SS5 ミニゲーム『シャトランジ』
シャトランジ。
この砂漠の帝国で、貴族から奴隷までがこぞって興じている盤上ゲームだ。エクラン王国のエシェックに似ている。
並ぶ駒は、王様、将軍、象、馬、駱駝、戦車、歩兵。
駒を動かす。
考え抜いた差し手なのに、向かいに座る先生ときたら、ひょいひょいと待ち受けていたように駒を奪う。
わたしの部隊は丸裸だ。
王手が差される。
「きみという軍師を据えてしまった王は、愚物か不運か。どちらにしても結果は同じ。さあ、孤立した王の首が落ちるぞ」
王さまが取られてしまった。
「ぅにゅ……」
わたしは石英の駒を手の中で弄ぶ。
格子窓からの月明りに、石英の駒はほんのりと色を変える。青いような霜のような不思議な色。
紅玉と駒と石英の駒、黒檀と象牙の盤。
大昔の皇太子が使っていたという由緒あるシャトランジ盤だ。
宝石製の駒が綺麗だから興味を持ってみたら、先生にこてんぱんにされているところである。
何度でも負ける。
絶対に、負ける。
しかも先生は、将軍の駒無しで勝っているんだよ。
「先生、このゲーム、実はディアモンさんとやり込んでいたとか?」
「いいや。駒の動かし方を覚えたのは、きみと同じだ」
そんなことを嘯きながら、葡萄酒の盃に口を付ける。
「じゃあエシェックが得意だったんですね」
「取り立て得意ではない。宮廷に居た頃はたまに興じていたがな。先代国王に付き合わされた」
「生徒が勝てるわけないじゃないですか」
王宮内じゃカードゲームより上品なゲームとされて、上級者も多い。
運で勝つことのない、完全な知能戦だ。
宮廷の小姓が通う礼拝堂学級には、エシェックの授業もあるって聞いた。ぜんぶエグマリヌ嬢から教わったことだけど。
「生徒番号010には負けたことがある」
「レトン監督生とか激強じゃねぇかよ」
予知中のミニゲームで、エシェックができるのだ。だからわたしも強くはないけど、駒を動かせる。
対戦できる相手は、エグマリヌ嬢とサフィールさまとレトン監督生である。
実質的に最強はレトン監督生。
ノーマルモードの他に、イージーモード『お手柔らかに』と、ハードモード『手加減なしで』が選べるのである。
レトン監督生は元々、エシェックが趣味だ。幼いときは輪をかけて病弱だったレトン監督生は、ベッド上で読書とエシェックを嗜むのが基本だったらしい。
「きみはそろそろ寝る時刻だろう」
窓を見れば、月が随分と傾いていた。
むうう。
負けっぱなしで寝に行くのも業腹だ。先生に勝てるわけがないんだけどさ。
手元が暗くなる。
月が陰ったのかな。
顔を上げてみれば、格子窓の外に三日月みたいな人影がひとつ。
「おや、シャトランジですかい?」
盗掘師のマアディン・タミーンさんだ。
慢性的にくすんだ膚に、金と銀の瞳。月下だからか、銀目の輝きが強くなっていた。
「蛇蝎の閣下ときたら、さすが冷酷。お産まれ遊ばしたばかりの姫に対して、まったく容赦ありゃしませんな」
「容赦する理由が無い」
切り捨てるような言葉に、マアディン・タミーンさんは嗤った。
「それより盗掘師。ヴリルの銀環について情報が入ったのか?」
「裏取りしてる最中ですが、ちょいと手持ちが寂しくなりやしてね」
必要経費が不足しだしたのか。
先生はひとを呼んで、金を用意するよう命じた。
手持無沙汰になったマアディン・タミーンさんは、駒をお手玉し始める。
「きみは強いかね」
「庶民にとっちゃこいつは博打のひとつ。この愚かなマアディン・タミーンも駒の動かし方くらいは覚えとりやすよ。賭けシャトランジなさいますかい?」
「護符を賭けるな」
「姫から頂戴したありがたい護符を賭けやしやせんよ」
ふらふらしたまま、金銀の眼を先生に注ぐ。
「賭けるならまだこの身体がありますぜ」
からかい交じりの戯言に対して、先生は一瞬だけ口許を歪ませた。
すっごい悪党じみた笑みだ。
「きみの身体か。では一局、私と差すか?」
「へっ?」
間抜けた声を出したのは、マアディン・タミーンさんである。
自分から言っておきながら、先生の返事が信じられないみたいだった。
「背の君。人体実験するのはやめたのでは?」
「そこまではせん。少し血を貰うだけだ。無性別を腑分けしたのは一度だけで、時属性で媒介実験はしてないからな」
「少しって具体的には?」
「3リットル」
先生は臆面もなく語った。
たぶんそれ死なないギリギリじゃないか、マアディン・タミーンさんの痩せ細った体躯からして。
ほんとにあらゆるものを、素材としか思ってないひとだな……
半ば呆れてしまう。
……もう半分は、魔術師としての羨望だ。
容赦なくすべてを素材と見做したからこそ、現代闇魔術では最高峰の知識と技術を宿しているのだ。
こうなりたくはないが、それでも羨ましい。
「ヒャハハハハハッ!」
哄笑が上がる。
マアディン・タミーンさんのひび割れた唇が、高らかに嗤っていた。
「そいつは楽しそうじゃあございませんか! 血を貨幣代わりに賭けるたぁ、最高の趣向でさ」
嗤い、身をよじり、盤の前にあぐらをかく。
最高かな? 悪趣味だと思うけどな。
「あっしの血を貨幣にするなら、是非に見返りは蛇蝎の閣下の血を頂きとうございます」
「きみにとって私の血に価値があると思えんな」
「価値など! そんなものに興味はございませんな! 同じレートで博打する。あっしの望みはこれだけでさ!」
「良かろう。その威勢の良さ気に入った」
先生は銀の盃を掲げ、残っていた葡萄酒を一気に飲み干した。
「私が負けることがあれば、この盃に蛇蝎の血を満たしてやろう!」
楽しそうだなあ。
わたしがそろそろ寝る時間なので、ロックさんが迎えに来た。
胡乱な眼差しで、シャトランジを差すふたりを見つめる。
「ねぇねぇ、なんか物騒なことになってない?」
「そうですね、ふふ」
「姫さまは楽しそうだね」
「だって、先生が楽しそうなんですよ。お友達ができてよかったですね」
「ねぇ、あれ、そんなほのぼのした状態なの?」
わたしはほのぼのしながら、先生とマアディン・タミーンさんの勝負を眺めた。




