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第十話 (前編) 滅びろ、ファッションオタ!

 

 憲兵所から解放されて学院に戻ったわたしは、職員棟に急いだ。一直線にオニクス先生の部屋へ行く。

 部屋にいるかどうか知らんけど、どっかにいるはずだ。

 だって放牧場に、先生の愛馬が見えたからな。

「生徒番号320ミヌレ一年生です。入って宜しいでしょうか」

「入れ」

 先生は作業机にお盆を乗せて、細かな作業をしていた。

「なんだ? 誘拐犯だか通り魔だかを溺死させかけて、生徒番号010に怒られたか?」

 オニクス先生は興味無さそうな口調だったが、昼間の事件は把握していた。どうやって把握しているんだ、このひと。

 わたしの疑問が顔に出たらしい。

「職員会議」

 作業しながら、端的に回答してくれる。

 監督生は憲兵所に通報するついでに、学院にも連絡しておいたのか。わたしが人相書き描いてるときに、色々と処理していたからな。

「誘拐だと結論付けられた。生徒番号010の実家は大富豪だからな」

「先生ってこき使っている監督生まで、生徒番号で呼んでるんですね」

「私は他人の名を呼ぶ必要性を感じていない」

 冷たさという人間的感情さえない口ぶりで、手元の作業を続ける。

 人間の呼び方は幅広い。階級で呼んだり、愛称で呼んだり色々だ。でも番号を覚えるのって、一番めんどそうだけどな。

「あの。その件で先生に報告したいことがあるんです。襲ってきたひとなんですけど【蜘蛛】の魔術を使ったんですよ」

「ほう」

 先生が頤を上げた。

 視線だけで、椅子が指し示される。座ってきちんと話をしろという意思表示だ。わたしは一礼して椅子に腰を下ろす。

「以前、先生を襲った光の教団も使ってましたよね。係わりがあるんじゃないですか? だって蜘蛛入り琥珀なんて、貴重な素材、そうそう手に入らないじゃないですか」

 【蜘蛛】の魔術の呪符は、蜘蛛入り琥珀。媒介は黄昏蜘蛛の糸。インクは黄金蜜と夜露だ。

 かなり貴重な素材である。

「蜘蛛入り琥珀は貴重とはいえ、所詮は季節を問わず流通しているものだ。金を積めば手に入る。そもそも襲ってきた相手が光の教団だと仮定して、何故、生徒番号010を狙う?」

「狙われたのはレトン監督生じゃなくて、わたしかもしれません。先生の身内だと認識されてしまったんじゃないでしょうか?」

「………否定はできんな」

 掠れるような声を絞り出した。

「生徒番号320、その仮説は他の誰に伝えたか?」

「いいえ。ただの仮説ですから、先生だけです。先生はどう思うか知りたくて」 

「興味深い意見だ。とはいえ肯定するには根拠が薄い。それは襲撃者が光の教団だという仮説を立て、さらにきみが私の身内だと誤認されているという仮説を重ねているからだ。だが否定するには筋が通っている。判断は保留しておくが、きみは遊覧馬車の使用は避けた方が無難だろう。デートするなら、箱馬車にしておくといい」

「誤解です。レトン監督生の馬車に乗り合わせただけですよ」  

「ずいぶんとめかし込んでいるようだが?」

 わたしのドレスを指摘する。

「これはエグマリヌ嬢に勧められたんです。着飾ることに興味はないんですが、着衣というかたちの芸術は好きです」 

「ああ、なるほど。きみは芸術に一家言があるからな」

「嫌味ですか」

 わたしが睨むと、先生は嗤った。

「私は皮肉な言い回しを好んで使うが、一家言を持たん奴に手ずから装具を作らんよ。なんだ、今日のきみはずいぶんとご機嫌斜めだな」

「腹が立ってるからです! 攻撃してきた相手をぶちのめしたら、責めてくるとか最悪です」

 レトン監督生からの叱咤が、理不尽すぎる。駅で痴漢にあって突き飛ばしたら、先輩が「暴力はよくない」って説教してくるレベルの理不尽さじゃねーか。そもそも今そこでそれ言うかっての。

「きみに不手際があったのか?」

「正当防衛ですよ」

「そんなのは知ってる。現時点の論点ではない。きみの対応は最適解だったか?」

「どうしろと?」

「その場にいなかった私に問うな。敵と相対したら、殺すことが最適なら殺せ、捕まえることが最適なら捕縛しろ、逃がすことが最適なら逃走を促せ。敵もいのちはたったひとつ。殺してしまっては、尋問も取引も見せしめも出来ん」

 敵のいのちの利用価値を説かれた。

 そこまで考えていただろうか?

 ………わたしは考えていなかった。

 敵のいのちをどうでもいいって思ってしまった。

 どうでもいいわけないのに。殺害するか捕虜にするか、あえて逃走を促すか。どうすれば敵対者がいちばんダメージを食らう結末になるのか、そこまで思考を突き詰めていなかった。詰めが甘かった。

「きみが最善手だと胸を張れるなら、それでいい。世界が咎めようと、私は咎めんよ」

 先生の言葉が、胸にじわじわと染みてくる。

 レトン監督生に人命とか遵法とか訴えられたときより、めちゃくちゃ心臓にきた。心がぎゅっと萎んでいく。

「すみません。そこまで………わたし、考えていませんでした………」

 わたしは馬鹿だ。

 そうだよ。図書迷宮で先生はガーゴイルを倒したときに、後顧の憂いなく虐殺できるって喜んでいた。そうなんだ。誰かを殺すときは、後々の事も考えなきゃいけない。

「いや、すまん。いささか厳しすぎたな。これは不当な叱咤だった。きみはまだ幼い。予期せぬ戦闘において、敵を排除できた。即時報告をして、襲撃理由の考察もしている。上出来だ」

 先生の口調は、厳めしいけど優しかった。

 このひと、こんなに優しい声を出せるんだ。

「ありがとうございます」 

「きみは物分かりがいい」

 皮肉かなって思ったけど、先生の口許は柔らかかった。

 ほんとに褒められたのかな。 

 なら嬉しい。

「ペンダントを貸したまえ」

 わたしが浮遊石のペンダントを渡すと、先生は金具を取り巻いたアクアマリンを組み始めた。

 図書迷宮で採石したアクアマリンだ。

 なんとなく図書迷宮のことを思い出していると、先生も思い出してしまったらしい。

 顔色が悪くなってるぞ。

 なんで敵のいのちは取引や尋問材料なのに、こと貞操となると厳しいんだ。分からんでもないけど。

「………いっそ生徒番号010と懇意になるといい」

「嫌ですよ」

「私の知る限りでは、勉学に対して真摯であり、女性に対して紳士だ。欠点と言えば蒲柳の質か」

「駄目なんですよ。あのひとオタクじゃないし」

「きみは、たまに訛りがきつくなるな。なにを言ってる?」

 方言扱いされている。

 まあ、それならそれでいいか。

「つまりですね。オタクだったらハマったもんのために人生があるんでしょ! それを人生を豊かになるためにオタクやってんのは、逆ですよ。逆。そういうのファッションオタです。表面だけの上っ面オタですよ。オタク趣味を人生のために使うな。人生をオタク趣味に捧げろよ!」 

「たしかに………学術や魔術を、出世や金銭のために利用するのは不快感を催す。魔術を究めることそのものが享楽であり、享楽のために魔術があるわけではない」

「自己顕示欲も! 承認欲求も! 悪くないですよ。でもですね、何か創作したり収集したりして、それを認めてほしくてコミュニケーションするんでしょ? コミュニケーションのために創作や収集するのは、オタクじゃねぇんだよ。リア充でもオタクでも何物でもない空っぽな奴が、自分の居場所を作ろうとして、オタク趣味を利用してるだけなのって、虫唾が走るんですよ」

「名誉を求めるのは悪くはない。だが魔術を窮めた先に名誉や賞賛があるべきであり、名誉や賞賛のために魔術を研究する輩とは、不快の極みだ」

「なにが流行だ」

「まして貴族に阿るなど言語道断」

「滅びろ、ファッションオタ!」

「俗物は死ね!」

 静まり返る室内。

 先生は小難しいことを言ってるけど、内容は分かる。すごく伝わってくる。

「………とは言っても実際問題、貴族に媚び諂わんと予算も降りん」

「ライトオタで母体数が増えてるから、成り立つジャンルってのもありますからね」

「俗物の存在が緩衝材になって、宗教弾圧が減っている」

「オタ趣味をコミュニケーションに利用するライトオタでも、ああいうのがいないとすぐリア充が底辺扱いしてくるし」 

「しかし社交上手という点だけで、先行研究をろくに調べてない研究で褒めそやされているのは、はらわたが煮えくり返る」

「コミュ強ってだけで原作読んでねぇような奴がコメント付くと、ぶちのめしたくなる」

「まして参考文献が孫引きだけの研究はやめろ」

「二次創作だけ読んで、ファンです……ってアリなのか、それ!」

「原著に目を通せ!」

「原作を読め!」

「とにかく俗物は死ね」

「滅びろ」

 だらだらと愚痴を垂れ流しあう。

「私のような年寄りなら兎も角、きみはなんでそんな年齢で拗らせているんだ」

「いやあ、いろいろありましてね」

 オタクにも色々あるんですよ。

「不満が吐けてすっきりしたが、瓶の底でなめくじがビール粕を啜るような低俗な幸福だな」

 先生が妙な喩えを呟く。

「なんですか、その喩え。高尚な不幸を抱えるよりマシですよ」

「高尚な不幸より、低俗な幸福か」

 先生は自嘲めいた吐息をこぼして、隻眼を細める。

「世俗と決別できなかった私は、低俗な幸福を選んだのだろうな」

「俗物を嫌ってんのに、どうして学院なんて人間関係が最悪にめんどくさいとこで、教員やってるんですか……?」

「………闇魔術への偏見を緩和させるためだ」

 むしろ増加させている。

 絶対、嘘だな。

 先生はしれっとした顔で、手元のペンダントを光に透かす。

「出来たぞ」

「先生。つけていただけますか? わたし、ペンダント付けるの苦手なんです」

 背中を向けた。

 大きな手のひらが、わたしの髪をかき上げる。触れない距離、でも体温が近い。

 少し重みを増したペンダントが、わたしの胸に収まった。首後ろの見えない場所に、アクアマリンが揺れる。

 冷たい石の感触が、火照った肌に心地よかった。


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