第一話 絶対必須のデバック作業
わたしは一角半獣ユニタウレから、人間の姿に戻った。
途端、視界の周りが黒く滲む。
眩暈と頭痛だ。人間のかたちに化けるのも、思った以上に負担だな。
この肉体はバグったせいで、一角半獣ユニタウレが真の姿になってしまっている。普通の女の子の容姿になると、魔力を消耗しちゃう。
「妖精さん、大丈夫?」
心配そうなエランちゃん。
「久しぶりに人間の姿になったから、バランスが難しくて」
「具合悪かったら正直に言ってね」
「お気遣いありがとうございます。エランちゃん、素敵な女の子になりましたね」
「えへ、そうかな?」
エランちゃんに手伝ってもらって、ティーガウンに着替える。
これはお客様の前に出られる部屋着ってやつで、ゆったり系のワンピース。
初夏用だからなのかコットン製で、胸元が極薄の綿ローンで透けた素材だった。
あと袖は七分袖でスカート丈も短い。足首が覗くくらい短くて、軽やかに動ける。以前、エグマリヌ嬢に借りたのは極上のシルクで、引き裾だった。
季節の違いなのか、身分的な差なのか、流行が変わったのか、それともエランちゃんの趣味なのか、そこは分からんな。
「エランとお揃いだよ、姉妹みたいでしょ」
似てないけどね。
って言いかけたけど、エランちゃんは異父兄と異母兄がいるんだった。兄弟姉妹がらみで似てる似てない言うのは、失礼かな。
「………ぅ」
軽い眩暈がふたたび。
わたしはぎゅっと目を瞑って、霊視を完全オフにした。盲目になるけど魔力を消費しない。しばらくこれで賄おう。
先生がやってくる足音が、鼓膜に届く。
「ここか、ミヌレ」
「あー、悪の魔法……先生はお髭剃っちゃったんだ。おじさんじゃないね」
霊視オン!
オニクス先生は髭を丁寧に剃って、久しぶりにシャープな顎のラインがくっきりしている。キスしたいな。
寝巻の上には、化粧着を羽織っていた。
ゆったりした寝巻だけど、足首に余裕はない。
先生は長身で手足も長い。フルオーダーじゃないと、ぴったりした服にならないからな。
銅鑼の音がした。
「あ、食堂でご飯の支度できたみたいだよ。食べよ」
「いつの間に………」
「管理人さんは人見知りだから、よそのひとの前には何が何でも姿を見せないの」
「そのようだな。使用人の気配があるのに、姿が掴めんというのは不可思議なものだな」
武芸カンストさせた先生でさえ、管理人さんの姿が目撃できないのかよ。
それはもはや人見知りというレベルじゃねぇよ、隠密部隊だよ。
「ご飯の腕前は最高だよ」
エランちゃんに引っ張られる。
ちょっとふらついたけど、具合の悪いところなんて見せられない。過保護されたくないもの。
別荘の管理人さんが気が利くというのは本当らしく、わたしの席には、足椅子が置かれていた。ビロード張りの足椅子で、踏み台や足置きにできる。ありがたい。
季節の野菜のテリーヌが、ジュレで輝いていた。
中央の鍋に入っているのは、なんだろ。これメイン料理かな。
「レンズ豆のベシャメルソース和えだよ」
お豆がメインか。
確かに! 肉と魚を抜いて! メインを作ると! 豆になるよな! わりと定番のお惣菜だし!
お豆食べ過ぎると、わたしおならぷぅしちゃう体質なんだよな……
先生をちらっと見ると、笑いを堪えるような顔になっていた。
さりげなく太ももにパンチを食らわす。
エランちゃんに悪いので文句は口に出来ない。わたしはテリーヌの添えとして、レンズ豆をちょぽちょぽ口に運んだ。
「食後の珈琲はあるか?」
「珈琲? 無いよ。食後はショコラかハーブティーになるけど、先生はどっち?」
先生は一瞬だけ険しい顔になった。
なんでや?
珈琲がないだけにしては、妙に眉間に皺を寄せたな。別に珈琲が好きなわけじゃないよな。
「いや、無ければいい。私は魔術結果の検証作業に入る」
「成功したんでしょ?」
エランちゃんからの質問が飛ぶ。
確かに千年前から、現代と呼べる時間まで跳べたのは成功の範囲内。
時間流に流されなかったし、肉体も精神も揃っている。成功だよ。
「新たに開発した魔術が発動したからといって、それを成功と呼ぶのは早計だ。真に成功と呼べるのは、術者の想定通りに効果が発揮された場合に限る。私たちは13年の誤差があった。誤差を修正する方法がないか模索する」
「そんな面倒なことしてるんだ」
面倒だけど、デバックは基本やで。
「向き不向きも好き嫌いもある作業だが、魔術にとって不可欠だ」
「先生。時魔術って、どこから検証するんですか?」
「星智学観点からアプローチする。時間の分野は星智学だ。面倒な計算が続くから、しばらく独りで籠っている」
先生は食事を終えて、さっさと行ってしまった。
星智学方面からのエラー検出か。
星辰配置から計算して、エラー発見して、取り除いで、さらに修正をかける。
これはもうわたしが手伝えるレベルじゃないな。
「じゃ妖精さんはエランのお部屋で遊ぼ! ふたりならピケしよ、ピケ!」
返事をする前に、お部屋へと連行された。
ハーブティーを飲みながら、カードゲーム。
「学院でエグマリヌ嬢以外の友達ができたみたい」
「妖精さんとエグマリヌ…のおねーちゃんってお友達でしょ。何して遊んでたの?」
「授業内容をお喋りしたり、文具屋さんに行ったり、それから冒険ですね。わたし、エグマリヌ嬢と冒険して、呪符や護符の素材を取ってたんですよ」
「えっ、買えばいいのに……?」
「自分で採取すると面白いじゃないですか。素材がどこで採石できるか、媒介がどんな生き物から得られるかって、呪符や護符になるまでの流れが分かって。それに虹の滝は綺麗ですよ。滝も絶景ですけど、洞窟のなかも神秘的で、水滴が音楽のように奏でられているんです」
「ピクニックに行ける?」
「【飛翔】が使えるなら簡単ですよ。でも人里離れているから、護衛に誰か雇うといいですね」
わたしは王都に近い採取場所のことを話す。
エランちゃんはお出かけするのは好きみたいだ。
ピクニックがてらでも、採石とか採取をやってみてほしいな。まあ、エランちゃんのご家庭だと、誘拐の危険性が高いから行かせたくないかもしれない。
「わたしばっかりお喋りしてて、エランちゃん退屈しませんか?」
「ううん。妖精さんのおはなしはいつも好き。夢の世界みたい。それに妖精さんは目標なの。助けてくれたでしょう。かっこよかった。エランが怠けず勉強できたの、妖精さんのお陰だよ」
「………そう」
それに関しては罪悪感が擡げる。
予知発狂していたせいで、エランちゃんの誘拐を、イベントだと思っていたこと。
身体に怪我はなかったけど、トラウマが残っていないだろうか。嫌な夢に魘されたりしないだろうか。
「もっと早く助ければよかったって、後悔してるんです。怖かったでしょう」
「別に?」
平然とした返事だった。
「誘拐されたことより、お人形さん落としたショックの方が大きかったもん。お人形さんと二度と会えないと思ったら、泣けてきちゃった。でも妖精さんが助けてくれた。ありがとう」
こころには罪悪感が根付いている。
でもエランちゃんが辛いって言ってないのに、後悔ばかり続けるのは独りよがりだ。
わたしがすべきは後悔じゃなくて、これからどうしていくかってこと。それだけ。
「お人形さんたちも感謝してるよ」
エランちゃんは両開きの箪笥を開く。
そこにはエランちゃんのためだけの世界があった。
13年前と変わらない人形たちのおうち。
「そーだ、妖精さん。エランはね、明日っから、ホテルで夏期講習を受けなきゃいけないの。でもごはんはいっしょに取れるから」
「何か特別な科目を習うんですか?」
「ううん、一般科目だよ。魔術史と星智学の追試受けたから、個人教師を用意されちゃって。エランはやりたくないな~、妖精さんとテニスとかピケとかして遊びたい」
魔術史か。
この人形たちで人形劇して、歴史や天体を解説できる。
綴りの正確さを求められないから、口頭の方が簡単だ。
でも人形劇なんてしていいのか?
それって知識語りしたいがための害悪オタ的な振る舞いじゃないだろうか。
このお人形のおうちは、完全にエランちゃんの世界であり、精神であり、宇宙だ。そこに介入するのは乱暴だ。このお人形たちのおうちは、他人が勝手に触っていいものじゃない。
そもそも勉強熱心じゃないっぽいし、根本的にやる気を出す方法があればいいんだけど。
「……このご家庭に、家庭教師を出迎えるってのはどうでしょう?」
「え? お人形、増やしていいの?」
ぱっと満面の笑顔になる。
「だってエランちゃんが授業を受けているのに、このおうちの一人娘さんに家庭教師がないっておかしいでしょう」
「そうだね!」
お人形たちはエランちゃんとイコールじゃない。
だけど、たましいの延長線にある。
住み込み家庭教師の人形を増やすことで、精神的に変化があるかもしれないし。
「家庭教師のおねえさんか、それともお年寄りがいいな? 勉強部屋を作ってもらわないと! あと住み込み家庭教師のお部屋」
エランちゃんはうきうきと考える。
人形たちを動かしていたけど、突然、エランちゃんがぱたんと倒れた。
「ふへっ? どうしたの?」
エランちゃんに駆け寄る。
………ね、寝てる。
いままで喋ってたのに、次の瞬間、熟睡してるってどういうこと?
相変わらずめちゃくちゃ寝つきがいいな、この子は。
ベッドに運ばなくちゃ。
【飛翔】を唱えて……発動しない。
え……あ、まだ【飛翔】できるほどの魔力が回復してない?
うそだろ、【飛翔】なんて消費MP30なのに。
………わたし、ほんとうに無力なんだ。
ま、一角半獣ユニタウレが真の姿だ。ユニタウレ状態なら、腕力があるから運べる。
エランちゃんを寝かせる。
ベッドに腰かけると、置時計が目に入った。
真夜中をずいぶん過ぎている。
窓から身を乗り出し、一階を覗いてみた。エランちゃんの部屋の斜め下は、客室になっている。
まだ灯りが揺れていた。宵っ張りなひとだけど、まだ休んでいないんだ。
覗きに行くのはお邪魔かな?
飲み物、差し入れるならいいかな?
夕餉のときにお酒はたくさん飲んだから、お水か何かの方がいいかな?
ホームバーにはガゾジーンが備え付けられていた。重曹と酒石英で炭酸水を作る機械である。
わたしは炭酸水を作って、銀のお盆に乗せて運んだ。
先生は居間にある書き物机で、書き物をしていた。地球儀を回しながら、フルスキャッブ紙の上で鵞ペンを踊らせている。
「跳躍前後の星辰配置を計算している」
わたしが何か問う前に、答えてくれた。
喋りながらも、鵞ペンは動き続けている。
「跳躍地点もかなり流されている。これは私が展開指定の組み方が甘かったせいなのか、それとも自転と公転によって左右されるのか。そこもまだ判明していない」
内容が難しすぎて相槌しか打てない。
沈黙の中、わたしは硝子の小瓶を見る。
中には漆黒の粉。
跳躍するための媒介は、マアディン・タミーンさんの焼けた心臓だ。
砂漠での暮らしは夢みたいだったけど、現実だ。
わたしは数えきれないほどのひとたちを犠牲にして、この時代に辿り着いた。
「次こそ成功させます」
「気負うな。最初からうまくいくと思っていない。一度目の発動実験で成功するわけがないのだからな。魔術は試行錯誤を無限に繰り返した果てに成り立つ。子供に発動実験をさせているのは、恥ずべきことだが……」
「わたしに許される回数は、あと何度でしょうか?」
「許されないことなどない。きみが何度失敗しようが、私がなんとかする」
そう言って、先生は炭酸水を飲んだ。
柔らかな空気と、優しい口調。
甘えたくなる。
でも絶対に甘えちゃいけない。
「もし失敗したら、先生はどこからか無性別体か、あるいは両性具有の人間を連れてきて、精霊によって燃やすんですか?」
先生は答えてくれなかった。
でもきっと必要なら、先生はやり遂げるだろう。
もしこのマアディン・タミーンさんの心臓が尽きても成功しなければ、先祖返りしている誰かを捕獲して、炎を使えるサイコハラジック特異体質者を拉致し、媒介を作り上げるだろう。絶対に。
「わたしは二度と失敗しません」
次こそ正しく時空を跳躍する。
そして二度とラーヴさまの名を呼ぶまい。
「先生」
「……あと二度。正直に包み隠さず言うなら、跳躍できるのはあと二度だ」
「分かりました」
「……ミヌレ」
先生は腕を広げ、抱き締めてくれた。
唇を開き、呼吸し、微かに息を奮わせている。もしかして掛ける言葉を探しているんだろうか。わたしを慰めるための言葉を。
「今日はもう眠ろう。魔力を回復させねばな」
だけど先生が告げたのは、素っ気ない言葉。
結局、わたしを慰める言葉は見つけられなかったらしい。
でも探してくれたなら、嬉しい。
「はい」
わたしは赤ん坊のように寝かしつけられた。
セントラルヒーティングなんてものがあって、鉱石ラジヲからコマーシャルが流れる未来。
もしかしたら危険を冒して【時空跳躍】するより、未来に留まった方が確実なんじゃないか。
この時代のオプシディエンヌを殺せばいい。
そしてわたしは賢者連盟の元で学んで、鎮護の魔術師として生きる。
エグマリヌ嬢と年齢が離れちゃうけど、年の差ができても友人でいてくれると信じる。
……いや、でも、そしたらエランちゃんに、誰が、わたしたちのことを伝えたんだ? この時代から過去へ行かないと、エランちゃんに伝わらない。
時空を超えて通信できる魔術を開発すればいいのか。
でも、クワルツさんが心配だ。
先生はもう寝ちゃってる。
朝、起きたら相談してみよう。
わたしはそっと目を閉じた。