第二話 (後編) そのカップリングは地雷です!
潮騒が静けさを作りだしている。
砂浜で波が何度、寄せては返しただろう。
「馬鹿な……」
オニクス先生がやっと言葉を絞り出した。波の音どころか雫にさえ打ち消されそうなほど、か細く、頼りなく、弱弱しい。
「おやおや、心当たりがないとおっしゃる?」
「……オプシディエンヌと子が出来たことはある。だが、もう、胎のなかに、いないと」
先生の言葉はぶつ切りになって、そして潮騒に埋もれた。
否定しようとしているけど、成長したモリオンくんは先生に瓜二つだ。並んでいるから違いが分かる程度で、目鼻立ちから身長や体格まで同じなんだもの。
否定しようが、モリオンくんが今ここに立っているという圧倒的な結果があった。
仮説はいくらでも立てられる。
仮説1 胎児を、別の子宮に移植した。
仮説2 胎児を、錬金フラスコに移植した。
仮説3 早産だったけど、モリオンくんは生存。
「………先祖返りしたところで、両性具有者でも胎生だ」
そういやオプシディエンヌって、両性具有だって言ってたな。
レムリアの時代の人類って、人魚とおんなじで両性具有かつ卵生だったんだよね。
………卵生。
たまごで、こどもをつくる。
「オプシディエンヌは………まさか、あの魔女、いったいいつから生きている?」
その質問した途端、モリオンくんは嗤った。
他人を煽るような笑い方は、先生にも似てるけど、オプシディエンヌにもすげー似てるな。
蛇蝎と魔女の悪いとこハイブリットした笑い方だよ。
それでいてどこか気品がある。逆にたちが悪い。
「未来のことは教えられませんよ、父上。でも過去は伝えられる。その質問は正しい。すなわち答えを内包している。正しい質問は、常に正しい答えを孕んでいる」
じゃあ魔女オプシディエンヌは、レムリアの時代から生きているの?
「彼女は二億五千万年前から生きているのか」
「におくごせんまんねん……」
単位が膨大過ぎて、咀嚼できない。
あの魔女のことだから、千年や二千年くらいは軽く生きてそうだよなって漠然と思ってた。でも二億五千万って、想像を絶するレベルじゃねーか。
カリュブディスをはじめとした恐竜が誕生した頃くらい?
「最低でも二億五千万。最悪でも五億は越えてませんよ。邪竜が地球に降り立った以後に生まれたそうですから」
二億だろうが五億だろうが、感覚的には変わんない。
千エキュと一億エキュだったら一億エキュの方が欲しいけど、二億と五億って言われたらもうどっちも同じだよ。
「レムリア文明を築きあげた創造主にして、己の愛人を王位に就けていた支配者。聖娼ネフィラ・ジュラシカ。それがオプシディエンヌの正体です」
「マジかよ……」
これ、古代史の定説、いくつか覆るんじゃ。
っていうか最低でも二億五千万って、魔術を使った寿命限界も軽く突破してるぞ。
各方面の学会が騒然としちゃう。
「お気をつけて。あなたたちの想定以上に、あの魔女はしぶとく生き延び続けている」
脅しじゃなくて、忠告なのか?
敵対してきたわけじゃない?
ではこの時代のモリオンくんは、オプシディエンヌの配下じゃないってこと?
独り立ちしたんかな?
「何故、それを私に告げる」
「別に父上へ告げたかったわけじゃないんですよ。ただ」
黒水晶の瞳は、わたしへと向けられた。
悲しそうな眼差し。
わたしを見据えている双眸は、この世でいちばん悲しいものを映してしまったみたいに、憂いが溢れている。
だけど憂いは一瞬だけ。すぐ品格ある微笑みを装った。
「ミヌレ嬢。今から口にするのは未来の話でなく、もしもの話です。仮定の話をさせてください」
モリオンくんはわたしの前に膝をついた。
騎士の如く恭しい。
オニクス先生と同じ顔と声でそうされると、ちょっと恋心が跳ねちゃう。別人だって理解してるんだけど、本当にそっくりなんだもの。
「この時代のあなたに、求婚することを許していただけますか?」
モリオンくんからの求婚?
「受けて頂けなくていいんです。求婚を受けて頂けるなどと、そんな思い上がりはありません。ただあなたに想いを語る栄誉を、どうか与えて下さい」
何を言ってるんだって思ったけど、よく考えたら合理的な案かも。
モリオンくんと結婚したら、先生の遺品を合法的かつ自然に渡せるじゃないか。
わたしは正式に婚約しているから、先生の遺品を相続できる。垂涎の博物コレクション、そして蔵書と調度品。
でもモリオンくんは法的に認知されていない。とはいえ実子だから、わたしが遺品を独り占めするのは、法的に問題なくても気が引ける。
「馬鹿な! 貴様がミヌレに求婚だと?」
「いいですよ」
「は?」
わたしが許諾したのに、先生はすっごい不機嫌な声を上げた。
不機嫌な眼差しを、わたしに突き付ける。
「ミヌレ! よりによって、こんな男の求婚の受けるつもりか」
「では父上は、ミヌレ嬢に己の寡婦として死ぬまで墓守をしろとおっしゃるので?」
「そんなこと願うものか! 彼女の傍らに立つなら、誠実で誰にも指さされぬ人間がいい! 貴様は論外だ!」
勝手に決めんな。
口から威嚇音が漏れそうになる。
「ボクも論外ですが、父上も論外ですよ。婚約しただけで悍ましい」
モリオンくんは品位をかなぐり捨てて、罵倒を吐き捨てた。
「ミヌレ嬢。あなたが考える以上に、父上は最低ですよ」
「それはカマユー猊下からも伺いましたよ」
「どうせ人体実験とかでしょう。そこはいいんですよ」
「よくねえよ」
即座に突っ込む。
少なくともザルリンドフトさん素材にしてはしゃいでいる姿は、トラウマだぞ。
わたしはザルリンさんが苦手だったけど、きつかった。あれをエグマリヌ嬢やエランちゃんでやられた日には、もうこころが耐え切れない。
「何故ならば、けして少なくはない魔術師が内心、願うことだからです。倫理と予算の限界など取っ払って、己の研究に打ち込みたい。社会の評価などに左右されず、ひたすら研究に没頭したい。誰しもとは言いませんがね」
モリオンくんの発言に、わたしは納得してしまった。
レトン監督生やエグマリヌ嬢なら、倫理を取り払いたいとは願わないだろう。あのふたりは誰かのために、技術や知識を得ようとしているのだから。
だけど、わたしは違う。
トラウマだ。でも……羨望がなかったわけじゃない。
「父上が追及されるべき問題点は、浮気したという理由で恋人を殺せるところですよ! 束縛系家庭内暴力男ですよ!」
「ほんまや……」
わたしはドン引きして、先生から一歩離れた。
その方向性の説得は、わたしにクリティカルヒットした。カマユー猊下が初対面の時にこう説得してきたら、わたしは一角獣に変身してまで先生を救おうとしただろうか?
「そもそも他の男から寝取っておいて、いざ自分が浮気されたら殺すって、面の皮の千枚張りですかァ?」
「せやな……」
さらにドン引きして、先生からもう一歩離れた。
オプシディエンヌは国王の公妾だったんだぞ。
不貞しないと神に誓い合って婚姻し、浮気されて殺害なら百歩譲る。いや、やっぱ譲らねぇけど、世の中、譲るひともいるかもしれん。
だが、他人の愛人を寝取ったの、オニクス先生じゃねーか。
貞操観念ガッバガバだよ!
オニクス先生は呻くだけだった。反論できんらしい。
「父上の事など忘れた方が幸せですよ」
「モリオンくんの意見も分かりますよ。先生と婚約する前なら、そうしてたかもしれんですね」
「婚約してしまったから、もう離れる気はないと?」
「そこじゃないですよ。過ごしてきた時間の長さです」
そしてこれから過ごしていく時間の長さだ。
夕焼けが沈んでいく。
世界に夜が染み渡っていく。
一番星が煌めいた。
あの星たちでさえ座さない宇宙の果てには、『夢魔の女王』が遥か過去から存在している。
わたしがどうして『夢魔の女王』化するのか分かんないけど、それはもう確定した未来。
その傍らにいてくれるのは、先生だ。一匹の大蛇として、寄り添ってくれる。
「父上はあの魔女との死出の旅を望んでいるのに?」
モリオンくんは父上という単語に、棘を込めて呟く。
「………私は、オプシディエンヌと共に死ぬのか?」
「さぁて? ボクが口に出せるのは過去と仮定までですよ。まさかお忘れではないでしょう? 因果律は守らねばならない、それは父上が最もご存じのはずでは?」
「自分と同じ顔に言われることが、これほど腸が煮えくり返ることとはな」
敵意の籠った声に対して、モリオンくんは口角を上げた。とびっきり満足げな表情してる。
「おやおや、父上。そんな目をしないで下さい。まるで恋敵を睨むような眼じゃありませんか」
モリオンくんは嗤う。
「父上が愛しているのは、オプシディエンヌでしょう」
「ミヌレの幸せも望んでいる」
「欲張りですね、父上は。では不安要素のボクなど、今のうちに殺しておきますか?」
挑発的だった。
物言いから眼差しに至るまで、もう挑発的じゃないところがないくらい挑発的だった。
先生からの空気が、軋む。
「今の先生はご機嫌斜めだから、ほんとに殺されますよ」
「いいんですよ、ミヌレ嬢。今ここでボクが殺されても殺されなくても、畢竟、同じことなんですから」
殺されても殺されなくても同じ?
不吉な言葉だ。
「モリオンくんは……どこか死にに行くの?」
「いえ、いいえ、すみません。喋り過ぎました。幼いあなたに会えて、いささか高ぶっているみたいです。あなたに会えて、望外の喜び」
モリオンくんは優雅に微笑む。
だけどさっきと同じ悲しい瞳をしていた。
「それでは失礼致します」
宮廷仕込みの優雅さで一礼した。
先生と同じ顔で礼儀正しく喋っているもんだから、奇妙な感覚だ。
【飛翔】を唱えて、西の空に去っていく。
「なんだ、あいつは………」
あなたのご子息では?
心の底から突っ込みたかったけど、心の底に沈めておいた。
先生は難しい顔をしている。
オプシディエンヌの正体は、二億五千万年以上も生きている魔女。
思った以上に手強い相手だ。
「大丈夫ですよ、人類だって分かったらもうあとは殺すだけ。人類すべて死亡率100%です!」
ラーヴさまレベルだと絶望のひとつふたつ伸し掛かってくるけど、あのクソ魔女、人類だって確定したぞ。
やったね!
殺せる!
「あ、でも真プラティーヌ殿下をお救いしなくちゃいけないんですよね。ま、なんとかなりますよ。所詮は人類ですし」
「前向きだな………」
呆れた顔をされてしまった。
「やるしかないんだから、諦めていられませんよ。先生がオプシディエンヌと心中できるよう、頑張りますね!」
途端に先生の顔から、すっと感情が消えた。
どういう感情なんだこれ。
「その表情をしている時、なに考えているんですか?」
「きみには言わん」
素っ気なくそっぽ向いてしまった。
そんなにモリオンくん×わたしが地雷カプだったのだろうか……