第九話 (中編) ここは砂上の楼閣
駄目だ、諦めちゃ駄目だ。
話し合うことを切り捨てたら、人間扱いしてるってことにならない。
そして落ち着いて会話するんだ。レトン監督生は己の倫理の違う行動をしたわたしのことを、理解しようと努めてくれた。名門貴族のエグマリヌ嬢は、給費生のわたしと対等に話してくれた。
ふたりを見習って、驕らず、穏やかに、喋らなくちゃ。
「来世で願うことはないんですか?」
「ザルリンはぁ、現実的なのでぇ、そういうこと考えられないんですぅ」
「仮定を立てるのは、現実的行為では?」
「そういう難しいこと言ってぇ。意地悪ですぅ」
周りの女奴隷たちが、びっくりする勢いでザルリンドフトさんを引っ込めた。
さすがにアウト発言だったのだろう。
「いと尊くも美しき姫さま、真珠の如きお方。シャーベット水がご用意できました」
他の女奴隷によって、シャーベット水が運ばれてくる。シャーベット水はとびきり冷えているのか、銀のグラスは結露していた。
わたしが視線を外した隙に、ザルリンドフトさんが消えてた。
ゼルヴァナ・アカラナを不機嫌にさせないため、忖度したのだろう。
シャーベット水はタマリンドに生姜入り。舌を悦ばせて、喉を潤してくれた。湯殿に満ち溢れている水蒸気は香しくて暖かい。でもなんだか芯が強張ったままだ。
わたしは湯浴みをさくっと切り上げる。
なんか疲れた。
ゆったりした衣装に着替え、蜜蜂のチョーカーを付ける。
正餐の間に蹄を運べば、見渡す限りご馳走が並べられていた。
ロックさんとシッカさんが待っている。
「姫さま、早く飯にしよう。おれハラ減った」
美味しそう……なんだけど……
昼間はずっと暇つぶしに果物食ってたから、そこまでおなか減ってないのだ。穀物とかお肉は少しくらい欲しいけど、ピタパンにおかずつめたら、きっとおなか満足しちゃう。
「こちらの前菜のペーストは、ヒヨコ豆と松の実のシナモン風味、子羊の肩肉と脳みその果実ソース添え。スープは柘榴とナツメグのアーモンドスープです。紫茄子のひき肉詰め、海老の胡麻焼き……」
シッカさんが説明してくれる。
ひとつひとつ丁寧な説明を聞いていたら、数十分はかかりそうだ。
「こんなに用意する必要があるのでしょうか……」
「そりゃ要るよ。姫さまの食べなかった分が、奴隷たちの腹におさまるわけだからさ。おっと、あらかじめ別の食事を用意しとくってのはナシな。これは毒殺予防って観点もあるから」
ロックさんが風習を説明してくれる。
ああ、色んなひとがたくさん作って、いろんな立場のひとが食べるから、毒を入れにくいってことか。
毒殺するとしたら、遅効性のものをちょっとずつって感じかな。
どのみちわたしは一角獣の特性を宿している。
生半可な毒は効かない。
「あと身分の高いやつの食器は、こっちでも銀製な」
それはエクラン王国でも同じ。
毒は銀をくすませるから、王侯貴族の食器はすべて銀だ。
「とはいえすべての毒が、銀と反応するわけではない」
誰もいなかったはずの空間から声がする。
【幻影】で姿を消しているのか。
オニクス先生は【幻影】を解除する。
漆黒のターバンと長衣に飾り帯。夜さえ欺く闇色だ。幾多の呪符を纏っている。
悪の魔術師、砂漠版ってところか。
先生は長ったらしい上着を脱ぎ、わたしの隣に腰を下ろす。
「きみは毒など平気だが、私は毒で死ぬぞ」
「意外ですね。毒で死ななそうな顔しているのに……」
わたしの率直な感想は、オニクス先生をしかめっ面にさせた。
でも毒を飲んでも死にそうにない顔だよね。ロックさんも頷いているし。
ちなみに今の会話は、ジズマン語に切り替え済み。先生が毒を飲んだら死ぬって情報は、いちおう伏せてます。
「ゼルヴァナ・アカラナ。馬鹿と無学に崇められて、ご苦労だったな。私なら一時間も耐えられん」
「先生。ジズマン語だからって、みんなの前で言っていい台詞とだめな台詞があると思いますよ」
さすがに窘める。
通じないからって人前で悪口いうのは、根性が悪すぎる。
先生は鼻で嗤った。
その仕草だけで暖かな料理も冷め、香ばしさも打ち消されそうだ。
「偽りの女王を担いで疑わぬ連中など、馬鹿と無学だろう」
「………」
それな………実はな………偽りじゃねぇんだよな………
わたし、本物なんだよ………
今までずっと時間障壁の向こう側のこと、正直に話してなかった。完全にわたしの非だけど、これは信者さんたちを馬鹿にすればするほど、先生が憐れでは?
白状するタイミング完全に逃した感がある。
どうしよう。
「ねえ、旦那。旦那がきたらもう姫さまの護衛いらないよね。おれは下でみんなと飲んでくるよ。夫婦水入らずで食ってて」
ロックさんは葡萄酒の酒壺ひとつと、骨付き羊肉を丸ごと持って、正餐の間を出てしまった。
先生が人払いに手を振ると、シッカさんと給仕をしていた女奴隷たちも退出する。
「奴隷を使うのは嫌だったのではないか?」
意地悪い囁きだ。
「現在、意識調査中です」
「きみの望む答えなど吐いてくれんぞ」
それはさっき痛感した。
ザルリンドフトさんは、わたしに対してとんでもないこと言いやがったし。
「貴人の傍仕えをする奴隷など、恵まれている方だ」
「奴隷に恵まれているもクソもないですよ」
わたしは思いっきり睨みつけたが、先生はどこ吹く風とばかりに嗤っていた。
「恵まれている。きみの周りに侍らされている奴隷は、マシな立場の奴隷だ。四肢に不具なく、容姿芳しく、教育を受けることが出来た奴隷だ。そんな連中に改革を促したところで、上級奴隷というほんの少しだけマシな身分に固執するのだ。そして同じ奴隷を裏切る」
オニクス先生はひどく苦いものを呑み込んだように、喉の奥から言葉を吐いた。
黒い隻眼は遠くを見つめている。
距離的な遠さではなく、時間的な遠さ。
先生が見つめているのは、きっと飛地で奴隷をしていた頃の己自身。
「……死ねばいいのだ。もう殺したが」
そうか、自分で殺した相手を、いまだに死ねばいいって思っているのか。
「復讐って難しいですね」
「私は殺意でひとを殺さん。殺した方がいいと判断したから殺しただけだ」
陰鬱な眼差しだ。
「あの、研究の方はいかがでしょう」
これ以上、古傷から憎悪が湧き出さないうちに、わたしは話題を無理やり変える。
「学者連中、全員俗物だ!」
別のところから憎悪が噴出した。
このおっさん、間欠泉か?
オニクス先生は、俗物が学問の領域に入るの大嫌いだからな。
中央大法院にいる学者さんたちは、先生の嫌いなタイプだったのか。まあ、最高学府で出世してるんだから、そりゃそうだよな。
「権威に媚びちらかして、何が学徒だ! ……ある程度は媚びんと予算が下りんと分かっているが、虫唾が走る。学者が権威に媚びだしたら、将来的に国家の損失だぞ」
先生はひとしきり学者論を喚き散らして、クッションにでかい身体を沈めた。
もうだめだ。
どの話題でも地雷だ。
「お料理どれか取りましょうか? 家禽は好きですか?」
以前、『引かれ者の小唄亭』で鶏肉のワイン煮込み注文していた。たぶん鶏肉は嫌いではないぞ。
銀皿から、くるみ鶏を取る。
くるみ鶏は、パンとくるみをペーストにして、蒸し鶏に絡めた料理だ。
料理はわたしが毒見で啄んでから、先生の分を取り分ける。
美酒もわたしが毒見で舐めてから、先生の盃に満たす。
家禽と葡萄酒を出すと、オニクス先生はのっそりと起き上がった。わたしが取り分けたものをつまみにして、真っ赤な葡萄酒を呑む。砂漠で醸される葡萄のお酒は、先生の好みだったみたいだ。ひとつふたつと銀杯を重ねていく。
酒を飲むたびに、大きく動く喉仏。
なんとなく視線が奪われてしまう。
「昼間、音楽が聞こえてきたな」
「わたしに献上された楽です。もしかして研究のお邪魔でしたか……」
時魔術の研究。わたしたちが元の時代に帰るための手段を探さなくちゃいけない。
大法院を占拠したのも、わたしが神さまやっているのも、すべては帰還のため。
音楽のせいで集中を削いでしまっただろうか。
「邪魔ではない。むしろ好ましい」
「ならよかったです。わたしもただ座っているより、音楽を奏でてもらった方がありがたいです」
わたしは別のお料理をひとくち毒見をして、それをよそおう。紫茄子の挽き肉詰め。茄子が紫ってのが見た目に面白いし、クミンががっつり効いていて味わいも異国情緒。
「ところできみはどこに胃がある?」
「おへそのあたりですけど……?」
隻眼からの視線は、わたしの一角獣化しているところに注がれていた。
「一角獣化しているならば、人間の食事は消化できないはずだが……胃腸は雑食性のままなのか? ではその下は、なんの臓器があるのだ……?」
「さぁ? 解剖してみますか?」
わたしの発言に対して、先生はムッと顔を顰めた。
「きみを人体実験しようとは思わん!」
また間欠泉が噴出したぞ。
人体実験した過去を悔んでいるんだろう。
でもわたしは痛覚遮断や肉体再生があるから、先生に実験されても平気なのに。
先生が無言で酒を呷っていると、食堂を仕切る薄布の向こうに人影が揺れた。
シッカさんだ。
「閣下。大法院猊下より伝言がございます。お探しになられていた原本が発見されたそうです。状態は芳しくございませんが、まずご報告に上がりました」
「分かった、すぐ行く」
「わたしもお手伝いします」
立ち上がろうとしたけど、手で制された。
「まだ文献を漁っているだけだ。きみは古代語は読めんだろう」
「あぅう、で、でも色彩象徴言語は読めます!」
「巫女の織った絨毯は見つかってない」
「じゃあ、えっと………」
「では、頼み事がある」
「なんなりと!」
「信者どもへ下賜する護符を作ってくれ。道具と材料を用意させる。分かりやすい褒美を用意しておかんとな」
護符工房を頼まれてしまった。
学院に居た頃、依頼料を稼ぐためにせっせと内職してた。つまりは雇い賃稼ぎなので、わたしの得意分野ではある。
先生は取り分けた料理だけは平らげて、盃を空にして席を立つ。
「近衛隊長をすぐ姫の元へ」
「連絡済でございます、閣下。もし大法院の学士で事足りなければ、派閥争いで敗れて去った学士や、在野の処士を探しましょうか」
「助かる。居場所が分かるなら、私が赴こう。人品を見たい」
「すぐに在所をまとめてご報告いたします」
話ながら行ってしまうオニクス先生とシッカさん。
ご馳走に取り囲まれて、独り残される。
先生の毒見だけで、腹がくちくなってしまったな。
わたしは鈴を鳴らす。
鈴の音に、女奴隷たちがやってきた。甲斐甲斐しく薔薇水でわたしの指を洗い、食後のミント茶を供してくれる。ゆっくりと飲んでいると、ロックさんが戻ってきた。
「すみません、お仲間と食事中に呼びつけて」
「いいって。おれのお仕事だからね。どの寝所に行くの?」
「いちばん近いところにお願いします」
寝所にエスコートしてくれる。
大法院にはゼルヴァナ・アカラナのために数か所、寝床を用意されている。暗殺防止だ。
月の間は、天井に惑星軌道が描かれた寝所だった。
部屋を仕切る紗は、金糸銀糸オリハルコン糸が織り込まれてるから揺れるたびに煌めく星雲みたい。色ガラスのランプは浮かんでいて、お星さまみたい。窓の近くには瑠璃金彩の一輪挿しがたくさん並んでいて、白いチューリップが活けられていた。
ロマンチックなお部屋だ。
薄絹の向こう側には、ひとりのためには大きすぎるお布団。
女奴隷が護符作りセットを運んできた。
十三個の蛍石に、夜光蛾の粉と湧き水。
この材料と量からして作るのは、光の護符を十三個。一年生の一学期の内容。基礎の基礎だ。
ふふ、最初はこれを作って売って、ロックさんを護衛に雇ったんだっけ。そのあと、オニクス先生に夜間外出を追求されて、三日間の謹慎に処されたけどな。
今となっては愛しい思い出だ。
呪文を唱えながら、湧き水に夜光蛾の鱗粉を溶かした。魔術インクを指に付けて、蛍石に呪文を綴る。
うん、意外にすらすらと光の護符を作れたな。
久しぶりだけど、護衛賃を確保するためにたくさん作ったから、指が覚えている。
あっという間に受注クエスト完了。
いくつもの冷光が寝室を照らすと、オリハルコン糸が冷やかに輝いた。
先生はまだ研究しているんだろうか。
「おやすみなさい、オニクス先生」
わたしはチョーカーの蜜蜂へキスをする。
チョーカーは外さない。身を守るためって理由じゃなくて、愛しいから肌身離さず持っていたい。
久しぶりの一人寝だ。
わたしは金の蜜蜂に添い寝してもらって、目を閉じた。




