第十七話(後編) そして砂鉄の味を知れ
砂に礫が増えてきて、礫に岩が増してきて、そして岩石が増えてきた。灼熱色だったり業火色だったりする奇岩が立ち並ぶ風景は、異世界に迷い込んだみたい。
奇岩たちの隙間からは、絶え間なく烈風が吹いている。
「火星の匂いに似ているな」
ジズマン語で呟いたのは、オニクス先生だった。
わたしは翡翠色の被衣をすっぽり纏っているから、風の感触が伝わってきても匂いまでは届かない。
「行ったことがあるんですか?」
「いや、行ったことは無い。私はせいぜい月までだ。正確に述べるならば、火星で錆びさせた鉄釘の匂いにそっくりだ」
なるほど。火星の大地に埋めて錆びさせた鉄の釘って、火炎系最大攻撃呪文の媒介だからな。
火星に似た風が激しくなってくると、ひときわ大きな岩盤が見えてきた。
「おっきな岩盤ですね。舞台みたいです」
オリハルコンの赤みを帯びた岩盤だ。
「あの場所は砂漠帝国黎明期に、鳥葬場として使われていたらしい。いにしえの鳥葬場で決闘するとは、趣味がいいのか悪いのか」
鳥葬か。
空駆ける猛禽に骸を啄ませる葬儀。
そういや先生って、オプシディエンヌと心中した後、どうやって葬儀すればいいのかな。普通の教会葬でいいのかな。
特に希望が無かったら、先生の葬儀はゼルヴァナ・アカラナ式にしたいな~
真っ赤な岩盤の彼方には、帝国軍が見えてきた。
岩盤を取り囲むように、豪奢な空飛ぶ絨毯が無数に並んでいる。軍隊っていうより、煌びやかすぎてあそこだけ都が出来ているみたい。
わたしは日傘の帳に留まり、オニクス先生はペガサスから赤い岩盤へ飛び降りる。
激しい風の中、先生は長衣を翻した。
「私が蛇蝎。ゼルヴァナ・アカラナの伴侶にして蛇だ」
その声に応じるように、帝国軍の最も豪奢な絨毯に座していた人影が立ち上がる。
年老いて痩せた四肢を、金糸銀糸オリハルコン糸で刺繍された錦を纏っている。赤みがすべて抜け落ち白髪になった頭には、絹のターバンと不死鳥の羽根を飾り立てていた。豪奢の限りを尽くした衣装の中で、天然六角紅玉のペンダントと、燻されたような銀の腕輪だけ古色帯びて地味だった。
賢者連盟のブッソール猊下ではない。
帝国宰相のムグノティス閣下だ。
「よく受けてくれた、隻眼の蛇蝎」
「老いさらばえたな」
「ああ」
年老いた口から零れた呟きは、頷きなのか、それともただ吐息だったのか。
「金星遺跡の発掘を中断してまで地球に降りた野暮用なぁ。ありゃてめぇと一度、ガチで戦ってみたかったってだけだ。カマユーの御大のかけた【制約】が解除されたら、全力で戦えるだろう」
「下らん」
「そう言いなさんな。俺ぁジジィになっちまう前に、戦いたかったんだがな」
「時間には逆らえん」
「そうさな。とはいえ魔法使いとして色々考えたんだぜ。自分を【屍人形】化するには独学じゃ不安があるし、俺ぁ獣属に適してねぇ。月下老みたいに【羽化登仙】って手もあるが、それだとてめぇと戦いてぇって欲望もなくなりそうだしよ」
ブッソール猊下のしわがれた手のひらが、血管が浮かぶほどきつく握りしめられる。
手首の銀環が揺れる。
刹那、燻された銀環から、光が溢れた。銀色の光は柔らかく淡いのに、近くの影を無くしていた。不思議な光だ。
「で、結局これがいちばんだ」
光を中心にして、風が吹き、砂が集まり、炎が蠢き、水が結ばれる。
四属精霊たちは、ひとの輪郭に凝っていった。
ブッソール猊下に化ける精霊。
わたしが最初、湖底神殿付近の森で出会ったときよりずっと若いブッソール猊下だ。オニクス先生と同い年くらいか。
「俺の魔力の大半を注ぎ込んだ人工精霊だ」
「これと戦えと? 切り裂いても貫いても意味のない存在だぞ」
「無敵じゃねぇから安心しろ」
「ずいぶんと私に不利な決闘だ」
「気張れよ」
年老いたブッソール猊下は、皺を歪ませて、鼻眼鏡を直す。
「いいだろう。負ける気はせんからな」
オニクス先生はエストックを抜いた。
そしてわたしは日傘の帳を抜け出していた。
身代わりにひとり女奴隷をおいた。
わたしの暗殺を用心するためだと言い含めて、影武者として帳に座らせている。護衛のヤークート・アスファルさんは、わたしが別の絨毯にいると思ってることだろう。
わたしはヴェールも被らず、赤い砂地を駆ける。
砂鉄めいた風を切り、大回りして宰相を目指す。
「宰相の決闘を受けるなんて、馬鹿正直ですよ。ほんとにオニクス先生は、いつだって馬鹿正直なんだから」
向こうが出した条件で戦うなんて、馬鹿々々しい。
わたしはわたしの戦い方をさせてもらう。
狙うは『ヴリルの銀環』。
宰相が決闘に釘付けになっている今こそ、絶好の機会じゃねぇか。狙わなくてどうする。
かっぱらってしまえば、わたしたちは元の時代に帰れる。かもしれない。
決闘なんかに勝つ必要はない。
男と男の決闘も大事かもしれんし、事の趨勢がオニクス先生だけに関わるなら、結末が死のうが生きようがわたしは受け入れる。
だが、元の時代に戻らなくちゃいけない。
わたしは世界鎮護の魔術師なのだから。
それが最優先だ。
「こっちに来やがったか、小娘」
岩陰から姿を現したのは、ブッソール猊下だった。
偽物か?
だってわたしと会った時の年齢と身なりだもの。
露骨な偽物だけど、だからこそ、わたしは霊視モードで確認する。自分の若い時の恰好をさせた精霊を纏った本体で、こっちを騙そうとしてるかもしれんしな。状況を誤認して、足元を掬われてたくない。
これは精霊で造った紛い物だ。
確定情報はありがたい。
ブッソール猊下は、袖口からくすんだ燻し銀の輪っかを出した。
「ヴリルの銀環。こいつはしけた見た目だが、時空連続存在結晶体だ。アトランティス文明は大したもんだぜ、連続存在を固定化するどころか結晶化するなんてよ。皆目見当つかねぇ技術だ」
あれがヴリルの銀環。
物質界の解体だの、時空間の超越だの、チート伝説を持つアイテム。
敵がチートアイテム持ってんじゃねぇよ。
「そう警戒すんな。なんのこたねぇ、こいつは単なる才能の増幅器だ。こいつがありゃ俺でも邪竜を眠らせられるかと試行錯誤してみたが、骨折り損のくたびれ儲けだった」
「それは残念でしたね」
笑おうとしたけど、舌は錆びたようにうまく回らない。なんだか口の中で砂鉄の味がする。
さらっと抜かしてくれやがったけど、とんでもない代物じゃないか。
才能の増幅器だぞ。
サイコハラジック特異体質は、精霊が棲むエーテリック領域に干渉できる。そんな魔法使いがヴリルの銀環を持ってたら、どうなるんだ?
どうなるか推測できんから、出方に戸惑う。
いっそ物質界解体って単純な暴力パワーだったら、家族がわんさかいるブッソール猊下は使えなかったのにな!
「………なあ、小娘。遺跡って『何』だと思う?」
「大昔の不動産」
「正しいな。ああ、その手の遺跡が過半数だ。俺の設問が不適正だった。カラフェ湖の『湖底神殿』、ヴィネグレット侯国海域の『太陰祭壇』。あれらはアトランティスの末裔が建てたやつだな」
アトランティス文明や砂漠帝国なんかの不動産が残ってたら、遺跡って呼ばれる。魔獣が住み着いていればダンジョンだ。
それ以外なにがあるんだ?
「けど、入るだけで魔力を消耗するタイプの遺跡があるだろ。てめぇの国にもある」
「図書迷宮、ですか」
魔法の扉に閉ざされたダンジョンだ。
扉を開けるために、先生は鍵となって魔力を消費し続けていた。そして、それを回復するために……
「妙だと思わねぇのか?」
ブッソール猊下の言葉が飛び、わたしの回想が途切れる。
「なんで魔力を消耗する遺跡が存在する?」
図書迷宮で、鍵役が魔力を消費する理由?
扉を開くために魔術を使うんだからそういうもんだと思っていたけど、先生は扉を開いた後まで消耗していたもんな。回復と消耗の均衡。
問われれば、仮説がみっつ浮かぶ。
「仮説1 維持費。遺跡を維持するために、魔力が必要。
仮説2 選別。遺跡に入る人間を選り分けている。
仮説3 仕様上欠陥。遺跡の構造上、入った術者の魔力を消耗してしまう。
ぱっと思いつくのはこの程度ですね」
「そうだな。仮説3が近いか」
「猊下? これは考古学の講義でしょうか。ご権威の講義はありがたいですが、わたしは専攻する予定じゃないんですけど?」
「おっと、すまねぇな。だけどここまで言ったら分かるんじゃねぇか? 入るだけで魔力を消費する空間。魔法使いだったら、てめぇも知ってるだろ。知っているどころか、てめぇも持っているはずだ」
わたしが持っている?
入る、だけで、魔力を消費する空間?
まさか。
「放浪する遺跡『星蜃気楼』、叡智の玉座『図書迷宮』、あれらは魔法使いの魔法空間が、現実空間に出現したものだ」
「は、なんて、とんでもない………」
図書迷宮。あれそのものが誰かの魔法空間だと。
だけどわたしは魔法空間のアイテムを取り出せた。
なら物を取り出せるだけじゃない。
ひょっとしてオタクの小部屋そのものを、現実に引きずり出せるのか?
「レムリア時代やアトランティス時代の人類は高度な文明を誇っていたが、魔力までも桁違いだったらしくてな。膨大な魔力によって己の魔法空間を具象化させて、自分の神殿としていた」
はへーん、そいつはとんでもねぇなあ。
……神殿?
じゃあ、永久回廊は?
夢魔の女王が住まう神殿。
わたしの魔法空間が変化して、ああいう神殿風になったとか?
でも入っても魔力消費してない………ああ、自分の魔法空間では消耗しないのか? だけどクワルツさんは?
いや、あの場合、わたしが鍵役だったのか?
「魔法ってのは、魔法使いが死んでも残るしな。湖底神殿もそうだろ」
ブッソール猊下は滔々と講義を続ける。
湖底神殿で呼吸できる理由は、大昔に死んだリヴィアタン級の人魚の魔法だ。
魔法は物理を凌駕する。
まことの魔法は、時間にさえ影響されないのだ。
「ゆえに魔法使いが死んでも、魔法空間は残る。そして、魔力と知識さえありゃ」
ブッソール猊下は銀環を撫でた。
空間がさざ波だつ。
なんだ、この感覚は?
攻撃魔術でもない、闇魔術に干渉されているわけでもない。だけど何か大きなことが起こる前兆だ。
「主を亡くした魔法空間を、制御することも出来る!」
岩盤に砂嵐が現れた。
いや、現れたのは、砂嵐を纏った『星蜃気楼』だ。
エーテリック領域を彷徨い、ぶよぶよジュレが住み着いているアトランティス文明のダンジョン。
ブッソール猊下が『星蜃気楼』を召喚した?
「俺を鍵にして、扉は開かれた! 俺とオニクスを呑み込んで、『星蜃気楼』をエーテリック領域に還す!」
ずっと以前、わたしが先生と交わした会話が、脳内に過った。
あれは『図書迷宮』の第七層。
――もし鍵役の魔術師が、内部で死んだ場合、どうなります?――
――扉は消滅する――
「まさかブッソール猊下!」
「俺ぁ十分生きた。百まで生きるにゃ、ちぃと足りんかったがな」
ブッソール猊下の本体は『星蜃気楼』の奥底で死ぬ気だ。
自分の家族たちのために、墓参り不可のダンジョンで自殺するのか。
とんでもない自爆戦法じゃねぇか、このクソジジィ!
今までさんざんバジリクス自爆とか、炎精霊遣いの特攻とかやってきたけど、エリアボスまで自爆すんじゃねぇ!
「今後百年に渡る『星蜃気楼』の出現予測位置と、扉を開ける【境界融合】の呪文は、俺の邸宅のどっかに隠してある。探せばそのうち見つかるんじゃねぇか」
「本当ですか」
睨んだって無駄だろう。この男が自分の言おうとしていること以外、口に出すはずがない。
「嘘なんか吐かねぇよ。解読に何年かかるか知らんがな」
探索に解読だと。
滅亡のタイムリミットは目前だ。そんなことしている間に、ラーヴさまは目覚めてしまう。尾を動かして、この帝国を滅してしまう。
「オニクス先生を助けたかったら、わたしに歴史を修正しろと?」
「俺ぁ家族さえ無事でいればいい。ささやかな願いだろ」
「ささやかな願いの結果が、全然ささやかじゃねぇんだよ!」
怒鳴りながら蹄を駆けさせ、ブッソール猊下に突っ込む。
歴史は変えない。
先生も助ける。
そして未来に帰る。
すべてを叶えるために、あの銀環が必要だ。
ブッソール猊下を滅して、チートアイテムを奪ってやる!