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第十八話 1001回目の選択肢



 蜘蛛の糸だ。

 暗闇の中、いちめんに広がる、蜘蛛の糸。

 

 ここは……クワルツさんの意識のなか……?

 魔法空間かな……

 

 【魅了】を解こうとして、勢い余って幽体離脱しちゃったのか。

 それならそれで好都合。直接、クワルツさんの精神に呼びかけよう。

 闇魔術は心を操ったりしない。心に干渉するだけ。

 封じ込めていた想い、自覚しない無意識、抑え込んでいた衝動、隠しておきたい欲望、そういった感情を解放するのだ。クワルツさんは一体どんな心の襞に触れられたんだ。

 蜘蛛の糸を掃う。

 十重に二十重に織られた糸を千切り、裂き、わたしは奥へ奥へと進んでいく。

 覚束ない闇が続く。

 どこまで奥へ進めばいい?


 ペケケケ……


 仔山羊の鳴き声がした。

 蜘蛛が巣食う空間にいたのは、小さな小さな一角獣。

「わたしの断片ね」

 直感的に悟った。

 あれはわたしのかけら。クワルツさんが喰らったわたしの血肉と魔力の名残りが、結晶化したものだ。

 一角獣は駆ける。

 わたしは追いかける。

 駆ける、駆ける、追いかける。


 瞬間、明るくなった。


  

 晴れ渡った青空に、葡萄の茂る天蓋。

 瑞々しい緑の葉が折り重なって、緑一色のステンドグラスみたいだった。なんて綺麗な緑陰。

 クワルツさんの実家プレニット農園だ。果樹を育て、果実を醸している農園。

 ここがクワルツさんの魔法空間?

 

 人影が差す。

 わたしの横に誰かいた。

「今年もきっと大豊作っスねぇ」

 エプロンスカートの女の子だ。でっかいバスケットを持っている。

 クワルツさんちの使用人のメレちゃんだ。

 でも成長している。十七か八くらいだ。

 わたしまでいつの間にか成長して、背丈と髪が伸びていた。たぶん二十歳くらいになっている。

 服装も変わっている。

 ヴェールが垂れる麦わら帽子。未ざらしの亜麻布のドレスは、素朴な色合いをしている。袖の部分だけは極薄の亜麻で、たおやかな腕が午後の光に透けていた。白木綿レースのスカーフを、瑪瑙のピンブローチで留めてある。

 このドレス、洗いざらしのこざっぱりさだけど、実はめちゃくちゃ高価だぞ。

「あ、の、メレちゃん……」

「なんスか? バスケット持つの交代しませんからね。若奥さまに持たせるなんて、それはダメダメっスよ」

 メレちゃんは不敵に笑う。

「若奥さま。【浮遊】があるからとか、そういう問題じゃないんスよ。いいっスか、若奥さまはいつでも身軽に優雅にいてほしいんスよ。これはお傍付きの侍女としての矜持っスね」

 若奥さま……? 侍女……?

「さ、若旦那がお待ちっスよ」

 メレちゃんは小走りに急ぐ。

 わたしは追いかけた。

 どこまでも続く葡萄の天蓋を歩いていけば、水晶色の乱反射が果てに見えてくる。

 クワルツさんだ。

 こざっぱりとした野良仕事の服。瓶底眼鏡をかけて、上機嫌に微笑んでいる。

「ああ、ミヌレくん。待ちかねたぞ」

 クワルツさん、そしてオンブルさんは、腕まくりしてピクニックの支度をしていた。

 ピクニックテーブルの上には、清潔なクロスが敷かれて、初夏の花盛りになっている。

 大きな純銀製のケトル、ティーセットはエナメル盛りで森の風景が描かれていた。銀製のワインクーラーには、ワインが突っ込まれている。

 メレちゃんがバスケットを開けると、そこには南国のフルーツがたわわに詰まっていた。真っ赤なマンゴーや、バナナにパイナップル。エクラン王国では育たない果実だ。

「本当にここで育ったのか。見事だな」

 オンブルさんがマンゴーを手に取って感心している。

「ミヌレくんが改良した魔術温室なら、南方果実も造作もない」 

 クワルツさんが自慢げに語る。

「おまえが育てたんじゃないだろ」

「オンブル、切ってくれ。吾輩、切り方知らんのだ」

「切るのも他人任せかい」

「食べるのは頑張るぞ」

 爛熟した果物が切られて、芳醇な香りが風を染める。

 幸せなそよ風の中、クワルツさんとオンブルさん、そして成長したわたしがピクニックに興じる。侍女になったメレちゃんは、楽しそうに給仕をしていた。


 これ、クワルツさんとのエンディングNo.10『幸福の果樹園』だ。


 わたしが宮廷魔術師に就かず、農園の若奥さまになるエンディング。

 硝子でなく火魔術による温室を造り、風魔術で害虫を退け、土魔術で土壌改良し、水魔術で疫病を癒し、エクラン王国では珍しい果物を育てていく。

 クワルツさんの予知があれば、天候の荒れや疫病が分かる。他の農園と違って、早めの準備が可能だ。

 プレニット農園はまさに順風満帆。

 これはこれで幸せな未来だ。

 魔術によって農業貢献をする人生。

 美しくて豊かな農園、やりがいのある仕事、周囲からの賞賛、理解のある夫、信じられる友人、尽くしてくれる侍女。


「だけどわたしは、この未来を望んでいませんよ」


 途端、クワルツさんが立ち上がって、わたしを見据える。

 幽霊でも見てしまったような顔だ。

 分厚い眼鏡の底にある双眸は、焦点があってない上に、硝子玉めいていた。眼窩に硝子玉を埋め込んだみたいで、人間の眼とは思えない。ぞっとする。

 わたしは背筋を伸ばして、クワルツさんを見据えた。

 彼を魔女の【魅了】から取り戻さないといけないのだ。

 臆していられない。

「クワルツさん。幸せな未来ですね。みんなが暖かく祝福してくれて、誰もが満たされている。でもわたしは望まない」

 わたしが言葉を落とすたび、まやかしの幸福は輪郭を歪ませる。

 形が揺れて、色は流れて、すべて散って。

「そうか、ミヌレくんは充実と平穏がお気に召さないか。では、これでどうだ?」

 クワルツさんの囁きに、風景が一変する。

 緑の葡萄園は消え去った。

 王都の星空だ。

 降り注ぐような星月夜、身を切るほどの夜風に嬲られ、わたしとクワルツさんは屋根の上に佇んでいる。

 クワルツさんは怪盗の衣装、わたしも怪盗用ドレスだった。

 黒くて艶やかなベルベットに、白くマットなグログランの縁取り。肩からわき下まで大きく開いていて、大胆なデザインのドレスだ。レースとリボンでできた仮面は、ドレッシーだ。

「刺激と美学だ。きみと踊る夜ごとの宴は楽しかろう」

 エンディングNo.11『ふたりの怪盗』か。

 わたしが魔術師から、怪盗へと転向する未来だ。

「いいえ、わたしはこれも望まない」

 レースの仮面を剥いで捨てる。

 突風に流されて、頻闇に消える仮面。

「では。これならお気に召すかな?」

 星空は色褪せながら萎れ、緑色の森が綻んで広がっていく。

 生い茂って重なる木々も緑、苔生す大地も緑。

 そして真っ赤な葡萄が垂れ下がっている。一粒一粒が最高の紅玉みたいに輝いていた。

 古代文明紀に絶滅した神の葡萄『アンブロシア』だ。

 隠しダンジョン『幻想大樹』をクリアして、クワルツさんの恋愛値とレベルをMAXにした場合だけ見れる特殊エンディング。

 No.12『神々の豊穣 アンブロシア』だ。

 不老長寿の葡萄の発見と生育。

 わたしの魔力と魔術、クワルツさんの農業技術で、この神の葡萄はエクラン王国に根付き、わたしたちの偉業は永遠に語り継がれる。誉れ高い未来だ。

「これもわたしは望まない」 

「……ミヌレくん。この未来の何が不満だ。いいではないか、この未来で!」

 クワルツさんは叫び、わたしの魂をこの未来を引き留めようとする。


「どれでもいい。吾輩でなくとも構わん! どれかを選べば、『彼女(きみ)』は地球で幸せになれる」


 ああ、クワルツさんは『夢魔の女王( みらいのわたし)』を救いたいのか。


 窮極の間に座す『彼女( わたし)』を。


「わたしはあらゆる未来を視ました」

 1000回の未来視。

 田舎に引っ込んで、フォシルと牧場を営む未来。

 冒険者ギルドに登録して、ロックさんと遺跡探検をする未来。

 宮廷魔術師となって、レトン監督生と共同研究する未来。

 伯爵夫人として、サフィールさまの城を守る未来。

 治癒魔術師として、エグマリヌ嬢と肩を並べる未来。

 他にも数えきれないほど視た。

 宮廷魔術師や公務魔術師になったり、学院の教師になったり、図書館の司書になったりした。教会に通い詰めて尼僧になることもあれば、施療院の治癒魔術師になることもある。酒場でバイトしすぎて、『引かれ者の小唄亭』の跡継ぎになることあった。

 あらゆる可能性。あらゆる人生。あらゆる未来。

 平凡で満たされた人生も、刺激的で愉快な人生も、後悔するような人生だって視た。

 だけど今のわたしが選ぶのは、ひとつだけ。

「1001度目の未来は……いいえ、わたしの一度しかない人生の選択は、たったひとつです」

 そのひとつがあればいい。


「『夢魔の女王( みらいのわたし)』の魂の行く先は、永久回廊です」 


「何故……」

「だって『夢魔の女王』があそこにいないと、オニクス先生が自由になれないじゃないですか」 

「あの教師の自由か!」

 クワルツさんは怒気と共に、言葉を吐き捨てた。

「吾輩とて最初は納得していた。きみの献身に、あの教師が報いるならばそれは美しい。物悲しくもあるがハッピーエンドだろう。だがあの男が選んだ道は、きみへの裏切りではないか!」

「心は儘ならないものです」

「……きみはあの男に未来を救われたから、助けたいと言った。だが結果、きみの未来はどうなった!」

 肺腑の酸素を、すべて使い果たすような慟哭だった。

「運命を! 未来を! 変えようと思わんのか!」

 思わない。

 わたしは世界鎮護の魔術師になる。

 そしていつか宇宙の最果てに座し、一角獣の心臓を宿して、過去の己に貫かれる日を待つのだ。あの白く美しい窮極の間で。

 未来を回避しようとも、拒絶しようとも、思わない。

 怠惰でもなく、諦観でもない。

 わたしが願うことはひとつ、『愛しいひとの自由』だから。


「わたしは運命を受け入れます」


 そう告げた瞬間、わたしの輪郭が変わった。

 鉱石色の髪は足元まで豊かに垂れ、背丈が伸びて、手足がしなやかになる。銀のサークレットを冠して、優美なプリーツドレスを纏っていた。

 『夢魔の女王』の姿だ。 

 クワルツさんが泣き顔の寸前で止まる。


「……『彼女(きみ)』を、助けたい」


「わたしは報われています。先生を【制約】から救えたんですから、何物にも代えがたいほど報われているんですよ」

 世界の輪郭が洗い流されて、漆黒の星空になる。足元も真上もすべて星。

 ふたりで昇った宇宙を思い出す。

 天球音楽を聞きながら、星たちを眺めた宇宙の旅。

「ごめんなさい」

「きみが何を謝罪する」

「クワルツさんだって当事者だったのに……わたしばかりが我を通してしまった」

 永久回廊の件は、たしかにわたしの問題だった。

 だけど時の最果てまで共に行ってくれたクワルツさんだって、当事者だ。

 オニクス先生の選択が納得いかなかっただろう。

 ずっとずっと納得できなかったんだ。

 わたしとオニクス先生が幸せになるなら、と、きっとそう思って力を貸してくれた。でも先生がどこかの女と心中するため、姿を消したんだ。呑み込めない結末だったに違いない。

 燻る苦悩を、あの魔女に付け込まれた。

 わたしがもっと踏み込んで話し合っていれば、魅了なんかされなかったのに!

「クワルツさんともっと言葉を交わしていれば……」

「ミヌレくん。どれだけの言葉を交わそうが尽くそうが、吾輩は納得できんよ」


 宇宙がひび割れる。

 いや、これは蜘蛛の巣だ。

 クワルツさんが蓋をした想いを、無理やりこじ開ける邪悪な蜘蛛め。

 もうクワルツさんに、この忌むべき虫を近づけさせない!


「我は汝を忌むがゆえに、呪を紡ぐ。福音であり、呪詛たるもの。人や獣は汝に苦しみ、花や水は汝を知らぬ」


 ここは純粋な魔法空間。

 呪符がなくても、魔術が発動できる。

 わたしは魔力を練り、組み立て、広げていく。

 この蜘蛛の糸をすべて喰らうために。


「さあ、死肉啄む姿を借りて、いざうつつに炳焉と舞え! 【乱鴉】ッ!」


 わたしの魔力が、幾千億万の鴉となる。

 啄め、喰らえ、この忌まわしい蜘蛛の糸を!



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