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     ひまわりと薔薇の花束-2 ひまわり

 タイニーは、もう何も食べなかった。

その体の中で何かが起こっているのだけれど、苦しそうではない。

ただ、お気に入りのウィングチェアの下で、横になっているだけだった。

そうして、タイニーの命は尽きようとしていた。


 朝になり、タイニーを連れて、ペギーの所へ行く。

私たちに、まだ何か出来ることがあるかもしれない。

ペギーは、タイニーが脱水症状を起こしていると言う。

動物病院に連れて行くかどうかは、私たちの選択だった。


 すでに土曜日で、月曜日がお休みの連休週末だから、

かかりつけの獣医に見てもらうにしても、火曜日まで待たなければならない。

急ぐのであれば、動物救急病院もある。


 私たちは、ペギーに、動物病院で何が出来るかを聞いてみた。

先ず検査をする。

そして、治療の前に、体液量を上げなければならない。

とは言っても、年を取っているし、病状によっては、点滴中に死ぬこともありえる。

輸液の後、やっと治療に入る。

治療の効果は、あるかもしれないし、無いかもしれない。


 しかも、タイニーには糖尿病がある。

この治療で、それが治るわけではない。

入院中に、寂しく、そのまま逝ってしまうかもしれない。

たとえ今、命を取り留めたとしても、問題を先に延ばすだけかもしれない。

ティムは、結局、家で静かに、タイニーの最後を看取りたいと言った。


 タイニーを家に連れて帰ると、ウィングチェアの下に横にならせた。

時々、寝返りをうつ。

ティーも、心配しているかのように、少し離れたところに座り見守っている。


 タイニーが夜寝るベッドを、ワイヤー製のケージで囲った。

これで、私たちが見ていない時、誰からも煩わされることはない。

窓の外も見れる。

まだ日照時間は長く、かなり遅くまで明るい。

もっともタイニーにとって、もはやそれは、どうでも良い事だったかもしれない。


 そしてタイニーは、急速に衰えていった。

初めは、喉が渇いていたらしく、座ったまま水だけは飲んでいた。

もう、その力も無い。

少し口を開いて息をしている。

私は、タイニーの口を湿らして、いくらか乾きを癒してやることにした。

ティムも出来るだけ一緒にいる。


 私は、自家製のチキンブロスも与えてみた。

するとタイニーは、少し元気になった。

私は、「タイニーが持ちこたえるかもしれない」と喜ぶ。

そして次の瞬間、それを打ち消した。

タイニーが、こんなことで回復するはずがない。

克服しなければならない問題は、山のようにある。


 私は、祖母が倒れた時のことを思い出した。

人が生死の堺をさまよっている時、その命を繋ぎ止めるため、

周りの人たちは、できるだけの事をしようとする。

そして、少しの変化に、一喜一憂するのだ。


 私の友人の一人に、有能な看護婦がいる。

彼女は、今まで、たくさんの人の死を見てきた。

そして、「人がその命を終えようとする時、もう誰にも止められない」と言った。

砂が指の間から零れ落ちるように、失ってしまうのだ。


 とは言うものの、本人の気力で、持ち直す時もある。

癌に侵され、死を宣告されたある知人は、一晩考えて、残りの人生を有意義に過ごすことにし、

医師が言うより長く生きた。


 フリスキーの元飼い主も、奇跡とも思える回復をしたそうだ。

彼女は、心臓の持病が悪化し、薄れていく意識の中で「もう、これで終わりだ」と思った。

すると、お孫さんの小さな手が、彼女の手をギュッと握り締めるのを感じた。

その感触が、彼女を奮い立たせ、危機を乗り越えたと話してくれた。


 生き物の寿命は、種類によってそれぞれに違う。

そして、ペットとして飼われている動物は、より長く生きる。

苦労して餌を取る必要はないし、危険から守ってもらえるからだ。

タイニーは、十六歳半になろうといた。

猫の寿命とされる年は満たしている。

であるならば、一喜一憂するのは止めよう。

私は悲しかったけれど、「良く、ここまで生きてくれたね」と言うことにした。


 休日の月曜日、私たちは、一日中、家の中にいた。

夏は終わろうとしていて、とても静かな日だった。

死について考えていたから、静かに感じたのかもしれない。


 死と言えば、私が小学生のころ、突然、夜中に起こされたことがある。

母方の祖父が亡くなったのだ。

その時、私と弟は、他所に預けられていた。

そして、父が向かえに来たのだった。


 それは、大晦日の前の日だった。

その日の午後、母は、田舎の、祖父の部屋の障子の張替えをしていた。

ふと、祖父の息の間隔が開いていくのに気付く。

そして、静かにその時を待った。

時計の、時を刻む音だけが聞こえてくる。

午後四時十六分、祖父の息は止まった。

かなり自由奔放に生きた人だったけれど、母には良い父親だったそうだ。

今でも、その情景が、私の脳裏に、まるでそこにいるかのように浮かんでくる。


 タイニーは、もう動こうとしなかった。

目を開けているだけだ。

時々寝返りをさせてやる。

そして、タイニーの口を湿らせ続けた。

夜中になり、午前二時を過ぎた。

私は、寝ている間にタイニーは死ぬかもしれないと思いつつ、床に付いた。


 火曜日の朝がきた。

私は目が覚めると、先ずタイニーを見た。

彼女の目は開いたままで、昨夜と同じように、こちらを見ている。

息はある。

まだ生きていた。

私は、その横に椅子を持ってきて座った。

窓を少しだけ開けると、朝の光が入ってくる。

家の中は静かで、誰も動かない。

まるで時間が止まってしまったかのようだ。


 しばらくすると、ティムが目を覚まし、

"Is she still alive?" (まだ、生きている?)

と聞いた。

私は、

"Yes, she is still alive." (まだ、生きているわよ。)

と答える。


 その時、タイニーがちょっと動いた。

「今まで全く動かなかったのに・・・」、私は、「もしかして」と思った。

ティムが再び、何か言う。

タイニーがまた動く。

もう確かだ。

タイニーは、ティムのそばに行きたいのだ。


 私は、

"She wants to be with you. Do you want me to bring her to you?"

(タイニーは、あなたのそばに行きたいみたい。連れて行きましょうか?)

と聞く。

ティムは答える。

"Bring to me." (連れてきて)


 私は、敷物と一緒に、タイニーを持ち上げた。

タイニーの体は、敷物の中でずれ落ちててしまい、胸が圧迫されたらしく、ちょっと鳴く。

その声は、小さくて、可愛らしい。

そしてすぐに、ティムの隣に寝せてやった。


 タイニーは、今、大好きだったティムの横にいる。

ティムは、タイニーの体をなでた。

タイニーは、ゆっくりと息をする。

それも、途切れ、途切れになっていく。

そのたびに胸が膨らむ。

息と息の間はだんだん長くなり、最後の息を終えた。

ティムは、タイニーの胸に、そっと自分の耳を当てる。

そして、

"I can still hear her heart beating."(まだ、心臓の音が聞こえる)と言う。


 それから二分後、今度は、私が、タイニーの胸に耳を当てた。

もう心臓の音はない。

九時十分だった。

 

 その時、ピンクがかっていたタイニーの耳は、さーっと白くなっていった。

赤い血の流れが止まってしまったのだ。

「タイニーの霊が抜けていく瞬間だ」、と私は思った。

タイニーの生命力は、神様の元へ返って行った。

そして、もう二度と、ここに戻ってくることはない。


 人が死ぬと、周りの人は、もっと何かしてあげられたのでは、と思うものだそうだ。

私は、死んだ人は、眠っていると信じている。

たとえ、周りの人がどんなに後悔したとしても、死んだ人は、安らかに、平和に眠っている。

もう、苦しむ事はないし、誰からも煩わされたりしない。


 タイニーも安らかな眠りについた。

私は、タイニーが生きていた時、自分に出来る限りの事をしようと思っていた。

そして、死んでしまった後は、悔やまないようにしている。

私には、出来なかったことが、あり過ぎるのだ。


 私は、すぐにペギーに電話をかけた。

そして、

"Tiny just died..." (タイニーが、今、死んだ・・・)

そう言って、突然、声が出なくなった。

涙がとめども無く流れた。


 その日、一日、喪失感と共に、タイニーをベッドの上から動かす気にもなれず、

そのまま、タイニーをそこにいさせた。

タイニーの体から水分が出ているのか、毛がしっとりと濡れている。

私は、タイニーの敷物の下に、プラスチックシートを敷いた。

ティムが仕事から帰ってきた後、タイニーの体をガレージに移す。

ティムは、大好きなひまわりの花で、タイニーを飾って埋めたいと言う。

庭の大きなひまわりの花は、すでに盛りを過ぎていた。


 次の日、私たちは、タイニーの体を、

終わろうとしている、その大きなひまわりの花と、ラベンダーの花で飾ってやった。

タイニーの白い体に、ひまわりの黄色と、ラベンダーの紫は、とても良く映えた。

それは、私たちにとって、タイニーへの別れと感謝の気持ちだった。

そして私たちは、タイニーを裏庭に埋めた。


 埋めた後、頭を上げると、タイニーがいた二階の窓が見える。

タイニーがいつも見下ろしていたその裏庭に、亡骸は埋められたのだ。


 タイニーが寝ていた窓際のベッドは空になり、すぐに他の猫たちがやって来た。

最初は、レディジェーン、そしてフリスキー・・・

囲っていたケージも片付けられ、ベッドだけがそこに残った。

そのベッドも、今は、ロマノフのお気に入りの場所となっている。

そうして、時と別の命は、そのまま、何もなかったかのように続いていく。


 タイニーが死んでしばらくの間、なせか私の耳には、一つのピアノ曲が聞こえていた。

ちょっと物悲しい、それでいて、さわやかな曲だ。

私は、そのメロディーを追いながら、タイニーを思った。


 時々ティムは、あのタイニーの亡骸はどうなっただろうと、私に聞く。

私は、いつもこう答える。

「きっと静かに、ゆっくりと、土に返っているのよ」と。

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