第四話 (中編) 善き司祭の懺悔 序幕譚
森へと向かうガブロさんとロックさんを見送った。
さて、家事しよ。
長いこと姫さま神さまとちやほやされてきたから、こういう地味な家事は久しぶりだな。
わたしはお皿やコップを洗ってから、重曹をお湯で溶してペーストにする。ペーストをつけた布巾で、食器を磨いていく。
食器洗いが終わったら、今度はテーブル。重曹をお湯に少し溶かして、大きな木のテーブルを適度に湿らせた。磨き砂を撒く。それからブラシで擦っていった。
自然に身体が動く。
たぶん学院に来る前にやっていたんだろう。ほとんど記憶ないけど。
砂で磨き終えたテーブルを、冷水拭きする。
家中のマットを丸めて外へと運び、石垣に置いて叩く。ロックさんちの絨毯叩きは、羊のかたちに編まれていて可愛いな。
床掃除まで終える。
よし、これでぴっかぴかだ。
汚水を捨てにいく。
先生は雌山羊たちを草地に放ち、山羊小屋の掃除をしているところだった。柳のホウキで、糞を集めている。
普通だったら牧歌的風景なんだが………
やっぱりオニクス先生は、悪の大幹部に見えちゃうんだよ!
追っ手から逃れるために、農家の下働きしているようにしか見えねぇんだよ!
外見とオーラが、完璧に魔王なんだもの。
クワルツさんは普通の服に袖を通せば、大農園の跡取り(ちょっと変わり者)で収まるのに、先生ときたらどう足掻いても属性は暗黒だ。
それでもこの空間にいる先生は、穏やかだ。
わたしが学院に給費生として編入したばかりの頃、オニクス先生を教師にした理由や背景が分からなかった。
賢者連盟との確執が分かった時点でも、分からなかった。
でも今なら理解できる。
あの砂漠の戦争の渦中にいた先生が、どれほど箍の外れた存在だったのかを。
学院という枠の中なら、このひとはまともだったのだ。
常に斜に構えて皮肉を吐き、攻撃的な講義をしていたけど、少なくとも社会生活の範疇に留まっていた。
才能を生かしつつ、おとなしくさせるには、上流階級の魔術学院という檻が最適だったのだろう。少なくとも賢者たちはそう判断して、オニクス先生を学院の教師としていたんだ。
オニクス先生は誰かに飼われている状態が、安定するっていうのか。
ブッソール猊下が言っていたように。
――次はてめぇがオニクスを飼いな――
――それがあいつの幸福で、世界の安寧だ――
――あいつは自由なんて好きじゃねぇよ――
嫌だ。
そんなの絶対に嫌だ。ひとがひとを飼うなんて、ぞっとする。
「どうした、ミヌレ」
「いえ……」
オニクス先生がいつの間にか近くにいた。
空を見上げれば、太陽が真上に登っている。わたしはずいぶん長いことぼんやりしていたみたいだ。
「先生、お昼ご飯の用意しましょうか?」
「そうだな、頼む」
わたしは家に入って、スープ鍋を覗く。二人分のスープが辛うじて残っていた。
死ぬほど重い鍋なんだけど、【飛翔】あればらくちん。
鍋を下げた瞬間、ぶわっと炎が舞い上がった。
灰に残っていた火花が、わたしに降りかかってくる。
ほへ?
「ばっ……!」
先生がわたしを炉から引きはがす。
いつの間かに飛び込んできた。
「風属性を使うときは、火に気を付けたまえ!」
「すみません」
やばい。四属干渉は基礎の基礎なのに、灰の中に残った火花まで考慮してなかった。うっかりだ。
スカートが燃えてないかな?
「せっかくエランちゃんが用意してくれた服なのに」
「怪我をしたらどうする」
「………? わたしは怪我をしたってすぐ回復しますよ」
「魔力が回復しきってない現状で、肉体損傷が起こった場合、どうするつもりだ」
理詰めで叱られた。
そうだ。わたしは魔力すっからかんにしたんだ。
「きみは魔力が無限に近いせいで、無防備なところがあるな。普段から怪我をしないよう、意識して行動してくれ。怪我を魔力で回復するのは最終手段だ」
「はい」
わたしたちはスープをさらえる。
………夫婦生活みたいだな。
一回、先生と駆け落ちできたら幸せだろうな~って、妄想したことある。
わたしが鎮護魔術師にならなきゃいけないから、即座に現実味を無くしたけど。
でも今、この状況って、駆け落ちして後に、人里離れたところで隠れ住んでいるみたい。
ふたりで食べていけるだけの自給自足の畑と家畜。それを世話する日々。
妄想が現実になったみたいで、口の中がときめきで甘酸っぱくなってくる。
「ガブロのスープは美味いな」
幸せそうに呟く先生。
オニクス先生が穏やかなのは、人里離れた山奥という環境以上に、ガブロさんの影響が大きいんだろうな。
「先生はガブロさんと一緒じゃなくてよかったんですか?」
たしかにこの時代にいちゃいけない存在だから、引きこもっていた方がいいだろう。
でも人里離れた森だしな。出かけても見つからない気がする。
「話すべきことは昨夜、語った」
「でも……」
ここでガブロさんと会えたのは、奇蹟だ。
時を跳躍できる媒介は、あと一度切り。
本当に二度と会えない。
「慕わしいのは否定せんよ。あの男は恩人であり、少年時代の私の良心と言っても過言ではない」
静かな語り口だった。
直感だけど、これは、嘘でも建前でもない本音だ。
「ならばこそ私は、今こそ彼の恩に報いるべきだ。孫と過ごせる時間を、出来る限りガブロに。彼が共にいるべきは私でない。孫だ」
想うのは、千年前の砂漠に残してきてしまったロックさん。
「そうですね、しばらく滞在させてもらいましょうか?」
「いや、ガブロに報いたいのは本心だが、きみを元の時代に戻すのが最優先だ」
そうだな。
先生としては、早くわたしを世界鎮護の魔術師として賢者連盟に押し付けて、オプシディエンヌと心中したいだろうからな。
わたしは先生いっしょなら、砂漠でも別荘でも山奥でも幸せを噛み締められる。
でも先生はそうじゃない。
浮かれていたこころが冷えていく。
「星の配置と時間跳躍の法則性は、まだ考える余地が多い。きみの星の加護は、天秤宮だったな。もうすぐ天秤宮へ土星の影響が高くなる。時間障壁が関与しているなら、その時に跳んでみると安定するかもしれん」
わたしは葡萄月18日の生まれだから、守護が天秤宮だ。
「先生の守護宮は考慮しないんですか?」
「私は処女宮だから、どのみち土星影響下にある」
天秤宮の隣だからな、処女宮。
っていうか、先生を守護してる宮って処女宮だったのか。
地属だから【隕石雨】とは相性がいいな。
「跳躍先の空間に関しては、仮説がひとつある。術者の知り合いの近くに引き寄せられるかもしれん」
「わたしはガブロさんと初対面ですよ」
「孫の方」
「ロックさんですか」
たしかにガブロさんと先に鉢合わせたけど、近くにはロックさんもいたわけだしな。
「いや、でもエランちゃんと会ったのは、さんざん【飛翔】した後ですよね。離れた場所ですし」
「婆の方」
「ああ、占いお婆ですか……」
砂漠で虻となって消えていった老婆。
遺していった言葉は、呪詛なのか、予言なのか、どちらなのか。
「そのふたりなら私ときみ、どちらも面識がある。あの婆は、オプシディエンヌを上回る未来視の持ち主だった。私たちを補足するという荒業を使えるかもしれんが、ガブロとまで遭遇するとなると話は別だ」
跳躍地点が、何かに引き寄せられるのはあるかも。
続けて知り合いと顔を合わすなんて、偶然にしては出来過ぎている。
「1617年に戻る時に、明確に共通の知り合いを思い浮かべるといいかもしれん」
「クワルツさんはどうでしょう」
水晶色の髪を持つ怪盗、クワルツ・ド・ロッシュ。
「生死不明だ」
「生きてますよ! クワルツさんは怪盗クワルツ・ド・ロッシュですよ!」
「希望的憶測は聞けん。私は刺繍遣いをイメージしたい」
「ああ、そこは鉄板ですね」
ディアモンさん。
先生の友人で、わたしの仕立てをやってくれた魔術師だ。
時空跳躍していきなり跳んできても、対応してくれるだろう。賢者連盟に属する高位魔術師だものな。
帰還点にするには最適な人物だ。
千年前に流された顛末、賢者連盟に伝えないと。
ディアモンさんの視点じゃ、王宮参内中に行方不明になって、ブッソール猊下に補足された後また行方不明になったもんな。
ブッソール猊下がどうなったのかも、説明しなきゃいないのか。
こころが、重い。
先生は食事が足りなかったらしく、デザートとして畑からスイカを容赦なく採ってきた。むっつほど平らげる。
わたしも六分の一だけ味わう。
「品種改良って偉大ですね。ゼルヴァナ・アカラナへの献上品より、現代の方が美味しいんですから」
「まったくだ。本土のスイカは美味い」
心からの賞賛を口にして、赤いスイカにむしゃぶりついた。
「宮中では出なかったんですか?」
「そうだな」
「……先生。先生はこの時代、王宮にいるんですよね」
「ああ」
「会いに行ってみたいです」
「歴史を変えるな。私のむかしの記憶に、きみは存在していない」
そう言うと思った。
予測は出来ていた返事だったので、わたしは準備しておいた言葉を口にする。
「ちらっと見るのも駄目ですか?」
「きみに会わせたくない。あの頃の私ときたら、横暴で残酷で驕慢で手の付けられん若造だった。私が知るどの若造より、己自身が最も愚かだ。そんな自分をきみに見られたくない」
隻眼がわたしを見据える。
その真剣なまなざしは、わたしの予想に無かった。
「ミヌレ。十六のときの私の元に、今のきみがやってきてくれたらと思うことはあった。だがあの頃の私は、きっときみを手酷く傷つけるだろう。愚かで驕っていた私だ。私はいまも愚かな男だが、それでも少しくらいマシになった。いや、どうだろうな………結局、きみを傷つけた」
食卓が沈黙する。
静けさの中、ドアがノックされる音が響いた。
ぴええぇっ?
ノックするってことは、お客さんだ。
そもそもまだ遅めの昼食だったから、まだガブロさんたちが帰ってくるわけがない。
もしかして村のひとかな?
「大丈夫だ。誰か訪ねてきたら、同じ部隊で戦った兵士だと名乗るようガブロと打ち合わせている」
なるほど。
同じ部隊の仲間なら嘘じゃないし、今のオニクス先生の見た目なら兵士上がりだと十分通用する。隻眼で片足が悪いから、負傷で除隊した兵士にぴったりだ。
若干、悪の魔術師オーラがぬぐえないが、そこは目を瞑ってもらおう。
実は若干どころじゃないオーラだけどさ。
「ガブロ・ロシェどの、ご在宅でしょうか? テュルクワーズです」
………は?
扉の向こうから聞こえる声は、わたしの知ってるテュルクワーズ猊下のものだった。
なんで賢者連盟のテュルクワーズ猊下が、こんな辺鄙な村に来てんだよッ!