第十七話 招かれざる客
絶句がこだまする中、まとまりそうだった事態の壊れる音が聞こえたのは、わたしの気のせいか?
「5000エキュの賞金首だぁああッ!」
最初に声を上げたのは、冒険者のロックさんだった。
だけど誰よりも素早いのは、クワルツさんだ。風のように駆けて、わたしを抱きかかえた。
そのままテントから連れ去られる。
ふへっ? なんでや?
「ミヌレくん。ようやく見つけた」
「あ。ディアモンさんからの依頼で、わたしを探していたんですか?」
確かにディアモンさん視点だと、参内しておきながら宮中で行方不明なんだよな。
心労が凄まじそうだ。
当初の予定じゃ先生のクリス・ダガーの位置を確認して、報告するだけって思ってたんですよ。湖底神殿まで来ちゃったけど。
「ああ。急いで離脱するぞ。この辺りは治安が悪化している」
灯りが輝く夜の市場を、疾風のように駆け抜けていく。
あれ?
おかしくないか?
……ブッソール猊下はテュルクワーズ猊下に連絡したって言ったぞ。
だったらもうわたしの無事は、ディアモンさんにも伝わっているはずでは?
いや、ディアモンさんが知っていても、クワルツさんがその連絡を知らないだけか。
「クワルツさん、大丈夫です。さっきの大柄なひとは賢者連盟のブッソール猊下ですから、ディアモンさんにも連絡が入っているはずですよ」
「いいや」
クワルツさんは短く否定して、湖面へと飛び降りた。
水に突っ込むかと思ったら、クワルツさんは湖面に着地する。着水か、この場合。
【水上歩行】の魔法だ。
素足の皮膚接触で、水を弾いているんだ。
わたしを抱えたまま、雨と湖のはざまを風のように走っていく。
市場の魔術ランタンが届かない暗闇だ。
遠くから人魚の歌が聞こえる。
獲物を貪るために紡がれる、魅了の魔法。高く、低く、物悲しい響きが繰り返されて、凪いだ湖面に広がっては消えていく。
「どこまで行くんですか、クワルツさん? ………離してください」
わたしの願いは聞き入れられない。
それどころかもっと強く抱きかかえられる。
「クワルツさん! クワルツさんっ!」
黒仮面の下の双眸が、わたしを見つめた。
その眼に、ぞっとした。
色彩の薄い瞳はますます淡く朧になっていて、焦点が合っていない。
人魚に魅了された人間のまなこだ。
魅了? クワルツさんほどの闇属性が高い人間が?
恒常的に予知できる魔法使いが、人魚程度に魅了されることはない。
クワルツさんを魅了できるほどの闇の魔術師。
……そんな存在、わたしはひとり知っている。
星の無い空と、波の無い湖面。そして果ての無い暗闇に、影がひとつ佇んでいた。
ポーポイエス級の人魚か?
いや、背は高いけど、人間だ。
髪もドレスも漆黒だ。
黒髪は艶やかで、鏡みたいに光と闇が映り込んでいる。岸に灯っている魔術ランタンの光と、デコルテを飾っている金線細工の輝きを受けているから、星を髪飾りにしているみたいだった。
瑞々しい蜂蜜膚に、豊かな乳房と細くて長い腕。
これ以上胸が大きかったり、腕が細かったら奇形になってしまう。蠱惑的だけど、異形の一歩手前、人間というよりも人魚に近いスタイルだった。
初めて目にした相手だけど、誰か分かった。
わたしは彼女の名前を知ってる。
真の名を知ってる。
だけど言ったら何もかも終わってしまいそうな、悪いことが始まってしまいそうな気がした。
「この姿では、お初にお目にかかるわね。ミヌレ」
色違いの瞳がわたしを見つめた。
雪の結晶めいた瞳と、冬の常闇めいた瞳。
「オプシディエンヌ……」
わたしの唇が、名を紡ぐ。
同時に背筋から汗が噴き出した。嫌な汗だ。ねばついて冷たい汗だ。
魔女オプシディエンヌ・フロコン=ドゥ=ネージュ。
「ラスボスがフィールドエンカウントするんじゃない……ッ」
「たまにあなたって、分からないこと言うわね」
オプシディエンヌは黒髪を指で梳いて、楽しそうに微笑む。黒髪に映っている無数の輝きが、流れ星みたいに散って、湖面の闇に吸い込まれていく。
細すぎて長すぎる指は、蜘蛛の足みたいに器用に動いていた。
「妾を殺せる指輪を探していたのでしょう」
嗤いながら、手を差し出す。
その薬指に嵌められていたのは、蠍のかたちをした漆黒の指輪。
あれは間違いなく闇の至宝石だ。
「無駄足、ご苦労さま」
にっこりと微笑む。
指輪を見せびらかして落胆させるため、わたしたちをワザと逃がしたのか?
クソ根性悪じゃねぇか! 知ってたけど!
「クワルツさんを魅了したのはおまえか」
わたしは暴れるけど、クワルツさんが抑え込んでいる。腕力は鋼の万力みたいだ。無理に脱しようとしたら、わたしの経絡を押さえつけられた。視界が暗く霞む。
「うぐ……ッ」
気絶の寸前まで、魔力が抑えられる。
六肢に、力が、入らない。
「ぁ、が……ッ」
「あなたのいちばん強力な手駒をこちら側に引き込めば、すっごくびっくりするでしょう。あなたを傷つけない程度のピンチをサプライズしてあげたら、騎士さまになるのは誰かしらって」
傷つけない程度のピンチ……?
フォシルの拉致監禁のことか。
あの騒動でわたしを確保するつもりは無かったのか。
【封魔】の護符をフォシルに与えたのは、捨て石にするため。すべて下見の一石。わたしが危機に陥った時、誰が駆けつけてくるか観察していたんだ。
「あなたったらエグマリヌ伯爵令嬢を気にかけていたみたいだけど、こっちの狼さんを注意すべきだったわ。実家が王党派だもの。プラティーヌの下知にすぐ従って、その子を宮中に上げてくれたわ」
王姫プラティーヌが手元に引き寄せるには、たしかにクワルツさんは都合がいい。
参内の身分を持っているし、実家は王家に対して忠誠を誓っている。
迂闊だった。
「でも本人を魅了するのは、かなり骨だったわよ。なかなか強情な子だったけど、素直になってくれてよかったわ。人間、素直がいちばんよね」
「素直だと? クワルツさんの尊厳と理性と信念を踏みにじっているだけだろうがッ!」
「こわい顔。妾からのサプライズなんだから、もっと楽しんでくれてもいいのよ」
「楽しいのはおまえ一人だ! サプライズじゃねぇし、カラミティかカタストロフィだっつーの!」
怒鳴るたびに、貧血じみた感覚になる。
経絡が抑えられいるせいだ。
だけどこの女に怒鳴らずにいられない。
「最高ね」
うっとりと呟く。
まるで甘美な砂糖菓子を舌先で転がしている微笑み。
わたしの悔しさも、先生の恋も、ありとあらゆるものも、この女にとっては砂糖菓子なんだ。指でつまんで、舌で味わって、最後に噛み砕くものだ。
「ミヌレ。あなたは妾のお人形さんを壊してしまったけど、代わりに新しいお人形になってくれるから許してあげる」
「やっぱりラピス・ラジュリさんは……おまえの屍人形か」
「ええ、見た目も魔力も自慢の仔だったのに。砂漠の水路遺跡で発掘したのよ。ラピス・ラジュリは世界中でいちばん美しい屍蝋だったわ」
宝石の美しさを讃える口ぶりだった。
他人のこころは砂糖菓子。
他人の肉体は宝石。
きっとこの女なりに他人を愛しているんだろう。反吐が出る愛し方だ。
正しい愛し方がこの世のどこにもなくても、この女の愛し方は間違いなく邪悪だ。
「でもあなたも愛らしくて珍しいから、妾の自慢になるわ。一角半獣なんて本当に稀有。可愛い下肢ね、とてもバランスがいい造形だわ」
オプシディエンヌの指先が伸びてくる。
蜘蛛のような指。
「近づくな……ッ」
身を捩って藻掻いた瞬間、がちゃんと音がした。
ポケットのなかの香水瓶の蓋が外れたんだ。
香水が零れて、人魚避けの匂いがスカート越しに広がってきた。ハーブ石鹸っぽい匂いだ。
反射的に後ずさるオプシディエンヌ。
ん? 人魚みたいな反応だな……?
羽ばたきが響く。
何百ものワタリガラスの幻影が、湖面に滑空した。
これはオニクス先生の【乱鴉】だ!
「オプシディエンヌ!」
ワタリガラスが羽ばたき終わった静寂に、裂帛が響く。
オニクス先生が月を遮るように、【飛翔】していた。
湖の水が弾丸となって、オプシディエンヌに襲い掛かる。
オプシディエンヌが扇を振る。
糸の結界が、攻撃を弾いた。とっくに防壁を張っていたのか。
「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに、惑星層に軋みし星屑に訴えん」
水の弾丸を制御しながら、別の魔術を詠唱していく。
この金臭い感覚は、まさか広範囲攻撃呪文か。
オニクス先生、わたしごと、オプシディエンヌを殺すつもりなの……?
先生にとって、オプシディエンヌと一緒に死ぬことだけが至上だ。
わたしのいのちさえ、雑音でしかないの?
「汝らは砕けた魂、破片の世界、何にも属することのなき孤高の絶望!
廻りて産むことなく、墜ちて芽吹くこともない」
いや、待てや。
わたしが死んで、先生が魔女と心中したら、誰がラーヴさまへの子守唄を歌うんや。
ショックで思考してなかったわ。
「オニクス先生ッ! わたしが死んじゃったら誰が子守唄するんですッ!」
「てめぇええっ、ここでそんなもん打ってんじゃねぇええ!」
ガラガラ声が破裂する。
ブッソール猊下が湖面を駆けてきた。
血相を変えて、水霊ウンディーネを先生に放つ。湖面からいくつもの水霊たちが浮き上がり、爪と牙を向けるが、先生は【飛翔】で旋回しながら、詠唱を続ける。
だが水霊のひとつが、ワタリガラスの仮面を砕く
「くッ………」
飛沫と共に大仰な鴉仮面が割れ、隻眼が露わになる。
砕いたブッソール猊下は、すぐにオプシディエンヌの姿を見つけた。
ブッソール猊下のこめかみに青筋が浮く。
「アァアア? 魔女オプシディエンヌッ? 生きて? オニクス、てめぇ知ってやがったのか、この女が生きてやがること!」
雄叫び上げながら、水霊たちを全方向に放つ。
なんて馬鹿みたいな質量だ。水飛沫ひとつひとつにさえ、魔力が宿っている。
そしてなんて馬鹿みたいな練度だ。水飛沫ひとつひとつが制御されている。
魔力量ならわたしが上なのだ。
修練しだいでは、わたしもあんな風に構成できるようになるのか?
とにかくここはブッソール猊下を味方に付けなきゃ。
「ソルさん! 先生はオプシディエンヌを自分で始末するために動いていたんです。どうか先生の願いを成就させて……」
「そんな愁傷な男じゃねぇ! どうせもっと碌でも無ェ目的があるんだろ!」
即時に跳ねのけられた。
オニクス先生の信頼度マイナス値かよ、知ってたけど!
オプシディエンヌの人差し指が、指揮棒みたいに振られる。
刹那、蜂蜜色の影が走った。
曲芸師ジャスプ・ソンガンさんだ。
闇から無音で姿を現した。いつもの鈴飾りは無く、湖面を跳ね飛んでいる。
水霊を蹴撃して壊していった。
「あなたたちはジャスプ・ソンガンと遊んでて頂戴」
オプシディエンヌは静かに囁いて、わたしの頬に手を伸ばす。
不快な感覚に、わたしは息を飲む。
「ミヌレは妾のお人形さんにするの。また会いましょう、愛しいオニクス」
オプシディエンヌは立ち去ろうとする。
このままじゃ連れ去られて、【屍人形】にされてしまう。早くクワルツさんの拘束から抜け出さないと。
「クワルツさんッ!」
どれだけ呼びかけても、目玉は硝子めいたまま。
魔女オプシディエンヌの【魅了】を解くしかない!
ええい、迷ってる暇はないぞ!
今からするのは人工呼吸です!
わたしはクワルツさんにキスをした。




