三章の終わりと四章の始まり
あるいは夢魔の女王の少女期の終わりと、蛇の脱皮
「まずお互いの構築デッキを把握しましょう。わたしは【飛翔】と【一角獣化】しかないんですけど、先生はどうなってますか?」
わたしは率直に問う。
ステータスと装備品の確認は、基礎中の基礎だ。
怠っちゃ駄目である。
「構築デッキ……また奇妙な言い回しだな。呪符なら無事だ。【飛翔】【浮遊】【水】【透聴】【擬音】、【隕石雨】。あと闇魔術【乱鴉】【睡眠】【恐怖】【幻影】。これですべてだ。護符なら【耐炎】がひとつ」
闇魔術は強力だけど、日暮れから夜明けまでしか使えないのが難点。
【隕石雨】はMAP兵器だもんな。威力ランダムで、下手したら街ひとつ壊滅するからな。
使いづらいデッキ組んでるなあ……
いや、【飛翔】で水とか小石とか飛ばせば、十分、攻撃魔術の代用になるけどさ。
「【隕石雨】って、連続で何回使用可能ですか?」
「三度が限度だ。三度使ってしまえばもう他の魔術も使えん」
マジかよ。オニクス先生のMP……29997以上あるじゃねーか。
パーティーメンバー中、魔力最高値のクワルツさんだって、初期3000、カンストさせて9000だぞ。化け物か。
測定不可能の事実上無限のわたしが言うのも、なんか失礼だけど。
「【蛇蝎】は持ってないんですか?」
「あれなら討伐時に破壊された。そもそも私に獣適性は無いから、作り直すつもりもないがな」
「ないんですか、獣属性……」
マジかよ。ざんざん蛇蝎呼ばわりされているのに、獣属に適してないって意味分からん。
「私の適性は、闇属性。あとは火属性も適している」
「そのわりに火属性の呪符がないですよね」
「前科者は持てない」
所持資格が厳しいからな、火属性…
「大きな都に行けば、呪符の素材が手に入るだろう。思わぬ掘り出し物があるかもれん」
「わたし、人魚の髪を持ってますよ」
「良い媒介だな。そうすると、まずは……きみの服か」
先生はペチコート被っているわたしを見下ろした。
夕暮れのバザールの中で、古着の集まる区域に向かう。
求めるのは、被衣だ。
女性が頭から被るやつ。
臙脂だの濃紺だの涅色だの駱駝色だの、濃く染められている。
わたしの背丈に合うのは、翡翠色のものひとつきりだった。
選択の余地がなかったけど、本当に素敵なデザインなの。架空の植物が刺繍されている。色使いは鮮やかなのにまとまっている。この世ならざる植物園みたい。センスがディアモンさんっぽい。
縁取りには、大ぶりのスパンコールが輝いている。わたしの好みより派手だけど、揺れる輝きは綺麗。
これを被っていれば、街に馴染むぞ。
あと乾いた空気が肌に触れないから、意外と快適だ。
ちなみに先生はターバン以外、悪の魔術師ルック続行である。
魔術師のローブってここの民族衣装と近い仕立てだしな。ターバンの結んだ端を顔の半分に垂らしていて、仮面を覆っている。これはこれでかっこいい。
「あとは靴だな」
「靴屋さんあっちです」
羊皮をいろんな色に染めてある靴だ。
革製品の色使いは、エクラン王国より多彩だ。
先生と連れ立ってお買い物巡りなんて、完全にデートじゃないか。ぐへへ。
「空色と茜色、どっちがいいと思います?」
なーんて聞いてみたりして。
「空色だな」
意外に答えてくれた。
「寒色系の方が見ていて涼しい」
なるほど。
わたしもどちらかといえば寒色系の方が好きだし、ここは空色だな。
「それに」
先生は言葉を続けながら、わたしの足元に視線を落とす。
「きみの足は陶磁器みたいだから、ここでは目立つ。被衣と同色系にしておいた方が目を引かなくていい」
「……はひ」
被衣の下のわたしの頬は、たぶん、真っ赤になっていた。
わたしの身なりが整ったら、聞き込み調査だ。
先生はスイカ売りの行商に話しかける。
砂漠のスイカって、でかくて楕円形の瓜なんだな。あれ一個でひと家族分くらいありそうだ。
「私たちは西方から旅をしている者だ。このダリヤーイェ・ヌール朝の帝王の名を教えてくれんか?」
「滅相もない。偉大なる帝王さまのお名前なんて、恐れ多くて口が裂けても言えるわけねえ。舌を抜かれちまうよ」
後ずさる行商。
帝王の名から正確な年代が分かるのに、誰も教えてくれない。
高貴な方の名前は、簡単に口に出せないみたいだ。
古代竜ラーヴさまみたいにお名前呼んだら天変地異が起きるってなら分かるけど、帝王って同じ人間じゃないか。異郷の風習をどうこう言いたくないけど、もったいぶった話だ。
「それよりスイカ、買うのかい? そろそろ店じまいで帰るつもりだったんだが」
行商に急かされた先生は、頷いてからわたしへ視線を送る。
「ああ、きみはいくつ食べる?」
「ろくぶんのいっこ」
「六個?」
「聞き間違いじゃないですよ。六分の一です」
先生は隻眼を「なに言っているんだこいつ」みたいに眇めだけど、その台詞を言いたいのはわたしである。
結局、スイカを五個買った。
……お夜食かな?
夕焼けが作る木陰で、わたしと先生は腰かけた。
先生はクリス・ダガーでスイカを切り分けようとしたけど、わたしが果物ナイフ持ってるのでセーフだった。持ってなかったらこのおっさん、胎児殺しのクリス・ダガーで切り分けるつもりだったのか。それは勘弁してほしい、精神的に。
夕焼け色のスイカにかぶりつく。水気があって美味しい。
しゃりしゃりしゃり。
ぼりぼりぼり。
……? ぼりぼりぼりってなんの音だ?
先生の方を見上げる。スイカ、種ごと食ってるんだ。
「なんだ?」
「種、食べれるんですね」
「は……? 種を残すのか? どこの貴族だ」
信じられないものを見るような目だった。
そうか。先生のなかでは、種まで食べるのは常識なのか。でも種いらないな。
いや、だが自分が食べて当然と思うものを残すと、好感度が下がるんじゃねーか。
わたしは種まで食うことにした。
先生は種も皮の白いところも、ぜんぶ平らげて次を切り分ける。いくつ食べる気だろう……?
「ところできみは、古代ゼデル語を習得していたのか? 意外だな」
「してませんよ」
「喋ってる」
「ふへ?」
首を傾げたと同時に、ラピス・ラジュリさんの顔が浮かぶ。
「たぶん古代デゼル語が分かる屍人形を、吸収しちゃったからだと思います」
「勿怪の幸いだな」
先生は最終的にスイカを四個と六分の五を平らげた。
マジか……
「宿の場所も聞いておけばよかったな。のんびりしていると夕飯にありつけん」
は?
……これ、夕飯じゃなかったのかよ。
宿を探してうろうろと、街の外れまできてしまった。こっちの通りはハズレだったか。
夕闇は濃く、気温は下がってきている。
「野宿……か」
不穏な発言が零れた。
この気温で野宿かぁ。
一角獣化したら、冬でも野宿できるから凍えたりしないけどさ。
「あ、あっちが明るいですよ。行きましょう」
砂岩を積み上げた建物の前に、かがり火が焚かれていた。おじいさんが崩れた煉瓦塀に腰を下ろしている。腰にでっかい鍵を何本もさげているから、門番さんかな?
お年寄りのなかでもすごくお年寄りだ。わたしのおじいさんのおとうさんくらい年取っている。だから八十過ぎかな。年老いた門番さんは、窪んで濁って疲れ切った目をしていた。
オニクス先生は礼儀正しく話しかける。
「私たちは西方から旅をしているが、このダリヤーイェ・ヌール朝の帝王の名を教えてくれんか?」
「偉大なる帝王さまの御名など、恐れ多くてこのジジィが発音できるわけございませんよ。いったいどういう了見で、偉大なお方の名前を聞きたがるのです。ダリヤーイェ・ヌール朝の第三十代目、偉大なお方。鼈甲の祝福を受け、ジャスミン香るお方。砂漠と海原を支配するお方。それでよろしいではありませんか」
「そうだな。失礼。ところでこの御代は何年目だ?」
「ご即位から九年の月日が巡り遊ばせました」
オニクス先生の横顔が、月夜より凍てついている。
「先生……どうなさいました?」
「三十代目だ。ここはダリヤーイェ・ヌール朝の三十代目、サダフ・アル・スィラフラァーの御代だ」
耳打ちされた声には、微かな震えがあった。
「最悪の一歩手前だ。我が師がその尾を跳ねさせ、帝国が砂礫に帰すまであと半年もない」
「……ッ」
ラーヴさまの目覚めまで、あと半年足らず?
「でも、先生。たしか砂漠の帝国は、大地震の前に……内乱が……」
ディアモンさんに教えられた。
砂漠の帝国は大地震によって亡びる前に、内乱が勃発したって。
「こんなに平和なのに……」
バザールでは男のひとが普通に商売やってるし、ちっちゃな子や女のひとも歩いている。
物資だって市場の規模に対して十分あるし、ネックレスとかモザイクのランプとかの贅沢品も売れているみたいだった。
宰相が遺跡発掘までやってくるくらい、政治は逼迫してないし、文化的な事業に予算が出ている。
遠くからやってくる隊商さんたちも護衛は備えているけど、戦地をくぐってきた感じはしない。
だからなんとなく安心していたかもしれない。
「帝国は広大だ。ここは北西部だが、すでに東方や南方がくすぶっているやもしれん。いつから内乱が広がるか見当つかんが、それを考えると半年も無いな」
砂漠からの風が強くなってくる。砂礫が吹かれる音が聞こえてきた。
それから、女の嘆く声……?
風の音かと思ったけど、これは泣き声だ。
すすり泣きの響きが流れてくるのは、砂岩の建物からだった。
異変に気づいたわたしに、門番のおじいさんが手を振る。
「旅人さんたち、気にしないでくれ。あれは狂女の家ですよ。狂った盲婆が閉じ込められているだけです」
門番のおじいさんは素っ気なく語った。
すすり泣きだったものが激しくなっていく。
「亡びる! 亡びるぞ! 帝国は砂に沈む! 西の平原も、北の山脈も、東の大河も、南の海岸も、砂の底に沈む! すべてが死に絶え、帝国は夢の跡となるぞ!」
甲高い叫びが、夜風に爪を立てる。
「あれは生まれつき目も見えなければ正気でもない。もうかれこれ八十年以上も同じことを叫んでいるよ」
「八十年……」
「……哀れだな」
オニクス先生の呟きは素っ気なかったけど、冷笑も皮肉もなかった。
わたしも先生も予知発狂者だ。
予知の狂気に蝕まれても、わたしは先生に救われたし、先生はラーヴさまに救われた。
でも、あの女性は誰も救ってくれなかった。
あれは、ありえたかもしれないわたしの姿だ。
「最初はすわ国の危機かと奔走したんだけどね、十年経とうか二十年経とうが同じことしか叫ばない。王宮の星読みさまも、聖都の巫女姫さまも、滅びの予兆は読み取れない。あれは狂っているだけさ。けど狂った女を殺すのは縁起が悪い。盲を殺すのはなお縁起が悪い。だからずっと閉じ込めているんだよ」
狂っているんじゃない。
大きすぎる悲劇を予知してしまっただけだ。
わたしは聖ステラ伝を思い出した。
予知夢が現実になる前に、火あぶりにされた尼僧のことを。
「世界を侮るな、侮るでない! 汝らが思うより、世界は深く、深く、恐ろしい……」
ふたたびすすり泣きになっていく老婆の訴え。
叫びは途切れて、泣き声になっていく。千切れていく嗚咽に、おじいさんの溜息が混ざった。
「おふたりさん、あまり気に留めない方がいい。さ、ここはまともな人間のいるところじゃあないよ。おふたりさんくらいなら、隊商宿がまだ空いてるだろう。大通りに戻りな」
年老いた門番は、隊商宿までの道を教えてくれた。
わたしたちは影をひとつにして、月下の道を歩いていく。
風が吹き、砂音が耳を打つ。
まるで砂時計の響きだ。
「時魔術を完成させなきゃいけませんね」
わたしの呟きが、月と砂に塗れた。
「容易いものではない。十数年はかかると思っていたが……」
「でもやるしかないでしょう。だからやるんですよ!」
未知の魔術を、たった半年で完成させる。
無茶な挑戦だ。
新しい魔術なんて、魔術師が半生をかけて、あるいは師から弟子へと渡って作るものだ。
でもやり遂げなければ。
先生と、元の時代に戻るために。
次回更新は12月18日(金)になります