第十二話(後編) 宮廷デビュタント
唐突な展開が飲み切れず、わたしは先生と文官を眺めているしかない。
手助けした方がいいのか、それとも止めた方がいいのか分からん。
「だっ、誰だ、貴様!」
「まさか私を忘れたのか?」
オニクス先生はワタリガラスの仮面を外す。
酷薄な微笑が、曇った日差しに照らされた。
「…ヒッ……蛇蝎! 何故!」
おやまあ、お知り合いだったのか。
だがお知り合いだの顔見知りだの、そんな人畜無害な関係では無さそうだった。ぶっちゃけ殺伐してる。
戦場の殺伐さだ。
……そうか、思い出した。
ストラスって名前、聞いたことがあるはずだ。
正確には読んだことがある。
先生の過去である小説一巻『戦争の梟雄』に、ちょっとだけ登場した従軍文官だ!
エリオドールさま暗殺の時に、先生に顎で使われていた臆病な男。こいつだったのか。
「相変わらず子供に見境無く盛っているのか。吐き気がする。昔さんざん打ちのめされた事を忘れたのか?」
単語のひとつひとつが、唾棄だった。
なるほど。この小役人の醜悪さを察することができた。
それで親切ごかしに、わたしを人気のないとこまで案内したのか。
「もう一度、骨という骨に教えてやった方がいいようだな」
オニクス先生は文官ストラスの頭を踏みつけた。無慈悲に力を込める。
わあ。先生って人の頭を踏むのが似合うな。
踵で抉ると、戦いの間にどんぴしゃな悲鳴が響いた。
「醜悪な悲鳴だ。貴様ほど無様で不快な声を上げる生き物を、他に知らんぞ」
先生は乱れた黒髪をかき上げる。
覗いた耳朶には、黒緑の耳飾りが添えられていた。
あれは透輝石ダイオプサイトだ。
霊視してみれば【透聴】の魔術が込められている。
風属性伝達系魔術のひとつだ。
こちらからの言葉は伝えられないけど、相手の音声を聞くことが出来る。平たく言えば盗聴の魔術だ。
もしかしてこの小役人の声が聞こえたから、わたしのところに駆けつけてくれたのか……?
淡い望みだけど、そうだったら嬉しい。
わたしが胸をときめかせていると、小役人がこっちを見た。死ね。
「たっ、助けてくれ! 衛兵を! こいつは宮廷から永久追放されている男だ! 犯罪者だ!」
まさかこの小役人、わたしに助けを求めているのか?
毒牙にかけようとしたわたしに?
わたしの冷やかな眼差しに、ストラスは蒼褪めた。
「誤解だ。あなたに無体を強いるつもりはない。お小遣いだってあげるし、宮中に上がったら便宜も計らってあげる。あなたに得させて……ガッ」
黒瑪瑙の杖の殴打が、小役人の早口を黙らせた。
「……オニクス先生。なんでこいつ殺さなかったんですか?」
「本当にすまない。言い訳に聞こえるだろうが、事務処理能力にかけては従軍武官随一だった。特に横領の穴埋めは完璧でな」
親しく言葉を交わすわたしと先生を、交互に見るストラス。見ないでほしいし、死んでほしい。即座に。
「この子は蛇蝎の情……ゴブッ」
汚らわしいことを言いかけた脳みそへ、また杖が振り下ろされた。
「黙れ。彼女は私の……」
ほんの一拍、言葉が途切れる。
固唾を飲むわたし。
「後継だ」
そうだな。
薫陶を受けてるだけだから弟子ではないし、受講してなかったら生徒でもない。
後任というより、後継の方が言い回し的には重要視されてる感じがする。
「貴様の言葉で穢すな」
「先生、先生。杖で殴ると杖が穢れませんか? そこに下がってるハルバードで、耳とか指を削いであげるといいんじゃないですかね」
わたしはなるべく凶悪なハルバードを選んで、うんしょうんしょって引きずって渡した。
ハルバードを受け取った先生は、片手でくるっと回す。刃が立って、良い風切り音がした。この風切り音だけで、皮膚が裂けそうな鋭さじゃないか。
「長柄戦斧は得手ではないが」
軽やかに操りながら嘯く。
この得手じゃないって発言は、学会で「この分野は門外漢だが」って指摘する教授みたいなもんだろうな。
オニクス先生は無造作に、片手で振り下ろす。長柄戦斧は両手持ちの武器だぞ。
「使えんことはない」
ストラスの耳の端っこが僅かに切れた。
もっとざっくりいってほしい。
「ぎゃあああっ!」
ちょっぴり血が出ただけなのに大袈裟だな。
悲鳴に相応しい傷を作ってやろうか。
「蛇蝎、な、なんのために宮中に来た……か、金か? 金ならいくらでも用立ててやる」
「私物を取り返しに来ただけだ」
隻眼が円卓を見た。
愕然と見開かれる漆黒の瞳。
「……稚拙な偽物だな。贋作というのも烏滸がましい」
「ひっ」
ストラスから悲鳴が出た。
愕然としていた隻眼は鋭く引き絞られて、視線は踏みつぶしている小役人を穿つ。
「おい、まさか、横領役人……貴様が横領したのか?」
「誤解だ! 『隻眼のオニクス』の品が欲しいと、金を積まれたから売っただけだ! 別に自分のものにしたわけじゃない!」
指輪とクリス・ダガー、こいつが横流ししやがったのかよ!
泡を吹きながら自己弁護を垂れ流す小役人に対して、先生は長い舌打ちをする。
わたしも舌打ちを真似た。
オプシディエンヌを完璧に殺すために【破魂】の指輪か、あるいはそれを作るための触媒であるクリス・ダガーが必要なのに、よりによってそのふたつを横流ししやがって。
そもそも言い訳として成立してると思ってんのか、マジで。
物理で突っ込みたかったが、先生がいるのに口出しするのも邪魔だろうと思って舌打ちに留めた。
でも呪符って本人しか使えないのに、どうして買うんだ?
先生のデザインがあまりにも洗練の美の極致だったから、どうしても欲しくなったのかな?
「言え、誰に売った?」
「ど、奴隷商だ」
ぞっとする単語が鼓膜に触れた。
エクラン王国ではもう撤廃されているのに、奴隷商がまだいるなんて。
即時通報あるいは殲滅しなきゃ。
転売ヤーだの密猟者だの奴隷商だのって連中は、どんな手段を使ってもこの世から消さなくちゃいけない。
あいつら経済と治安に対するテロだからな。
被害の程度問題からして、奴隷商は最悪最低だ。転売ヤー以下の生き物だ。
「相変わらず下劣な男だな。そいつの所在と名前を吐け」
「ばかな、そんなことしたら……ごはっ」
反抗された瞬間、文官ストラスの胸を踏みつぶす。肺腑の空気すべて吐かせる勢いだった。
なんか肋骨がバキバキ鳴ってる気がする。気のせいかな。
「私の拷問の腕前を知っていて抵抗するとは、賞賛に値する覚悟だ。殺さず聞き出す腕が衰えていなければいいが」
「ポンポンヌだ! 本名かは知らんが、ポンポンヌと名乗ってる!」
「居場所は?」
「知らん。ほんとうだ。春風月と秋霧月だけ向こうからやってくる。こっちから連絡は取れん!」
春と秋にだけ訪れるポンポンヌ。
わたしはその女を知っている。
硬貨色に染められた豊かな髪に、ピエロの衣装を纏った女。
「クー・ドゥ・フードル曲芸団の女座長ポンポンヌですね」
わたしが呟くと、ストラスは蒼褪めた。
「何故それを!」
同名じゃなくて、ほんとに女座長のポンポンヌか。
まさかポンポンヌ座長が奴隷商だったなんて。
資料集に『夜の部はセクシーになります』って文章あったけど、セクシーじゃねぇよ。奴隷商とか地獄じゃねぇか。
暢気にサーカス楽しんでいるんじゃなかった。
胸糞悪い。
「地方巡業スケジュールは暗記しています。今なら湖底神殿での巡業に向かっているはずです」
「そうか」
オニクス先生は特に意味なく、ストラスに無慈悲な蹴りを食らわした。
「嘘ならしかるべき報復をするが、本当だな」
地獄じみた呟きに対して、さらに蒼褪めるストラス。血液もう流れてないんじゃないかってレベル。
「ほ、ほんとうだ」
「信じてやろう。私のことは誰にも喋るな。いいな」
オニクス先生は口端を歪め、思いっきり鳩尾を踏み潰した。
みっともない声を上げて、ストラスは気絶する。
「殺さないんですか?」
「追加情報が必要になるかもしれん」
残念だな。
先生と一緒に死体を埋めたかったな。
戦の間の廊下から、誰かの喋り声がした。
衛兵が悲鳴を聞きつけたのか?
いや、小姓のモリオンくんだ。
わたしを探しにきたのかな。
「ごめんなさい、部屋を抜け出して」
「いえ、我が主がご挨拶をしたいとおっしゃっておりました。こちらでよろしいでしょうか」
我が主?
その単語に、わたしの膚が粟立った。
扉が、開く。
小姓は深く一礼する。
くすんだ日差しと一緒に、白銀の輝きが入ってくる。
瀟洒なレース細工のドレスに、レースの手袋、レースの扇、そして結わず流された白銀の髪。繭のように白すぎるほど白い中、目だけが蚕蛾の如く黒い。
王姫プラティーヌ。
だけどその魂は、魔女オプシディエンヌだ。
「おふたりともごきげんよう。婚約おめでとうと言うべきかしら?」
絶世の美少女は、無垢な笑みでそう告げた。