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第十五話(前編) 正しい人魚の倒し方



 わたしたちは曇天を飛ぶ。


「すげーな嬢ちゃん! 前よりずっとスムーズじゃん」

「前使っていた【浮遊】とは、違う魔術なんですよ。今はよんどころない事情で、この【飛翔】しか持ってないのでご注意ください」

「種類が違うし、持ってるのも少ないってことね、オッケー」

 事情を追求せず、事態を受け止めてくれる。

「いい構築展開だ」

 ソルさんはわたしの魔術を読んでいる。

「ひょっとして……ソルさんって賢者連盟の関係者じゃないでしょうね」

 魔術騎士団だったりしねーだろうな。

 婚約式のときには見なかった顔だけど、わたしの護衛と監視で呼び寄せられた可能性がある。

「俺ぁ冒険者だ」

「高レベルな魔法使いなのに、賢者連盟からスカウト来ないんですか? 魔術騎士団とか」

「あいつらは未来視に関しちゃあ徹底的だけど、発火能力くらいじゃスカウトしてこねぇよ」

 未来視。

 闇属性が高い人間が魔力を放出すると、未来視という形で発生しやすい。

 そうか。闇属性は【睡眠】の成功度に関わるものな。

 世界鎮護の魔術師を確保したいけど、その適正を持っていると【探知】や【遠視】には引っかからない。だから未来視を持っている人間を片っ端からスカウトしていくしかない。

 月に本部が聳えているのも、未来視をスカウトしているのも、すべてラーヴさま対策ってことか。

 湿った風が、わたしの髪を大きく揺らした。

 灰色の雲が千切れながら流れてくる。空は西日を受けて黄色を帯びてきた。黄砂と灰を混ぜたような淀んだ空の色。

「雨が来そうですから、高度上げますね」

 そう呟いた途端、森が開ける。

 水平線が広がる湖。


 あれが湖底神殿を秘めた湖、カラフェ湖だ。


 お宝求めて冒険者たちが絶えず訪れて、その冒険者たちに商売する行商がやってきて、旅籠屋だの酒場だのが建って、湖を縁取るように街が立っていた。

 とば口から露店がひしめき合っている。 

 湖の岸辺はエクラン王国の免税地だ。しかもギルドの関与もない。

 税金とギルドのしがらみがないってところに惹かれて、商人たちが集まっているのだ。エクラン王国だけじゃない。お隣さんのバギエ公国やヴィネグレット侯国からも行商が詰めかけている。

 たくさんって言葉じゃ伝えられないくらいたくさんだ。

 ゆっくりと散策したいけど、自警団に寄って山賊さんたちをぶち込んで、サーカス団に行かないとな。

 首筋に冷たいものが落ちた。

 黄色の曇天から雨が降ってきちゃった。

 あらら、高度上げなきゃ。

「姐御! まずいです! 湖面を迂回しないと、あいつらがやってきますよ!」

 山賊さんの焦った絶叫は、尋常じゃなかった。

 あいつらって、人魚のことか。

 天候『雨』だと、人魚とのエンカウント率が上昇するんだよな。

 魅了の魔法は遠距離だし、用心してさらに高度を上げるか。

 わたしが高度を上げるより早く、湖が激しく波打った。

 爆発するように飛沫と水柱が立つ。


 人魚だ。


 しかも全長30メートルのホエール級じゃねぇか!

 あいつこそ湖底神殿のボス。

 そこらを徘徊しているドルフィン級(3メートル以上)やポーポイエス級(3メートル未満)の人魚とは比べ物にならん巨体で、この湖の底を支配している。

 雨の気配に上がってきたのか。

 ボスが湖面まで出てくるのは、雨の日の低確率エンカウントだぞ。1000周したって湖面遭遇は両手で数えられる程度だ。


 クォオオオオオオオ…………ン……

 

 人魚の歌が、黄昏と宵闇のあいだに響く。

 寂しいような、悲しいような、ちょっと怖くて美しい反響だ。

 魔力低いと魅了されるんだよな。

 ロックさんと山賊さんたちは、焦点がとろんと融けて、意識が薄くなっている。こうやって人魚は狩りをするのだ。魔法で誘惑して、水に落ちてきた人間を喰う。

 わたしが【飛翔】かけているから水に飛び込むことはないし、喰われることはないけどさ。

 魅了にかかった男どもが、人魚のもとに行こうと藻掻いている。

 ロックさんがナイフ投げだしたらやばいな。

 わたしの危惧より先に、ソルさんが動いた。

「おい、落ち着けや、ロック。人魚は雌雄同体だ、ちんちんついてんだぞ!」

「えっ……」

 ソルさんの一喝に、ロックさんが正気に返った。 

 ハァアア? そんな正気の戻り方あるのかよ!

 人魚は空中に浮いてる生き物を喰らおうと、また歌を響かせている。

 魅了の魔力が、雨を震わせて広がっていった。

 これはある意味、好機では?

「人魚の髪を切ってきます」

 わたしはペチコートの下に仕込んでいた、果物ナイフを抜く。

 人魚の髪は、貴重な魔術媒介だ。

 欲しい。

「おい、ミヌレ嬢ちゃん、待ちやがれッ!」

 ソルさんが叫んでいるけど、人魚の髪は絶対に欲しいんだよ。今なら湖底までダンジョン踏破しなくても手に入るんだ。

 わたしは【飛翔】を制御して、ホエール級の人魚に近づく。

 でかい。

 ただひたすらでかい。

 触れた瞬間、いやいや、触れなくとも風圧だけで、わたしの身体なんてあっけなく吹き飛ばされそうだ。 

 上半身は人間のかたちに似ているけど、質感はイルカやクジラに近い。皮膚はゴムみたい。鼻はぺったりしていて、噴気孔がある。

 【飛翔】で大きく旋回しながら、間合いを計る。

 離れても、飛沫がやってきた。巨体が繰り出す水飛沫が、わたしを打ち付ける。

 ふへへ、楽しい。

 ゲーム中のビジュアルより、質感も匂いもリアル。

 水飛沫を躱して、鋭いヒレを掻い潜る。危険なのにわくわくしてる。 

 わたしは髪の毛にしがみ付いた。

 藻に塗れた人魚の髪だ。

 果物ナイフでざくっと切りつける。 

 なかなか切れないな。

 藻が絡まって、刃を鈍くしてる。

「おい、阿呆ッ! 位置がまずい! 人魚から離れろ、小娘ッ!」

 ソルさんの怒鳴り声が粗野になってるけど、聞こえないふりしよ。

 あとちょっとで髪の毛が取れるんだもの。

 人魚は違和感に気づいたのか、頭を大きく振る。振り落とされないように、わたしは【飛翔】で身体の安定を保った。

 めちゃくちゃ藻とか泥が飛んできて、ミントシャーベットの宮廷ドレスが汚れる。ごめんなさい、ディアモンさん。

 急激に沈む人魚の身体。

 湖底の神殿に帰るのか。

 力を込めた瞬間、果物ナイフが人魚の髪を断った。

 やった! 

 レア媒介の人魚の髪を手に入れたぞ!

 沈んでいく人魚。

 大きな波がうねって、高まって、津波となった。市場へと襲いかかる、人魚の津波。

 うややや、市場が水浸しになっちゃう。

 いや、それどころか人が波に攫われちゃう!

 わたしの【飛翔】で、水を制御できるか? 

 呪文詠唱するけど、範囲が広すぎる。食い止められない予感が、冷や汗をかかせる。

 まずい、これは被害が甚大すぎる!


「我は水の恩恵に感謝するがゆえに、溺れぬ魂に命を下す」


 ソルさんがすでに呪文を詠唱していた。

 ガラガラ声と魔力が、驟雨と飛沫と水面に轟く。


「乾いた月と水象三宮の汀。不可視たるエーテリックの領域。棲まう水属に与えられし真名はウンディーネ! 自我を得る進化から堕ちた心よ! 意識を宿す可能性を喪った魂よ!」

 

 術式からして、召喚魔術?

 まさかソルさん、サイコハラジック特異体質なのか。

 騒霊体質より更にレアな体質だぞ!

 前時代的な言い方をすれば、召喚士ってやつだ。

 どれだけ魔力が高くても、異界と通じることができる特殊な体質しか召喚は扱えない。


「汝に欠けたる本質を、我が与えん! 詠唱代価は我が血潮! 汝、我を喰らいて、顕現せよ、具象せよ、凝固せよ! いざ現世に来たりて嘆け 【水霊召喚】ッ!」

 

 ソルさんの詠唱が結ばれ、エーテリック領域から無数の精霊が呼び出された。

 誰にも見えない水の精霊たちが大洪水となって、大津波を食い止める。

 壁が生じているみたいだ。

 精霊の群れが成す障壁に、波は砕けて、散って、大きなうねりは静まり眠り、黄昏に凪いだ。

 騒めきも波音も静かになる。

 良かった、市場は無事だ。


「………………おい、小娘」


 水浸しで青筋立ててるソルさんが、わたしの頭を鷲掴みにした。


「ぴぇ……」


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