第五話 (中編) 金銀真砂のアイテムたち
出立の夜明け前。
………これは不要だな。
旅のために用立てられた、それを見上げる。
とはいえ普通のひとは、これがないと砂漠を旅できない。
駱駝だ。
こぶが大きくて立派な駱駝だ。ばっしばしに長いまつげ下の瞳は、わたしたちを見下ろしている。
赤と黒の馬具……駱駝も馬具って言うのかな? 首飾りって言うのかな? とにかく馬具には、たっぷりとした房飾りが付いていた。膝あてや鞍座布団に鞍掛袋、塩袋まで赤と黒。とにかく鮮やかだ。
あと藁で縛ったスイカが、六玉も括られている。この量に何も言うまい。
隊商宿のひとたちにチップを振りまき、盛大に見送られた。
わたしたちは砂丘を往く。
風が強くなってくる中、駱駝は勇ましく歩いてくれる。
この駱駝、どうしよ……
【飛翔】した方が、早いっていえば早いんだよな。
「駱駝の始末か。砂漠で肉に変えるとするか?」
「食べきれなくて勿体ないですよ!」
駱駝のお肉は美味しいけど、残すのは気が引ける。
うさぎは食べきれちゃうからいいけど、この巨体は平らげられない。
いのちは死んでもいのちだ。
食べ残すのは、後味が悪い。
「ではどこぞのオアシスに放置するか?」
「でも、それで隊商宿のひとが発見したら、わたしたちが遭難したって、誰かを勘違いさせちゃいますよね」
「可能性は低いが、騒ぎになっても面倒だな。手間がかかるが真っ当に売るか。ここの売り買いは談笑時間が長いせいで、正直、イラついてくるのだがな」
さらに砂風が吹きつけてくる。
なんかだんだん風が強くなってきたな。
「今日は風が収まりそうもないな。エクラン王国だったら、【飛翔】禁止警報が出るくらいか。どのみち【飛翔】するより、駱駝旅の方が安全かもしれん」
しばらくは駱駝に跨って、ゆらりゆらゆら旅を満喫した。
【飛翔】で大きな砂丘や蛇の巣を越え、お昼ご飯にスイカを食べる。
これで結構、距離が稼げたな。
エンカウントした盗賊どもを砂に蹴散らし、アジトのお宝や銀貨を奪い、おやつにスイカを食べる。
これで結構、時間ロスしたな。
空が茜に染まる頃、こじんまりとしたオアシスが見えてきた。
小さな家たちと大きな椰子が、湖を取り囲んでいる。オアシスって言われてイメージするオアシスだ。
シンプルなかたちの民家が並ぶ。
異国の日常風景っていいよな~
民家の裏庭をちょいちょい覗いちゃう。知らん道具とかあって面白いし。
ある裏庭には、草と泥を手のひらサイズの塊にしたものが、いっぱい板に並べられて干してある。
何に使うんだろ?
「あれは駱駝か羊の糞で、砂漠の庶民が使う燃料だ。薪が取れんし、油は高価だからな」
「匂わないんですね」
「意外に清潔だな。きみを見つける前に使ったことがあるが、軽い上に火付きに優れている」
「砂漠の知恵ですね」
「エクラン王国でも、地方では現役だぞ。山羊の糞だがな。山深くで野営するときに限るが。軽いから持ち運びに便利だと、ガブロが言っていたな」
「へえ、山羊も」
「そう、山羊も」
そして隻眼の視線が、わたしの下腹部へ向けられた。
「…………」
「…………」
わたしは一角獣のライカンスロープ術者だ。
一角獣は山羊に近い。
先生が何を思いついてしまったか、わたしは察してしまった。
……さすがにそれは実験したくないというか、若干の抵抗があるというか、ええっと、なんといいますか。
「あ! 驢馬や駱駝の鳴き声ですね、しかもたくさん。宿でしょうか?」
動物たちのどこか間延びした鳴き声。そこに混ざって、美しい弦の音色が聞こえる。
夕日そのものから流れてきているような、風景と一体化した音楽だった。
音楽は椰子の木陰からだ。
痩せこけて背の曲がった老人が、弦楽器を奏でていた。わたしを見た瞬間、びっくりした顔になって頭を下げる。ターバンが砂に塗れそうな勢いだ。
「これはこれは慈悲深い令嬢。いと無垢なるジャスミンの天使。あなたのお陰で、ふたたび楽器を掻き鳴らすことができました」
「ふへ?」
何もしてないのに、唐突に感謝された。
「このジジィに銀飾りを恵んでくださった令嬢でしょう。その肌の透けるが如き美しさは、見間違えませんよ」
わたしの脚元に視線を向けている。
銀飾り?
一瞬、疑問が湧いたけど、すぐ思い出した。こっちに来たばかりの時に、エキュ銀貨をあげた物乞いのおじいさんだ。
お金を上手く使って、物乞いから脱したのか。
「背の君とはぐれた時に、このひとに1エキュをあげたんですよ」
「ああ、ご令嬢ではなくて、ご令室でしたか。失礼致しました。あの銀の飾りで、楽器を修繕できました」
そりゃ素敵な知らせだ。
っていうかエキュ銀貨が貨幣じゃなくて、装飾品のひとつだと思われたのか。砂漠の銀貨はぼってりして重いから、たしかに飾りに見えるかも。
「慈悲深きご令室、どうか曲を献上させてください」
「日も暮れる」
先生が突っぱねた。
えっ、わたしは聞きたいんですけど。なんで勝手に先生がお返事するんですか?
わたしは被衣越しに睨む。
「老楽師どの。今はどこにお住まいだ?」
「眠るは星の下、起きるは砂の上。宿の軒を借りております」
「では老楽師どのを夕餉に招きたい。私はここで奏でても構わんが、妻を早く宿で休ませたいからな」
やった!
わたしたちは宿へと移動した。おじいさんと一緒に。
小さな宿だけど、隊商宿から一足早く連絡がいってる。お部屋も予約済み。足湯もご馳走もすでに用意してあって、わたしたちを大歓迎してくれた。
ウェルカムドリンクは、ミント入りスイカジュースだった。
ちょっと青臭いけど、岩塩が味を引き締めていて、ミントを潰すとさっぱり感が出る。そこそこ美味しい。味わっていると、お勝手口の土間にスイカが見えた。めっちゃごろんごろんしている。なんだあの量。まるで室内スイカ畑だ。
「先生?」
「用意しておくように言っておいたからな」
すごい自慢げに言われたけど、別にわたし褒めてないですよ。じゃあ駱駝につけといたスイカの六玉、あれぜんぶお昼に平らげる気だったんだ。
おじいさんと一緒に夕餉を囲み、食後に曲を奏でてもらった。
異国の楽器が紡ぐ音楽が満ちる。
生演奏はやっぱ良い。
テンポは速いのに、響き方に憂愁が籠っていた。耳を傾けていると、切ないって気持ちを湧き起こさせる。嫌な切なさじゃない。辛さや苦しさのない悲しみっていうのかな?
ラピス・ラジュリさんの奏でる音に似てる。
でもラピス・ラジュリさんはリュートだったけど、楽師のおじいさんが抱えているのは弦楽器は、リュートよりもほっそりしたかたちだ。響きの余韻が砂みたい。
リュートは弦の余韻ってバターっぽいけど、あの弦楽器は砂糖が混ざっている感じ。
わたしは聞き惚れているけど、先生は無言でスイカを平らげていた。このひと、早くスイカ食べたかっただけじゃねーか。
曲が変わる。
……! これ、ダンジョンの汎用BGMじゃん!
ダンジョンやバトルのBGMって、現実のどこで流れてんだと思っていたら、ここか! 砂漠の帝国の音楽か!
あ、そっか、街とかフィールドBGMを鳴らしていたのは、ラピス・ラジュリさんだもんな。
ゲームBGMの音源って、おもに蜂蜜色の膚のひとなのかな?
演奏が終わって、わたしは拍手喝采する。
「素敵です、軽快なテンポと憂愁な旋律が、すごく胸に届きました。ふたつが重なると、宝物がある暗闇をわくわくしながら歩いている気分になります」
「お気に召して頂けて、なんたる幸い。ではご令室、もう一曲いかがでしょう」
「お願いします!」
お次は『湖底神殿』の生演奏だよ、めっちゃ幸せ。
わたしはリクエストしまくる。
ずいぶんいくつも曲を弾いてもらって、六つ目のスイカが皮になってしまったころ、オニクス先生は自分の口を食べるだけじゃなくて喋るために開いた。
「つかぬことを伺う。老楽師どのは、私と同じくらい背丈の大男を見たことがあるか? 体つきは頑丈そのもので、雄牛のような赤毛をしている。両目の色は同じだ」
ブッソール猊下のことだ。
スイカを早く食べたかったんじゃなくて、腰を据えて情報収集したかったから、おじいさんを宿に招いたのかな。
「いいえ。このジジィは長いこと生きておりますが、あなたさまほどの背丈は、そうそうお目にかかりませんな」
「ずっと昔のことでも、噂でも構わん」
「ああ、むかし、一度だけ……」
「見かけたことがあるのか?」
「申し訳ない、関係ない思い出ですよ。むかしむかし、見かけた空飛ぶ絨毯の大乗列を思い出しましてね。慈悲深く万民に崇め奉られし宰相閣下のご令息ふたりが乗っておられました。どちらも抜きんで威風堂々とした体躯に、あなたさまほどの背丈でした」
ハズレ情報だ。
「そう、たしか、その時、随伴していた楽師たちは、こんな音色を奏でておりましたな」
古い記憶をつま弾くように、弦を震わす。
こっ、これはフィールド用戦闘曲!
これも好きな曲なんだよね、気分が盛り上がる!
戦闘曲もたくさん弾いてもらえた。
「たくさん曲をご存じなんですね」
「これまで長いこと、方々を歩き回りましたからね。あちこち小さな村でも滞在すれば、古い曲のひとつふたつ教えて頂けます。積もり積もればそれなりに」
「じゃあ次は、このオアシスに滞在するんですか?」
「そういうことになりますな。実は前の街で、楽師の供を探していたキャラバンに雇われましてね。あいにくと大きな砂嵐ではぐれてしまいましたから、このオアシスに足止めですよ。また供回りをさせてくれるキャラバンがくるまで、ここで食いつなぎます」
食いつなげるのかな?
こんな小さなオアシスに留まっても、お客さんは少なそうだな。
宿だって、他にお客さんいないし。
せっかく楽器が直せたのに。
おじいさんの音楽は素敵。ラピス・ラジュリさんほど華やかな印象じゃないけど、静かで切なくて夕焼けに似合う。もっとたくさんのひとに聞いてほしい。ダンジョンBGMはお気に入りだし。
わたしが考えていると、先生が口を開いた。
「では老楽師どの、私の駱駝を受け取ってくれ」
駱駝の処分先が決まった。
あとは大法院まで一直線で飛んでいくだけ。
「駱駝を無くして、ご主人の旅はどうされます」
「私にはツテがある」
ツテっていうか、【飛翔】だけどな。
「あまりにも過分でございますよ、慈悲深きご主人さま……」
その言葉に、先生は鼻で嗤う。
「私に慈悲はない。喜捨などしない。だから老楽師どの、駱駝を差し上げるのは敬意からだと思って頂きたい」
「……敬意?」
楽師のおじいさんは不思議そうな顔をした。
わたしも同じだ。
「不幸な人間は己の不幸を忘れるために、幸運を酒や阿片や賭博へと引き換える。それは当然なことだ。責められん。搾取されて残骸になったからだとこころをまずは誤魔化さんと、目の前の一瞬を生き延びることさえ、もう、耐えられん」
先生は何かを思い出すように、遠い目をしていた。
「降って湧いた幸運を吹聴すれば、ごろつきどもに奪われたかもしれん。詐欺師が寄ってきたかもしれん。ご老体は吹聴せず身を慎み、魂の鎮痛剤にも目をくれず、楽器を直す職人に交渉したのだろう。それは稀有な尊さだ」
「ご主人、このジジィにはご過分なお言葉です。ただ楽器を奏でたかっただけです。この身はただ楽器を弾く道具、このいのちは音楽を紡ぐための器。だから、真っ先に楽器を直しに行った。それだけです」
「なればこそ、受け取ってくれ」
先生はそう告げ、頭を下げた。
楽師のおじいさんは、さすがにもう断らなかった。
宿の主人を呼んで、立ち合いで駱駝といくつかの雑貨を譲る。楽師のおじいさんが駱駝泥棒と勘違いされないように、駱駝が盗まれてもこの宿の主人がおじいさんのものだと証言してくれるようにだ。
そして駱駝の餌代として、銀貨を渡した。
先生って言動以外は良い人だな。
いや、というか他者への好き嫌いが、露骨に出るのか?
先生のなかに他人には分かりづらい判断基準があって、好感を抱けば助けて、好感を持ってない相手に対してはあたりがキツイのか?
つまり。
「馬鹿正直やな……」
わたしの呟きに、先生が微かに嗤う。
「懐かしいな、その初対面の教師に対する率直な意見」
先生も覚えていたらしい。
初めて階段の踊り場で会った時、わたしは教師に対して馬鹿正直って突っ込んだのだ。
「わたしは予知で初対面じゃなかったんですけどね……わりと素直に行動に出ますよね、先生って」
皮肉も、敬意も、愛情も。
オプシディエンヌとの心中なんて、その最たるものか。
狂おしいほどの愛憎の行き着く先だ。
夕餉が終わり、寝床に行く。
宿は個室だろうが扉はなく、つづれ織りが垂れ下がっているだけ。何処の宿でもそうだけど、この宿のつづれ織りは丈が短いな。すきま風、大丈夫かな?
わたしはスカーフを取る。
結んでいた髪が、いっしょに解けて散った。
髪を梳き終わると、先生が荷物から香油を取り出す。蓋を取ると、ジャスミンの馥郁さが漂った。
「塗ってやろう」
「ふへ? そのアイテム、魔術インクに使うんじゃないんですか?」
闇属性では、月下香の香油をインクに利用する。
だからジャスミンの香油も、魔術開発の試行錯誤に使うと思ってた。
「きみの髪を保護するためだ。学院に戻った時、砂漠で荒れた姿にさせるのは忍びないからな」
保護者めいた気配りだ。
わたしは回復力が高いから平気だけど、好きなひとに甘やかしてもらうと嬉しい。されるがままに身を委ねる。
狂おしい愛憎じゃなくて、優しい愛情。
それはそれで幸せだ。
今日は駱駝に揺られていただけなのに、なんだか瞼が重くしまう。動いたのは、盗賊をぶちのめしたくらいだよね。
うつらうつらしてるとお布団に運ばれる。
ふへへ、甘やかされまくり。
わたしは眠りに沈んでいった。
ぺろ……っ
生暖かい感覚が、首筋に触れた。
誰かの吐息が、わたしの産毛を吹いている。
え、うそ、先生?
いきなり?
嫌じゃない。むしろありがとうございますなんだけど、どうして今夜?
大きな隊商宿なら毎日きちんとお風呂に入ってお肌ぴかぴかだったのに、今日はタライのお湯で整えただけ。
また熱い吐息が、こめかみに触れた。
「……ぁ、ん」
耳をぺろっとされる。
気持ちいいけど、耳の後ろきちんと洗ってない!
「んっ、先生……ま、待って」
「ゥメー」
起き上がった先にいたのは、ちっちゃな仔羊だった。
真っ白くて、鼻先とお耳がピンクで可愛い。
部屋を見回せば、先生は布団から離れた場所にいた。【光】の護符を灯して書き物をしている。詠唱算出しているっぽい。
「仔羊が迷い込んできたのか。返してこよう」
「は、はひ」
オニクス先生は、仔羊を抱えた。
生まれたばかりの仔羊は、知らないひとに抱えられているのに、暴れもせずゥメーゥメーと鳴いている。
「ミヌレ」
「はひっ!」
「私は子供の寝込みを襲う人間ではないぞ」
それだけ言い残し、仔羊を返しにいく。
「ピ…ピェエエエ………」
恥ずかしさのあまり、わたしはお布団に潜り込んだ。