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第九話 (後編) ここは砂上の楼閣


 うーん。

 寝付けないな。

 体勢を変えても、じっとしても、羊を数えてみても眠れない。

 まさかこのまま朝まで眠れないのか。

 でも別に眠れなくても困らないか。どうせ明日も見世物モードだ。

 睡眠を諦めて力を抜いた瞬間、うつらうつらしてきた。

 眠れそう。

 途端、人の気配がした。


 ……暗殺者か。


 帝国がゼルヴァナ・アカラナの首を取りにきたのか。

 殺しちゃまずいよな。

 わたしの寝所の位置はランダム。

 それを暗殺者に教えた内通者がいるかもしれないなら、先生は情報を吐かせたいだろうし。

 無傷で捕まえよう。なるべく。

 わたしが身構えた瞬間、月下香の甘い香りが鼻先に届いた。

「オニクス先生っ! びっくりしましたよ、暗殺者かって」

「それはすまんな」

 暗闇に佇んでいたのは、暗闇より黒いオニクス先生だった。

 先生ときたらまったく申し訳なさのない謝罪を口から吐いて、長衣を脱ぐ。呪符の装具を外して、わたしの寝床に入ってきた。

 ……は? 

 呆然としていると、先生はいつもの定位置に横になった。

「どうした?」

「いえ、てっきり……違う寝所に行くと思っていましたので……」

 夫婦のふりをする必要はない。

 いや、夫婦のふりは続けているのだが、別の寝床にしたところで嘴を容れてくる人間はいないだろう。 

 先生はわたしの指摘に、小さく呻いた。

 もしかしてもう一緒のお布団に寝なくていいっての、今、気づいたのか。

「あ、まだわたしがいなくなった悪夢を見るなら……」

「もう平気だ」

 出ていきかけた先生の服を、わたしは握りしめる。

 ビッて糸が千切れる音がした。

「一緒に寝て下さい。暗殺者がきたら、どっちか囮になれますよ」

 わたしの必死さが通じたのか、意見に納得してくれたのか、どっちかさっぱりだが、オニクス先生はお布団に戻った。

 先生の横で寝るのも、ちょっと慣れてきた。

 まだどきどきはするけど。

 鼻息荒くしていると、生臭い匂いが届く。

「……血の匂いがしますよ」

「ああ。夜警巡邏していたら、帝国の斥候を発見してな。切り捨てた」

「警備はロックさんに任せたんじゃ……?」

「上空は任せられん。天馬射手隊の斥候はどうにもならんだろう」

「わたしが警邏しましょうか? 先生に【幻影】をかけてもらって、見回りますよ。夜のお散歩したいです。参詣されているだけじゃ、夜はどうせ眠れませんし」

「きみから目を離すと、とんでもないことになる」

「だからってこんな生活じゃ、寝つきが悪くなるばかりですよ。せっかくの寝入りばなに起こされちゃうし」

「すまなかった」

 やけに愁傷に謝ってきたぞ。

 面食らっちゃったじゃないか。

「ミヌレ? どうした?」

「真面目に謝られてちょっと驚いています。わたしが寝てると思って寝室に入ってきたんですよね。起こさないようってのは伝わりますよ」

「そっちではない」

「どっちです?」

「……夕飯時にきみに八つ当たりをした」

「八つ当たりだったんだ」

 たしかにちょっと苛立ってる空気はあったけど。

「八つ当たりだ。こんな生活を強いたのは私だからな。学者どもとの付き合いも、私がうまくやるべき事柄だ。だが……きみを検体にするような男だと思われていたのは、ショックだった」

 マジかよ。

 どう考えても身内でさえ解剖しちゃうタイプじゃん。

 普段の言動を顧みろよ。そう思われてるのがショックってなんだよ……

「私はたしかに冷酷無比だが、きみに対しては……多少の慈悲をかけているはずだ」

 慈悲?

 閨に先生の溜息が落ちた。

「いや。きみの一途さには負ける。私の人生のなかで、これほど一途に想われたことがないから、どうしていいか分からん」

 この声色は、戸惑っているの?

 わたしの気持ち……迷惑だろうな。

「滑稽だな。きみの倍以上は生きているのに、うまくなったのは罵倒や皮肉ばかりだ。この齢になって、いたわりたい相手への言葉のひとつも学んでこなかった。私は、生き方を失敗したな」

 罵倒や皮肉は誰だって、賞賛より上達するんじゃないかな?

 ファンよりアンチが姦しい。

 悪口は言いやすい。

 そういうもんじゃん。

 わたしはそんな人間になりたくないから、嫌なことは嫌だって思うだけにする。好きなことをいっぱい言葉にしたい。

 でも、それは好きなものに囲まれてきた環境だからだ。

 子供の頃は眼が不自由だったし、腹が立つことは多かったけど、悪いことばかりじゃなかった。たぶん。

 美味しい蕎麦料理とかウサギ料理、いい香りのする蜜源の花やハーブたち、羽音の可愛らしい蜜蜂。静かで暖かなキッチンで母親が粉物を打つ音と、わたしがバターを搗く音。

 穏やかで朧げな記憶の断片が、わたしを包む。

 でも先生を取り巻く環境は、先生を育んでくれなかった。

 不毛の大地に、不味いスイカ、鞭に打たれる激痛と屈辱。そんなものに取り囲まれて、愛を嘯ける生き物なんか人間じゃない。天使だ。天使は地上に存在しちゃいけない。

「先生は皮肉や冷笑で、こころを守っていたんでしょう。過酷な立場で生きていたんですから、別に失敗ではないのでは?」

「きみを大事にできないなら失敗だ」

 それだけ呟いて先生は離れていき、背中を向けて寝る。

 広いお布団だから、くっついて寝る必要はない。

 でもわたしは先生の背中に寄り添った。

 先生の肩が震える。

「……情けない。こんな儘ならん感情は、十代の頃に済ませておくべきだった」

「仕方ないですよ」

「何が仕方ないんだ」

「だって先生が十代の頃、わたしが傍にいなかったんです。わたしがいないんだから、儘ならない感情が湧くはずないでしょう」

 背中を向けていた先生は寝返りを打ち、わたしを抱きしめた。

「尊大だな」

「真理ですよ」

「困った。そうかもしれん」

 先生の指先は、わたしの額を優しく撫でてくれた。

「子供に慰められてしまった」

「あまり子供扱いされるの……嫌じゃないんですけど、ほんとは大人扱いしてほしいです」

「駄目だ。きみは子供だ」

「分かりました」

 わたしがそう呟くと、先生からの空気が和らいだ。

 そっと頭を撫でられる。

「いい子だ」

 耳元に届く澄んだ低い囁き。

 ベッドの中で「いい子」って囁かれるの、背徳的でぞくぞくしてしまった。

 静かにしていると寝息が聞こえてくる。

 わたしはどきどきしてるけど、先生はすぐに眠りに落ちていった。

 逞しい腕の中じゃ眠れない。

 寝息に耳を傾ける。

 なんか寝息が苦しそうだな。

 斥候との戦闘中、まさか怪我を負ったのか?

 そもそも天馬に跨ってる斥候を発見したら、近づいて殺す必要はない。先生曰くペガサスに空中戦を挑むのは愚の骨頂だからだ。

 遠くから水を【飛翔】させて、射手だけ殺したはず。

 なのに血の匂いがする。

「……ごめんなさい」

 わたしは先生を起こさないようにして、服を脱がせた。寝てるひとの服を勝手に脱がすなんて、失礼通り越して犯罪な気がする。でも医療目的なら大目に見てくれるよね。

 肩口に矢傷がひとつ。

 撃たれたのか。

 応急処置はしているけど、先生はわたしより治りが遅い。いや、わたしの回復力が、馬鹿げたスピードってのは理解してるけど。

 わたしは矢傷に唇を触れさせ、息を吹き込む。

「……ん」

 先生は微かに声を上げたけど、起きなかった。

 よっぽど疲れているのかな。

 わたしは唇で傷を癒す。

   

「……ミヌレ」


 寝言で呼ぶのは、わたしの名前なのか。

 夢もうつつも、先生の傍らにわたしがいるんだ。

 頬が緩む。

 わたしは先生の傷に、キスをした。

 夜が明けるまで、このまま先生の寝顔を眺めていよう。

 どうせ寝れやしないんだ。

 ぼんやり眺めていると、どこからともなく音楽が聞こえてくる。

 遠く彼方からの音楽。こんな真夜中にどこかで宴でもしてるのかな?

「………んっ?」

 これ、戦闘用BGMだ!

 軽やかで楽しげなテンポなのに、どこが物悲しい余韻が入っている。楽しさと悲しさ、ふたついっしょに響かせている曲。

 この弾き方、ひょっとしてあのおじいさんかな。

 先生が駱駝をあげた楽師のおじいさん。

 でもあの小さなオアシスから、この陪都ダマスクスまでかなりの距離があるぞ。まさかいるわけがない。

 いいや、どうせ寝られないんだ。夜の散歩と洒落こもう。

 わたしは格子窓を開けて、【飛翔】を詠唱する。風の加護に包み込まれ、わたしは窓枠を蹴った。

 音楽の響き目指して【飛翔】する。

 大法院を出て、大通り。 

 月影に座り込み、弦楽器を奏でているおじいさんがいた。

 痩せ細った身体で、腰はひどく曲がっている。

 間違いない、あの楽師のおじいさんだ。


「楽師のおじいさん!」


 わたしに気づき、立ち上がろうとするおじいさん。

 だけど立ち上がりきれていない。足元が覚束なくなっている。

 咄嗟に両手で支える。わたしの腕で支え切れてしまえるほど、身体は軽かった。

「楽師のおじいさん。よくこんな遠いところまで……」 

「やはりあなたさまは、人ならざる神であらせられましたか。ああ、伝説の女王ゼルヴァナ・アカラナさま……」

 ひどくふらついていた。

 眼がぼんやりしているし、夜風は冷たいのに体温が上がっている。呼吸も脈拍もおかしい。指先も震えだしている。

 陪都ダマスクスにいるってことは、この老体に強行軍を強いて旅をしてきたのか。

 わたしに、ゼルヴァナ・アカラナに会うために。

「絶対に助けます」

 わたしはおじいさんを抱きかかえ、大法院に【飛翔】した。

 


「先生!」 

「は? あ?」

 わたしに叩き起こされた先生は、隻眼を瞬かせている。

「急患です!」

「私は医者でもなければ、治癒魔術師でもないぞ」

「でもレトン監督生の手術を手伝ったことあるじゃないですか」

「その話、生徒番号010が喋ったのか。なんだ、老楽師どのか」

 最初はむっとしていたが、患者が楽師のおじいさんだと気づいて表情を和らげた。お布団から素早く起き上がる。

 医者みたいな手つきで、脈拍や瞳孔を確認していった。

「疲労と脱水か?」

 寝台横の鈴を鳴らす。

 宿直していた女奴隷がはせ参じた。

「施療室を開けさせろ。すぐにだ」



 おじいさんを施療室に搬送する。

 真っ白い部屋には清潔そのものの寝台が並び、空気がしっとりしていた。気温が低くて湿度が高い。身体に優しい空気になるように調整されている。

 オニクス先生は腕まくりして、石鹸で手を洗い、薔薇水で灌ぐ。

「魔術で他人の肉体に干渉するのは、不慣れだとリスクが高い。おそらく極度の疲労と脱水だろう。点滴で処置していく」

 先生が説明しながら手際よく、豚の膀胱を出し、鵞鳥の羽軸の先端を削っていく。

「きみはこの老楽師どのの血液検査を。血液質を見てくれ」

 先生から小瓶が渡される。おじいさんから採血した黒い血が入っていた。

「ういうい」

 血液質を調べる方法は、ふたつ。

 現代では、対象の血を四属用紙に落として、肉眼で変化を見るのが一般的だ。早いし確実。

 だけど四属用紙が無くても、判別する方法がある。

 血液質が判明している血と混ぜて、四属反応を観察するのである。

 わたしの血液質は多血質。

 指をちょっと切り血を垂らし、おじいさんの血といっしょにガラス棒で混ぜ合わせる。

 じっと観察。

 観察。

 これけっこう反応するまで時間かかるんだよな。だけど目を離せない。四属反応って起こったらすぐ終わっちゃうし。

 反応無いな。もしかして同一血液質かな。同一血液質だと四属反応しないんだよな。

 睨みつけていると、ぷつりと水の粒が湧く。 

 ぷつり、ぷつりと透明な雫が増えてきた。

 多血質+(  )=微細な水滴が生じる。

 ( )を埋めなさい。

「おじいさんは粘液質です!」

 わたしの言葉に、先生は素早く錬金食塩水を調整していく。

 動物の膀胱に錬金食塩水を入れて、鵞鳥の羽軸をおじいさんの腕に差し込み、点滴を開始した。

 羽軸で注射するのは、古めかしいやり方だ。

 現代だと金属の針があるもんな。羽軸って金属より痛そう。

「錬金食塩水をもうひとつ作っておく。旧式のやり方だが、覚えておいて損はない」

「はい!」

 先生はおじいさんの容態を診ながら、わたしに錬金食塩水の作り方も指導してくれた。 

 おじいさんは心配だけど、ほんの少し嬉しい。

 今このひとときは、神さまと神官じゃなくて、生徒と教師だったから。

   

 



 太陽が昇り切って、空は藍から青へと変わっていく。

 朝の鐘が鳴った。

 前廷が開かれて、参詣者が詰めかける時刻だ。

 



 女奴隷たちが、寝室の扉を開ける。

 ロックさんが女奴隷の誰かと雑談してる声が、枕元にまで届いてきた。

 朝から元気だな。

 お布団から顔を出すと、ロックさんの笑顔と目が合った。

「ねえ、姫さま。お出ましの支度……できそう?」

 ロックさんの視線は、わたしの横にいるオニクス先生に向けられていた。黒い頭がちょこんと出てる。

「無理です。もうちょっと朝寝させてください。一睡もしてないんですよ」

 おじいさんの容態が安定したのが、朝方だったんだよ。

 あとは施療官に任せて、ついさっき先生といっしょに寝床に戻ったばかりなのだ。

「お昼寝なら、参詣中にすればいいじゃん」

「いやです。起きたくないんです……朝ごはん要らないし……今日は寝たい」

「参詣しにきた連中が暴動起こすよ」

 神さまって朝寝もままならないのかよ!

「ゥっ、うう~」

 思わず不服の呻きが上がっちゃう。

 これが授業とか冒険とか楽しいことが待ってるなら気力も漲ってくるけど、待ってるのはずっと拝まれるっていう退屈なだけの一日だぞ。

 それでも出なくちゃ。

 わたしはゼルヴァナ・アカラナとして振舞うのが役割。元の世界に戻るための大事なことだ。

 それに楽師のおじいさんみたいに、必死の思いでこの陪都に辿り着いた信者さんもいるに違いない。

 眠気に負けていられない。

 よし。

 頑張るぞ。 

 気合を入れた瞬間、力強い腕に抱き締められた。

「ひへっ?」

 オニクス先生が抱き着いてきた。

 寝ぼけてるの?

「ちょっ、先生……あっ、待っ…」

 抵抗したけど、容赦なく寝床に引きずり込まれた。

 わたしは先生の抱き枕じゃないんですけど!  

「分かった。今日は朝食キャンセルで、沐浴は略式ね。お出ましも遅らせる。また来るから」

「ういうい~」

 降って湧いた朝寝タイム。

 添い寝の相手は蜜蜂じゃなくて、先生だ。

 わたしは幸せな気分で、目を閉じた。


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