Romanov & Hapsburg-3 スペシャルな子たち
今でも、私は、
ロマノフとハプスブルグが、我が家へ来た日のことをよく覚えている。
私たちの住んでいるワシントン州の緯度は高い。
それで、十一月の終わりともなると、夜はかなり早くやってくる。
その日も、短い昼が終わり、夕方なんてないと思える程、あっという間に外は暗くなり、
夜の八時が過ぎ、ようやく、ミンディは子猫ちゃんたちを連れて来てくれた。
その時、ロマノフの目には感染症があり、ちょっと汚いお子ちゃま猫だった。
ミンディは、すまなさそうに目の塗り薬を置いていったのだけれど、
ロマノフが悪い訳ではない。
とにかく私は、嫌がるロマノフに、毎日、塗り薬を付けてやらねばならなかった。
そうしてしばらくすると、ロマノフの目はすっかり良くなった。
とはいえ、ロマノフは私をいやな人間と思ったに違いない。
当時、私は、ロマノフは、(毛色は白黒なのに)狸の子ではないかと思ったりしていた。
実際には、狸の子がどんなのかは知らなかったけれど、
ロマノフの体は硬く歩き方が変だったのだ。
少なくとも普通の子猫の様ではなかった。
嬉しいことに、しばらくすると、ロマノフは柔らかい子猫に変わっていった。
それで私は、「やっぱり猫だったのね」とロマノフに言った。
ずいぶん後になってから聞いたのだけれど、
ミンディーも「狸の子みたい」と言っていたそうだ。
とにかく、子猫たちはすくすくと育っていった。
フリスキーは、ほとんど外にいるし、
家の中で子猫ちゃんたちに会っても、さほど驚いた様子でもなく、
そのうち一緒に餌を食べるようになった。
(この頃までには、ほかの動物に、餌を盗まれないように、
フリスキーは、家の中で餌を食べるようになっていた)
初め、子猫ちゃんたちは、フリスキーのように外で飼う予定だったけれど、
もう冬だし、母猫のいない子猫たちに外は寒すぎる。
少なくとも、春までは家の中で飼うことにした。
兄ハプスブルグは、弟ロマノフを可愛がり、ロマノフも、ハプスブルグに甘える。
二匹はとても仲が良い。
確かに、猫は二匹いると楽だ。
ミンディーの夫によると、
犬の二匹は、二匹の倍(つまり四匹分)の手間が掛かるけれど、
猫の二匹は、一匹の半分(つまり半匹分)の手間しか掛からないそうだ。
本当かどうかは別として、私も、子猫を二匹いっしょに引き取るのをお勧めする。
もしそうでなければ、成長した猫を、動物保護センターから引き取るのはどうであろうか。
知り合いが、「成長した犬か猫なら引き取りたい。」と言ったので、
私は、「どうして?」 と思った事がある。
子猫や子犬の方が断然可愛いのでは、と思ったからだけれど、
自分で子猫や子犬を実際に育ててみて、「なるほど!」と思った。
子犬や子猫は本当に可愛い。
だから許せる。
が、手間が掛かる。
その不思議な、誰をもひきつける可愛さは、
生き残るための、彼らの武器なのかもしれない。
ところが、それも最初の半年間だけで、すぐに大きくなる。
成長した犬猫は、そんなに騒がないし良く寝る。
とは言っても、やはり、どのように育てられたのか気になるかもしれない。
もし問題があるとすれば、それは人間の側が引き起こしたからであって、彼らは被害者だ。
それに、譲渡会でそんなに変な犬猫を勧められるとも思えない。
ある日、ティムが動物保護センターで見た二匹のダックスフンドは、
飼い主の婦人が病気になり世話が出来なくなったので、息子さんに連れて来られたそうだ。
この二匹は兄弟同士で、ずーっと今まで一緒にいた。
ティムは、二匹一緒に引き取られることを願いつつ、泣きそうになるのを堪えてそこを離れた。
こんな子たちが、いつも新しい飼い主を待っている。
成長している犬猫は、大きさとか性格が分かりやすいので、
後で負担に思わなくてすむと言われたりする。
私の友人は、衝動買いした子犬がどんどん成長していき、
運動量も多い犬種だと後になって分かったので、手放さなくてはならなかった。
それでも彼女は、責任を持って次の飼い主を見つけた。
その子犬ハディは、フェンスで囲まれた広い庭のある田舎の家に引き取られ、ハッピーエンドとなった。
この時は上手くいったけれど、いつもそうとは限らない。
だから、その固体が成長してしまっているのは利点だと言いたい。
もしかしたら、自分にとって超スペシャルな子を見つけられるかもしれない。
成長してはいても、彼らは十分に可愛い。
それに、保健所から来たペットは、新しい飼い主にとても感謝する。
自分を助け出してくれたからだ。
私の友人(一章五話に出てきた)は、モーガンという名の猫を喧嘩の怪我で失った。
それからしばらくして、彼女は、動物保護センターから大人の猫を引き取った。
シーラ(Sheira)と名づけられた猫は、前の猫モーガン(Morgan)と違って、外に出るのがあまり好きではない。
それに、彼女の身体障害者の息子にとても優しくて、這って前に進む息子が近付くのを辛抱強く待ち、
ぎこちなく動く彼の手を嫌がらないで自分を撫でさせる。
死んでしまったモーガンも優しい猫だった。
そして、シーラも友人にとって、スペシャルな猫になった。
さて、冬になって初雪が降った。
子猫ちゃんたちにとって初めての雪だ。
猫は犬のように雪を喜ばない。
だが、親馬鹿というか、飼い主馬鹿の私たちは、
さっそく子猫ちゃんたちを外へ連れ出して、雪を見せてやることにした。
裏庭の、少し積もり始めていた雪の上に置くと、
子猫たちはびっくり仰天して、お互いをくるくると回りはじめた。
見たこともない白い雪が冷たくて、どうしてよいのか分からないのだ。
そして、あわてたロマノフはティムによじ登り、頭の上まで這い上がりそうになった。
このころまでには、子猫たちは、ティムの体をよじ登るようになっていて、
ティムはそれを可愛いと思っていた。
私が、
「冬は長ズボンを履いているから良いけれど、半ズボンの夏はどうするの?」
と聞いたら、ティムは止めることにした。
寒い外からやっと家の中に戻って来た二匹は、
ひどい目にあったと言わんばかりに、
さっさと一番暖かそうな所に行って横になり、ほっとする。
その夜、雪は降り続き、薪ストーブの火は、家中を心地よく暖めた。
ふと気が付くと、ロマノフとハプスブルグは、薪ストーブのすぐ横で頭をくっ付け、
シンメトリーに左右に広がってゴロンと横になっていた。
体は温かくて気持ち良さそうだ。
外の寒さと打って変わり、家の中は別世界だった。
そして、冬は終わり、春になった。
さて、猫を洗う必要はほとんどない。
もともと猫はきれい好きなので、自分でこまめに毛の手入れをする。
ところが、だんだん暖かくなってきて、
子猫ちゃんたちを、外に連れ出すようになったら汚れてきた。
子猫ちゃんたちは、まだ大人ほど上手にグルーミングが出来ないらしい。
それで、二匹を洗う事にした。
初めてのシャンプーは、暖かい日に行われた。
普通、猫は水を嫌う。
もっと早く洗い始めれば、
ロマノフもハプスブルグも、いくらか水に慣れてくれたのかもしれない。
このころのロマノフは、まだハプスブルグより小さくて毛も少なく、
シャンプーもドライヤーで乾かすのも、あっという間で楽だった。
あの頃は良かった。
今、ロマノフはとてつもなく大きくなってしまったので、洗う気もしない。
(それで年に一度、夏に、ペギーのグルーミングショップで丸刈りにされる)
子猫たちの成長と共に、狭い家の中を走り回る音もますます大きくなってきた。
「うるさくて読書をしていられない」とティムは、
子猫用に買ってあった小さいケージに二匹を一緒に入れ、クラシック音楽を流した。
「そんなことをして、何の意味があるのかしら」と私は思ったけれど、
二匹はケージの中で、すやすやと眠り始めた。
それで、ティムは読書をする度に、二匹を一緒にケージに入れ、
その入り口に小さなスピーカーを二つ置いて、音楽を流す事にした。
今はもう、このケージは小さすぎて、
ロマノフどころか、ハプスブルグでさえ入らない。(入ってもぎゅうぎゅう詰めだ)
そんなある日、このあたりで地震が起こった。
我が家は大丈夫だったけれど、シアトルでは古いレンガの建物の壁が崩れ落ちたりする程の被害が出ていた。
実は、私たちがこの家へ引っ越してきた日の夜も、地震があったのだ。
隣町のある家では、リビングルームに置かれていた植木鉢が、カタカタと壁から壁へ部屋を横断したそうだ。
ところが、引越して来たばかりの我が家では、
荷物が不安定な状態で所狭しと積み上げられていたのに何も感じなかった。
後で皆が騒ぐのを聞いて、やっと地震があったと知ったのだった。
さて、よく話題になるけれど、動物は本当に災害を察知できるのだろうか。
と、思っていたら、うちの猫たちは、何を察知することもなくのんびりと昼寝をしていて、
突然地震が起こると、あわてて逃げ出し、どこかへ隠れてしまった。
この箱入り猫たちに、「自然界の災害を察知せよ」と要求する方が無理なのかもしれない。
とにかく、我が家の猫たちには、その能力がない事だけは明らかになった。
そんなこんなで、我が家の子猫ちゃんたちは、
野良猫の息子たちでありながら、
保険所に送られることなく飼い主に引き取られ、
屋根の下でぬくぬくと育ち、
結局、フリスキーのように外の荒波に揉まれることすらなかった。
世間の厳しさを知らずにすんだ二匹は、
今日も、平和に、家の中を走り回って遊んでいる。
いや、もう一匹、一緒になって走り回るのがいる。(その猫については、また別の機会に)
とにかく、遊び相手がいるのだからと思って、ほって置いたら欲求不満になってしまった、では困る。
時々、ハプスブルグは、
「何か忘れてない?」とでも言わんばかりに催促する。
その愛くるしい表情を見ると、かまってやらずにはいられない。
そう、私たちのスペシャルの猫たちと遊ぶのは、
私たちにとっても、スペシャルな時間なのだ。