怪盗の序 かくて怪盗は舞台に上がり
カマユーは星幽体であるが、大会議室の椅子に腰を下ろしていた。
「『夢魔の女王』と『蛇蝎』は、ディアモン魔術師に接触してくるだろう。疑似転移術で、宇宙に放逐してしまえば無限の回復も意味を成さん」
エーテルが飽和した宇宙空間で、人間は生きられない。
「そ、それは反対致します。回復し続ける獣属性の魔術師を、宇宙に放逐するのは、あ、あまりにも残酷な……!」
テュルクワーズは言葉を喉につっかえさせながらも吐き出す。
もともとミヌレの処刑には反対だ。
過酷ともいえる処刑に、声を引き攣らせていた。
「連盟の魔術師を消耗させず、『夢魔の女王』を処刑するにはこのくらい思い切らないと無理だ。十年前の討伐で、どれほど魔術師が死んだと思っている?」
カマユーの問いは鞭めいて鋭く、テュルクワーズは喉から声がもう出なくなった。
数を知らないわけではない。むしろ治癒魔術師として、膨大な犠牲者の名前さえ憶えている。犠牲になった人間たちの記憶が、テュルクワーズの喉に爪を立てる。言葉どころか呼吸さえ困難になるほどに。
「アエロリットの【無限鏡影】でさえ『夢魔の女王』を封印し続けられるか疑問だ。連盟の理念は世界の存続。それが連盟が連盟足りうる本質だ。禍根は完全に断つよ」
「しかし……ッ」
「ディアモン魔術師を呼べ」
すでにカマユーはテュルクワーズの説得を聞く気はなかった。濃淡の眼差しは、傍らにいる騎士団長キュイヴルへと移ってる。
「カマユー猊下。パリエト猊下の許しなく、ディアモン魔術師を動かすのですか」
キュイヴルが問題にしたのは、権限を越えることであった。
魔術師は己の師匠に属する。
師に服従する代わりに、師からあらゆる技術と権利を譲られる。他者の弟子を勝手に動かすのは、不文律に反している。
「パリエトは【胡蝶】に籠ったままだ。会議にも出席しないんだぞ。義務を果たさないなら、ぼくが計画を進める」
騎士団長キュイヴル以下、口の堅い魔術師たちで処刑作戦を詰めていく。
緘口令が敷かれたが、不意な事で漏れてしまう。
ここは賢者連盟。コントロールできない予知夢や霊視を持つ魔術師など、いくらでもいるのだから。
潮騒の絶えない岬。
この岬に立つ施療院は、賢者連盟バギエ公国支部だ。連盟の支部にして、治癒魔術師たちが医療研究をする施設でもあった。
廊下の暗がりには、二匹の獣が寄り添っていた。
一匹は毛深い巨体、もう一匹はしなやかで牙を持つ。姿かたちは猛獣だが、宿っている魂は人間である。
この二匹はライカンスロープ術者であった。
「イヴォワール。よく分かんないけどお偉い魔術師たちは『夢魔の女王』を処刑するって。『蛇蝎』をまた世界鎮護にするんだって。どうしてだろ。『夢魔の女王』ってちっちゃい女の子だよね。おいら、女の子が死ぬのいやだよ」
「ウイユ・ド・シャ。それは我らが考えることじゃない」
「でも処刑しなきゃいけないのって蛇蝎の方だよ。お師匠さんだって、蛇蝎のせいであんな風になっちゃったし。おいらたちで先に蛇蝎を殺しちゃうのはどうかなァ?」
「駄目だ。お師匠さまの意に反する」
「お師匠さんはお人よし過ぎるよ。おいらたちで殺しちゃおうよ、蛇蝎を。そしたらあの女の子も死なずに済むよ」
物騒な会話が、潮騒でも掻き消えないほど大きくなっていった。
「だいたいカマユー猊下って何考えてるんだろうね。あのひとだって蛇蝎を殺したがってたのに」
「賢者のお考えに異議を挟むな」
「だっておかしいよ! カマユー猊下、もう狂ってんじゃないの」
「無礼だぞ! カマユー猊下は、我らの師の恩人にして賢者連盟を創立した……」
「でもお師匠さんの仇を、また世界鎮護にしようとしてるよ。おいら、罰されてもいいから『蛇蝎』殺しに行くからね」
「待て、ウイユ・ド・シャ!」
二匹の獣は言い争う。
ふたりともライカンスロープ術化していたため、この会話を聞けるものは他にいない。
内緒話をするときはいつも、ライカンスロープ化して喋ってるのだ。
だが、建物の中にもうひとりだけライカンスロープ術者がいる。
その彼は、重症だった。
危篤から脱してはいるが、絶対安静を余儀なくされていた。だからふたりの魔術師の意識に、もうひとりのライカンスロープ術者の存在が登らなかった。
「迂闊だな」
彼は寝床から起き上がった。
今まで枕から頭を上げることもできなかった。水が欲しいと口を開くことはおろか、呼吸さえも困難だった。身体が半分ほど目減りしていたのだから、それも当然だろう。
だが彼は回復した。
再生して間もない皮膚は突っ張り、繋がったばかりの神経と経絡はぎこちないが、動けないほどではない。
「ハッハッハッ! この吾輩の存在を忘れるとは、まったく迂闊な魔術師たちだ」
彼は身を癒す包帯を、まるで己を戒めの鎖の如く邪険に解いていく。塞がったばかりの傷がいくつもあったが、億すことなく夜に晒した。
窓を開ける。
暗闇に月明りが入り込み、彼の素顔を照らし、水晶色の髪と瞳を煌めかせた。生命が蘇っていくような輝き方だ。
「忘れ得ぬ黒き旋風とは吾輩のこと! この怪盗クワルツ・ド・ロッシュを忘れたことを悔むがいい!」
彼は素顔のまま、真夜中へと飛び出す。
舞台へと上がるように。