第四話 (前編) 砂嵐のランダムネス・ダンジョン
ロックさんが護衛するキャラバンは太陽が顔を出すより早く出立したけど、わたしたちは旅支度を整えなきゃいけない。数日ほど隊商宿に逗留することになった。
「今日のご飯なんでしょうかね」
「まともな肉がいい」
今まで珍しい肉だけど、まともに美味しい肉ばっかりだったけどな……
もしかして朝は胃のこなれに良い肉じゃないと、年齢的に辛くなってきているとか?
家禽とかひれ肉とかじゃないと、胃もたれするのかな?
そんなこと考えているうちに、先生はわたしの髪をスカーフでまとめてくれる。室内用外出ルック完成だ。
朝ごはんを供される広間に行くため、回廊を通っていく。
中庭に使用人さんたちが集まって何か喋っていた。
「お客さんたち。しばらく出立を控えた方がいいと神の思し召しだよ。どうやら砂嵐が来そうでな」
わたしたちは門から顔を出した。
彼方の空が、黄色っぽくなっている。
砂嵐か。
あんなのに巻き込まれたら、【飛翔】が制御できなくなりそうだな。
不安が顔に出ていたのか、使用人のおじさんはことさらこってりした笑顔を浮かべる。
「マンティコアを倒した英雄どのとご令室は、どうか心安らかにくつろいでくだされ。旅支度は申し分なく用意しますし、うちの隊商宿には、月が一巡りしても宴会続けられる蓄えがある」
歓迎ムードだった。
マンティコアを単身で倒せるのは、英雄のなかの英雄のみ。滞在してくれるのは大歓迎って雰囲気だった。
とはいえこっちも急ぎの旅なので、一か月は勘弁してほしい。
「歓迎痛み入る。ありがたく持て成しを受けるが、妻と静かに過ごさせてもらいたい」
先生が愛妻家ぶりっこする。
ほんとうにこのひとは、見え透いた嘘つくのが好きだな。
どういう精神状態でこんなほら吹いてるのかさっぱりだけど、語彙の方はオプシディエンヌとのあれこれから引用しているんだろうなあ、きっと。
「ええ、ええ、それがいちばん楽しいですからな」
すぐに雑談から解放された。
これで朝ごはんが終わってから部屋に閉じこもりっきりでも、あれこれ詮索されないというわけだ。
朝ごはんの後、おやつ用のスイカを貰って部屋にこもる。
先生はクッションに埋もれ、スイカを食べながら時魔術の呪文を脳内でいじくりまわしていた。
わたしは学院一年生+予知程度しか、知識が無い。
魔力があっても、新魔術開発って状況じゃ役立たずだな。
いくら先生の近くとはいえ、ごろころしてるのもちょっと飽きたな。
発言のため挙手する。
「先生。わたし、魔法空間で自習してていいですか?」
「好きにするといい」
ちらっとも視線を向けずに呟く。
わたしは魔法空間に降りて、時魔術の呪文を暗唱をできるように自習に励んだ。
数時間ほどしてから、わたしは魔法空間から起き上がる。
オニクス先生は部屋の隅っこで、水盥と海綿で身体を洗っていた。
砂嵐のせいで部屋を閉め切っていて、部屋にはランプがひとつ灯っている。濡れた膚が金色の光に照らされていた。膚を滴る雫も金色に染まっている。
いかがわしいものを見てしまったように、わたしはどきどきしながら視線を逸らした。
「起きたか」
「あの、先生はお風呂場に行かないんですか? 蒸し風呂って楽しいですよ」
「談笑を強いられて煩わしい」
きっぱり一蹴した。
その気持ちは分からんでもない。
「それが本音の半分。本音のもう半分は、膚を人前に晒したくはない」
「【制約】は解除したじゃないですか」
「背中が見苦しい」
掠れた呟きは、溜息と共に吐き出された。
「背中……」
「鞭の痕がある」
奴隷時代のか。
……そっか。お背中を気にしているから、雪の大山脈で温泉上がるとき、背中を向けずに前から上がったのか。
「じゃあわたしがキスします! そしたら傷跡が癒えるかもしれません」
「痛みは無い」
「気にしているんでしょう? だったら傷を癒します」
先生がキスしたいのは、オプシディエンヌただひとり。
でもわたしのキスは、お役に立てるんだ。
最高じゃないか。
「……頼む」
そう言って背中を向けてくれた。
たったひとつ灯っているランプが、その傷たちを照らす。
皮膚の下で蛇が這いずったような無数の鞭。
なんて生々しい。見ているだけで、鞭の音が聞こえてきそうだ。
「こんなにたくさん……」
「ほとんどはガキの皮を被った老人の仕業だがな」
ハァアア? この鞭の痕、カマユー猊下かよ!
復讐と虐待を取り違えてんじゃねーか。
「これは皮を剥いで、魔力再生した方がよいのでは…?」
わたしは果物ナイフを抜く。
薄めに剥げば回復も早いよな。
「無理を言うな。私は獣属適性が無い」
「魔力高いと、自動で回復するのでは?」
「獣属適性がある魔法使いならばな。言っておくが狼にハラワタを喰わせて、治ろうとする魔力を利用して戻るなんて馬鹿げた行為は、前代未聞だ。膨大な魔力と高い獣属適性、そのふたつがあってこそだぞ」
そうなのか。
『魔力内蔵量が高くて、本能的に体内で自己治癒魔法をかけているんです』By公式ムックQ&Aは、説明不足だぞ。いや、単にわたしの霊視に正確さが無かっただけか。
わたしはナイフをしまって、背中の傷跡に口づける。
ひとつひとつ、癒えるよう願いを込めて。
喜びも悦びも捧げられないけど、癒せるなら、わたしのキスにも価値がある。
「大好きです、先生」
吐息といっしょに想いが零れた。
胸に留めておくには、重くて苦しい。
先生はわたしと向き合った。
「ミヌレ」
「はいっ!」
最近は名前をよく呼ばれるようになったけど、真剣な声で囁かれるといまだにどきどきしちゃうな。
先生が何か渡してきた。
金色の輝きは日長石。
わたしの【飛翔】が、ペンダントトップになっている!
「さっき完成した」
「しゅ、すごっ……」
日長石の蜜蜂と、銀の巣だ。
六角形を立体的に連ねたリング状の中に、蜜蜂が揺れている。
オレンジ色の宝石が腹で、羽根や巣は銀細工。
わたしは蜜蜂を光に透かす。
まるで蜜をたらふく腹に貯めて帰る蜜蜂だよ!
度肝抜くほど綺麗なものが唐突にお出ましになられたせいで、一瞬、わたしの脳内から語彙という語彙が消失した。
「気分転換に作っていたが、細工に凝ったせいで時間がかかってしまってな。ここに仕掛けが……」
わたしは先生に抱き着く。
「ぐふっ!」
「ありがとうございます! 繊細さは変わりませんが、今までの装飾よりデフォルメが効いていて、牧歌的で可愛らしいですね。必要最低限の輪郭で蜜蜂を模しているから、シンプルな美しさと、手の込んだ豪奢さが両立しているんでしょうか。蜜蜂の巣を模しているのも、細微まで美意識が行き渡っていて見ごたえがあります」
「きみは黒いリボンを持っていただろう。あれでチョーカーになる」
オリハルコンシルクのリボンを出すと、先生がわたしの首に付けてくれた。
うひょひょ。
銀の冷たさと小さな重さに、どきどきする。
オニクス先生が不意に鼻づらを近づけてきた。馬みたいに。
「いい香りだ」
「今朝は何も香油をぬってないですよ」
「違う。きみが笑うと、いい香りを嗅いでなくても、空気が馥郁としている感覚になる」
「ひょっとして……わたしから【魅了】が放たれてます?」
魔法は無意識を斟酌する。
もしかして先生を魅了したいって気持ちが、垂れ流しになっちゃってるとか?
「放たれていたとして、私に通るわけがない」
先生の右腕がわたしの肩を抱き、左手がわたしの手を握る。
後ろから抱っこされてるみたいだ。密着しすぎてて恥ずかしいけど、幸せだからこのままでいたい。
「昨夜は元気が無かったが、回復したか?」
見抜かれていたのか。
わたしは未来のこと考えて、いろいろ気持ちが重かったからな。
「過去の砂漠に放逐されて、駝鳥だの駱駝だの訳の分からん肉ばかり食べていたら落ち込みたくもなるが」
「時空の漂流は兎も角、お肉は変わったの食べれて嬉しいですよ」
「そうか?」
「葡萄の葉っぱでお米を巻いた料理は気に入りましたし、蒸し風呂も楽しいですし、綺麗なお廟も見物できましたからね」
「だが、沈んでいただろう」
「元気なかったの、呪符が手元に無かったからですよ! 手元に呪符が無い状態なんて、魔術師の手足を奪うようなものです」
「それで消沈していたのか?」
「そうですよ」
小さく返事して、先生にぎゅっと抱き着く。
わたしを自由に翔けさせてくれる呪符に、蜜蜂の祝福が宿った。
なんて幸せ。
「あの……我ながら図々しいって思うんですけど……ひとつ、お願いがあります」
「なんだ」
声が優しい。
これならおねだりしても、叶えてもらえるかもしれない。
「形見が欲しいんです」
「……形見?」
「わたしの【睡眠】の呪符の装具も、先生のお手製がいいです。それを形見にして、わたしは鎮護の魔術師として頑張りますから」
刹那、息をのむ音がした。
「先生はオプシディエンヌと一緒に死ぬんでしょう。だからどうか形見を下さい」
オニクス先生からの返事は無かった。
どうして呆然とわたしを見つめているんだろう。
やっぱり作ってもらったばっかで、次のおねだりは図々しいよな。
いや、そもそも形見って、わたしは先生のコレクションを貰う予定じゃん。
原石や貝殻の標本に、琥珀に変わる寸前の松脂や、奇形の角を持つ鹿の頭蓋骨、絶滅怪鳥ステュムパーリデスの骨格標本。トレス台付きの机から、魔術の蔵書まで。
あれらが譲られる予定なのに、さらに追加はさすがに面の皮が厚くないか?
ヤバい。ちょっと顔面を剥ぎ取りたくなった。
剥ごう、顔面。
黙っていると、先生の手が離れる。
「そうだ。私は……オプシディエンヌと死ぬ。彼女を、片時も忘れたことはない……忘れて、いるはずがない。だから……」
隻眼を微かに彷徨わせて、わたしを再び見つめた。
無言でわたしを押しのける。
「オニクス先生?」
「次代の世界鎮護の魔術師。気が向いたら、作ってやろう」
「ありがとうございます」
楽しみだな。
「先生。さっそく【飛翔】を使ってみていいでしょうか?」
「構わんが、ランプはやめてくれ」
「わたしはお外を飛びたいんです」
「きみは砂嵐の激しさが目に入らなかったらしいな」
皮肉100パーセントの口調だった。
「砂嵐を遠くから見物するだけですよ。突っ込みません!」
力いっぱいの主張に対して、隻眼に睨まれる。
「突っ込まなければ危険ではないと思っている危機管理能力に欠如した人間が、いらん事故を起こすんだ。これは空間識失調が発生して事故るパターンだな」
窓を開けて、外へと向けられる眼差し。
「いいか、砂漠は平衡感覚が失われやすい地形だ。しかもあんな巨大な砂嵐………」
先生が突然、言葉を失っていた。
砂嵐の中に、くっきりとした影がある。人工的なラインの影だ。
わたしは視界を霊視モードに切り替えた。
大きな砂嵐のなかに、なんだ、あれは…建物?
「……塔が視えます」
「塔……?」
先生も身を乗り出して、隻眼を眇めた。
「まさか、あれは『星蜃気楼』……!」
バギエ公国のダンジョン『星蜃気楼』?
ブッソール猊下が発見したっていうダンジョンが、どうして砂漠に?
「あれってバギエ公国のダンジョンでは?」
「国境は関係無い。『星蜃気楼』は、異次元を放浪する遺跡だ……まさか砂漠まで彷徨っていたのか」
わたしは脳みその中に、全世界地図を思い浮かべる。
砂漠とバギエ公国は、直線距離で考えると近いな。
ラーヴさまの尾が阻んでいるから、海路でも陸路でも大回りになるけど、次元のはざまを行き来しているなら関係無い。
「いや、我が師が尾を動かされたから、放浪領域が変化したのか……?」
先生は真剣な面持ちで、砂嵐を見つめた。
「………………」
「見過ごします?」
「近づかなければ平気だろう」
やったね!
先生がくるっと返した手のひらに乗る。
わたしたちは彷徨うダンジョンを、見物することにした。