第五話 (後編) 金銀真砂のアイテムたち
身軽になって、砂漠を翔けてえんやこら。
数えきれない砂丘を越え、数えられるくらいの朝夕を過ぎ、とうとう目的地にやってきました。
やっとだよ、やっと辿り着いた!
絢と鋼の大都市、麗しの陪都ダマスクス!
「すごい極彩色!」
大通りの彼方には、たっぷりとした糸の束が架けられていた。
数えきれないほどの赤も、数えきれないほどの青。
それに黒ってこんな何種類もあるの? やや灰色がかった黒から、漆黒まで。青が黒を目指したような空の闇の色もある。それにちょっと銀っぽい艶や、獣っぽい光沢や、金属っぽい質感の黒もある。
「染色業の地区だな。ダマスカスは刀鍛冶と織物の産地だ。クーヘ・ヌール朝時代から絨毯が名産で、空飛ぶ絨毯も織られている」
「織っているところ見たいです! 見れますか?」
あんなふわふわしたのどうやって織るんだ?
「空飛ぶ絨毯は、王宮や藩王への献上品だ。そうそう工房へ招かれないだろう」
「せっかく千年前に来たのに」
「時魔術が先だ。中央大法院へ急ぐぞ」
「ぅうぃ」
さすがは陪都、やっぱ広い。
中央区に入った頃には、昼下がりが終わって、夕方がはじまる時刻になっちゃった。スークでは夜を迎える準備としてランプが灯り始めて、幻想的になっている。
スークを抜け、とびきり広い道に入る。
大通りの最果てに、壮麗な建築が聳えていた。
黄金細工の門には、真紅の服の儀仗兵が立っている。研ぎ澄まされた切っ先が、夕日を弾いて金に輝いていた。
「あれが中央大法院だ」
「お城ですね」
「元々は皇太子の宮殿として建築されたものだからな」
先生が解説してくれる。
「帝都で疫病が流行ったり戦火に塗れたりした緊急時、この都に行政すべてが移行できるシステムになっていたらしい。ダリヤーイェ・ヌール朝の末期は、最高裁判所と歴史研究の場として裁判官や法学者たちが犇めいている。天文学者や数学者なども在籍していたそうだ」
黄金の門の向こう側で歩いているひとたちは、ターバンから靴まで完璧に清潔で、濃くて鮮やかな染料の絹織物を纏っている。泥どころか砂粒ひとつ付いていないんじゃないか。
あきらかに階級が違うひとたちだ。
とりあえず下見だ、下見。
「この門、古代魔術で結界が張り巡らせているな。砂風避けでもあるが、盗人避けにもなっている」
わたしは目を瞑って、視界を魔法レイヤーだけにする。
紗っぽい結界が、ドーム状に張り巡らされていた。
なんかオプシディエンヌが王宮に張ってた魔術と、構築式が似ている気がする。複合式は読みにくいな。
「思った以上に警備が厳重そうだな」
「【土坑】の呪符を作って、潜入しましょうか?」
手元に呪符はないけど、オリハルコンの産地なら【土坑】も作りやすい。
「問題点を述べる。地下水路や地盤の状態が、どうなっているのか見当つかん。王宮の周辺は、私が地下排水を把握していたから通れたのだが」
そうだよなあ。
わたしは【土坑】で地下を通ったことがある。だけど一度目はオンブルさんが、二度目は先生が、地下の状態を熟知していた。
落盤させちゃったら大惨事だしなあ。
「いっそ大法院を武力制圧するか」
物騒な発言が飛び出したぞ。
行き交う人がわたしたちをちらっと見たけど、先生の発言はジズマン語だったので聞き取れていないだろう。単に旅人が知らん言語で喋っていたから、視線が集まってきただけだ。
武力制圧か。
わたしと先生なら、たぶん、出来るだろうな。
【浮遊】と【飛翔】で岩を砲撃して、【恐怖】をぶちかまして混乱させる。通らない人間に対しては、ふたりで各個撃破。
「忍び込むより楽かもしれん。だが時属性を研究しながら、制圧を維持するための人手が足りんな。最低でも一個中隊あれば、采配できるが……」
エクラン王国で中隊規模っていうと……
「百人くらいですか」
「そうだな。攻めて落とすのは容易い。だが占拠地の維持が難儀だ」
「先生はブッソール猊下みたいに、人手を増やすことは出来ないんですか?」
「あれはサイコハラジック特異体質だからこそだ。私はおろかきみでも無理だろう」
ブッソール猊下。
冒険者にして考古学者にして、精霊を使役する魔法使い。
精霊に己を象らせて、自在に動かしていた。
ブッソール猊下さえいれば人手問題はあっさり解消する上に、時魔術の研究も捗るかもしれない。
そこらへんからぴょろっと現れねぇかなあ~、現れないだろうなあ~
都合のいい空想は終わらせて、現実的に思考を動かす。
「では要人に化けて、書物を献上させることはできませんかね」
作戦そのいち お偉いさんに変装詐欺
1 【幻影】と【擬音】で偉い人に化ける。
2 貴重な書物を要求する。
3 即とんずら。
「作戦の穴を述べる。【擬音】は術者が知ってる音声しか作れない」
「むぁ」
「他の問題点も述べる。この世界のお偉方は、基本的には空飛ぶ絨毯に乗り、多数の奴隷を引き連れて移動する」
以前、遺跡にやってきた宰相ご一行様を思い出す。
ペガサスの射手隊に先導されて、鈴音を響かせて、香油と花びらをまき散らし、悠然と飛んでいた。
壮麗な大行列。あれが基本か。
「密使として振舞うのも、書類の正式な文面が分からんから難儀だな。私は読み書きが不自由でない程度だ。この時代のネイティブではないから、些細なことで見抜かれやすい」
「じゃあどっか秘密基地を作って、夜な夜な忍び込みますか」
作戦そのに こっそり情報泥棒
1 手配書が回ってない郊外か貧民窟に、秘密基地を確保
2 【幻影】で姿を消して忍び込む
3 真夜中の図書館で、地道に調べる
「あ、怪盗やるってのはどうですか?」
作戦そのさん 怪盗ニック&怪盗ミーヌ
1 予告状を出す
2 警備から重要な書物の場所を割り出す
3 盗む
「怪盗は兎も角、ある程度調べてから、貴重な文献を盗むか」
「じゃあまず秘密基地の確保ですね。憲兵に踏み込まれない安全なねぐらが欲しいです。ロックさんがご存じでしょうかね」
「なんにせよ、あの若造と落ち合うのが先だな」
わたしたちはロックさんに指定された宿を探す。
『つぼみの薔薇亭』っていう、ロマンチックなお名前の宿屋だったな。
太陽が沈んで空が紺色になっていくほど、路地が暗くて狭くなってきた。
薄暗い中、煌々と照っているお店がある。立派な石造りで、凝った格子窓からはランプの光が溢れていた。あれが宿かな?
窓を覗いてみたけど、中では男のひとたちが珈琲を飲んでいる。
宿のロビーっていうより、カフェっぽいな。
奥の方では、サイコロを振っていた。
真鍮の器のなかで、羊の骨のサイコロが転がって、止まる。目が決まるたびに、髭面のひとたちは歓声や慟哭を響かせている。
「賭場だ。行き過ぎてしまったみたいだな」
先生がきびすを返した瞬間、賭場から誰から転がり出てきた。すごい勢いで。
まずい、ぶつかる!
「ぅきゃうっ」
思わず避けた瞬間、すっ転ぶ。
先生の腕が、わたしを受け止めてくれた。
わたしは無事だったけど、転がり出てきたひとは地べたにひっくり返っている。
男のひとだ。年齢はサフィールさまと同じくらいか上、背丈はクワルツさんと同じくらいか下。
顔立ちは整っているけど、皮膚とか爪とかめちゃくちゃ不健康な荒れ方をしている。
不健康っていうとレトン監督生を連想するけど、監督生は腺病質とか蒲柳って感じ。このひとは不摂生とか自堕落って感じだ。清潔感がないからそう感じるのかな。
転がってきたせいか、自己主張の激しい癖っ毛が、ターバンから飛び出している。
庶民的な長衣は、ひどく薄汚れている。帯の代わりにロープを巻いていた。とっても頑丈そうなロープだ。
「大丈夫ですか?」
「いやいや、ご令嬢。あっしに構わねぇでくだせえよ。ご迷惑おかけしちまう」
賭場から、大男さんがのっそり出てきた。
筋肉マシマシ大男だ。
「自分でレート上げといて負けが払えねぇって、太ェ野郎だなァ、オイオイ」
大男さんは、不健康さんを怒鳴りつける。
「ありゃお宝ですよ。あっしの負けなんざ、あのお宝ひとつですっかり綺麗になります」
「ガラクタじゃねぇか、アアン? テメェの顔を二目と見られねぇようにしてやるぜ」
負けをお金じゃなくて、物で払おうとしたのか。
そんで乱闘沙汰か。
自業自得だな。
「その負け、私が払おう」
えええっ?
先生の発言にびっくりした。
楽師のおじいさんに駱駝を譲ったのは、理解できる。
だけどこの完全に自業自得な敗北に対して、なんで路銀から出費する気になったんだ?
「こりゃまた見ず知らずの旦那、ありがたいですが、どういうおつもりで?」
「妻を伴っているときは、常に喜捨を怠らないと誓ったものでな」
見え透いた嘘をつく時の口調だった。
「こいつが負けたのは10ドラフム銀貨ですぜ」
払えなくはないけど、大金って言えば大金。
だけど先生は迷いなく財布を出して、見知らぬひとの負け分を支払った。
どういう気まぐれなんだ。
筋肉マシマシ大男は、満足して賭場に戻っていく。
「こりゃまた今宵は神の御計らいで、お優しいご夫婦に巡り会えたもので」
不摂生なひとは、愛想笑いを顔にべったり張り付かせていた。いかにも媚びてますって感じの笑い方だ。
先生はおべんちゃらを無視して、わたしを地面に下ろす。
そのまま路地に転がっている何かを拾い上げた。なんだろ、箱?
「きみの持っていた、この『お宝』、どこで手に入れた?」
「さぁて? そうさなあ、答えを当てたら教えて差し上げやしょう」
「ふざけた態度だ」
「あっしは手慰みに生きてるだけですからねえ」
ふざけてるってレベルじゃないな。
先生の威圧感ある高身長と、刃の切っ先みたいな眼差しを目の当たりにして、この茶化した物言い。度胸がありまくるか、脳みそが悪いか、どっちかだぞ。
「これを手に入れた場所を教えてくれるなら、これがなにか教えてやってもいい」
先生は偉そうに言い放つ。
「あっしがそのお宝の秘密を知らないと?」
「はったりだな。知る由もない。こればかりは知っているはずがないのだ。これは元来、この世界に存在しないはずのものだからだ」
「旦那さんこそ何者ですかね? 叡智の天使ですかい?」
「私はただの蛇蝎に過ぎんよ」
それ決め台詞なのかな?
「先生、先生。結局、それなんですか?」
長衣をちょいちょい引っ張ると、隻眼が一瞬だけわたしを見た。
「………ミヌレ」
「掘り出し物ですか?」
魔術的に貴重なものとか?
とびっきりのレア素材?
もしかして闇の至宝石か?
それでも先生は一度、入手しているからなあ。
いや、でも、どれだけレア素材だからって「この世界に存在しないはず」って大袈裟だよな。
砂漠に本来は存在しないっていうなら、ブッソール猊下の手掛かり?
だけどつい最近、猊下の私物である手鏡を見つけたばかりだ。ここまで驚くことはない。
いったいどんなアイテムなんだ?
「ミヌレ。ここは現実の空間だ。何があっても落ち着け、奇声は禁止する」
「うい?」
「深呼吸しろ」
「うい!」
言われた通り深呼吸すると、わたしの目の前に陶器でも金属でもない硝子でもない素材のものが差し出された。
先生の手にあったのは、家庭用据え置きゲーム機。
……は?
…………は?
…………………ハァアアァ?
わたしの魔法空間にあるやつと、そっくりなんですけど!
どういうことなの?
「ピェエエエエエエッ? ぴえっ、ぴっ、なんでっ! これがっ! うそ!」
「落ち着け、頼むから」
「旦那アアアア! 奥さんんっ!」
大絶叫が、路地に響いた。
この声はロックさんだ。
どしたん?
なんか声が切羽詰まってる感じするけど?
全力で走って来たらしく、鍛えられた全身で荒い息をついている。
ロックさんが息を切らしてるの珍しい。
「急いで娼館に行こう」
「は?」
真顔から発せられたあまりといえばあまりの発言に対して、わたしは間抜けた声を出し、先生の隻眼は眇められた。
「溜まっているなら、きみひとりで行きたまえ」
「違う、違う、違うの! ……旦那たち、指名手配されてる」
そりゃそうか。
ゼルヴァナ・アカラナ信者って思われているしな。
「勅命で!」
は? 勅命って、砂漠の帝王の?