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第七話 (中編) 神さまにクラスチェンジ



 中央大法院から急使がやってきたのは、太陽が昇り切る寸前だった。

 揃いの身なりをした大行列。

 そして大きな空飛ぶ絨毯に一人。

 絨毯、あれだけ広々してるんだからもっと大勢乗ればいいのに。でも独りで乗ってるから、このひとが代表者だって誰でも分かるな。

 乗っているのは、綺麗なひとだった。

 秀麗な面立ちだけど、女性なのか男性なのか分からない。なんとなくディアモンさんを連想した。目鼻立ちは似てないけど、品が良くて理知的な雰囲気がそっくり。

 ターバンと絹衣の紫色が、知的さも上品さも引き立てている。

 でも被衣してないってことは、男のひとなのかな?

 男のひとにしては、髭が無いし、膚が綺麗すぎるし、ターバンから零れ流れる髪は長い。

 使者さんは空飛ぶ絨毯から降りる。

 美しい衣が砂に塗れるのも構わず、わたしに跪き額づいた。

「お初にお目にかかります、いにしえ語りに咲き誇る女王。羞花閉月のお姿にお目にかかり欣喜雀躍でございます……」

 女とも男ともつかない美声で語る。

 詩を朗読するにうってつけの玲瓏な響きだった。

「挨拶はあとで受けよう」

 使者の挨拶をぶった切ったのは、オニクス先生だった。

 尊大と邪悪のお手本みたいな態度で、使者を見下ろしている。もう見下ろすっていうより、見下すって言った方が正しい形容かもしれない。

「私は蛇蝎。ゼルヴァナ・アカラナの配偶たる一匹の蛇だ。幼き女王に代わって問うぞ、開城は是か非か?」

「開城致します」

 玲瓏な声で語る。

「大法院の開城に手間取りましたこと、まことに弁解のしようがございませぬ。綾羅錦繍を取り寄せ、美酒佳肴を作り、翠帳紅閨を整え、恙なく高御座をご用意致しました。ですが長らく女王を風餐露宿の憂き目に晒した罪、弁解しようもございません。わたくしめの首で贖って頂ければ、幸いにございます」

 美麗な物言いに覆われていたけど、首で贖うって、詫びで死ぬつもりか?

 まさか本気?

「ひとつ問おう、ご使者どの。我らが女王ゼルヴァナ・アカラナを迎え入れるつもりなら、何故、師団を整えさせた?」

「祝賀にはせ参じたまででございます」

「では誤射をしたか。申し訳ない」

 しおらしい口調を装って、剃刀じみた問いかけを使者の喉元に突き付けた。

 誤射だと言えばこちらの判断ミス、誤射ではないなら敵対行為だ。

 はい、いいえ、どっちの回答でも首が落ちる。

「帝国の兵士の二万など、帝王陛下にとっては取るに足らぬもの。女王への祝賀として、献上されれば彼らも本望かと」

 使者さんは問いという刃を、即座に躱した。

 秀麗な面持ちに、戸惑いも怯えもない。

 紙一重で躱された先生は、口許だけを笑みで装う。

「帝国は腹芸の上手い官吏を擁しているようだな」

「そのように思われたのであれば、わたくしめの手落ち。信じて頂けるまで誠心誠意、粉骨砕身、尊きお方にお仕えする所存にございます」

「仕える? きみは帝王に仕える役人ではないのか」

「良禽は木を択んで棲むと申します」

「忠臣は二君に事えずとも言うが?」

「物換星移、いままでは女王がおられませんでした。ですが女王がご降臨されたならば、もっとも尊きお方にお仕えするのは人の義務と存じます」

 使者の声も眼差しも、一切揺らぎはない。

 これが死を覚悟した人間の眼なんだろうか。

 オニクス先生の手のひらが、使者の頬に触れる。髪を梳き、唇を撫でる。

 唇の輪郭を、ゆっくり愛撫する手つきだった。 

 おい、何やってんだ……

 ひょっとして好みのタイプとか言わねーだろうな。

 睨みつけていると、先生がいきなりわたしへと視線を投げかけた。

「女王ゼルヴァナ・アカラナ、この者の血を砂に吸わせますか?」

 オニクス先生が、嗤いながら問うてくる。

 意地悪い問いかけだ。

 もともと殺す気はないのだろう。ただわたしを女王として知らしめるための儀礼的な問いかけだ。

「血より水を望みます」 

「お許しを得たようだな。名を」

「シッカと申します。奴隷宦官ゆえに添え名はございませぬ」 

 その発言に、先生は少しだけ口許を和らげた。

「女王へ献上品をお持ち致しました」 

 揃いの衣装を着ていたひとたちは、お盆に色々なものを携えていた。

 コーパル樹脂に竜涎香、枝ぶりの見事な巨大紅珊瑚、硝子細工や象牙細工の小瓶たち。薔薇やジャスミン、干しナツメやタマリンド。まさに女王さまへの献上品だ。

 わたしの目と魂を引き付けたのは、とびっきり美しい刺繍。

 翡翠色の絹に、金糸で蔦模様が刺繍されている。なんて生き生きした刺繍だろう。目を離した瞬間に芽吹いて花が咲きそうで、もう目が離せなかった。

「これ、わたしのドレス? 素敵!」

 おっと。うっかり素が出ちゃった。

「いと高き女王にお気に召して頂き、これ以上の誉れはございません。宜しければお召し替えのお手伝いを致します」

「私がやろう」

「では仮の宮を」

 シッカさんの声で、大きな布地たちがひとりでに躍り上がる。絨毯が敷かれて、天幕が張られた。

「自動的にテントが組み立てられましたよ」

「古代魔術の一種だ。これは現存していない」

 魔術のテントのなかで、わたしはお召し替えをする。まず髪を梳かされた。

「先生に着替えさせてもらうのは、ちょっと恥ずかしいです」

「あの宦官にも用心すべきだ。無防備な姿を晒せん。とはいえ、きみはこの時代の正装を独りで着られまい?」

「い、いえ。先生は? 着付けできるんですか?」

「刺繍遣いが再現した宮廷正装の着付けを、手伝わされたことがある。一度だけだがな。それほど複雑な手順ではないが、手と目が後ろについてないと独りでは着られん」

 ディアモンさん、思った以上に先生をこき使っているのでは……?

「そういえばシッカさんって、ディアモンさんに似てますね。顔じゃなくて、雰囲気とか……」

「そうだな。挙措に似通ったところがある」

 友人である先生もそう思ったのか。じゃあわたしの気のせいじゃないな。

「刺繍遣いが着ているドレスは、砂漠帝国のデザインを取り入れている。あの衣装で洗練された動作を目指せば、砂漠の宮廷人と結果的に似通うかもな」

 なるほど。

「こっちがアンダードレスだ。着たまえ」

 頷いて、服を脱ぐ。

 ドレスの気付けの手伝いなんて、ディアモンさんに何度もやってもらったのに、先生のふたりきりだと妙に頬が火照るな。

 まず透け透けひらひらのシースルーワンピースに袖を通す。

 裸より、恥ずかしい!

 だってこの透け透け状態、娼館のおねーさんたちに似てるんだもん。

 頬の火照りが上昇していると、先生が翡翠色の絹を広げた。

 ワンピース……ガウン? いや、前開きのワンピースなのか?

 シースルーワンピースの上に、翡翠色のワンピースを着せられた。

 ガウンタイプとはいえ、エクラン王国の正装より筒形だから着にくいかと思ったけど、見た目以上に布がふんだんに使われていた。ユニタウレ化した状態でも楽に着れる。

 これ、本来はアンダードレスの下にさらに何か履くタイプのドレスなのかな……?

 絹の帯を締めて、オリハルコンと黄金の飾り帯を垂らす。

 日長石の蜜蜂にも色合いが合って素敵。

「ほう、幼いとはいえさすが女王。正装姿も見目麗しいな」

 見え透いた世辞だけど、褒められると胸がどきどきする。簡単に舞い上がってしまいそうになる気持ちを、食いしばって抑えた。

 緑地に金縞模様のヴェールを、先生が被せてくれた。

 テントを出る。

 正装を輝かせているわたしに、跪いているひとたちが歓声を上げ、護衛で突っ立っていたロックさんが笑顔を向けてくれた。

「すげーな。おとぎ話から出てきたみたいじゃん」

「ふふ、ありがとうございます」

「さっき私が褒めた時より嬉しそうだな」

「そりゃ白々しいおべっかより、本音の感想の方が嬉しいですよ」

 空飛ぶ絨毯に乗ると、ふわりと浮き上がった。

 よくこなれた羊毛の感触を撫でながら、空飛ぶ絨毯を霊視する。

 空飛ぶ絨毯はディアモンさんによく乗せてもらったけど、落ち着いて霊視するのは初めてかな。

 霊視が制御できるようになってから、ちょっと情緒が不安定だったしな。

 プラティーヌとオプシディエンヌが同一人物だって気づいたから。

「オリハルコン糸で浮かして、羊毛にかかってる魔術で動かすんですね。羊の習性を魔術に織り込んであるんだ」

 だいたい仕組みは理解できた。

「わたしが操作していいですか?」

「もちろんでございます」

 やった!

 ディアモンさんはわたしに好き勝手させてくれなかったもんなあ。護衛兼監視役だったのだから仕方ない。操作に慣れさせて、わたしに出奔されたら困るもんな。

 だけど、やっと、空飛ぶ絨毯を操作できるぞ!

 わたしは霊視モードのまま、両手のひらを絨毯に押し当てる。

 空飛ぶ絨毯という物質で構成されている魔術を、わたしの魔力で展開させる。

 一気に急上昇した。

 乗り手は保護されている。この感触は、【庇護】に近いな。

 複雑すぎる魔術構成を物質にすることで、展開を安定させているのか。即時性は低いけど、安定性に傑出している。

 これが古代魔術か。

 慣れてきたらけっこう楽しいぞ!

 【飛翔】や【浮遊】とはまた違った浮遊感だ。

 飛竜に乗っている感覚にも似てる。

「うひょひょーい」

 急旋回させた瞬間、シッカさんがぽーんって投げ出された。

 えっ? なんで?

 びっくりしているわたしの前で、先生が【飛翔】して、シッカさんを受け止める。

「空飛ぶ絨毯は貴人の乗り物で、低速飛行を想定されている。乗り手を守る術式が組まれているが、高速移動までフォローできんぞ。速度を出したところできみは一角獣の下肢があるから体幹で乗れてしまうが、不必要な速度を出せば一般人は投げ出される」

「ごめんなさい」

「いと尊き女王にお気に召して頂けて、幸いでございます」

 投げ出されて目を回しているのに、シッカさんは宮廷礼節をまったく崩していなかった。 

 




 目映い朝焼けと、涼しく乾いた風の中、わたしは空飛ぶ絨毯でふわふわ飛んでいった。

 ディアモンさんの操作を思い描き、優雅にゆったり進ませる。

 貧民窟から大通りを通っていった。

 妙に静かだな。

 陪都ダマスクスという帝都に匹敵する大都市が、静寂に包みこまれている。このくらいの規模の都市なら、朝から賑わしいのにそれが一切ない。廃墟めいている。

 ここまで静かなのに、建物の窓からも物影からも、視線が突き刺さってきた。

 わたしは頭から薄めのヴェールを被っているけど、下肢の四つ足はそのままだ。

 うーん。いっそ踊って歌った方がいいのか?

 ロックさんは歩きで随伴して、オニクス先生はわたしのすぐ横を【飛翔】している。

 自力で飛ぶってのは、砂漠の帝国じゃ珍しいらしい。わたしと同じくらい先生にも視線が集まっている。

「ここのひとたちは、自分で飛べないんですか?」

「ええ。いと尊き女王。我ら砂漠の民は、神ならぬ身。ペガサスか絨毯がなくば空を飛ぶこと能いません」

 シッカさんが恭しく答えてくれた。

 【浮遊】や【飛翔】が開発されてないのか。

 砂漠の帝国は宝石じゃなくてオリハルコンがたくさん産出するから、それを利用した魔術が発展したんだろうな。このオリハルコン糸で織った空飛ぶ絨毯みたいに。

「誰か、倒れてる」

 ロックさんの声に、わたしは大通りの端に視線を向けた。

 たしかに誰かが倒れている。

 地味な被衣を着ていて、何かを抱えている。いや、抱えているんじゃなくてあれは妊婦さんかな?

「暗殺者か?」

 先生の指摘が飛ぶ。

 正規軍を下した後だし、次の一手は暗殺者か。

 だけどロックさんはとっくに助けに走っていた。あまつさえ走りやすいように、腰のダマスカス短剣を砂地に投げ捨てている。身軽さのために丸腰になっちゃったら危険だろ。

 止める間もない早さだ。

「大丈夫か?」

 ロックさんの問いに、倒れているひとは動かない。

 膨らんでいた腹部の布が、でろりと融けた。

 何かが腹から這い出してくる。

 あれは、胎児じゃない。

「バジリスクだ!」 

 凶眼が閃いた瞬間、ロックさんは石と化した。

「うっわ、ウソだろ! わたしのお手製の【耐土】を付けてんのに!」

「あの若造、魔力耐性がザルか」

「MP6ですけど、いくらなんでも即落ちすぎる!」

 石眼を宿す爬虫は、八本の腕で這いずり出てきた。

 厄介な魔獣だ。視線を合わせれば石化し、触れてしまえば毒が回る。

 バジリクスを抱えてきた人間は、もうとっくに毒が回って手の施しようがない。

 自爆テロだ。

 ゼルヴァナ・アカラナを殺すために、バジリスクという凶悪な魔獣を都心部に放つとか、早々に手段を問わねぇな。

 石化したロックさんは、あとでわたしのキスで治癒するとして。

「【浮遊】!」

 先生の詠唱によって、バジリスクは宙に浮く。

 石眼であちこち見やり、八本の足は無為に掻く。

 一見ただ藻掻いているだけみたいだけど、魔獣バジリスクは土属性の魔法使いだ。本能的に魔法を使って、反土属性の【浮遊】を解呪しようとしている。

「【飛翔】っ」

 わたしの詠唱によって、スカート下から果物ナイフが飛ぶ。

 バジリクスの首を落としてしまえばいい。 

 蛇を捌くイメージで、わたしは刃を【飛翔】させる。

 だけど切っ先が届く瞬間、バジリスクの凶悪な石眼が煌めいた。

 発動する石化魔法。

 瞬時に、ナイフの刃を石ころに変えやがった。

 なんて強い土属性の魔法だ。

 離れれば石化の魔眼、近づけば猛毒の皮膚。

 伝説曰く槍で貫こうとも、その穂先から猛毒は伝って、勝者の腕を蝕み失わせる。爬虫類最強の毒を持つ魔獣。

「刃で掻っ切るのは難しい。オリハルコン以外は、バジリスクは石化させるぞ」

 オニクス先生からアドバイスが飛ぶ。

 反土属性の魔法金属オリハルコンか。

 それならバジリスクの土魔法である石化に抗える。

「私が市外の岩場に叩き落として……」

 先生の言葉が途切れた。

 素早くエストックを鞘から抜き放つ。

 四方八方から矢が飛んできた。

 先生とわたし目掛けて、殺意に煌めく無数の矢じりたち。

「女王っ!」

 シッカさんが身を挺して、わたしの盾となる。

 庇われているわたしまでは、矢じりは届かない。

 届いたものは、微かな呻きと血の匂いだけ。

「別動隊か」

 建物の屋根に、射手隊が整然と並んでいる。

 弓を構えて、矢を番え、弦を絞り、わたしたちへと放つ。

 先生はエストックでひとつ残らず矢を叩き落しているけど、動きにくそうだった。

 自身の【飛翔】を制御しつつ、バジリスクへかけている【浮遊】を発動し続けながら、さらに四方からの矢をさばくのは、先生でも難儀だろう。

「先生っ! わたしがバジリスクを倒します」

「きみの思い切りの良さからすると、嫌な予感するな」

 わたしがバジリスクをどう倒そうとしているか、先生は察したみたいだ。

「だがおそらくきみが計画している方法で倒せる」

「ではお任せを!」

「頼む」



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