第十話 (後編) 滅びろ、ファッションオタ!
オニクス先生の部屋は、ずいぶん深く暮れなずんでいた。
「日が暮れたな。送っていこう」
先生は御影石のマント留めを握り、呪文を唱える、わたしごと、【幻影】の膜を張った。誰にも話しかけられないためだ。
この【幻影】も早く欲しいなあ。【浮遊】と【幻影】がそろったら、かなり行動範囲が広がるのに。
淑女寮まで赴く。
玄関から離れた花壇の近くに、誰かいる。
レトン監督生だ。
先生は自分だけ、【幻術】を解く。
「なにをしている、生徒番号010。監督生は消灯時間の対象外とはいえ、淑女寮に近すぎるぞ」
「先生こそ、どうして」
「寮母に用事がある」
さらっと嘘をついた。
「僕は……ミヌレ一年生が気がかりで…実は今日の昼」
「昼間の件なら、もう学院に通達されている。生徒が誘拐されかけたと、緊急会議だった」
迷惑そうに肩をすくめた。
被害者そのいちとそのにの前で、そんな態度はないですよ、先生。
「彼女のおかげで事なきを得たというのに、僕はきつい言い方をしてしまった。いえ、きついどころじゃない。人殺しだと責めた」
「法治国家において私刑を忌むのは当然だ。陛下でさえ法の平等の下にいる。きみは間違っていないだろう」
オニクス先生は頷いてはいるものの、法をこれっぽっちも重視していない口調だった。
「だからこそ僕に非があります。「舌に神、心に悪魔」ならば正しさの意味はないでしょう」
レトン監督生は凛と言い切った。
「舌に神、心に悪魔」ってのは上流階級の慣用句だ。庶民の言い回しなら、「丸い卵も切りようで四角、物も言いようで角が立つ」だな。
レトン監督生の実家は、新興の商家だ。貴族でも財閥でもない。失敬な言い方をすれば、成り上がりというやつである。上流階級の慎みを殊の外、守るようにしているんだろう。
「監督生の鑑だな」
先生は感心した口ぶりを装っていたけど、揶揄が一滴もなかったわけではない。
その揶揄を感じ取ったのか、レトン監督生の眉が跳ねた。
「いや、褒めているのだよ、これでも。その心構えは学園内や王宮内では、真理に等しいほど正しい。ただ………これはこの学院の教師としてではなく、私の個人的な見解だが、戦場で下士官を怒鳴りつけるのは、上官の義務と消閑だ。敵が襲ってきた以上そこは戦場で、怒声のない戦場などありはしない」
先生は滔々と語る。
まあ、『監督生は後輩指導が義務』なら、彼はわたしの上官たる立場だ。『戦場ならば、怒鳴ったりきつい単語を使用するのもやむを得ない』なら、レトン監督生の言動も間違ってはいないか。
レトン監督生は一瞬だけ得心した表情をしたけど、眼差しは冷めきっていた。
「………妹が」
沈黙を経てレトン監督生の口から出たのは、唐突な単語だった。
「妹がいます。とても可愛くて。ほんとうに、もう、ほんとうに………うわぁってくらい可愛いんですよ」
大丈夫か? いきなり語彙が無くなったぞ。
まあ、ほんとうに可愛い幼女だけどさ。
「もしあの子が誘拐されかかって、逃げ延びるため犯人を殺しかけても、僕は悲しむどころか喜びます。妹を責める男がいたら、僕は絶対に許さない」
絶対に許さないって言ってるけど、これはかなりオブラートに包んでる。もはや殺意の領域だ。
妹さんの身に起こったと仮定して、自分の発言を反省したのか。
ふむ。許せる気がしてきた。
「だからミヌレ一年生に謝罪をしたいのです」
「きみは誠実だな。ついでに彼女を口説いてほしい」
うぉふっ?
なに世迷言ほざいてんだ、このおっさん。
「なにをおっしゃってるんですか、先生」
「ああいう顔が平均以上で、文句を言ってくる男家族がいない女生徒は、ターゲットになりやすいだろう」
「………卑劣な話です。ことさら後ろ盾のない女性を選んで、級友と張り合うためだけに恋愛沙汰に持ち込もうとする。女性と付き合えたからといって、己の価値が上がるわけではないのに」
レトン監督生が憎らしそうに呟いた。
「一昨年は刃傷沙汰まで起こった。あれはもう真っ平だ」
先生はうんざりした表情になる。
なにがあったんだ、一昨年………
「特に生徒番号320は、特待編入生だ。普段は興味を持っていない男子生徒も、話題にしているのではないか?」
「おっしゃる通りです」
苦渋に満ちた呻きが、彼らの間で交わされる。
「生徒番号320の魔力は大きい。一昨年の事例と違って、死人が出るかもしれん」
途端、レトン監督生が青ざめた。
なるほど恋愛のもつれで、わたしが人殺ししかねないと。
ふむふむ。まあ、昼間の行動からして、やりかねない女って扱いされるわなあ………
「きみが生徒番号320を口説けば、ほかの男子生徒の牽制になるだろう」
何言ってんだ、このおっさん。二回目だけど!
「それでは彼女を弄ぶことになります」
「なに、本気で口説けばいい」
「無茶な。彼女は四つも下ですよ……まだ子供じゃないですか………………」
やめろ、先生のメンタルに攻撃するんじゃない。
先生がうっすら冷や汗を流してるじゃねーか。
「いえ……先生、そうですね……もしかしたらそれが一番、問題が起きないのかもしれません」
おい、監督生がこんなクソ理論に説得されてんじゃねーよ。正気をたもて。
「彼女は危うい。誰かが見守るべきなら、その役目は僕が致します」
やめろ。
おい、やめろ。
「謝罪の文面を、考えなおします。今日はこれで失礼致します」
去っていくレトン監督生。
「うまくいったな」
「ビタイチうまくいってねぇよ。このおっさん、何考えてんだ……」
わたしの呻きに、先生は口許を緩める。
「きみに対しての罪悪感をどうにかしたいから、良い嫁ぎ先を見繕いたい」
「めちゃくちゃ身勝手な本音だなァ」
「きみにもメリットはある。彼の実家は富豪宝石商だ。うまく援助を引き出せば研究予算は潤沢で、稀有な石も手に入る」
めっちゃ弱いところを突いてきた。
レトン監督生の恋愛ENDだと、ふたりで魔術の研究するパターンがある。庶民の生活を向上させるために研究をして、結婚して、夫婦で勲章を授与される。
悪くはない人生だ。
だけど今のわたしはそれを望んでない。まったくもって望んでいないのだ。
「私は寮母と話してくるから、その隙に部屋に戻るといい」
ほんとに用事があったのか。
淑女寮の玄関の前に、大きめの窓がある。テーマパークとかのチケット売り場みたいになってるのだ。
「静寂の魔女どの。ラヴェンダー酢と真珠粉と重曹あるか?」
「また切らしたんですか?」
寮母さんが顔を出す。
「真珠粉はわたくしも残り少ないんですよ」
「ならラヴェンダー酢と重曹だけで手を打とう。あと酒石英も」
「態度でかくて腹が立ちますわ」
先生と寮母さんがやり取りしているすきに、玄関から入って、一階を突っ切る。急いで大階段を上った。
けっこう親しげだったな。
魔術の素材の貸し借り、頻繁にしてるんだ。
そういえばわたしが【浮遊】で空中に上がりすぎたとき、寮母さん、寝ている先生の部屋に入ったんだよな。
それにわたしと先生が遅く帰ってきた日、寮母さんに叱られた。先生もおとなしく叱られていたんだ。
………………やめよう。
わたしが考えていいことじゃない。
ぼんやりしていると誰かが駆け寄ってきた。エグマリヌ嬢だ。
「ミヌレ、どうしたんだい。とにかく着替えを手伝うよ」
これはお嬢様のためのドレスだから、後ろボタンなのだ。朝、着るときもエグマリヌ嬢に手伝ってもらった。
「……えっと…レトン監督生の馬車が襲撃されましてね。ちょっと疲れました」
「ひどい災難じゃないか。ボクも付き添えばよかった」
ほんとはそんなこと考えているわけじゃない。
想っているのは、先生のこと。
エグマリヌ嬢がドレスを持っていってから、ベッドに倒れこむ。
柔らかく清潔なベッド。
でもわたしは図書迷宮の褥が恋しかった。先生のローブの中。魔術的インクに使う精油の香りが降り積もって、不思議なぬくもりがあった。なんて安心する闇だったんだろう。
わたしはもう一度、あの闇に包み込まれたい。
愛撫と痛みを反芻して、目を閉じた。