第四話 (中編) 砂嵐のランダムネス・ダンジョン
先生は肌着に袖を通し、ターバンを巻き、衣を着て帯を締める。帯にクリス・ダガーと帯飾りを差し、百足の籠手を付け、ジャボットピンを襟元に飾る。羽織った長衣に、御影石のブローチを留めた。
壊れかけたワタリガラスの仮面をつけ、蜥蜴の杖を持つ。
うん、かっこいいな。
「完全装備ですね」
「なにがあるか分からんからな。また宿を引き払うはめになるかもしれん」
【光】の護符まで懐に入れる。
たしかに。わたしも小銭とかハンカチくらい持っていくか。
わたしが被衣を着終わると、先生にむぎゅっと抱き抱えられる。
窓から【飛翔】した。
砂嵐のせいでみんな窓塞いでいるから、飛んでるところは見られないだろう。
渦巻き状に荒れ狂う砂嵐を目指していく。
「きみは『星蜃気楼』に関して、どれほど知っている?」
「西大陸のダンジョンの名前を挙げろって設問なら回答できますが、特徴を書けと問われたら解答欄は空白ですよ。ブッソール猊下がバギエ公国で発見したって、ロックさんに聞いたくらいです」
「では昔話からしよう」
超絶イケボ昔語りがはじまった。
「バギエ公国の伝承で、蜃気楼の如く唐突に現れる塔があった。ある時は谷底に、ある時は湖に、またある時は雲間の果てに。それがただの幻想ではないのは、ときおり人が迷い込み宝を持ち帰ってくるからだ。とはいえ持ち帰った宝が本物なのか、まったく眉唾だったらしい。あの精霊遣いが発見するまでは」
ブッソール猊下。
精霊遣いにして、考古学者、そして最強の冒険者。
「伝承に過ぎなかった遺跡の出現位置予測をして、存在を証明、長期プロジェクトを立案。冒険者ギルドと賢者連盟共同の元、発掘調査を率いたのがあの精霊遣いだ」
かっこいい!
伝承が真実だと証明して、プロジェクトリーダーとしてフィールドワーク!
学者としても冒険者としても華じゃん。
そういや賢者連盟の賢者なんだから、そのくらいの功績があるのか。
「内部調査の報告書を目にしたことがある。古代エノク文字が彫られているから、造られたのはアトランティス時代だと推定されているな。仮想惑星の天文台、あるいはエーテリック領域を観測するための潜水艇だったという、このふたつの仮説が最有力だ」
「どっちも浪漫があって選び難いですね」
ひとの眼には見えない星を探す天文台、あるいは精霊の領域へ沈む潜水艇。
胸がわくわくする。
まだ遺跡まで距離があるけど、赭と黅が入り交ざった砂嵐が視界を閉ざしてきた。
【飛翔】は風の加護に包まれている状態だから多少マシだけど、やっぱり移動魔術だからな。防御魔術と違って、完全には防げない。
「先生、砂とか鼻に入ったりしませんか?」
わたしは被衣を着てるから防げるけどさ。
「きみのスカーフを貸してくれ」
スカーフを貸せば、先生は鼻と口許を覆った。盗賊か馬賊みたいだな。
砂嵐の奥へ奥へと進む。
荒れ狂う中心に、塔っぽい影ひとつ。
「すごい、初見のダンジョンですよ!」
そりゃ何度もクリアした『図書迷宮』も『湖底神殿』も、視ると行くとじゃ雲泥の差。
だけど初見のダンジョンってのは、こころが躍る。
「ずっと愛していたゲームに、大型アプデがきた気分ですよ! 中にいるモンスターも、お宝も、攻略本に載ってないんですよ! うひょひょひょ」
「きみはたまに分からんことを言う」
よく聞く言葉だったけど、口調は妙に優しい。
「中に入れますか?」
「ダンジョン探索用の装備を整えていないのに、踏み入ったりしないぞ」
優しさに付け込んでみたが、そこまで甘くなかった。
先生の言い分も分かる。
初見殺しの魔獣がいたらヤバい。永久回廊の『魂を毀すもの』なんて見た目は小さいけど、即ゲームオーバーの超弩級危険モンスターだしな。
「精霊遣いが調査した時は、外壁が大破している箇所から入ったそうだ。そこあたりから内部を覗けるかもしれん」
「やったね!」
お喋りしていたその僅かな間に、『星蜃気楼』が目の前に迫る。
これが流浪の遺跡『星蜃気楼』か。
かたちは塔っぽいんだけど、外壁には螺旋階段が巻き付いている。継ぎ目が無いせいと真珠っぽい光沢のせいか、巨大な巻貝って印象を受けた。
砂嵐に吹き付けられながら、ぐるぅり一周する。
ん?
どこも壊れてないぞ。
ぜんぶぴかぴかで、亀裂どころかヒビひとつない。
「……破壊箇所が無い。この時代にはまだ外壁は無事だったのか!」
砂嵐のなか、真珠じみた表面が煌めく。
表面に模様がついてる……?
「あれは神聖文字か!」
「螺鈿みたいですね。綺麗……」
真珠光沢の表面にみっしりと刻み込まれていたのは、神が使っていたと伝えられている神聖文字。『図書迷宮』のエメラルド牌や、『永久回廊』の回廊にも刻まれていた文字だ。
ただの一度も同じかたちが出現せず、模様の如く綴られる文字。
「神聖文字まで刻まれていたのか」
「大発見ですね!」
「これを照合すれば、天文台だったのか潜水艇だったのか判別できるかもしれん」
オニクス先生は勢い込んで近づいたけど、砂嵐がさらに激しくなった。
【飛翔】が安定しない。
先生は【飛翔】の熟練者なのに、ここまで安定しないって、相当な砂嵐だな。
わたしは霊視モードで、外壁を視る。
うむ。特に何かいるわけじゃないな。
オニクス先生は、外壁の螺旋階段にゆっくりと着地する。
「………ッ!」
着地の瞬間、先生が強張った。
「どうなさいました?」
「踵に何かくっついた感覚がある」
「ほへっ?」
わたしは霊視モードに切り替える。
なにかいる。半透明で、微かに青白くて、ゲル状に蠢く何かが、先生の足元にへばりついていた。
いつの間に出現したんだ?
「ジュレみたいなものがいます! さっきまでいなかったのに」
「調査報告書にはなかった存在だな」
先生は足を上げる。
事も無げに階段を登った。
「動けるんですか?」
ぶよぶよしているジュレは、獲物に粘着して喰らうんじゃないのか。焦った。
先生の足は、融けたり焼けたりしないみたいだ。
良かった、ほっとした。
「ああ、移動できる。が、魔術が、使えん」
ほっとした瞬間にいきなり刺さってきた事実を咀嚼して、嚥下して、もいっかい反芻する。
魔術が使えない?
は? この状況で、唐突に、魔術無し?