第二話 (中編) そのカップリングは地雷です!
お昼ごはんは、あさりとハマグリがたっぷりのブイヤベースだった。
念願のブイヤベースなのに、いまひとつ食が進まない。地雷カプのせいでわたしの食欲が爆死したの。ハァ、地雷カプめ。
「妖精さん。体調悪いの?」
「少し。安心したら、どっと疲れが出ちゃったみたい」
エランちゃんは食欲ないわたしを気遣ってくれる。
先生は逆にがつがつ食って、白ワインを呷りまくっていた。今飲んでいるのが五本目。やけ酒だ。
「私は術式算出をしてるから、きみはおとなしくしていなさい」
先生は時魔術【時空跳躍】のデバックで忙しい。
時間の跳躍に加えて、さらにオプシディエンヌから、プラティーヌ殿下を救い出す手段も考えなくちゃいけないのだ。
あんなにワイン瓶を空にして平気なのかと思ったけど、隻眼は冷えている。酔えていないみたいだった。
「わたし【睡眠】の呪符が作りたいです」
途端に先生が顔を顰める。
反対されるより早く、否定の空気が伝わってきた。
「体調不良中に呪符を作るんじゃない」
「妖精さんはバカンス中だから、そんなことしちゃだめ」
エランちゃんまで先生の味方だった。
くっ、エランちゃんが先生の側についていると、魔術インクと媒介が用意してもらえない。
媒介には青毛馬の毛。
魔術インクは青毛の馬の母乳に、阿片を混ぜたもの。
そこらへんにある素材じゃない。
呪符制作は諦めるか。
「じゃあ庭先で遊んでます」
講習へ行くエランちゃんを見送った後、お庭にある立ちこぎ用ブランコで遊ぶ。
ドレスのままでも遊べるし、適度な運動になるので、ブランコは貴族のお嬢さま向けの遊具だった。
しばらくわたしはキィコキィコとこぐ。
静かだ。ドードー鳥たちは遠くにいるのに、鳴き声がよく聞こえてくる。
わたしは手首を見下ろす。
手首に嵌っている銀のバングル。
これこそアトランティス文明の遺産、チートアイテム、ヴリルの銀環。
完全に扱えるようならなくちゃ。
「真の姿を」
わたしの願いに対して、バングルは錫杖になった。
まず一角半獣ユニタウレしてみる。いつもと一緒だな。
才能の底上げ器っていっても、あらゆる能力が強化されるってわけじゃないのかな。
ブッソール戦で回復力が跳ねあがったけど、あれは肉体限定かな。魔力は回復しないのかも。
少しくらい【飛翔】しても大丈夫かな。
「【飛翔】」
わたしはヴリルの銀環を発動させたまま、【飛翔】していく。
急上昇、急回転、限界まで上昇、解除して再び発動。
庭から砂浜へ飛び、海の水を【飛翔】させたり、砂浜の砂を飛ばしたりして、思いつく限り魔術を使う。
うーん。
構成速度も、展開範囲も、発動消費も、どれも別に変わった気がしない。
才能の底上げだけど、爆発的に力が増すとかそういう感じじゃないのか。
いちばんお詳しいであろうブッソール猊下からは、使い方を伺えるわけもなかったしなあ。
攻略本がないなら、トライ&エラーで頑張るしかないな。
わたしはずっと【飛翔】したり、一角半獣ユニタウレ化したりして、錫杖をぶん回した。
「なにをしている、ミヌレ」
「ぴぎゃっ?」
背後に魔王がいた!
オニクス先生だ。
普段の三倍くらい魔王オーラ強くしてるの、なんで!
霊視したら【透聴】が発動してやがった。こっちの様子をこっそり伺ってたな!
「ミヌレ。庭で遊んでいると、言ったな」
「ちょっとした自主練ですよ」
わたしは錫杖を振る。
「使いこなせば、プラティーヌ殿下の分離も可能かもしれませんよ」
「そうかもしれん。だが難易度の高い実技の自主練は、好ましくないどころか害悪だ。妙な癖がついたり、不意の事故が起きる。自習なら兎も角、自主練など本人の自己満足に過ぎん。愚物の行為だな」
鼻で嗤う。
やる気を削ぐどころか、殺していく勢いである。
「そもそも病み上がりのきみが、高度な制御を要する魔術を使うのは好ましくない」
「貝類を食べたので、血の成分は補充完了です。平気ですよ」
「患者の発言を鵜呑みにしろと?」
「でも使いこなせた方がいいじゃないですか」
「事故の可能性を考えると、ひとりでの訓練など許可できない。才能があるからといって、【浮遊】を使用して下がれなくなった一年生を知ってる」
「奇遇ですね、わたしも知ってます」
「では同じ轍は踏むまい?」
うぐぅ。
これはもう「はい」って言うしかない。
なかなか素直に頷けないでいると、先生がわたしの前に膝をついた。
「【時空跳躍】した後、きみが血を流して動かなくなった。一瞬だけだが、心臓が鼓動を失ったよ」
先生の手のひらが、わたしの頬に触れた。
「思い出すだけで、鼓動が止まりそうになる。これは先任の魔術師としてではなく、私個人の願いだ。どうかおとなしく養生してくれ。あとで私の指導の元で鍛錬するように」
「はい……」
つまんない、つまんない、つまんない!
ヴリルの銀環を使いたいのに、つまんない。チートアイテムなんだぞ。
でも、先生の気持ちも分かる。
わたしだって先生が血を吐き出しまくった後、高度な魔術を使うとか言い出したら、全力で阻止する。
せめてきちんと回復してからって、願う。
「分かりました」
居間で読書タイムするか。
書棚には、数日では読み切れないほどの書籍が詰め込まれている。
エランちゃんはしっかりと、13年前より以前に発行された魔術書や図鑑を集めてくれた。
教本もある。
でもこれ学院の教本じゃない。
「へえ、リトテラピー女学園のか」
お嬢さま御用達のリトテラピー女学園の教本だ。
薬草学とか魔術史とか護符造りとかやるけど、あそこは呪符の授業はないんだよな。
魔術学院スフェールの淑女寮と合同で、教会バザーに参加するイベントがある。そのイベントもリアルでやりたかったな~
「あ!」
『痴愚なる女神への賛歌』
『埋葬された道化師はかく語りけり』
『幻視譚、あるいは獅子の白昼夢』
オニクス先生の著書じゃん!
そりゃそうか、レトン監督生は治癒魔術師を目指している。闇魔術の【睡眠】を取得する必要があるんだ。先生の著書だって、所持しているはずだよね。
ぐへへ、これ、上級生にならないと閲覧できない魔術書なのだぞ。
こりゃおとなしく読書タイムするしかない。
わたしは先生の著書を開く。
文字を追っていると、ちょっと眼がしばしばしてきた。文章が難解なせいかと思ったけど、もしかして霊視が切れかけてる?
思った以上に負担がかかっているのかな。
先生の心配は当たってたみたい。
眠らなくちゃ魔力は回復しない。
読書タイム中断して、お昼寝タイムにしよ。
わたしはミュールを脱いで、寝椅子に寝転がった。
柔らかに差し込む午後の太陽、ドードー鳥の鳴き声、さらに遠くから微かに届くのは潮騒。
「ミヌレ」
わたしのいちばん好きなひとの声。
身体が重くて動かない。瞼も開けない。
ワインと月下香の混ざった香りが、額にそっと触れた。
おやすみのキスをしてもらった感覚だ。
きっと夢だ。
これは優しい夢。
わたしは眠りを逃がさないように、深く深く意識を沈めた。
ジリリリリリリリリ……
なんの音だ?
ジリリリリリリリリ……
あっ! これ、わたしの魔法空間の訪問チャイムだ。
誰か、訪ねてきたのかな?
わたしが目を覚ませば、そこは魔法空間オタクの小部屋。わたしはパジャマで布団に寝てた。
カーディガンに袖通しながら階段を駆け下りて、玄関へと急ぐ。
ひょっとしてクワルツさん?
13年後のクワルツさんが、無事を知らせるために訪問してくれたとか?
あるいはディアモンさんとか、カマユー猊下あたりの賢者連盟に属する高位魔術師かもしれんな。
「ミヌレ」
優しい声が、玄関の向こうから響く。
「オニクス先生っ!」
なんだ、先生か。
何故すぐ傍にいるのに、魔法空間を介して来たんだ? 起こせばいいのに。
ひょっとして魔術のデバック作業に、魔法空間の資料が必要になったのかも。ムービーギャラリーが見たいとか?
わたしは急いでドアノブに手をかける。
開けようとした瞬間、違和感が指を震わせた。
………そもそも、先生はどうして訪問チャイムを鳴らしている?
だって先生は、わたしの魔法空間の中心部まで、自力で入り込めるひとなのに。
扉一枚隔てた向こう側。
そこにいるのは、ほんとうに先生なの?
疑惑が手の内側を汗ばませる。喉が干乾びていく。肉体のない魔法空間だからこそ、微かな不安と疑念が自分の輪郭を支配する。
ドアノブから指を離し、扉に触れる。
「ミヌレ、ミヌレ、ミヌレ」
オニクス先生の声で繰り返される、わたしの名前。
「ミヌレ、ミヌレ、ミヌレ、どこだ?」
「………あなた、誰ですか?」
問いの後、一瞬の沈黙が横たわった。
「ミヌレ、ミヌレ、ミヌレ、ミヌレ、やっと、見つけた」
誰だ?
この扉の向こう側にいるのは、誰なんだ。
「ミヌレ、ミヌレ、ミヌレ、ミヌレ、ミヌレ!」
先生と同じ声でわたしを騙そうなんて、万死に値する!
殺す。
「我は汝を忌むがゆえに、呪を紡ぐ。福音であり、呪詛たるもの。人や獣は汝に苦しみ、花や水は汝を知らぬ」
魔法空間に呪符は不要だ。
わたしの魔術が構築されていく。
「さあ、死肉啄む姿を借りて、いざうつつに炳焉と舞え! 【乱鴉】ッ!」
玄関を開けると同時に、【乱鴉】を放つ。
だけど外には、誰もいなかった。
ワタリガラスの影と鳴き声だけが、滲んだ風景に響く。
わたしは玄関から飛び出して……
意識が上昇する。
クソ、魔法空間を飛び出した勢いで、現実空間に戻ってきてしまった。
さっきの訪問はなんだったんだ……?
魔法空間へ干渉された?
窓へと視線を向ければ、夕焼けが空を焦がしていた。
庭先に長身の影がひとつ。
あの飛びぬけた長身は先生だ。
でもフード付きケープを身に着けているぞ。
もしかして未来の知り合いに目撃されないように、用心しているのかな?
先生は『学院教師』だっただけじゃない。『戦場の梟雄』だったり『宮中の蛇蝎』だったり『闇の教団副総帥』だったり、いろんな生き方をしていた。どこで誰が見知っていても、おかしくないもんなあ。
わたしも髪の鉱石色は目立つし、スカーフくらい巻いた方がいいかも。
でも今はそれどころじゃない。わたしが誰かに魔術的な干渉を喰らったんだ。
ミュールをつっかけ、硝子戸から中庭へと降りる。
「先生! さっき妙な干渉が……」
「ミヌレ」
その声は優しい。
優しいだけの抑揚は、さっきの魔法空間で聞いた呼びかけにそっくりだった。
ゆっくり近づく。
お酒の匂いがしない。
あれだけ昼ごはんにワインを飲み干していたのに、一滴の酒の匂いもしない。
目の前のひとに視線を合わせたまま、スカートの下へ指を伸ばした。
ナイフを抜く。
刃を突き立てようとしたけど、躱された。
躱されると同時に、わたしは【飛翔】して、間合いを取る。
「ところでどちら様です?」
わたしはオニクス先生と同じ声をしている他人に対して、殺意を向けた。
よりによって先生の声を騙るなんて、生かしておけるわけがない。喉笛掻っ切って、首から横隔膜を引きずり出してやる。
「どうしてボクがオニクスじゃないと気づかれたんですか?」
フードの下から漏れてきた笑い声ときたら、先生に似せたままだった。
「魔法空間にやってきた不審者の呼びかけと、抑揚がそっくりだったからですよ。警戒するのは当然でしょう」
「……しまったな。ボクの【探知】が逆に読み取られていたのか」
わたしを【探知】した?
こいつ、相当、高レベルの闇魔術の使い手だ。
「先生の声をやめて下さい」
フード被っている男を睨み上げる。
オニクス先生は魔王で、このひとの声は王子って雰囲気だけどね。声帯の幅はないけど、演技力には幅がある声優さんが、魔王と王子を演じ分けているみたいだな。
「これは地声ですよ、ミヌレ嬢」
彼はフードを取った。
西日に照らされていたのは、オニクス先生の貌。だけど仮面をつけてなくて、両目が揃っている。
外見まで似せているのか?
わたしは一瞬だけ、霊視に切り替えた。
彼は魔術を使っていない。
所持している呪符は【飛翔】と【防壁】と【透聴】と【探知】、攻撃系は全体攻撃【霧氷】と単体用の【雷撃】か。
【幻影】は持っていない。
ライカンスロープ術の応用でもない。
だいたい化けるんだったら、あの特徴的な仮面を模すはずだ。隻眼のオニクスに化けるのに、両目を揃えていてどうする。
目の前にいる先生にそっくりの不審者は、声も姿も魔術で化けていないのだ。
つまり声も顔も自前?
この男のひとは、先生より若い。学生より年上で教師より年下くらい。二十代の最初くらいかな?
西日に照らされているんで気づかなかったけど、このひと、蜂蜜色の膚をしている。林檎の花から採ったような蜜の色合い。
ここはわたしたちの時代より、13年後。
「……まさか……あなたは」
「我は汝を忌むがゆえに、呪を紡ぐ。福音であり、呪詛たるもの。人や獣は汝に苦しみ、花や水は汝を知らぬ」
遠くから響く【乱鴉】の詠唱。
オニクス先生が夕映えに【飛翔】している。その漆黒の姿は、一足早い夜のよう。
わたしごと【乱鴉】をぶち当てるつもりか。
いいけどさ。わたしは闇耐性が高いから効果薄いし、獣属性も高いから痛覚遮断できるし。
「大丈夫ですよ、あのひとはあなたを傷つけない」
気品ある囁きだった。
「あれは【幻影】と【擬音】で作った脅しですよ」
「さあ、死肉啄む姿を借りて、いざうつつに炳焉と舞え! 【乱鴉】」
夕焼けを引き裂いて、金属質の鳴き声が溢れかえった。
漆黒のワタリガラスたちが産まれ、狂ったように乱れて飛び交う。黒い羽根を散らして、嘴と爪を繰り出してきた。
だけどこれは確かにただのまぼろし。
【幻影】で【乱鴉】を模しているだけだ。
「我は水の恩恵に感謝するがゆえに、その清き恐ろしさを賜れ」
鴉の狂った鳴き声の底で、彼は静かに詠唱する。
「冷たきを、鋭きを、いまここに希う 【霧氷】」
広範囲系攻撃魔術【霧氷】が発動した。
空間が霧によって萎れさせる。
霧の一部が不自然に淀んでいた。
あそこに姿を消している先生がいる。
攻撃呪文を探査として使ったのか。しかし慣れないと見逃す僅かなよどみだ。
「我は光に祈るがゆえに! その猛き恐ろしさを賜れ」
彼はさらなる攻撃呪文を唱える。
先生も詠唱した。
「我は汝に膝折るゆえに、呪を紡ぐ。汝こそ飢えたる星、螺旋の底に沈む屍」
ん?
この呪文、ひょっとかして……
「轟きを、閃きを、いまここに希う 【雷撃】!」
「今こそ渇きを癒せ。魔を喰らい啜りて蝕め 【蝕魔】!」
【雷撃】の発動が打ち消された。
これ、オニクス先生が開発してた闇魔術だ!
砂漠の『星蜃気楼』で出会ったぶよぶよジュレをもとにして、先生が手すさびに練っていた。
魔力の空白地に、姿を現した先生が飛び込んでくる。
わたしを抱きかかえて、高く【飛翔】した。
「完成させたんですか、新呪文」
「ついさっきな」
やたら自慢げに口角を上げた。
「発動名称を【破魔】にしようと思っていたが、発動作用が腐食に似ている。術式を組み立てなおして、【蝕魔】と名付けた」
「【時間跳躍】のエラー算出してたんじゃねぇのかよ」
「それよりこの男は誰だ?」
エストックの先端と隻眼、ふたつの鋭さを彼に向ける。
「不届き者が。私の姿に化けるとは、殺してほしいという意味か?」
「残念ながら素顔ですよ、父上」
モリオンくんは品よく微笑む。
彼はオプシディエンヌと、オニクス先生の息子。
日が沈みゆく庭で、まぼろしの鴉たちは耳障りな鳴き声を響かせ、羽根をまき散らして消えていった。




