不可説不可説転の夢 1
「………我が女王……女王」
眠っているのに、なによ。
わたしが目を開くと、蝶々たちがまとわりついていた。わたしが気絶したから、【胡蝶】が防御してくれたのね。
無限に舞う蝶々の向こうには、白い天井。永久回廊の白さって、真珠と月長石を蕩けさせたみたいで眠くなる。
「女王。【胡蝶】を解いてくれ。新しい心臓が入れられん」
十重二十重の蝶の向こうから、聞こえるイケボ。
眠いのに。
どうせ寝てしまっても、ここは時間に干渉されない。わたしは現象に近い生き物。手遅れなんてない。
もうひと眠りくらいさせろ。
だけど彼のささやきがあんまりに切なそうだったから、わたしは重い瞼を上げた。もしかしたら彼の体感では、何千年もわたしが伏しているかもしれないし。
ここは時間の外。
わたしと彼との時の流れでさえ、合致しない。
よし、起きるか。
わたしは軽く手を振った。【胡蝶】を織りなしている蝶たちは離れて、わたしの肉体が外気に晒される。
目の前でとぐろまいているのは、鴉色の大蛇。
このわたし『夢魔の女王』と共に住む『尾を咬む蛇』だ。
夢と蛇がつがいて、玉座を統べる。
『尾を咬む蛇』は這いずり、折れた一角獣の角を咥えてもってくる。
わたしがさっきミヌレから叩き折った角だ。
血が溢れる胸に、角を埋め込む。
真新しい心臓となった角は、刹那のうちにわたしに馴染んだ。そりゃわたしの肉体から発生した角なんだから、馴染んで当然なんだけど。
「力を戻せ」
分かってるわよ、いまやってるのに。
永久回廊に行き渡っていた力を、わたしの肉体へと還元しなきゃ。
力たちを呼ぶ。
やってくるのは金属質の生き物たち。
かぎ爪しかない猛禽たちや薔薇模様の水蛇が、わたしの太ももへ沈んでいく。
影だけの蜻蛉は胸元へ、水滴は首の後ろ、半透明のカエルはくるぶしに、真珠の鱗をもつ一対の小魚は耳に、そして銀線細工の蜜蜂は左手の薬指に。
分散させていた力はわたしの肉体に還って、共鳴し、反響し、膨れ上がっていく。
指先から爪先まで、漲る魔力。
あー、回復した。
わたしは有り余るほどの髪をかき上げて、上半身を起こした。『尾を咬む蛇』が、わたしの身体を支えてくれる。蛇革ソファって感じ。
「女王、我が女王。きみがあんな無茶をしていたとは、ついぞ知らなかったぞ」
「そうだったかしら」
わたしがすっとぼけたことを抜かすと、『尾を咬む蛇』は身体に纏わりついてきた。
太ももから腰に巻き付いて、胸の間を這う。
窮極の間でこういうことはするなって言ってるのに。
「人の身でここまで訪れるとは、一途なことだ。きみの一途さはいつも愛おしい」
蛇はさらにわたしの身体に纏わりつく。
だめだ、こうなったらもう離れない。
半分くらい諦めていたら、突然、蛇が止まった。
「……来訪者だ」
「えっ? また?」
力をすべて体内に戻しているから、来訪者に気がつかなかった。
過去のわたしがやってきたばかりなのに、立て続けね。
宇宙を放浪し、回廊を彷徨い、そして窮極の間に訪れる魂。
ここに訪れる魂はバグっている。
輪廻に戻れない状態になっているから、それをデバッグして戻すのがわたしのお仕事のひとつ。
わたしは薬指から蜜蜂を一匹飛ばし、回廊を偵察させる。
来訪した魂に、わたしは浅く微笑む。
「ずいぶんと懐かしいお顔がやってきましたね」
そう囁くと、『尾を咬む蛇』は牙と牙との間から長ったらしい舌打ちを鳴らした。
このお行儀悪い癖は、蛇になっても直らないんだから。
「懐かしいと思うほど好ましくないな」
「そうでしょうね」
わたしは蛇を撫でてから、出しっぱなしだったゲーム機を片付けた。身内相手ならゲームしながらでも対応しちゃうけど、さすがに正規のお客さまに対しては、無窮神性のイメージを守らなくちゃね。
髪を整えて、ヴリルの銀環を冠した。
『尾を咬む蛇』は壁へと沈み、わたしは『夢魔の女王』として玉座に腰を下ろす。
扉が開く。
バグった魂を、悠然と見下ろした。
「ようこそいらっしゃいました、この終わりなき永久回廊の終わりに。わたしは無窮神性『夢魔の女王』、受肉せし永遠のアヌパダカ。わたしからはお久しくも懐かしいと申せばいいのかしら?」
わたしは寛容に微笑む。
そりゃもうありったけの寛容さをかき集めて、微笑みを装った。
「カマユー猊下」
次回更新は5月19日です




