が軽く助走をつけ、わたしを抱えたまま、声の主を蹴りつける。
「ぶきゃふっ!」
蹴り飛ばされて壁にぶつかり、貧相な悲鳴が上がった。
その場にいた少年が困惑の声を上げて、どこかへ走り去っていく。よしよし。
「久しぶりだな、横領役人。まさか鉢合わせる相手が貴様とはな。相変わらずの口先三寸で、子供をどこへ連れ込むつもりだったんだ……?」
「蛇蝎ッ!」
騎士団所属輜重文官ストラスだった。
なんでこいつなんだよ!
こっちが期待してたのは、クワルツさんとかディアモンさんなんだよ!
知人のところに引き寄せられるって仮説で、よりによってストラスかよ!