第十一話(後編) 恋愛イベント回避中
エグマリヌ嬢からの日記を読んでいると、ノックされた。
ノックされたのは、ドアではなく、窓。
雨に滲む窓硝子の向こうにいるのは、御者のフォシルくんだ。
めっちゃ雨降ってて足場が滑るってのに、よく三階まで登ってきたなあ。
窓を開ける。
フォシルくんの切れ長の瞳が、剃刀のように鋭くなっていた。
「ミヌレ。あいつと何の話してたんだ?」
不機嫌そうな空気を振り撒いている、というか、もはや振りかざしている。
「あいつって?」
「ひょろよわの監督生のことだよ」
「……ひょろよわ」
「パンチ一発で沈みそうだろ」
おまえもわたしの魔術があれば、一発で沈むぞ。
「フォシルくん。生まれつき身体が弱いことを気にしているひとに、そんなこと言うのは意地悪ですよ」
「そーだけどさ、いつもニコニコしてるやつって、腹の底で何考えてるかわかんねぇよなぁ。お上品ぶってて。ああいうのが詐欺したら上手そうだよな。ミヌレも気をつけろよ」
あー? はー、はいはい。
いるよなあ。頭がよくて優しいタイプを理解できないから、これは腹黒ですって解釈する二次創作。
わたし、それ嫌い。地雷。
『賢い人間は性格が悪い』って偏見を持ってるひとって、親切さに聡明さが加わると裏があるって疑うんだよな。裏で悪いこと考えてるに違いないって、思い込む。
うぅん、ちょっと違うな。知能の低い人間にとって、賢いってこと自体がもはや邪悪なんだよな。だから賢いのに善良だと、矛盾が起きて脳がバグる。知能が低いから、自分の脳のバグにも気づかない。
実際に柔和な詐欺師はいる。
上っ面に羊や猫の皮をかぶっている悪党なんて、世間にはさぞかしたくさんいるだろうよ。
でもだからって、悪くないひとを悪しざまに言うのはドン引きだ。
そう擁護しても通じない。なんで通じないかっていうと、頭悪いからだよ。
わたしがムカムカして黙ってると、フォシルくんが口許を歪めた。
「まさか。ああいうのが、タイプ、とか?」
この質問かあ。
フォシルくんとの恋愛値が高い状態で、他の攻略キャラと仲良くしていると、この手の質問してくるんだよな。
ゲーム画面上での選択肢は『優しい』『逞しい』『賢い』『面白い』『気高い』。
好みのタイプを『優しい』って選択すると、フォシルくんとの恋愛値が上がるんだ。
……………なんでお前が上がるんや。
いや、わたしにはめちゃくちゃ親切だよ。荷馬車に乗せてってくれるし、果物とか良さげな素材とかを差し入れてくれるからな。たしかに優しい。
「率直に言うと、好きなタイプは、怪盗クワルツ・ド・ロッシュです!」
胸を張っての発言です。
攻略キャラのなかで、御者と監督生と冒険者と騎士と怪盗なら、怪盗かなって感じ。
「怪盗って、あの怪盗クワルツ・ド・ロッシュ?」
わたしが頷けば、世界は雨音だけになる。
「ふっ、はははっ」
フォシルくんの笑い声が、雨夜に響く。
「怪盗かよ。なに、ああいうのがいいの? ガキ臭ぇな」
「悪いですか?」
唇を尖らせると、フォシルくんはまた笑った。
「なんだよ、そのぶっさいくな顔」
ァ? てめぇに言われる筋合いは無ェよ。
ゲーム画面なら口が悪いなって受け流せるけど、面と向かってだと横っ面を張り倒したくなるな。
突き落とすぞ。
「でも怪盗はおまえのために、誰かを殴ってくれねえぞ」
「守られたいわけじゃないですよ」
「ミヌレ、お前って父親も兄弟も近くに居ないじゃねーか。お前みたいなお嬢さまじゃないやつは、お前のために誰かを殴ってくれる男がいないとダメなんだよ! 紳士寮って言ってるけど、あいつら全員が紳士じゃねぇ。酷い目に遭ってからじゃ遅いんだよ!」
「反撃くらい出来ますよ」
「馬鹿! 嫁の貰い手がなくなるぞ」
なんつー旧弊な価値観だ。
いや、この世界なら一般的価値観かもしれない。
むしろフォシルくんこそ正しいのかもしれない。
でも……オニクス先生は、そんな世間の価値観に合わせろって言わなかった…………
――きみが最善手だと胸を張れるなら、それでいい――
――世界が咎めようと、私は咎めんよ――
【浮遊】の魔術で下がれなくなった時も、まず下がるのを練習しろって言った。過去事例や反作用を教えてくれた。正しく使うための方法を示してくれた。使うなって頭ごなしに言わなかった。
「そもそも殴ってくれる男がいれば、そんな酷い目に遭わねぇんだから、最初から作っとけばいいんだよ」
「ァあ?」
わたしはようやくフォシルくんが言わんとしていることを理解した。
「特定の男の庇護下にない女は、酷い目に遭わされるという事ですか」
「そんな堅苦しい話じゃねぇよ。女って固まって便所にいったりする。そういうもんだろ。些細なことなんだから、お前、気をつけろよ」
「些細なことさえ儘ならないの?」
身を守るために、クラスメイトとお手洗いに行ったり?
気の合わない人間と一緒に行動しなきゃいけないの?
「馬鹿々々しい」
「ミヌレ!」
心臓を揺らすほどの大声だった。
怒鳴るな、馬鹿。
「伯爵令嬢と友達になれたからって、図に乗ってんじゃねーよ。あの短髪女が好き勝手やってんのは、じいさんがすげー偉い伯爵で、にいさんが強い騎士だからだろ。だから好き勝手やってんだよ」
「好き勝手って………エグマリヌ嬢はわたしのように、校則を破ったりしませんよ」
「髪を短くしたり、男の真似したりだよ」
「は? 自分の好きな恰好をするのが………好き勝手?」
脊髄反射的に怒りが脳天まで来た。
こいつはドレスに対して冒涜した。
生かしておけない。
だけど、フォシルくんの意見にも一理ある。
もしわたしがエグマリヌ嬢と同じ男装していたら、周囲に受け入れられたかって話だ。
もちろんエグマリヌ嬢は人当たりが良くて、誰かを手助けすることに躊躇がない。受け入れられているのは彼女の人柄が大きい。でもたぶんそれだけじゃない。家柄とか、血族の権勢とか。そういうことだ。
「フォシルくん。大事な友人を悪く言われるのは腹が立ちます」
めっちゃ殺意をオブラートに包んだ。
「ああ、悪かった」
フォシルくんは少し視線を下げた。
沈黙に雨音が強くなる。
「…………俺は…お前のために誰かを殴ってやっても…いい」
「嫌です」
ここまで言ってくれた男の子をフるなんて、まったくわたしは可愛くない女の子だ。
でもわたしはフォシルくんを愛してない。
守ってもらうために好きでもない男の子と付き合えるほど、わたしはビッチじゃないんだよ。
「フォシルくんの考え方は世間的に正しいんでしょうし、わたしを心配してくれるのも分かります。忠告は覚えておきます」
わたしは窓を閉め、カーテンを閉ざした。
きちんと呼吸しているのに、ひどく逼塞感がある。
女の子はお手洗いに行くときも、集団でないと危険だっていうの?
羊の群れか、イワシの大群みたいね。食われる立場の生き物の習性を真似て、生きなくちゃいけないっていうの?
冗談じゃない。
――不条理に抗うことに酔っているのか――
独りっきりの部屋の中、以前、オニクス先生に言われた台詞が、鼓膜の奥底で蘇る。
いいえ。酔っていない。
わたしは怒ってるだけ。
些細な事さえ儘ならない自分の弱さに、腹が立って仕方がない。
――その気概がいつまで続くか見物だな――
「最後までどうぞご観覧を」
わたしは頭を下げた。