第十三話(後編) 世界でいちばん邪悪な蟲
わたしの全力。
わたしの渾身。
それなのにプラティーヌが扇をひらりと振れば、【蜘蛛】の糸がすべての刃を絡めとる。
クソ! あとちょっとで顔と喉を切り裂けたのに!
眼球まで刃が届きそうだったのに、なんだよ、その優雅な表情と所作は。腹が立つ!
飛ばしている盾の下に短剣を隠し、寸前で短剣だけ速度を上げる。
これも糸で滑らせ、躱しやがった。
だけど避けられてもいい。
躱されることを前提にして、ブラフを織り交ぜて刃を繰り出している。
ロックさんのように。
お手本は『ナイフ遣いのロック』。わたしはロックさんと長いこと冒険してきた。真っ向から戦ったこともある。
相手に合わせたトリッキーさ。
常に先を見据えたフェイント。
刃ひとつひとつが、囮であり、攻撃であり、盾。複合的に意味を持たせ、敵をわたしの狙った場所へ誘導させる。
硝子張りの円卓たちを【飛翔】させ、プラティーヌ目掛け飛ばす。
「この調度は二百年も前の骨董なの。気を付けてね」
プラティーヌの呟きは、年上が年下を窘める口調だった。監督生ぶってんじゃねぇよ。
扇ひとつで、家具たちも糸に絡めとられる。
あの女、余裕っぽいな。遊んでいるんじゃねぇかってくらい。
魔力じゃなくて、あっちの方が年季とか練度が上。
だけどもしあの細く白い喉首を掻き切れるとしても、ここでプラティーヌを殺すわけにはいかない。
【憑依】が使える魔女だ。
この狡猾な魔女だったら、間違いなく予備の器を用意している。敵の前に姿を見せているってことは、さらなる奥の手があるはずだ。
わたしだったら、絶対に予備の器を用意しておく。
プラティーヌを殺しても、別の器に乗り移られたらお手上げだ。
【破魂】の指輪さえあれば。
一旦、撤退しなくっちゃ。
ここはプラティーヌの巣。
衛兵たちが踏み込んでくれば、わたしたちは王族暗殺未遂の現行犯。
まだやってきてない理由は、プラティーヌが飽きてないからだろう。小姓モリオンの姿が見えないから、衛兵を押しとどめているかもしれないし、いつでも呼べるよう待機しているかもしれない。
ここに衛兵が駆けつけてないのは、間違いなくプラティーヌの遊び心だ。
わたしは【飛翔】で武器を制御しながら、手首に巻き付いている糸にキスして魔術解除する。
新しい糸はこないな。
さすがに武器を捌くのが優先か。そのまま武器と遊んでてくれよ。
よし、脚も……
……って、脚まで、口が、届かねぇ!
柔軟体操しとくんだった!
レイピアを持って切ろうとしたけど、皮膚にべったり張り付きながら縛ってきてる。
ええい、足の一本や二本、そのうち再生する!
わたしは研ぎ澄まされた大斧を【飛翔】させた。
どんっ、と重い衝撃。
「ぅ……ぐ」
痛覚遮断しても、自分が欠ける感覚はぞっとする。
だが束縛からは解放された。あのクソ女からの糸から逃れられれば、足だろうが目だろうがくれてやる。
ライカンスロープ術で肉体を強制的に再生させた。
血肉が減ってるから、視界がくらくら歪んで回り、黒く煙っている。でも先生を自由にしなきゃ。
わたしは血を垂れ流しながら、先生を戒めている糸を口づけた。
オニクス先生はプラティーヌのキスの方が嬉しいだろう。でもわたしの口づけは、自由を捧げられる。
たとえ唇に触れられなくても、それでいい。
解放されると同時に、オニクス先生は詠唱する。
「【飛翔】」
先生が織りなす風の魔術が、わたしたちを包んだ。
ステンドグラスをぶち破って、天空へと【飛翔】する。
わたしの【飛翔】はプラティーヌの攻撃として、先生の【飛翔】は移動として展開する。
オニクス先生は糸を躱しながら、高速で移動する。
なんて速さと小回りだ。
使い慣れている術だからから、わたしより遥かに無駄がない。練度が違う。
「被害報告をしろ! 肉体損傷はどの程度だ?」
いたわりも動揺もない、事務的過ぎる呼びかけ。
戦場で部下に問う口調だ。
だがそれがいい。
わたしを子ども扱いしない、わたしを報告できる人間だと見なした問いだからだ。
「痛みは遮断できています。回復予測は一時間。出血のため、物理視界が通常の三割減。霊視は生きています」
胸を張って、報告した。
オニクス先生に大人扱いされてるみたいで、嬉しさに背中がぞくぞくする。
「了解した。例の場所に向かうぞ」
ポンポンヌがいる湖底神殿だ。
【破魂】を取り返さなくちゃ。
宮廷の敷地を出る直前、先生が急にストップした。
「つっ……糸か」
宮廷を覆う糸だ。
これは伝達系じゃなかったのか?
わたしは霊視モードに切り替える。
いや、伝達魔術の下に、捕縛用の結界まで張られているのか。なんて用心深い。
白い糸が襲い掛かる。
【蜘蛛】の糸は、獲物を捕縛して、その存在を蜘蛛に伝える。
先生は【飛翔】して避けようとしたが、白い糸は罠だ。
「見えない糸が三時方向からきます!」
「なっ!」
わたしの裂帛に、急旋回する。
先生の対応は早かった。
だけどプラティーヌの糸がさらに速い。
クソ。
切り札を抜くしかない!
刹那、光輝く目映い壁が生じる。
わたしの手には古いレイピアがひとつ。大粒のカナリアダイヤモンドが輝いている。
さっきのどさくさでちょろまかした国王のレイピアだ。
【聖盾】の護符。
効果は魔術と物理の自動防御。持つものに危険が迫れば、魔術が解放される。
光属性防御系最高位【聖盾】が発動する。
欠点はひとつ、めっちゃ眩しい。
だけど光はわたしの視界を邪魔しない。わたしの眼窩に嵌っているふたつの眼球には元来、視力など無いからだ。常時霊視の魔術師にとって、裂光は眩しいという現象を認識するだけ。
光の盾の防御と目くらましだ!
光の目映さに、糸が千切れて消えていく。
「分散して逃げるぞ」
「はい!」
【飛翔】に全力の魔力を込める。
わたしは一気に速度を上げた。
よし、蜘蛛の糸から逃げきれたっぽいな。
瞬間、わたしの眼前に蜘蛛の巣が張られた。
馬鹿な。
攻撃魔術の気配はなかったぞ。
わたしは粘りつく蜘蛛の糸に絡み取られて、王宮内の森へと落下した。
春の柔らかなこずえたちが差し伸べられていたけど、地面に落ちるまでは防げなかった。苔生す地面に墜落する。
「クソ……ッ」
「お怪我はありませんか、ミヌレ嬢」
わたしの傍らにいたのは、小姓のモリオンくんだった。
その手には魔導銃。
魔弾を放つ魔導武器。道理で金臭い気配が無かったはずだ。撃ち出される魔弾は、護符だから感知できない。
「ご安心を、ミヌレ嬢。傷つけませんよ。我が主への献上品ですから」
モリオンくんはわたしに一歩近づく。
【飛翔】は発動にタイムラグがある。
先生は【浮遊】を重ねがけすることで、対象を素早く浮かせていたけど、わたしは今持ってない。ここで【飛翔】を唱えても、あの銃口はわたしが飛び立つことを許してくれないだろう。
切り札として隠しておいた【聖盾】を使ってしまったのが悔やまれる。
いや、悔いてる余裕はない。
策を練れ。
考えろ。
この場を切り抜けるために、思考を動かせ。
「モリオンくんは【屍人形】ではないのでしょう。どうしてこんな命令に従っているの……?」
わたしは哀れっぽい口調を装って、考えるための時間稼ぎをする。
泣き落としのフリだ。
底の浅い作戦だけど、モリオンくんが年相応の少年だったら、引っかかってくれるかもしれない。フォシルは引っかかったし。
「親は選べないってことですよ」
呟きながら、銃口を下げる。
皮肉で陰鬱なイントネーションに、オニクス先生を連想する。
「ボクの両親の名前、聞きたいですか?」
その問いかけはやたら静かだけど、獲物を甚振る加虐的な色があった。
もし地雷踏んだならラッキーだ。
地雷を踏んだわたしを嬲るつもりだったら、策を練る時間が稼げる。そうでなくても精神的な動揺がある。
ここを切り抜ける手段があった。
わたしが持っている呪符は、風属性がただひとつ。
だけど火属性の呪符がそこにある。
わたしの呪符ではないけど、魔力を宿したものだ。
「母親はオプシディエンヌ?」
「ええ、ご推察の通り」
「でもあの魔女が、他人に真実を話すかしら?」
モリオンくんに過ったのは、一瞬の動揺。
刹那にも満たない戸惑いであっても、その僅かな隙はわたしの好機。
わたしは手を伸ばし、魔導銃を鷲掴みにする。
魔導銃は軍事機密の塊。
だけどわたしは銃の構造を知っている。
火属性呪符によって、鉛の護符を打ち出す仕組み。常時発動し続けている呪符を、安全弁で留めている。
どこが危険なのかも分かってんだよ。
わたしは火蓋に口づける。
火属性の呪符が、わたしの魔力に干渉された。
魔導銃が暴発する。
わたしの顔面に金属片が刺さった。頬を貫通して、舌先まで切りつける。
「うわァっ!」
モリオンくんの悲鳴が上がる。
魔導銃を暴発させるとは思わんかったらしいな。ひゃはは。
これで魔導銃は使えないし、暴発ダメージも入っただろう。
ついでにわたしの顔面も半分、見るに堪えん状態になったが、些細なことだ。
わたしは全力で四つ足を駆けさせる。
頬や顎に突き刺さった金属片を抜き、口の中いっぱいの鮮血を吐き捨てて、ドレスに絡む蜘蛛の糸を剥がし、蹄で地面を蹴って駆ける。
詠唱しにくい。
発声するたびに顔の筋肉や歯槽骨にまで残った細かい金属片が、違和感としてぎちぎちと伝わってくる。痛覚遮断していても忌々しい感覚だ。
だが無理やり詠唱して構成し、わたしは風の加護を纏う。
ミントシャーベット色のドレスが、ふわっと舞い上がった。焦げた髪からプーフが落ちる。
「【飛翔】!」
わたしは曇天へと翔ける。
――両親の名前、聞きたいですか?――
モリオンくんの声が、鼓膜の奥で蘇る。
親は選べない。
オプシディエンヌが母親。
それだけだったらたぶん『両親』とは言わない。両親ともわたしが知っていて、聞いたら驚き戸惑うような相手でないと、ああいう言い方はしない気がした。
「……」
わたしは千切れた唇を噛む。
最悪の想定が脳裏に過った。
だが根拠のない仮定は、無意味な妄想だ。
いま考えても詮無いことは、思考の空費、精神の摩耗、時間の無駄。
やるべきことだけを見つめよう。
目指すは湖底神殿。




