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魔女の序 ゆえに魔女は女神を演じる



 サロン。

 エクラン王国の貴族文化のひとつ。

 女主人の私的な集まりである。女性主催のお茶会や昼食会であり、朗読会であったりする。

 ただその女主人が国家権力の中枢に近く、また招かれる客が宮廷貴族や、各分野の権威であれば、社会への影響力は凄まじい。 



 今日、宮中でサロンが開かれる広間は、砂糖菓子色の大広間だった。薔薇色とすみれ色とクリーム色の甘い色調に満ち、レースのカーテンや銀のシャンデリアはまるで砂糖細工だった。

 この空間の中で、最も砂糖細工めいていたのは王姫プラティーヌだった。

 結わない白銀の髪も、微かに薔薇色を秘めた指先も、纏うレースのドレスもすべて砂糖めいて輝いている。

 瞳だけが、ただ闇の如き漆黒だった。

 宮廷サロンの女主人として上座でくつろぎ、ショコラを飲んでいる。 

 もちろん王妃を招いていた。

 王妃エメロットは、相変わらず飾り気のないワンピースだった。木綿のワンピースは、日曜の晴れ着として庶民が袖を通す程度のものである。

 王妃が着る以上は、バイアスに裁断され、仮縫いを二度されて、最低限の優雅さを保っている。

 それでも絹や宝石で着飾った宮廷夫人たちの中では、ひどく見劣りする衣装だった。

「王妃さまのご高説、どうか姫にお聞かせ願いたいわ」

 プラティーヌは無邪気な笑顔を装って、ショコラを飲む。

 王妃は眦を裂いて、貴婦人たちを見回した。

「エクラン王国は意味のないパーティーが多すぎます。帝国では考えられません。贅沢を削って、国民の福祉に回せるようにしましょう。税金は、国民のために使うものです。貴族の奢侈のためではないわ」

 意味のないパーティー。

 だが意味がなく価値がないからこそ、エクラン王国では意味があり価値があるのだ。

 豪奢極まる晩餐会や舞踏会を行う理由。

 ひとつは国内産業の向上。 

 晩餐会や舞踏会、実質的にはレースや葡萄酒などの産業内覧会であった。

 そしてもうひとつ。

 貴族に謀反をさせないためでもあった。

 花の都に社交界を作り上げ、貴族を領地から引っ張り出し密談を防ぎ、ドレスや宝石に金を費やさせ兵站の増強を防ぐ。

 貴族たちに、王都への出向を命じるのではない。頭ごなしの勅命は反発を生むからだ。

 素晴らしい選択を用意し、貴族たちが自主的に王都に来るように促す。

 そうすれば領地から王都への道の整備は、貴族の私財で賄える。

 軍事的監視と国内流通整備の予算と、パーティーの予算。どちらが安いか一概には言えないとはいえ、エクラン王国では優雅さを尊ぶ。

 より平和的な政策を選択した結果が、奢侈なのだ。

 その結果、騎士は形骸化し、軍備が脆弱で、飛地戦争が長引いた。あまつさえオニクスという蛇蝎を増長させてしまったが。


 王妃は、すべて無駄だと切り捨てた。

 時代の流れによって無駄になってしまった行事や規律もあるが、それを見分ける教養と知性も、根回しする人脈も手管も無い16歳の少女が手を出したら、暗澹たる結果にしかならない。

 

 正直なところ、貴族たちは王妃の意見や主張など気に留めていない。

 贅沢三昧しようが、慈善に励もうが、引きこもろうが、規律を無視しようが、あるいは邪教の礼拝を執り行おうが構わない。

 何故ならば王妃だからだ。

 王妃によって宮中の規律や雰囲気が変わるのは、世の習い。

 慈善を好み、貴族を悪しざまに言おうが自由だ。


「あたしは孤児院をまた視察します。栄養のあるものを食しているか、医療が足りているか誰かが見てあげなくちゃ」

 

 王妃はサロンを後にする。

 追従するものは誰もいない。

 

 宮中で王妃が孤立しかかっている原因は、たったひとつ。

 

 世継ぎを作る様子がないということだけだ。

 それだけは、あまりにも致命的だった。



「張り合いがない………」

 プラティーヌは小さく呟き、ショコラを飲む。

 まったく面白くなかった。

 当初の予定では、愛人を作らせて駆け落ちでもさせようかと計画していたのだ。

 堕落させるなり孤立させるなりして、王妃の力を削ごうと楽しみにしていた。

 なのに、当の王妃が自分から孤立の道に突き進んでいる。

 やっている行動は慈善だ。

 だが外国から嫁いだばかりの王妃だ。

 誰も彼女の人なりを知らない。

 オプシディエンヌは市井に、手駒をいくつも潜ませている。王妃は慈善のふりして、如何わしい下町で乱痴気騒ぎをしていると悪評を流せば、もはや他愛なく沈む。

 ほんとうにつまらない。

「プラティーヌ殿下。砂漠の遺跡で面白い古文書が発見されたんですよ」

 話しかけたのは、ジプス宮廷魔術師長であった。

 白髪を几帳面にひっ詰めた老貴婦人で、黒に近い紺色のドレスを纏っている。

「面白いって? 内容が? もう解読されたの?」

 プラティーヌ殿下としてちょっと子供っぽい口調で応える。

「いいえ、それが古代デゼル語でなく、ジズマン語で綴られていたそうですよ」

「まあ、贋作じゃないの?」 

「贋作だったら露骨すぎますね。発見者の言い分では、『砂漠の偉大な魔術を後世に残すため、予知者が、西大陸の主要言語であるジズマン語で綴ったからである。それはとりもなおさずジズマン語を使う我々こそが、砂漠の魔術の後継者であるのだ』、だそうですよ」

「それはありうるでしょうけど………ジズマン語が主言語ではない国家の学者は、真贋お構いなしに反論しそうね」

「紛糾しておりますよ」 

 ジプスは楽しそうに微笑む。

「それが真実であれば、砂漠遺跡の遺産がジズマン語圏の国家のものだと、国際社会で主張できてしまいますものね」

 他の貴婦人が語る。

「これは安易に味方するのも、敵を作るだけでしょう」

「賢者連盟はなにをしているのかしら?」

「どうやらブッソール猊下がお亡くなりになられたらしくて」

「たしかアトランティス遺跡研究では最高位のお方ですわよね。そんなにお年だったのかしら?」

「どうやら事故だと小耳にはさみましたが、正式な声明は出でおりませんし」

「冒険者ギルドとの提携がどう変わるか、興味深いところですね」 

 貴婦人たちは話し合う。

 プラティーヌ殿下のサロンに招かれているのは、宮廷魔術師長をはじめとして才女ばかりである。

 外交官夫人として幾多の国の社交界を渡り歩いた夫人や、リトテラビー女学園の理事長であったり様々だ。自分の専門ではない話であっても会話は交わせる。

「姫は見てみたいわ、その古文書。どこに保管されているのかしら?」

「バギエ公国立大学の博物室に管理されているそうですよ。そのうちにエクラン王国に研究協力が来るでしょうし、殿下も閲覧できますよ」 

 


 

 プラティーヌは宮廷が寝静まるのを待ってから、バギエ公国方面へと飛んだ。

  



 

 夜空に引っかかった月明りが、すべてを清めていた。

 その月明りに触れられない翳で、プラティーヌは古文書を開く。

 古文書には蛇と鴉の紋章が表紙に描かれており、ページの半分ほどは失われていた。

 愛撫するように優しくページを捲る。

「信じられない……」

 プラティーヌの唇が零れた感情は、歓喜だった。

 これほど高揚しているプラティーヌ、否や、オプシディエンヌは稀有だった。

 傍に控えていたモリオンは少しだけ疑問に思う。だが小姓として、貴人へ声をかけるなど無礼は犯さなかった。

「モリオン。これの筆者は誰だと思う?」

「砂漠帝国の魔術師は存じません」

「いいえ、いいえ、あなたは知ってる。あなたの知ってる魔術師が綴ったのよ」

 蘆ペンで綴られた文字たちは、不慣れで崩れていた。それに時代を経たせいでインクも劣化している。

 だがオプシディエンヌが、彼の筆跡を見間違うはずもない。

 

「オニクスの文字よ」


 その事実に、モリオンは事態を呑み込む。

 オニクスとミヌレが【時空漂流】で、いづこと知らぬ過去へ飛ばされていることは承知していた。

「オニクスは千年前の帝国に飛ばされていたのですか」

「ええ、しかも戻ってくるつもりよ、妾のもとに! これはそのための時魔術の研究の備忘録!」

 オプシディエンヌはワルツでも踊るように、スカートを撮み、優雅にステップをして、くるりと回転する。

 ダンスの相手は不在だが、その眼差しは恍惚としている。いや、彼女が踊る相手はオニクス。

 千年の果てに飛ばした男と踊っている。

「戻ってくるのよ、オニクスが。なんて可愛い、なんて愛しい。あれほど絶対的な絶望と破滅を与えてあげたのに、まだ足掻いてくれる。まだ這い上がろうとしてくれる」

 瞳を爛々と輝かせ、オプシディエンヌは嗤う。

 宮中ではあまりに都合が良すぎて退屈していたが、自分を退屈させない男が戻ってくるのだ。

「愛しているわ。もう一度、妾の傍に侍らせてあげてもいいくらいよ」

「一度は裏切った相手をですか?」

「裏切るなんて大袈裟ね。あれはちょっとした嫉妬よ。あの子は独占欲が強い子だから、妾が他の相手と寝たくらいで癇癪起こして。困った子。でもそういう純粋なところも可愛いわ」

 オプシディエンヌの唇は、あたかも我が子を溺愛するように微笑んでいる。

「まず妾を殺せる魔術を取り上げないと。それから愛してあげましょう」

 子供から危険な玩具を奪う口ぶりだ。

 慈悲に富み、母性豊かで、そして残酷。

「あの子は結局、神の唯一になりたいのよ。偉大なものの特別になりたい。妾という女神の神官であった頃が、いちばん幸せだったのよ。だからまた妾の神官にしてあげましょう」

「戻ってくるとは限りませんよ」

 モリオンの言葉の色合いは不敬だったが、オプシディエンヌは気に留めない。風に舞う花びらのように、ワルツのステップを踏む。

「必ず帰ってくるわ。あの子が望むものは、自分たったひとりを祝福する女神であり、自分たったひとりに傅かれる女王。あの子が渇望してやまないものは、千年前に存在しないもの」

「あなたさまで妥協しろと」

「ま、酷い言い草ね。この妾に向かって」

 眉を潜めたものの、上機嫌なオプシディエンヌは、さして咎めたりしなかった。


 モリオンは自分の頬を撫でる。

 ミヌレに暴発させられた傷は、まだ痛む。

 魔導銃を暴走させることに、一切の躊躇もなかったあの少女。

 焼け焦げた鉱石色の髪を靡かせて、ミントシャーベット色のドレスを舞い上がらせ、曇り空の彼方へ去ってしまった。

 あれは、まるで、オニクスだけを加護する妖精のようだった。



 たったひとりのための女神、たったひとりのための女王、そんなものは存在しない。

 今は、まだ。

 

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