ひまわりと薔薇の花束-3 薔薇の花束
ミスティーは、自分の姉妹を失ってしまった。
とは言うものの、この二匹が一階と二階に分かれて住んで五年になる。
生活空間が別だったから、「もう、タイニーはいない」なんて気付かなかったかもしれない。
タイニーの死は、ミスティーには影響しない、と思っていた。
さて、それは、タイニーの死から十日目の朝のことだ。
ミスティーの両肩の間に、ポコッと丸いこぶがある。
前の日は気付かなかった。
急いでペギーに見せると、腫瘍らしいと言う。
その時、私は、この二匹の猫たちは、
引かれ合うように、
命を終えようとしているのかもしれないと思った。
私たちは、ミスティーを動物病院へ連れて行くのを迷っていた。
ミスティーは、もう十六歳半になる。
病院で検査をするだけでも、ストレスで具合が悪くなるかもしれない。
手術をするにしても、この年では、麻酔すら危険なのだ。
それに猫には、治療する意味なんて分かるはずがない。
知らない所で針を刺され、不快な思いをするだろう。
しかも相手は、気位の高い「エンプレス」のあだ名が付いている猫だ。
数年前に抜歯した時のことを考えてみても、
老齢猫のミスティーにとって、治療自体が負担となり、命取りになるかもしれない。
もちろん、治療をしなければ、このまま死んでしまうのは分かっている。
後で、「あの時治療していたら・・・」と思うかもしれない。
しかも私たちは、タイニーを失ったばかりだ。
だからミスティーには、もう少し長生きして欲しいと思っていた。
それでも、すでに寿命かもしれないミスティーに、いやな思いはさせられない。
私たちは、ミスティーを動物病院に連れて行かないことにした。
もちろん、痛みや苦しみが伴うのであれば、それを和らげるための処置はしたい。
それに、治療費の問題も避けられなかった。
タイニーを診察に連れて行った時も、そのまま入院となり、五万円ほどかかってしまった。
ある知人は、飼っている二匹のコッカースパニエルが、二匹とも背中の腫瘍摘出手術をし、
その後のケアも含めて、なんと、七千ドル(六十万円以上)も使ったそうだ。
さすがにこれは高いと思うけれど、病院によって費用はまちまちだ。
例えば、お隣のレクシーが行く動物病院の避妊手術の費用は、うち子たちの病院の二倍だ。
レクシーの病院は、家賃の高そうな場所にあり、設備も整っている。
うちの病院の建物は古いけれど、ローンは返済済みだそうだ。
それで結局、レクシーはうちの病院で手術をした。
治療費だけでなく、動物の世話には費用がかかる。
とは言うものの、私たちは、そのことを初めはあまり考えていなかった。
私たちがフリスキーを飼うことにしたきっかけは、「殺処分をしない」だった。
そうして引き取るようになった犬猫たちは、次第に増えていった。
増えれば出費がかさむ。
それで、日ごろから健康に気を付けてやり、猫は猫、犬は犬として生きるように世話をする。
そして、自然に、穏やかに、寿命を終えさせる。
出来れば、「ある日、コトッ・・・」という風に逝かせてやりたい。
だから、「寿命を満たしている子の延命はしない」と決めていた。
その分、まだ若い子たちを助けられる。
全部は救えないけれど、一匹でも多く助けて、寿命を全うさせてやりたい。
そう思ってはいても、やはりその時が来ると、命を繋ぎ止められないかと心は揺れてしまうのだ。
ところでミスティーは、病気になる前から、私が立つ台所のシンクの前で、糞尿をしていた。
朝、そこにうっかり立つと、糞がスリッパの下にべったりとくっつく。
裸足で踏むと、朝から惨めな気持ちになる事この上ない。
尿だと、ツルッとすべったりする。
一階のすべての床をタイルに変えていたので、そそうがあっても掃除は楽だ。
もちろん、その内装をした時も、ミスティーは憤慨していた。
張ったばかりの、まだ目地の乾いていないタイルの上に、しっかりとおしっこをしてくれた。
せめてもの救いは、端の方だった事だ。
その跡は目立たないけれど、今でも残っている。
ミスティーが「そそう」をするようになったのは、そんな事も忘れた頃だった。
初めは、ランドリールームの洗濯機の前でやっていた。
ランドリールームには砂箱があるのに、私が立つ所と知って、わざとやっていたらしい。
そして徐々に、ランドリールームから台所の方へと移動し、
最後にはシンクの前に定着した。
そこが一番、私には効果があると思ったのかもしれない。(毎朝、私が立つのは、洗濯機の前ではなくシンクの前だ)
とにかく、夜、寝る前に、そこに新聞紙を敷くことにした。
当時の私は、毎朝、二階のベッドルームで、タイニーのおしっこの強烈な匂いで目覚め、
一階に下りてくると、ミスティーの産物を踏む、と、言い様の無い生活を強いられていた。
ミスティーの糞尿騒動の理由に、レディジェーンが関わっていたかもしれない。
メス猫同士のテリトリー争いは、オス猫より熾烈だと聞いたことがある。
子猫を産み、育てなければならない母猫を考えると「なるほど」とも思う。
猫が都市などの狭い地域に密集すると、テリトリーが重なったりする。(重なった辺りで猫の集会もするらしい)
大抵は、互いに折り合いを付けるのだけれど、ミスティーは頑固だ。
代わってレディジェーンは、野良猫出身(子猫だったけれど)だから、猫の仁義を通したい。
野良猫の息子たちのロマノフとハプスブルグ、それに元外猫のフリスキーは問題なかった。
タイニーも、ミスティの脅威がなくなった後は、のんきに暮らしていた。
だからレディジェーンは、猫社会を無視した気位の高いミスティーが気になる。
それで、皆が寝静まり、猫たちの夜の活動時間になると、ミスティーの、
「ほっといて!」と言わんばかりの、
「ヒシャー!」と言う、金属的なオタケビが家中に響く。
仕方ないので、レディジェーンを私たちのベッドルームに入れ、ドアを閉めた。
まあ、レディジェーンは「フニャォ」と言ってティムの上に乗り、そこで寝るのが好きだから、
それでも良かったみたいだ。
それに、朝に糞尿が残されているから、
ミスティーは、夜、私が二階で寝るのを気に入らなかったのかもしれない。
とは言うものの、私は台所で寝るわけにはいかない。
私に、「撫でるのよ」とでも言うように甘える猫だったから、寂しかったのだ。
もしかしたら、毎朝、ミスティーは、
彼女の産物を掃除する私を見て、満足していたのかもしれない。(と思えるほどの性格の猫だった)
そうしている内に、ミスティーの背中のこぶは、どんどん大きくなっていった。
重過ぎるので、もう、ミスティーがいつも座っていた高椅子にジャンプできない。
私は、台所の隅、元々ミスティーのために用意していた場所に、寝床を作ってやった。
そこは、ナナが、ちゃっかりと使用していたのだけれど、ナナは他所に預けられていた。
ティーの子犬たちが生まれたからだ。
その子犬たちはパピーペンから出されると、色々な事に興味を示した。
特に長男は、子犬の分際で、ミスティー叔母ちゃまにちょっかいを出す。
しかたないのでバリケードを作って、ミスティーを守ってやった。
そのいざこざは、ミスティーには迷惑でも、結構、にぎやかで楽しそうだった。
ミスティーにとって適度な運動になっていたし、その緊張も元気にさせていたと思う。
エンプレス・ミスティーは気丈な猫だった。
二月に、二匹の子犬たちは生家を離れ、次男だけが残った。
この次男坊は、ママに似て猫に優しい。
ナナも帰ってきて、しばらくは、静かな日々が続いていた。
そして若葉の芽吹く季節になり、ミスティーのこぶは、拳のように大きくなった。
ミスティーの寝床を、階段の下の使われていないドッグハウスに移し、
ヒートパッドを敷いて、暖かくしてやる。
時々、日光浴もさせる。
四月十七日、ミスティーは、何も食べなくなり、排便もなくなった。
最後に、小さな尿の跡をひとつ、ペットシートに残しただけだった。
時々、寝返りをさせてやる。
その日一日、私は、ミスティーの近くで過ごした。
出来るだけ、ミスティーの横に座る。
そこから、台所のアイランドと、ミスティーの高椅子が見える。
その向こうには窓があり、若葉色の木々と、青い空があった。
その夜遅く、私はティムに「もうすぐみたい」と言った。
ティムは、しばらくの間、ミスティーを撫でていたけれど、二階へ上がっていった。
ミスティーを見ていられないのだ。
ティムの階段を上がっていく音が聞こえる。
「ああ、ミスティーは、ここで、この音を聞いていたのだ」と私は思った。
ミスティーは静かに、小刻みに、息をしていた。
白い胸の、心臓のある辺りが、鼓動で小さく動いている。
ゆっくりと、穏やかに、時が流れていく。
そして、息が止まった。
それから、白い胸の小さな振動も、ふっと、無くなってしまった。
深夜過ぎ、十二時五十分だった。
私は二階のベッドルームへ行き、
“She just died now.”(今、死んだわ)
と、言った。
読書をしていたティムは、顔を上げる。
そして、泣いた。
私たちは、冷たくなったミスティーを、階段の下に敷かれたシートの上に寝かせた。
そんなミスティーを見ながら、私は、
数日前に友人から貰った薔薇の花束を、ドライフラワーにしていたのを思い出した。
「そうだ、ミスティーには、この薔薇の花がふさわしい。それで飾ろう。」
そして、ミスティーは薔薇の花束を抱き、周りを薔薇の花で飾られた。
痩せてしまっていたけれど、美しく、品があった。
それから私たちは、ミスティーを布で包み、タイニーの横に埋めた。
ティムは、従姉妹のジィニーに電話をすると、ミスティーの死を告げた。
ティムの母親と祖母は、その家の名を名乗った最後の人たちで、
ミスティーとタイニーのご主人様たちだった。
ジィニーは、猫たちの世話をしたティムに感謝した後、
「これでついに、カーティス家の最後のものが死んでしまったわね。」
と、寂しそうに言ったそうだ。