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第八話 先生とのエンディングは存在しない



 美術に、鉱石学、臨書に、算術、法律。それから地理に歴史に魔術実技。

 授業が目まぐるしく進んでいく。

「選択授業の無い生徒は、機材の片付けをお願いします」

 シトリンヌの指定は、ほぼ名指しだった。

 このクラスで選択授業を取っていないのは、給費生のわたしと奨学生のヴァリシットさんだけだ。エグマリヌ嬢はちらっとわたしに手を振って、フェンシングの授業に行った。

 ふたりで機材を片付けていく。彼女は物静かで、会話を投げかけても反応が薄いんだよな。つーか、話しかけたら泣きそうな空気がある。

 彼女はどうか知らないけど、わたしは沈黙が苦じゃないから黙っていた。

 シトリンヌがやってきた。

 いちゃもんでも付けに来たのかな?

「ヴァリシットさん。あなた、実技の復習をしましょう。先生が見ていてあげるから」

「ぁ、はい、ぁの、片付け、は……」

 たどたどしく問うヴァリシットさん。

「そこの給費生に任せておけばいいわ。【浮遊】を持っているなら、どれだけ重くても平気でしょう」

 シトリンヌがヴァリシットさんを連れて行ってしまう。

 ま、【浮遊】があれば大丈夫なのは事実だしな。

 わたしは機材に【浮遊】をかけて運ぶ。

 素直に従ってるけど、点数稼ぎのつもりはない。単純に片付けのため準備室に入るのが好きなのだ。いろんな秤が並べられて、鉱石や化石の標本がある。それに教室から離れているから、とても静かで、博物館的な空気感がたまらない。

 わたしはこれで授業が終わりだから、のんびり眺めていられる。ま、講義ノートの虫食いを埋めるって作業もあるから、ずっと眺めているわけにはいかないけどね。

「手伝おうか?」 

 教室を出てしばらくしてから、声をかけてきたのは男子生徒たちだった。モブである。えっと、名前は、ラリマーくんとニケルくんだったかな。

 試験休み明けからしばらくして、男子生徒に声をかけられる率が高くなった。

 何故だ。

「御覧の通り、浮かせますから平気ですよ」

 ぷかぷかさせて機材を運ぶが、彼らは何故かついてきて、話しかけてくる。

 いつまでついてくるつもりだろう。

「おふたりは選択授業ですよね?」

 選択授業って授業料けっこう高いのに。

 わたしなんてゲーム内でお金貯めて、必死で受けた。

 ワルツの授業はレトン監督生や騎士のサフィールさまとの恋愛ENDに必須だし、フェンシングの授業ならレイピア装備できるようになるのだぞ。貴重な授業をサボタージュとは、ご遊学してる貴族たちはまったく暢気だな。

「おじい様が賢者連盟の魔術騎士団長なんだ。キュイヴル魔術騎士団長って知ってるだろ。だから小さい頃から剣術やってるんだ。こんな学院でやる訓練なんて、お遊び過ぎて張り合いがないよ」

「へえー」

 ニケルくんが自慢たらたらに語ってるけど、たぶんいざ戦場にぶち込んだらしょんべん垂れ流すタイプとみた。偏見だけど。

「それに監督生のマイユショーは、従兄なんだよ」

「へえー」

 親にも兄弟がいるんだから、そりゃ従兄もいるだろうさ。

 モブの会話でも世界観を読み取れるから興味がないわけじゃないけど、選択授業を放棄している奴らと話するの楽しくない。

 廊下の向こうから上級生がやってきた。レトン監督生だ。

「ミヌレ一年生。用事がある。来てほしい」

「では機材を片付けたら、すぐ」 

 そう返事したら、レトン監督生はわたしの背後へと目線を動かした。

「後ろにいるのは、ラリマー一年生とニケル一年生だね。彼らの親切に甘えてみたらどうだい?」

 有無言わせない爽やかさ。

 わたしは大量の機材を男子生徒に渡して、レトン監督生の後をついていった。

 この方向は職員棟だ。

「ご用件とは?」

 率直に問うと、レトン監督生は困ったように小首をかしげた。

「ひとつは僕からの用件。監督生としての忠告だけど………きみを傷つけず、誤解なく、現状を伝えたいと思っているが、難しいな」

「配慮は感謝いたしますが、誤解なくの方を重視して頂ければ結構です」

「紳士寮でもきみが話題になっていてね。一年生で浮遊石を制作できた特待編入生だ」

「その話題のなり方が問題だと?」

 問うと、レトン監督生はわたしの目をまっすぐ見据えた。

「話が早い。率直に言えば、きみは男子生徒の間で、結婚対象ではない恋愛対象になっている」

「面白い言い回しですね。つまりは学生時代に限定したアヴァンチュールの相手ですか。あるいはハンティング・トロフィー的ガールフレンド?」

「きみは率直すぎる」

 微苦笑される。

 こういう笑い方は皮肉っぽくなるものだけど、レトン監督生は爽やかだった。育ちの良さかな。

 お嬢様たちから『落穂拾い』って言われたと思ったら、坊ちゃんたちからは『狩猟戦利品』ですか。

「で、ここから本題。ふたつめの用件、オニクス先生がお呼びだ」

「帰って来たんですか? ………出張から」

「ついさっき戻ってこられて、すぐ呼びつけられたよ。きみを部屋まで呼んでくるようにと」 

 図書迷宮での件だろう。

 わたしが渋い顔をしていると、レトン監督生は別のニュアンスに取ったらしい。

「ごめん。理由は聞かされていないんだ」

 理由なら想像つく。   

 わたしはレトン監督生に連行されて、職員棟へと赴く。

 ノックをすれば、わたしだけが入室を許可された。ひとりで入る。

「わあ………っ」

 オニクス先生の部屋は、博物館みたいだった。

 この学院の準備室も好きだけど、オニクス先生の部屋の方がもっと素敵でもっと綺麗。

 壁一面の作り付けの棚には、樫と硝子の開き戸が付けられて、奥には色んな原石や裸石が並んでいる。

 珊瑚も貝殻もあった。あと翡翠色した卵の殻、そばかす模様の小さな卵。蝙蝠の骨格や、猛禽の剥製も並んでいた。

 それから鹿か羊かわかんないけど、草食動物の頭蓋骨。どうして判別できないかっていうと、お目にかかったことがない角だからだ。一角じゃないから、一角獣ではない。細やかな花の群生みたいな角が二本、額から伸びている。

「先生、こんな不思議な角。何て名前の生き物ですか?」

「単に角が奇形になっている鹿だ」

「先生、こっちの鳥の骨格標本、本物ですか? 大きすぎて、これも奇形とか?」

「絶滅怪鳥の骨格だ」

 オニクス先生は書斎机の前に座る。 

 先生の書斎机は半月型の紫檀。それだけでもかっこいいのに、天板の半分は、ミルク色の水晶板が嵌め込まれていた。

「かっこいい机ですね!」

「図形を敷き写しするときに使う」

 先生が水晶の表面を撫でて呪文を唱えると、表面に淡い光が満ちた。

 これ、トレス台だ!

「角度も調整できる」

 板に嵌められている水晶板が稼働する。

 いいなあ。かっこいいし便利だし、もう兎に角かっこいい。

「駄菓子屋に入った幼児か、きみは。座りなさい」

 椅子が勧められた。

 もっとうろちょろして、観察したい。わたしが幼児だったらもっと見たいって、床に転がって駄々っ子するのに。

「きみが私から倫理を奪った件だが」

「被害者ポジションに居座るつもりか、このおっさん!」

 めっちゃ素で言葉が出た。

「私はまだ二十代だ」

 老けてんな。

 次に出かかった言葉は、辛うじて飲み込めた。

 先生は沈痛のお手本じみたため息をひとつ吐いて、さらにこれ見よがしにひとつ吐いて、おまけにもうひとつ吐いた。このままずっとため息だけ聞かされるハメになるのではと危惧したあたりで、やっとのこさ言葉らしきものを口にする。

「………きみ、処女だったんだな」

 今更、そこか。

「罪悪感で気が狂いそうになっている」  

 真顔だった。

 先生の額には脂漏と冷汗がびっしり浮いて、顔が蝋人形みたいになってる。口調は演技できても、生理現象までは演じきれない。これは本気で罪悪感を覚えているってことかな。

「でもほら、お互い年齢に10歳プラスしたら、そのくらいの年の差夫婦いますよね」

「年齢操作で問題の論点をずらすな。今の年齢からお互い10歳マイナスしてみて、手を出した男に対してどう思う」

「去勢してから首をくくらせるべきです」

「だろう」

 先生は頭を抱えてしまった。

「もう温泉へ逃亡しようと計画したくらい、現在、精神が混迷している。さすがに自制した」

「偉いですね」

 いやいや、なんでわたしの方が、慰めてやらねぇといけないんだよ。

 大人に包容力なかったらクズじゃねーか。

「温泉行きたい」

 盛大なため息と共に呟かれた。

「そんなに温泉好きなんですか?」

「いや、死にたいと言ったら姉に殴られるから、代用として呟いている」

「……か、家族いるんですね」

「どいつもこいつも同じことを。私が木の股から生まれたとでも思ってるのか」

 先生は歯と歯の隙間を鳴らして、長ったらしい舌打ちをする。めきゃくちゃ行儀悪い。

「先生、あの、本題は? ………お互いあの件を忘れよう、って着地点になるかと予想して来たんですか」

「それを口に出せるほど私は図々しくない」 

 きりっとした顔で言ってくれましたが、じゃあ要件は何だよ。はよ言え。

「水の呪符は作ったか?」

「ええ。アクアマリンで、呪符をひとつ」

 上質な石を確保して、残りは護符を作って売り払う。

 この資金で、護衛賃や、素材や、武器を賄うつもりだ。

「今のペンダントにその水の呪符を足すか? それとも新しい装具にするか?」

「え?」

「質問に答えたまえ」

「装飾が増えるのも手間ですので、足した方が………って作って下さるんですか?」

「それ以外、きみの喜ぶことを知らない」

 困ったような呟きだった。

 まるでどうしていいか分からないくせに虚勢を張っている迷子だ。大人だ大人だと言ってる本人こそ、ひどく稚い顔をしている。

 かわいいな。

 予期せぬ感情が、一瞬わたしの胸に沸いた。

 かわいい? こんな悪役じみたおっさんが?

「前にアクアマリンを足すなら、鎖を二重にしてバランスを取る。あとは後ろに付けるかだ」

「後ろ?」

「留め金から背中に垂らす。髪を結いあげたときに、首後ろでアクアマリンが見えるデザインだ。ちょうど」 

 先生の指先が伸び、わたしの首後ろに触れた。

「このあたりにアクアマリンがくる」

「それがいいです!」

 思わず喉から出た大声に、わたしまでびっくりする。

 慌ててポケットから、小袋を出す。中にアクアマリンが入っている。

「お願いします」

 押し付けるように渡して、わたしは先生の部屋を飛び出した。

 廊下の空気はひやっこいのに、頬がやけに熱い。

 今更だ。こんな恥ずかしさがくるなんて。

 心が、身体とつじつまを合わせようとしているかもしれない。唇や肌が深いところまで触れたから、心が好きになろうとしているの?

 先生は、攻略キャラじゃないのに。

 この世界に、先生とのエンディングは、存在しないんだ。

「………どうしよう、ね」

 何故か涙が溢れた。

 廊下に独りきりだ。だから見苦しくたっていい。誰に憚ることはない。

 わたしはぼたぼたと涙を垂れ流す。

「ミヌレ一年生? 大丈夫か?」

 声をかけてきたのは、レトン監督生だった。

 こんな時に声をかけてほしくなかった。独りで悲しんでいたかった。

 ああ、でも、わたしを慮って、待っていてくれたのか。優しいひとだ。

「オニクス先生に何か言われたのか?」

「いえ、先生は親切でした。わたしが勝手に情緒不安定になってしまっただけです」

 曖昧なことを言うと、レトン監督生の顔が曇る。

 絶対に納得してくれないな。

「お話の内容は、レトン監督生と似たようなことでした」 

 頼む。説得されてくれ。

 心の底から念じる。

 一拍後、レトン監督生は浅く吐息した。肩の力を抜いたのだ。説得されてくれたらしい。

「オニクス先生は挑発的な物言いをなさる」

「悪役ぶってますわね」

 わたしは泣いていたいけど、微笑みを繕う。

「レトン監督生。先生のお部屋の標本って素晴らしいですね。あれはゆっくり眺めたいです」 

「ああ、魔術的にも博物学的にも見ごたえがある。何より素晴らしい点は、先生がご自身で採取してきたものが大半らしい。あの方は巡検も得意だ。ダンジョンにさえ巡検しにいくそうだからね」

 憧れを含んだ口調だった。

 レトン監督生は病弱だから、冒険には出られない。おっと、学問の徒なら冒険じゃなくて巡検って言うべきかな。 

「あれだけ見事な収集物を、死蔵しているなんて惜しいよ」

「死蔵されてないと思いますけど……」  

 隅々まで掃除されていたし、保存状態も良かった。

「ダンジョンまで潜ったのに、研究素材を飾っておくだけなら死蔵だよ。きみだって興味深い素材があったら実験したいだろう」 

 レトン監督生の言う通りだ。

 鹿の奇形の角なんて、レア素材でもお目にかかったことがない。あれは実験してみたい。

「あれらを月まで持っていけば、もっと魔術の発展に………」

「でも、研究したかったら自分で獲得しますよ」

 欲しいものがあったら、己の力で引き寄せる。

 他人に萌シチュ書いてほしいとか、ジャンルの描き手が少ないとか、そんな文句を垂れ流す時間があれば、さっさと自分で行動すればいい。

 口より手を動かせ。

 わたしが欲しいものは、わたしが作る。

「簡単なことです」

 レトン監督生は一瞬、呆けた。

「先生の収集物は、とびきり貴重なものばかりだ。図鑑にさえ載ってない」

「この世に存在するなら手に入りますよ」

 入手率コンマゼロ以下でも諦めない。 

 でも奇形の角って、バグ技でしか手に入らなそうな感じはあったな。

「きみは、なんというか………怖いもの知らずというか………」

「世間知らずの間違いでは?」

 レトン監督生はちょっとおかしそうに笑った。

「自分ひとりで街の冒険者を雇って、巡検して採石して、試験を突破した給費生を、世間知らずとは言えないよ。僕でも無理だ」

「たまたまロックさんっていう信頼できる方と会えましたから」

 というか、ゲームの攻略キャラって時点で、人格が保証できるからなあ。

 誰が信用できる相手か分かる。

 これはチートですよ。

「よろしければロックさんを紹介しましょうか? 次の全休日には護符を卸しに行く予定なんです」

「ごめん。残念だけど」

 断られたか。

「僕は実家に呼ばれているんだ。でも街までエスコートはするよ」

 やった。

 馬車に乗せてってもらえる。フォシルくんの荷馬車だと恋愛値上がっちゃうし、冒険に行くわけでもないのにエグマリヌ嬢の馬車を使うのは気が引けてたんだ。

 


 約束を取り付け、わたしは学習室へとむかう。

 学習室で虫食い状態の文章を、埋める作業をせねばならんのだ。

 選択授業を終えたエグマリヌ嬢がやってきたから、ざっくりと経緯を説明した。 

「レトン監督生の馬車に乗せてってもらえるのかい?」

 エグマリヌ嬢は、氷色の瞳を輝かせていた。

「じゃあドレスがいるじゃないか。ボクのドレスをあげるよ。まだ仕付け糸も取ってないドレスがあるんだ」

「ちょっと便乗するだけですよ?」

「ドレス着るの嫌い?」

「大好きです」

「じゃあ着ようよ」

 何故かやたら押しが強いぞ。

 疑問符を浮かべているうちに、エグマリヌ嬢が散歩用のドレスを出してくれた。

 濃い葡萄紫のボディスに、淡い薔薇色のスカート。リボンがたくさん飾られて、霜色のレースが袖や裾を取り巻いている。

 ちょっとばかりデザインが古風だ。

 でもやっぱりお金をかけたドレスは、布地の使い方が違う。贅沢なバイアスの取り方してんなあ。あと、この紫はめちゃくちゃ高い染料だぞ。こういう自然な紫色は、金持ちしか纏えない色彩だ。

「可愛いデザインだから、ボクに似合わないだろ。祖父の趣味なんだよ。いかにも年寄りが想像する女の子らしいドレス」

 エグマリヌ嬢は嫌そうに呟いた。

 ま、自分のファッションセンスと違う服を買い与えてくるのが、祖父母ってもんだからなあ。

「きみには似合う。嫌いなデザインじゃなかったら、着てみてくれないかい?」

 ドレスにそでを通す。

 ちょっと袖丈が長めだけど、レースのあしらいのおかげでそんなに気にならない。

「やっぱり似合うよ。そのアクセサリーは葡萄色に映える銀だ。引き立つね」 

 オニクス先生の作ってくれたペンダントだ。

「ドレスは売り払ってもいいからね」

 エグマリヌ嬢は善意の笑顔で言い切った。

「いえ、これは大事にさせて頂きます!」




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