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第十一話(前編) 恋愛イベント回避中


 翌日、エグマリヌ嬢は街に誘ってくれた。

「昨日の件で憲兵巡回やっているんだ。騎士団の見回りも広がっているから、今のほうが逆に安全だよ」

 エグマリヌ嬢は気鬱散じの外出を勧めてくる。

 わたしは部屋に閉じこもっているのもお出かけもどちらも嫌いではないけど、護符を卸せなかったので用事はある。

 行くか。

 箱馬車で街に向かう。天気は良くなかったけど、たしかに道すがら憲兵の姿が見えた。

「あのね、ミヌレ。字がすごく上手になってきたよね」

「まだまだですけど、もうエグマリヌ嬢の手を煩わせず済んで、ほっとしております」

「だから練習ってわけじゃなくて、気楽にさ、その………」

 エグマリヌ嬢は雪色の肌を赤らめた。

「こ、交換日記しないかい?」

「まあ、楽しそうですね」

 交換日記か、交友度がかなり上がってるなあ。

 実際に文字を書くのが大変だけど、練習になるよね。もともと感想日記とファンレターを書くのは日課だったし。

 エグマリヌ嬢は頬にえくぼを作る。

「じゃあパピエ屋に行こうか!」

「ロックさんに護符を卸してからでお願いします」

 護符を卸してから、大通りに向かう。製本屋さんと銅板屋さんの間に、小さなパピエ屋さんがあった。

 いわゆる紙の文具屋さん。便箋とかノートとかの専門店。それだけで経営が成り立つのかと思ったけど、一歩踏み入れば極彩色の洪水が押し寄せてきた。あらゆる色が、便箋として納められている。

 ブルーの棚だけでも、数えきれないほどの青、蒼、藍、碧。

 この世に存在する色の名前の数より、ここの色数の方が遥かに多い。

 単語に当てはまらない曖昧な色たちを眺めていると、とびきりロマンチックな名前を付けたくなってしまった。思いついても、この素敵な色に相応しい名前なのか不安で、口に出すには躊躇してしまう。

 色彩に翻弄されていると、エグマリヌ嬢に袖を引かれた。

「いろんな便箋があって楽しいだろ。ノートはこっちだよ」

 それこそ革張りから布張りまで、眩暈がするほどの種類がある。どれひとつとて同じものがない……ってことは、職人の一点もの。

 革張りに金箔レリーフ。うるし革にルビー象嵌。真っ赤な天鵞絨張りは、銀細工で角を保護してある。

 こんなん古の大魔術師が、自分の生涯をかけた研究を綴っているようなノートじゃねーか!

 日記帳にできるわけないじゃん!

「こ、こっちの布張りが可愛いですね」 

 わたしが指さしたのは、アイリスの花模様が木版刷りが布張りされているノート。中身の紙はうっすらと紫がかっている。

 これでもお値段はなかなかだけど、革張りより気楽だ。

「アイリスの花。ボクの好きな花だ」

 日記帳はアイリスのノートに決定した。 

 エグマリヌ嬢は日記を、ぎゅっと抱きしめている。

「ミヌレ。友達だからって全部言わなくちゃいけないわけじゃないし、秘密は誰にだってある。でも嘘は書かないでね。約束」 

「もちろんです」

「他に行きたいところはある?」 

「仕立て屋さんで自分のドレスを注文したいですね。あっ、エグマリヌ嬢から頂いたドレスは素敵です!」

「そこは分かってるよ。自分であれこれ注文するのも楽しいって子いるからね」

 次に向かう先は、秘密の仕立て屋さんだ。

 中流階級の住宅街に向かってもらう。庭付き一戸建てが建ち並んでいる大通り。

「こんな住宅街に仕立て屋があるのかい?」

「仕立て屋というか、正確には趣味というか。親しい方に限って仕立てていらっしゃるんですよ。だからギルドに入っていないんです」

「趣味で作った刺繍やレース編みを、仲間内だけで贈りあってる貴婦人のサロンがあるけど、そういう感じなのかな?」

「貴婦人のハンクラってすごそうだな……」

 ステンドグラス窓と鋳鉄の扉のおうちが見えてきた。他の一戸建てより、先鋭的なセンスの扉と窓。

 そこが秘密の仕立て屋さん。

 ゲーム的に、ここでミヌレの衣装が入手できるのだ。

 重い扉をうんとこどっこいしょっと開けば、優美な仕立て屋が広がっていた。

 壁の額縁には手編みのレースが飾られて、いろんな布地が棚に収まっている。

 だけど規則的に並んでるんじゃなくて、模様が美しい生地だったら模様がよく見えるように張られ、ドレープが豊かな生地だったら垂らされている。それでいて統一感があった。

 お店というより、生地とレースの美術展。

 エグマリヌ嬢はきょろきょろしている。育ちのいい彼女にしては不躾な仕草だ。

「ミヌレ。窓のかたちが、違わないのかい? 外は長方形だったのよね……?」

 壁の窓を一瞥する。

 外観の窓は重厚な教会式だったけど、内装は花窓と呼ばれる四つ葉かたちのステンドグラス窓だった。

「作画ミスですね」

「えっ? 作画って……?」

 わたしたちがお喋りしていると、店主のディアモンさんが微笑んで出迎えてくれる。

 中性的な美貌に、異国情緒なドレス。

 そして、

「いらっしゃいませ。ミヌレちゃん、今日はナイトとご一緒なのね」

 めちゃくちゃ太い軍人系声優のボイス。

 エグマリヌ嬢は硬直した。初見だと確かに脳みそフリーズだよね。

 まさかこんな美人から、野太い声が飛び出してくるなんて。わたしもゲームで聞いたときは、バグだなって思ったもん。

「ディアモンさん。今日のドレスも斬新で、圧倒されます! 重ための金緞子と、軽やかなシフォンの紺色、砂漠のロマンチックな夜みたいな色彩ですね。特に刺繍が艶やかですね。ドレスって色数が多いと散漫としちゃって子供っぽいんですけど、こんなに刺繍が多彩なのにフォーマルかつ優美に整っているなんて、ディアモンさんの色彩センスに憧れます。刺繍のあしらいが異民族の礼装の雰囲気を醸しているから、斬新な多彩かつドレッシーっていう境地に達していると思うんです。流行や伝統や自己主張などといった世俗的な意識を超越した、高い次元の美です。もちろんそれはディアモンさんの裁断と縫製の卓越した技術があってこその説得力! 美意識と技術の高い合致! そこにわたしは美を感じます!」 

 早口で語ると、ディアモンさんは優しく微笑んでくれた。

「毎回違うお褒めの言葉をありがとう。よく考えつくわね」

「考えてるわけじゃありません。ディアモンさんのドレスが素晴らしすぎて、魂が叫ぶんです」

 どんなドレスだって素晴らしい。

 自己主張のために思いっきり自分の好きなドレスを着るのもいいし、礼儀や流行を研究してドレスを着るのもいい。だけどディアモンさんのドレスは、既成概念に従わず、それでいて既成概念を持つ他者を納得させる力がある。それが美だ。

「ディアモンさんのドレスはまさに魂の発露です」

 わたしの魂は美しいものに屈するためにあるのだ。

 彼の創造するドレスに、心行くまで屈したい。

「ふふ、ミヌレちゃん。ありがと。またドレス作ってあげる。どんなのがいい?」 

「冬用に、狩猟や乗馬向きのドレスが欲しいですね」

「だったらお勧め生地は、これとこれね。ミヌレちゃんの肌の色に似あうわよ」

「こっちの灰色縞のほうが、このペンダントと雰囲気が合いますよね。デザインは動きやすさと防寒重視でお願いしたいんですが……」

「そうね。サイドボタン系なら動きやすいし、脱ぎ着もそれほど大変じゃないし」

 サンプルのファッションプレートを見せてくれる。

 ゲーム中で選べなかったサンプルもあるけど、選べなかったやつって装飾的過ぎて趣味じゃないし、冒険には邪魔。

「これがいいです」

 比較的、シンプルなデザインを選ぶ。 

 すっきりしたラインだけど、襟と袖には黒貂の毛皮が飾られていて、ゴージャスな雰囲気も備えている。

 ドレスが出来上がるまで二週間。楽しみ。

 にしてもエグマリヌ嬢は静かだな。

 いろんなデザインや絹地に夢中になっていて気付かなかった。斜め後ろにいるエグマリヌ嬢は、どんより曇天顔になっている。

 わたしたちが箱馬車に乗ると、雨がしとしと訪れた。 

「………あの仕立て屋さんにびっくりして」

「ディアモンさんって意外性ありますよね」

「ボクが男物着てるんだから、あのひとが女物を着てたっていいのに…………おじいさまも最初、ボクが髪を切ったときこんな気分だったのかな…ボクは兄がいきなりあんな恰好したら、おじいさまを説得できるのかな…」

 エグマリヌ嬢はぐるぐると落ち込んでいった。

 仕立て屋さんの存在は、彼女のセンシティブなところに触れてしまったらしい。

「ボクの恰好だって、見慣れない人たちから見たらあんな印象なのか…………いや…あのひとは悪くない…似合ってるじゃないか。でもなんでこんなにおかしいって思うんだ。おかしいって感じるのはおかしいのに、おかしいって思うボクはおかしいよね…………」

 わたしの気鬱散じに来たのに、エグマリヌ嬢が鬱のターンなっちゃってるぞ。

「ボクだってこんな格好なのに……身勝手だよね」

「『おかしいって感じるのはおかしい』って発想ができる時点で、エグマリヌ嬢は信頼できます。初めて食べたものや、初めて見た光景には驚きや衝撃があるものでしょう」

「そうかな……?」

「それに今、おじいさまの気持ちも想像して慮ったエグマリヌ嬢が、好きですよ」

 わたしは基本、他人に興味のない人間ですので、こういう配慮できるエグマリヌ嬢って偉いなァ~って思うんだよね。

 偉いなぁって思ってるだけで、見習う気が無いのがわたしの駄目なところ。

 せっかく優しい子と友達になれたんだし、ちょっとくらい見習った方がいいよね。

「わたしもエグマリヌ嬢の美点を見習いたいです」

「単に悩んでいるだけじゃないか」

「エグマリヌ嬢は動揺しつつも、色々と考えを進めていらっしゃっているではありませんか。わたしはそういう方がすごいと思いますよ」

「悩んだだけなのに、褒められてる……」 

 エグマリヌ嬢は複雑そうに唇を尖らせていた。いつも王子様っぽいけど、今は可愛らしい表情をしている。

「悩み方にも品がありますよ」 

 彼女の悩み方は善良だと思う。

 私も悩むときはエグマリヌ嬢みたいに、新しい価値観を受け入れようとして悩みたいものだ。その方がかっこいい。

 馬車の天井が、雨粒のせいでうるさく鳴っている。 

 雨脚が激しくなってきたきた。早めに戻ったのはよかったかもしれない。

 学院の正門近くに、レトン監督生がやってきている。

 曇天色の雨傘を差していた。病弱なのに、雨の日に外に出るとは恐れ入る。

「お体に障りますよ」

「心配ありがとう。でも【庇護】で膜を張ってるから大丈夫。ほら」

 レトン監督生が近づく。【庇護】の範囲内に入ったらしく、温度がふんわりした。

 この術は弱い物理攻撃や魔術攻撃、微毒などから守る力だ。

 でもこの肌寒さからも守ってくれるのか。めっちゃいいじゃん。冒険中の野営のために作っておくか。

「ミヌレ一年生に話があるんだ」

「そうですか。じゃあ、ミヌレ。ボクは先に戻るよ」

「ふへっ?」

 エグマリヌ嬢はわたしを置いて行ってしまう。ひどい。

「えーと、レトン監督生。どこか暖かいところに行きますか?」

「ありがとう。でも平気だよ。【庇護】を常時展開するようになってから、風邪知らずになったよ」 

「もしかして黴菌も排除するんですか?」

「感染力の弱い病なら、これで排除できている。よほどの寒暑でない限り、気温も湿度も安定する。【庇護】の呪符を護符で作れるようにするのが、僕の研究なんだ」

 呪符は魔力のある人間が呪文を唱えないと発動しないけど、護符は常時発動だ。

 これを常に発動できるようになったら、そりゃめちゃくちゃ需要があるだろう。

 土とか水は安定性があるから、媒介無しで魔術が存在できる。だけど風の護符はほとんど無い。あれば便利だけどさ。

「ミヌレ一年生。きみに謝罪したかったんだ。命の恩人に失礼な物言いだった。きみに助けられたのだから感謝すべきなのに、暴言を吐くなんて」

「いや、別に、まあ、びっくりしますよね……いきなり下級生が人間を殺し始めたら…………」

「きみの行為は緊急避難だ。僕の言葉がトラウマになってしまったら、申し訳が立たない」

 深々と頭を下げる。

 沈黙と雨音が続いた。

 わたしが許すっていうまで、まさかこのままか。

「……レトン監督生って、悪くないのにわたしに謝ってばかりですね」

「いや、僕に非がある」

 顔を上げて、きっぱり告げる。

「きみは命の恩人だ。義母がお茶会に招待したがっている。もちろん僕の暴言を許すか許さないか、それはきみの権利だと分かっている。茶会の招待で手打ちにするつもりはない。ただ義母はとても気にしていて。きみの気分が落ち着いたらでいいから、茶会の招待を受けて頂けないだろうか?」

 まさかイベント名『お茶会へのご招待』の発動か。

 監督生の義母や異母妹と一緒に、お茶を楽しむイベントだ。

 待て待て、こんな早い時期に起きるイベントじゃないぞ。これ、もっとミヌレのドレスが増えてからだ。

 このイベントを受けてしまったら後がない。そもそも恋愛値が高くないと発生しない上に、受けて成功したらレトン監督生ENDまであと一歩だぞ。

 これじゃオニクス先生の思い通りだ。

 脳内の先生が、悪役めいた笑い顔を浮かべている。むかつく。

「すみません。わたしだけがお茶会に招かれたら、他の女生徒にやっかまれてしまいます」

 ゲームの選択肢通りにお断りする。

 これでイベント発生しない、よな。

 ゲームだったら、起きないはずだ。

「僕ときみだけの秘密なら良いってことかな?」

 くっ、口説いてきやがった……

 マジでほんとオニクス先生ぶん殴りたい衝動に駆られまくってるよ。

「駄目です。エグマリヌ嬢には嘘つけないので! では失礼致します」

 わたしは雨の中、ダッシュで淑女寮に飛び込んだ。

 やれやれだ。

 部屋に戻る途中で、エグマリヌ嬢が待っていた。

「レトン監督生なんだったの?」

「うーん、まあ、誘拐に巻き込まれたこと謝ってくれたよ。監督生は悪くないのにな」

「そうなんだ。律義だね。今日の事、日記に書いたから。ミヌレの番だよ。知られたくないことがあったら無理に書かなくてもいいけど、でもなるべく知りたいな」

 うむ。

 何を書こう。

 独りになった部屋で、わたしは書き物机にアイリスの日記帳を置いた。



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