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第四話 (前編) 善き司祭の懺悔 序幕譚


 目が覚めると、窓の隙間から日光が差し込んでいた。

 よしよし、霊視が回復しているな。色彩輪郭ともにばっちり視えるぞ。

 わたしが寝ている部屋は、ログハウスの寝室だった。

 おっきいベッドと、小さいベッド。

 わたしは小さいベッドに眠っていた。

 針葉樹をつめた枕と、ライ麦藁を包んだマットレスに、パッチワークの布団カバー。板張りの床には、三つ編み丸マットが敷かれていた。灯心草ろうそく差しがひとつ。なんて素朴な寝室。

 わたしは下着のまま寝てたみたい。ワンピースに袖通して、ベッドから降りる。

 蹄をステップさせ、人間のかたちに戻る。

 うむうむ、経絡も問題なし。

 ドアの先はリビングダイニングキッチン。

 1LDKか。

 壁には大きな平炉。

 鉄製の炉格子に火が収まっていて、鎖と鉤で丸底鍋が吊るされている。石棚には鉄のヤカンや蜘蛛足鍋。横には長柄の杓子や穴杓子と、アイロンあんかが吊るされていた。どれもすごく使い込まれて大きくて、そして重そうだった。

 あのヤカンなんて水が入っていたら、わたしは持ち上げられないレベルだぞ。

 腕力無いひとお断りな調理場だ。

 大きな長方形のテーブル。机には卓上灯心草ろうそく差し。差すところは鉄製だけど、土台は輪切りにした幹。

 椅子……あれは椅子っていうか、木の幹を切りっぱなしに置いてあるだけ。

 調度っていうか、木材が調度ぶりっこしてる。

 作り付けの食器棚にはお皿が並んでいる。ほとんど木皿、白鑞の食器がちょっぴり。塩用のくぼみのついた木皿なんて、童話の風景の小道具にしかないと思っていたのに存在するんだ。手回し式の包丁研ぎ器がずっしりと鎮座して、炻器の貯蔵壺や、硝子の貯蔵瓶が並べられていた。

 まさに山の中のおうち。

 童話のきこりさんとか猟師さんとかのおうちを、高解像度で表現したらこの空間になる。

 わたしがまじまじ観察していると、玄関の扉が開いた。 

「おや。ミヌレのお嬢ちゃん、おはようさん」

「うわっ、ロックさんにそっくりだな!」

 目の前に登場した初老の男性ときたら、ロックさんにマジで似ている。ただロックさんより背が低いし、肌には傷も痣もホクロも火傷痕もめちゃくちゃたくさんあった。それに髪の毛も白髪交じりで、まだら模様。

 これがガブロさんか。

 なるほど、これなら『斑のガブロ』って通り名になるわな。

 ぽかんと見上げていたけど、朝の挨拶を忘れていた。

「おはようございます」  

 今更お上品さを装って挨拶する。

「そんなにそっくりですか、孫と」

「コピペですよ」

「ん?」

「いえ、なんというか……もしロックさんの肖像画があったとして、ガブロさんは老けさせて傷を増やした加筆版みたいな感じです。骨格も顔の筋肉の付き方も髭の感じも、それから雰囲気まで酷似しています。ロックさんの方が身長は高いんですが、動き方とか姿勢も似通っていますし」

「ほう、ほう」

 嬉しそうに相槌を打ってくれる。

 孫が自分に似てるのは、やっぱり嬉しいもんなんだろうな。 

 血縁への愛情。

 ……ブッソール猊下を思い出してしまった。

「ああ、隻眼どのなら、外です。洗濯を手伝ってくれとりますよ」

「お洗濯ぅ!」

 先生が洗濯をしているという激レア状況を目撃すべく、わたしはスカートをたくし上げて全力疾走した。

 玄関を飛び出し、水音する裏庭に回る。


 うそだろマジかよ、オニクス先生が洗濯してるぞ。


 掘り抜き井戸の傍らで、大きな木盥に水を張って、シーツを沈めていた。

 先生は袖をまくり上げて、ズボンもたくし上げ、素足で押し洗いしている。踏むたびに水飛沫が盛大に舞う。    

 こんなレアリティ爆高な光景、もう二度と見れないのではないだろうか。

 わたしの魔法空間のムービーギャラリー、これきちんと録画してる? してなかったら許せないぞ、絶対に!

 先生は【浮遊】を唱えて、洗濯もののシーツを浮かす。

「ミヌレ、片方を持っていてくれ」

「ういうい」

 シーツをぎゅっと絞る。

 土の加護たる重力を断ち切っているから、重くて絞るの大変なシーツも楽ちんだ。すごいぞ。

 水も大地の加護を切ってるから、ジュレ状になって浮いてくる。うわ、手についた水もジュレみたいに引っ付いてる。『星蜃気楼』のぶよぶよジュレを思い出した。

 先生は再び【浮遊】を唱える。

 最初の【浮遊】を解いた瞬間、すかさず水だけを【浮遊】させた。

 シーツを受け止める。

 水だけがふわふわと空中を彷徨っていた。

 すごい、絞りが全自動だ。

 また絞って、浮かせて、解除して、水だけ浮かす。

「このお洗濯方法、いいアイデアですね」

「誰でも思いつくだろう」 

「でもこれ、展開指定が難しいですよ」

「きみなら出来る」

 【浮遊】させているシーツを、物干しロープに掛ける。

「そっちのブリキバケツに、きみのエプロンとタオルが入っている」

 ああ、洗濯に精を出している理由はこれか。

 鼻血とか吐血とかで汚れたエプロンを、洗ってくれていたんだ。恥ずかしいな。

 わたしはエプロンを洗濯板で擦る。【飛翔】で濯ぎ、へぎ木洗濯バサミで留めていった。

 干し終えると、風が吹いてくる。

 ここは森のなかの一軒家だ。

 風はすごく清々しい。

 石垣向こうに広がる豆畑はきらきらしている。豆畑の彼方では、蕪の葉っぱがそよそよして、林檎の木たちが揺れていた。残った雨粒と摘果前の重みで、しっとりと枝垂れていた。

 昨夜の雨で清められた緑に、お日様が反射して綺麗。

 野菜の育ち具合や土の色合いからして、よく鋤が入れられてよく肥やされた畑だ。見ているだけでしっとりさが伝わる黒褐色。山羊や鶏の糞をきちんと発酵させてから、丁寧に鋤きこんであるんだろうな。


「あ、おねえさんも起きたー」


 ちっちゃな子供の声がする。

 ロックさんだ!

 幼いロックさんが、素足で駆けてくる。

 五歳児にしては背丈でかいな。カマユー猊下より背が高い。昔っから体格に恵まれていたのか。

 涙腺が緩みそうになった。

 喉を奥をぐっと締めて、涙を堪える。

「じゃあ朝めし食おう! 朝めし! お客さんだからごちそう!」

「その前に手を洗え。というか山羊小屋で寝てから、顔も洗ってないのか? 非衛生な」

 先生がロックくんの襟首を引っ張り、手を洗わせた。手首までしっかり洗わせ、耳の後ろも洗う。

 親子みたいだ……

 レアショットが続き過ぎて、ムービーギャラリー大変だな。がんばって! 

 わたしは魔法空間のムービーギャラリーに声援を送る。

 ヴリルの銀環が才能の底上げ器なら、今こそ真価を発揮しろ!

「もういいじゃん、おじさん!」

 おじさん呼ばわりして、気を悪くしないかなって不安になったけど、先生の横顔は穏やかだった。

 ロックくんは跳ねのけて行ってしまった。

 わたしは先生を見つめる。

 機嫌が良さそうだな。

「なんだ?」

「いえ、おじさん呼ばわりされて気分を害さないのかなと」

「父上よりマシだ」

 モリオンくんか……

 先生としては「父上」って呼んでくる実の息子より、「おじさん」って呼んでくれる恩人の孫の方が可愛いのか。

 苦い顔をしていた先生は、しばらくして溜息をついた。

「きみは私が死んだら、あれと結婚するのか?」

「さあ?」

 わたしは首を傾げる。

 モリオンくんの求婚を受けるかどうか、未来の話は分からない。

 先生以外との恋愛沙汰は、考えたくないもの。

「やめた方がいい。絶対にタチが悪い」

「それはモリオンくんの父親としての発言ですか? 教師として?  ……それともわたしの婚約者として?」

 先生ときたら露骨に黙り込んだ。 

 モリオンくんの父親である自覚はないだろし、教師としてなら踏み込み過ぎだ。

 先生とは一応、婚約してる。

 元司祭テュルクワーズ猊下の前で宣誓してるから、一応ってのもおかしいけど。

 でも先生にとって婚約は、わたしへ遺産を渡す手段に過ぎない。

「心配してなくても、わたしは勝手に幸せになりますから大丈夫ですよ」

 先生は何か言いたそうなのに、何も言わなかった。両腕を伸ばし、わたしを抱きしめる。

 いつもの月下香の匂いじゃない。水と草と石鹸の匂いだ。

 目を閉じて、その香りを肺いっぱいに吸い込む。溺れてしまうくらい深く、深く吸い込んだ。

 

「隻眼どの、朝めし…」

 

 ガブロさんがやってきて、わたしたちを見下ろしている。

 なんかこう………ドン引きって感じの目付きだった。

 具体的に言うなら、生徒に手を出した教師を見る保護者である。

「すまん、私は誰に軽蔑されようが、ガブロに軽蔑の目で見られることには耐えきれん!」

 わたしから全力で離れるオニクス先生。

 今更遅いのでは?  

「ワシは別に隻眼どのを軽蔑しとりませんがな」

「している! その目つきがしている!」  

 悲鳴じみた叫びだった。 

 なんで先生ってば他人のこと素材のひとつくらいにしか思ってないのに、自分の懐の中に入れた人間にのみ、ものすごく情緒を左右されるんだろう………

 子供のわたしがこんなこと言うの失礼だろうけど、足して割ると人生がもっと楽では?

 しょんぼりしてる先生の手を引いて、朝ごはんを食べに行く。

 用意してもらった朝食は、黄金色の巨大オムレットだった。

 大きなオムレットはふたつ並んでいる。

「ミヌレお嬢さんは半熟と完熟、どちらがお好きですかな?」

「半熟です」

 切り分けられると、完璧に火の通った半熟がきらきらとお日様を浴びる。なんて綺麗。

 先生は特に何も聞かれず、半熟オムレットが置かれる。

 卵は半熟派なのか。ふむふむ。

 オムレットの添えは、茹でられたアーティーチョークとさやいんげん。パセリバターがたっぷりついている。

 それにスイカがたくさん切られていた。

 真っ赤なスイカ。

 砂漠であれだけスイカを毎日食べ続けていたのに、先生ときたら嬉しそうだった。子供みたいにかぶりつく。

「こんなに美味いスイカは初めてだ」

「言ったでしょう、本土のスイカは絶品だって」

「ああ、そうだな」

 スイカばかり平らげていく。胃が水っぽくならないのだろうか。

 わたしはオムレットを食べて、アーティーチョークを口に運ぶ。めしべとおしべが綺麗に取り除かれていて、茹で加減も絶品!

 さやいんげんも最後に冷水に晒して、緑色を保たせている。

 野菜の茹でるのすごくお上手なんだ。

 なのにロックくんときたら、オムレットにがっついているだけだ。こいつほんと野菜嫌いだな。わたしの記憶を総ざらいしても、野菜を一切口にしてなかった。野菜料理の腕前は引き継いでいないな。

「今日は共有林まで行って、いら草を採ってこようと思いましてね」

「おれ、いら草嫌い。まずいもん」

 ロックくんはオムレットをもぐもぐしながら主張する。おまえは玉ねぎとニンニク以外はすべて嫌いだろ。

 わたしもいら草は美味しいって思わないけど。

「いら草を食べるには、時期が遅いのではないか?」

「ロープ作りですよ。この地方ではいら草を縄に加工しましてね。干して叩いて繊維にして、綯うんです」

「ほへ? いら草ってロープになるんですか?」

 スープにしたりハーブティーにしたり、山羊の餌にしたりする。あれって食べるだけかと思っていた。 

「理論的にはロープになるな。あれは苧麻の仲間だ」

「ええ、カビないロープになるもんで、筏師が愛用しておりましてね。夏に刈って干して、冬に綯っておけば、微々たるものとはいえ現金収入になります。指紋はなくなりますがな」

 縄綯いですっかり指紋がすり減った指を見せてくれた。なめし革みたいだ。

「ガブロ。年金は滞りなく払われているのだろう?」

「ええ、ありがたいことに。でも、なるべくロックには、きちんとした身なりをさせてやりたいものですから。教会に行く靴だって」

「おれ、靴嫌い」

 ロックくんは主張する。

 たしかに男の子って、素足で駆けまわるものだけどね。

「成長期の子供に、きちんとした身なりをさせるのも難儀な話だな」

 オニクス先生は微笑んでいた。

 鉱山奴隷だった先生は、子供時代にまともな身なりなんて一度もしたことないだろう。でも穏やかに受け答えしている。

 先生ってガブロさんの前では、すごくまともな大人だな。

 ガブロさんは壁の地図を指さす。

 ここら一帯の領地の地図なんだろう。

「あの川を越えたところに共有林がありましてな。ちっとばかり遠いですが、日が暮れる前には戻ってこれます」

「川か。この時期なら鱒の密漁もいいな」

「なに恐ろしい冗句をさらっと言ってるんですか」

 やっぱまともじゃねえな。

 川や湖は基本、領主のものだ。

 水道事業は国営じゃないと、水利権で農民が争って死ぬので。

 現代だと【水】の護符が一般化したおかげで、そこまで水不足が過酷じゃなくなっている。でも慢性的な水不足だった時代だと、水利権で村同士が死人がでるまで争っていたのだ。

 だから水源は領主が管理する。ついでに虹鱒から鴨まで私有物である。

 エグマリヌ嬢の実家にも鴨狩りに打ってつけの湖があるらしいけど、水源にいる魚や水鳥はすべて伯爵家のものだ。領民が撃ったり罠を仕掛けたら罰される。ひとむかし前なら縛り首だぞ。

 そもそも密猟者って、転売ヤーと同じ経済的犯罪者。

「先生も一緒に行かれるんですか?」

「いいや。本来ならば、私はこの時空に存在してはならんのだ。おとなしく引きこもって、薪割りと山羊の世話をする予定だ」

「じゃあわたしもお手伝いしたいです!」

「客人にそこまでさせるわけには……」

「いえ、是非お手伝いさせてください。針仕事は苦手ですが、バター搗きと塩砕きと鳥の羽根むしりは出来ます」

 十歳児がやるようなラインナップである。

 ちょっと恥ずかしい。

「あと重曹を使ってお掃除してもいいでしょうか」 

 汚れが気になるほどじゃないけど、本腰入れたらもっときれいになりそうなんだよね、テーブルも食器も。

「ねえねえ、おれ、皿洗いしなくていい?」

「ああ、ロック。今日はいっしょに森へ行くか?」

「え? 留守番は? いいの?」

「このひとたちが代わりにしてくれる。いら草刈りだから、靴をきちんと履くんだぞ」

「うんっ!」

 瞳を輝かせる。

 ほんとにおじいさんが好きなんだな。

 オムレットをほおばるロックくんを、わたしはしばらく眺めていた。



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