第十二話(前編) 宮廷デビュタント
宮廷衣装という大仰なドレスを着るために、わたしは夜明けから身支度を始めた。
魔術ランタンは朝になっても光っている。
空がどんより曇っているせいだ。
「今日は雲行きが怪しいわね。春だから肘上レースにしようと思ったけど、こんな陰気な空じゃ光沢のある手袋の方が映えるんじゃないかしら。ミヌレちゃんはどっちが好き?」
正装用の長手袋を見せられる。肘から瀟洒なレースになった袋と、光沢が強い白手袋。どっちも真新しい紙箱に入って、わたしが手を通すのを待っていた。
「先生の呪符で身を飾りたいです」
もう十回くらいはこの台詞吐いている。
同じこと言われているディアモンさんは、嫌な顔をするどころか優しく微笑んでくれた。
「あらあら。宮廷は呪符持ち込み禁止なのよ」
「何故です!」
「防犯上、当然じゃない?」
「わたし【一角獣化】が心臓になっているんですけど!」
「獣属性は大丈夫なの。【魔術探知】の護符は、術者保護の式に反応する仕組みだもの」
【土坑】も【閃光】も持っていけないのか。
でもわたしは一角半獣ユニタウレになれるし、いざとなったら大丈夫か。
いや、待て。
逆に危険か?
プラティーヌが呪符を持っているとしたら、【蜘蛛】だろうな。ラピス・ラジュリさんも使用していたし、その可能性は高い。
それに獣属性に反応しないってことは、第一級禁呪【屍人形】も反応しない。
プラティーヌは性悪だから、王宮に【屍人形】を潜ませているかもしれない。
【蜘蛛】の束縛と、誰か【屍人形】か判別できない状況。
そして【封魔】をまだ持ってる可能性。
油断は禁物だな。
「光沢のある方にしましょう。宝石が無い分の輝きを、これで補填できるし」
わたしに長手袋がつけられる。
手袋を締めるための小さなボタンを、銀製のボタンフックでひとつひとつ留めていかれた。
頭にプーフ乗せて着飾って、二頭立ての馬車に揺られて、わたしは宮廷に参内した。
呪符が無いから心もとないな。ペチコート下には果物ナイフを仕込んでいるけどさ。
馬車を下りれば、案内役の小姓さんが待っていた。
わたしより年下の男の子だ。綺麗なレースのクラバットとシャツ。赤っぽい蜂蜜色の膚をしている。ラピス・ラジュリさんみたいな流浪の民の出自でも、宮廷小姓になれるんだ。
「はじめまして、モリオンと申します。ディアモン魔術師、ミヌレ嬢、お待ちしておりました」
一瞬だけ目を閉じて、視界を魔術レイヤーだけにする。
普通の人間っぽいな。
モリオンくんに案内され、衛兵たちが守る大階段を通る。
幾千もの宝石が煌めいているシャンデリアが、天井から垂れ下がっていた。あまりにも大きくて距離感が狂う。手が届くんじゃないかって思うくらいだ。
これが王宮の至宝のひとつ、護符の大シャンデリア。
「綺麗……」
「ええ、ブリリアントな上に実用的よね。宮中にあるシャンデリアはすべて【魔術探知】の護符よ、テロや事故を防ぐために呪符がどこにあるかすぐ分かるのよ」
ディアモンさんが説明するたびに揺れる、光輝くショール。
あれ、そういえば、そのショールにも魔術が仕込まれているはずなのに。
「ディアモンさん、それは………」
「あらあら、内緒よ。古代魔術系も術者保護の式がないから、【魔術探知】に反応しないの。古代魔術はパリエト猊下の弟子しか使えないから、それほど問題は無いんだけどね」
「そんなにレア魔術なんですか」
「そうね。研究者なら少なくはないけど、実際に魔術として使用できるレベルならアタシ含めて五人かしら」
つまり警報に引っかからない魔術は、獣属性以外にも古代魔術か。
王宮を歩いていると、あちこちに護符が光っている。壁の燭台には光の護符が灯っているし、イルカの置物に埋め込まれているアクアマリンは防火用の水の護符かな。それ以外にも、護符の輝きに満ちている。
「ミヌレちゃん。壁に埋め込まれているゴーシェナイトの護符は、水系【毒雫】よ。空気中の瘴気と水分を吸収して毒水に凝らせるの。習ったかしら?」
「毒に関係する術は一年生じゃ習わないです」
しれっと答える。
攻略本に載ってるから作れないこともないがな。
「あれは毒を無限に精製する術だったけど、使うと空気が清浄化されるって分かって一気に市民権を得た術ね」
「名称は変更できなかったんですか……」
名前だけ聞くと物騒な呪符っぽいぞ。
「開発者が亡くなった後で、権利後継者も不在だと難しいわねえ」
歩いていくたびに護符があって、ディアモンさんが説明してくれる。
この護符すべての総監督者が、宮廷魔術師長だ。
「宮廷魔術師って、呪符が得意よりなひとより、護符が得意だとなりやすいんですよね」
「そうね。呪符が得意だと騎士団なり消防団なりに所属するから、宮廷魔術師長は護符の専門家ね」
廊下を折れ曲がると、衛兵が扉を封鎖していた。
「あらあら、何かあったのかしら?」
「あちらは遊戯室でしたが、王妃さまが閉鎖させました。貴族の方々がランスクネやファロで社交していらしたのですが、宮廷の風紀を乱すからと」
小姓のモリオンくんが答える。
ランスクネやファロはトランプ遊びだ。
それが風紀を乱すってことは、洒落にならん金額の賭け事が行われていたんだろうな。
「宮廷賭博は破産する貴族がいるから問題だったけど、思い切ったことをなさったわね。反発あったでしょう」
「それを申し上げる立場ではありません」
貴族からすごい反発されたんだろうな。
「でも封鎖したって結局、隠れてやるだけじゃないかしら?」
ディアモンさんのごもっともな発言に対して、小姓のモリオンくんは微苦笑を浮かべただけだった。
つまりやっぱり隠れてやっているってことだろう。
「宮廷内で破産したら、財産は同じ貴族に流れるだけ。でも市井で貴族が破産したら、財産が非貴族に流れるわ。貴族の弱体化は、宜しくないんじゃないかしら?」
「それに意見を申し上げる立場ではありません」
応接間に到着する。
どこもかしこも優美だけど、ここはシンプルめ。
あとおっきなテラスがあって、お日さまがたっぷり差し込んでくるのも心地よい。
しばらくして小間使いがやってきて、ショコラセットと伝言を渡す。
「申し訳ございません。宮廷魔術師長ジプスさまは火急の用事で、王立魔術研究所からお戻りになられておりません。一時間ほどお時間をください」
その場を濁すわけじゃないんだろうけど、小姓はショコラを淹れてくれた。
小皿には砂糖じゃなくて、菫の砂糖漬けと生クリーム。
「砂糖の代わりに砂糖漬けの菫なんですね」
「こちらはプラティーヌ姫お好みです。生クリームと菫の砂糖漬けを入れるのが、ただいまの流行となっております」
そういやあのクソ殿下、菫の香りがしていたな。
無理やりキスされた時のことを思い出してしまう。
用意してもらった菫は押しのけて、ショコラに生クリームぶちこんで飲む。
液体なのにずっしりしてて、飲みごたえがある。たった一口だけなのに、口の中がすごいショコラになった。一か月分のショコラを、一口で飲んだ気分。
しかも味わいが複雑だ。バニラとシナモンとグローブが馥郁と香るし、薔薇水も感じる。
これが宮廷のショコラか。
美味しいけれど、毎日はきつい重さだ。
「一時間も待つなんてね。ミヌレちゃんの時間は貴重だわ。ニックがどっかいっちゃってる今、地震が起きたら頼れるのはミヌレちゃんだけなのに」
「【睡眠】の呪符を作らせてくれないのに……」
「今のアナタに作らせたら片っ端から眠らせて、ニックに会いに行きそうじゃない」
それに関して否定できないので、わたしは黙っておいた。
ショコラを飲んで、甘味で気分を落ち着かせる。
「せっかくですし、どこか見学したいですね。王宮歌劇場とか王宮図書館とか……武器展示室とか」
「絶対にダメよ」
容赦ない却下だった。
ディアモンさんに頼み込んで、武器展示室に行こうと計画していたのに!
オペラ好きだから王宮歌劇場の名前出したら、引っかかるかなって思ったけど、予想以上に真面目だった。
拉致と脱走、一回ずつやってるせいか……?
「せっかく宮廷に参内したんですよ! いろいろ見学したいです!」
わたしの主張に対して、返ってきたのは溜息。
「アタシだって見学したいわ。エクラン王国の収集室には、状態の良いセッジャーデが保管されているってウワサだもの」
セッジャーデって何だ?
≪お祈り用の敷物のことよ≫
わたしの魔法空間にいるラピス・ラジュリさんが、囁いてくれた。
脳裏に金と緋色の絹敷物が浮かぶ。
ふむふむ、砂漠の帝国の民が、お祈りのときに敷いていたものか。
「ニックが例の仕事を務めていた時は、何も不安は無かったけど、アナタはニックほど強くないんだからね」
「それ言われたら、もう大概の人間が貧弱ですよ!」
前任と比較しないでほしい。
オニクス先生の戦闘能力なんて、ほぼ人間のMAXじゃないか?
「そうよ。だからおとなしくしていましょう」
「でもせっかく時間があるなら、王宮見物したいです。ここは安全でしょう」
往生際悪く説得する。
完全に駄々っ子だけど、ここで武器展示室へ確認に行けなかったら計画に支障が出る。
もちろんわたしが確認に行けなかったら、先生が真夜中に忍び込んで探すしかないけど、見とがめられる危険性は少なくしたい。
「王宮だとまた別の危険もあるし……」
ディアモンさんが歯切れ悪く喋っていると、バルコニーの向こうから大きな声が聞こえてきた。
バルコニーに出るくらいなら、ディアモンさんも引き止めない。
中庭にピンク頭が見えた。
衣装は簡素な木綿のドレスだ。飾り気は巻き毛を結うリボンだけ。真珠もダイヤモンドもつけてないし、精緻なレースや造花も使っていない。
一国の王妃にしては気楽すぎる格好だけど、あの特徴的なピンクの巻き毛は、エメロッド王妃に間違いない。
エクラン王国じゃ、あんなストロベリーブロンド他にお目にかかったことがないもの。
王妃エメロッドは、年配の貴婦人と何か話していた。
聞き取りづらいけど、わたしは耳の性能はとびきり良いので会話を把握できた。
「侯爵夫人。あたしは別にあなたが嫌いじゃないの。でも家族って大切なものよ。当たり前だと思っていては、神さまから罰が当たるわ」
「跡取りは成人しておりますし、末の子は寄宿舎に入っております。このわたくしが家庭に戻る必要はないと存じますわ」
穏やかな口調を装っているけど、端々の苛立ちが隠しきれていない。
「あなたの旦那様だって、懇願してるわ。王宮の栄誉より、家庭の団欒が恋しいから戻ってきてほしいって。ね、強情を張らずに、家庭に戻るべきだわ」
王妃が女官に家庭に入るように説得してんのか。
妻に戻ってきてほしいから、夫が仕事先に馘首してくれって訴えるの、マジでイカれてねぇか? 女房が働くのやめさせろって工房に亭主が乗り込んできて、事なかれ主義の雇い主が解雇しちゃうってのは、戦前でありうる話。
だけど今は戦後だぞ。
「王妃さま。夫が何を言ったか想像つきますが、わたくしはこの仕事に誇りを持っておりますわ」
「まあ! どうしてそんな意地を張るの! 家族を失ってからでは遅いのよ!」
王妃エメロッドが、悲劇のヒロインみたいな口ぶりをかます。
「侯爵夫人。あなたを解雇します」
「王妃さま?」
「あたしだってこんなことしたくないけど、あなたにはこれくらい灸をすえなきゃ伝わらないもの」
いや、おまえが人権侵害してねぇか……?
本人に問題ないのに、配偶者からの訴えで仕事辞めさせるのって、不当解雇じゃね……?
成り行きをのぞき見していたら、視界の端に白銀の輝きが見えた。
プラティーヌ殿下だ。
王族の肉体に、魔女の魂が入った存在。
優美な宮廷礼服を纏い、片手にはレースの扇を携え、侍女官たちを引き連れ、ゆっくりと歩いてくる。まさしく宮廷の王族だ。
見つかるとまずそうなので、わたしはぴゅっとのバルコニーの陰に下がる。こんな場所でわたしをどうこう出来はしないだろうけど、関わったら危険だ。
「だったら侯爵夫人は姫がもらうわ。いいでしょ?」
絶世の美少女が、無邪気に微笑む。
ぶりっこしてんじゃねーよ。
オニクス先生より年上だろ。
あの中身が魔女オプシディエンヌって知ってるから、嫌悪しかねえよ。
「侯爵夫人の幸せを邪魔するの?」
「侯爵が王妃に直訴のお手紙出したの、みんな知ってるわ。でも侯爵って妻が自分より出世したのが気に喰わないだけよ。いじわるしてるだけなのに、それくらい誰でも知ってるわ」
プラティーヌは微笑む。
そしてプラティーヌの後ろにいる貴族夫人たちは「王妃さまは宮廷にご不在ですから」「いつも慈善でお忙しいお方だから無理もない」と、侮った笑いが漏れていた。
「いじわるなんて。そんなひどい中傷は許さないわ。侯爵のお手紙は心が籠っていたもの」
「ふふ。いいわ。自分の非を認めないのも、王族の義務と権利だもの」
沈黙の空白。
そして王妃は痛ましげに睫毛を翳す。
「お可哀想な方々」
王妃の呟きに、一瞬で緊張が満ちる。
「侯爵の想いまで、そんな風に揶揄するのね。名誉や宝石ばかりで着飾って、ほんとうに大事なものが分からないなんて。この宮廷は腐っているし狂っているわ」
哀れみ深い口調だった。
ここのシーンだけ見たら気高く若い王妃だし、プラティーヌは小姑集団なんだけど……どう考えても、王妃の人権意識が低すぎる。
威風堂々とイカれたことほざいてる。
………いや、しかし、これはオニクス先生のことが好きだと主張してるわたしも、周囲からそんな目で見られているのではないだろうか。
先生が好きなことを恥じるわけではないし、悔いたこともないけど、客観的にこんな感じでは?
うむ、うむ……ちびっとだけ気を付けよう…
ディアモンさんも小姓のモリオンくんも、固唾を飲んで事の成り行きを見守っている。
宮廷でいちばん身分の高い女性同士の対立だもんな。
王妃と王姫。
なかなか稀有な対戦カードだ。
「……よし」
いまのうちに抜け出すか。




