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第十一話(後編) 社会見学へ行こう


 工房見学の日がやってきた。

 音楽隊の先導され、花びらと香油をまき散らし、空飛ぶ絨毯はゆっくりゆっくりひたすらゆっくり飛んでいく。子供の徒歩より遅い。

「これ、郊外に到着するのいつになるんです?」

「パレードだと言っただろう」

 先生の口調ときたら、授業中の私語を叱咤する教師みたいだった。

 参詣くらい暇。

 しかし参詣と違って、横には先生がいるのだ。やったね。

 これはドライブデートと言っても過言ではないのでは?

「予習はしてきたか?」

「はい。空飛ぶ絨毯はオリハルコン糸と羊毛、天馬の毛、そしてバロメッツ綿で織られます」

 全然デートっぽくないけどな。

 オタク知識を喋くり倒すのは苦じゃないし、むしろ大好きだから楽しいけどね。

 予習内容を喋っていると、郊外に出る。

 郊外に建てられてる工房は石造りで、遠目からでも見える。

 広くてまっ平な前庭があった。きっと普段は染色業者とか紡績師とか、キャラバンのひとたちが出入りする場所だろう。

 今日はゼルヴァナ・アカラナを出迎えるために掃き清められ、香が燻らされ、花びらがまき散らされていた。薔薇にジャスミン、それから可憐な花びらたちを降り積もらせた絨毯だ。

 工房長と、それから使用人さんたちが平伏していた。

 まずは定番のご挨拶。美麗と詩的をミルフィーユした長ったらしいご挨拶を、延々と聞かされる。

 わたしは小さな空飛ぶ絨毯に乗り換える。

「空飛ぶ絨毯を浮かせるためにオリハルコン糸。進ませるための糸としてペガサスの毛を使いますが、魔力安定のために羊毛とバロメッツ綿を撚糸にしています」

 予習してきたので、単語はすんなり理解できる。

「どうして羊毛とバロメッツ綿を撚るの?」

「高貴なお方に心地よく座って頂くためです。このふたつを撚った糸だと、乗ってる感覚が違いますよ。別々の糸では魔術安定しませんし、ペガサスの毛は美しいのですが座り心地は宜しくありませんし、制御も難しくなりますからな」

 乗り心地への配慮か。

 それに馬毛織りのソファって、見た目最高で座り心地最悪だものな。ペガサスの毛で織っただけの絨毯って、ごわごわしそう。

「これが撚られる前のバロメッツ綿です」

 銀のお盆で差し出されたのは、金の綿菓子みたいなものだった。

 きらきらして綺麗。砂糖菓子みたいな輝きで、美味しそう。わたしが幼女だったら、見た瞬間に、摘まんで口に入れているレベル。

「図鑑より金色っぽいのね」

 やっぱり光沢や風合いって、手に取ると全然違う。

 工房に案内される。大きな広間に、たくさんの織り機と織り手がいた。

 砂漠帝国の機織りは、エクラン王国みたいに水平じゃないのね。垂直だ。額縁っぽいっていうか、画架っぽいな。

 機織り機が画架なら、パレットは織り機のてっぺん。そこに糸束がかかっていた。色とりどりに染められた糸は繭状にまとめられて、織られるのを待っている。

 オリハルコン糸だけは、ふわっと浮かんでいるから分かりやすいな。

 織り手はいろんな年頃の女のひと。

 黙々と、色をかたちにしていく。

「機織り職人って、こっちでは女性なんですね」

 不思議。糸紡ぎが女のひとで、機織りが男のひとってイメージなのに。

「砂漠と東方では、女性の仕事とされている。沿岸諸国の一部もそうだな。西方と島嶼では男仕事だ。機織りが地方によって、男仕事だったり女仕事だったりする理由は知らん。刺繍遣いなら知ってるかもしれんが、私は服飾文化に詳しくない」

「機の重さとかかな……?」 

「ただ空飛ぶ絨毯に関しては、織りながら魔力を込めなくてはならん。女性の方が魔力を体外に出しやすい体質だから、この地方に限っては女性向きの仕事と言える」

 わたしと同じくらいの年頃の子は小さい枠組みで、おばさん以上だとおっきい枠だ。やっぱり大物は熟練者に任せているんだな。

「こちらは最大級の枠組みでございます」

 奥に案内されると、壁一面が機織り枠だった。

 想像を絶する大きさだった。

 壁に機織り枠が組み込まれている。

 織り機そのものが、柱や梁になって、建築と一体化しているんだ。

 もはやこれは祭壇だ。

 色彩という名の神のための祭壇。

「オリハルコン糸は使えば使うほど浮力が増しますから、この面積で織る絨毯の機は、建物と一体化しております」

 宮殿の大広間一面に敷くほどの絨毯だ。

 ちっちゃなおうちだったら乗るくらいだぞ。

 天井近くまで上がったベンチに、織り手たちは腰かけている。十二人の女のひとが並んで織っていた。

「これが完成したら飛ぶんですね」

「その雄姿をお見せできるのは、だいぶ先のことになります。すでに親子二代にわたって織られておりますが、完成予定は彼女たちの娘の代ですので」

 彼女たちの娘。

 それは訪れるはずのない未来だ。

 美しく細やかに織られていく絨毯。わたしの鼓膜の奥底で、糸が断ち切られる音が聞えた。これは幻聴だ。だけど必ず訪れる。この美しい絨毯は、完成することなく砂礫に埋もれる。

「修理中の絨毯も見せてくれ」

 先生の命令によって、工房を離れる。 

 補修中の絨毯は、水平に張られていた。

 ここは男のひとばかりだな。

 古びたり焦げたりして可哀想な状態になっている絨毯に、白い液体を刷毛で薄く塗っている。

「こちらは修繕を承っている場所でございます。いと尊き女王の絨毯も、最優先で修繕が進んでおります」

「ああ、バジリクスの毒で灼けた箇所ですか。どうやって猛毒を処理するんですか?」

「はい。まず流水に晒してから、ヨーグルト漂白液を塗っていくんです」

「ヨーグルトって解毒効果もあるんですか?」

「ヨーグルト漂白液そのものより、肝心なのが刷毛です。有角獣アマルテイアの毛で作った刷毛です。ただ最近は有角獣アマルテイアの数が少なくなってきているので、毒抜き用の刷毛を作るだけでもかなりの費用と手間が要ります」

「どうして減少しているんですか?」

「アマルテイアが好んで食む薬草、シルフィウムが減少の一途をたどっているせいですね。砂漠化と、薬草として乱獲されたせいです。あれはどうしても人工的に栽培できない種ですから」

 シルフィウム草って、わたしたちの時代じゃ絶滅危惧種の薬草。

 ラーヴさまの尾が跳ねたせいで、減ったんじゃないんだ。この時代からすでに減少傾向にあったのか。

 後ろにいるオニクス先生も、興味深そうに頷いている。

 漂白手順を順番通り見ていく。

 薄くヨーグルト漂白液をぬっているひと。

 乾いた漂白液を、スプーンみたいな道具ではがしているひと。

 さらに軽石で擦っているひと。

「ヨーグルト漂白液はオリハルコン糸を痛めませんが、毒や汚れを抜くには何度も何度も塗る必要があります。そのあとにうちの修繕職人に回します。たとえ基糸が切れてようと、うちなら直しきります」 

 力強く言い切る。 

「いちばんひどい虫食い絨毯をご覧になられますか? 他の工房なら絶対に直せない絨毯ですよ」

「見せてください」

 男のひとたちが、床に腰を下ろして絨毯を縫っている。

 極彩色の絨毯。

 修復のため何人もの熟練職人が手を掛けるに値する、複雑で美しい絨毯だった。 

 美しいという以上に、あれは文字だ。

「これ……色彩象徴言語です」

 聖都の巫女が織った祈りの言葉。

 砂漠の巫覡だけに伝わる言語。


 刹那、わたしの網膜に、瑠璃色の神殿が映った。 


 ラピス・ラジュリさんから託された記憶と知識が、わたしのなかで解凍されていく。

 白は朝露。銀は夜露。淡い青色は、滾々と湧きあがる水。澄んだ青色は、けして途絶えぬ滝。くすんだ灰錆色は、雨をもたらす前の空。黒ずんだ鈍灰色は雷雨の空。

 そして黄金と瑠璃色は、宇宙の色。それを模した神殿の色。星を読む巫覡たちが住まう地。

 色の意味が互いに波紋して、意味となって波打っていく。色ひとつに焦点を合わせちゃいけない。すべての色彩を同時に観て、その隣り合った組み合わせによって、文章が成り立つのだ。

 幾千億万の色が、わたしの魂を介して言葉になっていく。


「天から降るもの。地から湧くもの。源流等しきもの。滴りて結ばれる露。大地を潤す霧。幻獣は涙によって死に至り、魔獣は涙によって生を受ける。流れゆき遡ることなく、大河となり海となるもの。時は巡り巡りて、天地を循環する」


 わたしの口から呪文が紡がれる。


「水は無限に非ず、時は永久に非ず。足跡つかぬ流れに櫂を挿せ、時間を凌駕するために 【時間遡行】」

 

 1ターンだけ時間を戻る時魔術だ。


 静まり返った作業場で、最初に口を開いたのはオニクス先生だった。

「色彩象徴言語の絨毯は探すように申し付けておいたのだが………工房長」

 先生の鋭い呼びかけに、工房長は神妙になる。

「この絨毯の持ち主は? 詳しい来歴はあるのか?」

「ダマスクス市場の大親方の持ち物でございます。クーヘ・ヌール朝時代より代々伝わっている絨毯だそうですが、詳しい由来は伝わっていないとのことです」

「来歴散逸か」

 それはシッカさんが見つけられなくとも仕方ないよな。

 この絨毯が色彩象徴言語だって伝わってない上に、修復中というダブルパンチなんだもの。

「とにかく【時間遡行】が作れますよ! あとは古代螺旋貝を素材に、不死鳥の羽根を媒介、魔術インクはカリュブディスの涙ですね」

 カリュブディスの涙。

「採取できますかね、カリュブディスの涙……」

 カリュブディスは、バギエ公国の渦潮海峡に姿を見せる魔獣だ。

 渦潮海峡で産卵しているけど、本来の生息域は小惑星帯。

 火星と木星のあいだにある小惑星帯には、オフィオタウラスが群れているので、それを餌にしているのだ。ちなみにオフィオタウラスはストロマトライト小惑星を餌にしているぞ。星智学のテストだと、小惑星帯の食物連鎖を書きなさいってセットで設問されるよ。

 綴りが正しくなくて、バツになった記憶が蘇る。クソ。

 ま、とにかく小惑星を食べる魔獣がいて、カリュブディスはさらその魔獣を餌にしている。

 人類に倒せる魔獣ではない。

 カリュブディスの涙が欲しかったら、産卵のときに流す涙を拝借しなきゃいけない。

「先生の【隕石雨】にもカリュブディスの涙を使いますよね」

「あれは産卵期に取ってきた。今は産卵の時期ではないし、それを待てる余裕もない。とはいえ手段を問わないというなら、それなりに可能性はある」

 先生の「手段を問わない」ってほんとうに問わなそうだな。

 空恐ろしいものを感じる。

「ただ呪符を作るのが最適解ではないな。詠唱の術式を聞く限り、護符や呪符を作った時点で、古代螺旋貝の時間調律が始まっているからだ。すでに漂流してしまった私たちを、もとの時代に戻す術は作れんな」

「呪符無しで、魔術を?」

「オプシディエンヌもそうだったが、私が図書迷宮の扉を開くとき、呪符を使っていない。私が鍵、つまり呪符代理になっている。半分魔法に近い仕組みだ」

 儀式的な魔術だったもんな。

「難点は発動まで時間がかかり、魔力の消耗が激しくなることだ」

「わたしにうってつけじゃないですか」

 この身に宿る魔力は、無限に等しい。

 魔力の消費が激しいことがネックなら、わたしは平気だ。

 先生は考えて、工房長に視線を送った。

「この絨毯を借りたいのだが、持ち主と交渉できるだろうか? けして献上しろと命じるわけではない。ただ美しく珍しい柄だから、しばらく手元に置かせてくれ。もしよければ昼餉を共にしたいと伝えてほしい」

「畏まりました」 

 工房長は恭しく頭を下げ、先生の命令を滞りなく遂行した。






 午後から都役所を視察したり(先生がこっそり裏で役人に嫌味言ってた)、植樹式典を見学したり(先生が最後に【水】と【飛翔】で疑似的に雨を降らせた)、大法院に戻った時はすっかりどっぷり暮れていた。

 少しばかり、いや、かなり予定をオーバーしちゃったな。

 でも留守居役のロックさんは笑顔で出迎えてくれた。

 わたしは空飛ぶ絨毯から飛び降りる。

「ロックさん、お留守番お疲れ様です」

「お帰り。おれは羽を伸ばせたよ。姫さんは楽しめた?」

「予想とは違いましたけど、時魔術に進展がありましたよ。元の時代に戻れそうです!」

「へえ、良かったじゃん」

「なんか他人事ですね」

 ロックさんって元の時代に愛着無いのかな?

「戻れるなら嬉しいけど、喜ぶのは戻ってからにする。まだおれはここにいるわけだし」

 哲学的なことを言ってる気がする。

 冒険者が天職のロックさんにとっては、千キロも千年も変わんないのかな。

「これ、お土産です」

 わたしはロックさんに、小さな布を差し出す。

「工房で織り物体験もしてきました。ちっちゃい子はこういうミニ敷物から始めるんですよ。これは一角獣の角のイメージでさんかくです」

 三角の模様が入った小さなコースターだ。

 たとえばコップとか、チューリップの一輪挿しの下に敷くものらしい。

「こんなちっちゃいの織るのに一時間かかりました」

「嬉しいけど……旦那にあげなくて、いいの?」

「先生はわたしの手芸の才能は皆無って言ってましたし、貰っても困るだけですよ。ロックさんなら喜んでくれるかなって」

「そ、そっか。ありがと」

 ロックさんは受け取ってくれる。

 背後に佇んでいる先生が、長ったらしい舌打ちをした。何故だ。 

「きみは早く工房見学レポートに取り掛かりたまえ。締め切り明々後日の夕の鐘までだ」

「締め切りは初耳です!」

 やっぱこれデートじゃねぇ!

 社会見学だ!


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