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第11章 ひまわりと薔薇の花束-1 突然に

 朝、コヨーテを見かけることがある。

大抵は一匹なのだけれど、ペアや家族だったりする。

しかも、毎回、住宅街を後にして、小走りで、林の奥へと消えていくところを見る。

どこから来て、どこへ向かっているのだろうと、いつも不思議に思っている。


 コヨーテの餌は、ねずみなどの小動物だ。

とは言っても、中型犬の大きさだから、猫だって襲う。

うちの猫たちは完全室内飼いだ。

襲われる心配はない。

猫たちは、家の中で、のんきに暮らしている。

もしかしたら、タイニーは、コヨーテがそんな危ない動物とは知らず、

二階の窓から見ていたかもしれない。


 白い短毛猫、タイニーのベッドは、お日様の光が降り注ぐ窓際に置かれていた。

タイニーは、そこでまどろんでいることが多い。

季節の様々な鳥たちの声も聞こえてくる。

そして、窓の外には、ポプラの一種、ブラックコットンウッドの林が広がっていた。

林は湿地帯にあって、雨の多い冬に水がはると、マガモたちがやって来る。

この林は、私たちに、四季の移り変わりを感じさせてくれていた。


 冬のポプラは裸だ。

枝は寂しげに重なり合い、遠くまで透けて見える。

霜が降りると、裸の木々は、真っ白になった景色の中で静かにたたずんでいる。


 冬が終わる前に、ポプラの芽は膨らみ始める。

細かった枝の先は、春が待ちきれなかったらしく、どんどん膨らんでいく。

芽を守っていた硬い殻は、不要になり、割れて落ちてくる。


 殻は、べたべたしていて、つんと臭う。 

しかも、外から戻った犬たちの足や毛にくっつくので、ちょっと私を困らせる。


 そして花が咲くと、綿毛に付いた種ができる。

ふわふわの綿毛に乗った種は、ボタン雪のように降り注ぎ、風に飛ばされていく。

コットンツリー、この木はそんなあだ名で呼ばれたりする。


 若葉は成長し、緑が濃くなると、夏がやって来る。

手のひらのように大きくなった葉は、短い夏を謳歌するかのように青い空に広がる。

心地良い風に、白っぽい葉の裏は見え隠れしながら、はたはたとそよぐ。

そして、夏の真っ盛りに、その葉は、ひとつふたつと色を変え始める。

いち早く、秋の気配を感じるのだ。


 気温は少しずつ下がっていき、木全体はゴールデンカラーに変わる。

林は、鮮やかな装いをした木々で埋め尽くされる。

それもまた美しい。


 さーっと風が吹くと、いっせいに落ち葉は舞い、黄金色の吹雪になる。

その美しい落ち葉は、林の底を敷き詰める。

やがて雨が降り始め、落ち葉の絨毯は水の下に沈み、

水鳥たちの集う場となった湿地帯の林は、ゆっくりと冬に戻っていく。

そんな季節を繰り返しながら、タイニーは穏やかに暮らしていた。



 この家に移り、四年目の夏になった。

その夏は、日本から私の両親が訪問してくれた。

年を取った両親は、それぞれに病を患っている。

しかも父は、掛かりつけの医者から、

「米国への旅行は命を縮めるかもしれない」と警告されていた。

その父は、二ヵ月後、こちらへ来たよりも元気になって日本へ帰っていった。

ここの空気が、澄んでいたからかもしれない。


 そして、その同じ夏、タイニーは糖尿病を患った。

五日ほど入院もした。

二日間の予定だった入院が長引いたのは、インスリンの投与量が定まらなかったからだ。


 私が、初めて猫のインスリン注射について聞いたのは、十年以上も前のことだ。

その時、猫の飼い主は、「労をいとわない」と言っていた。

それでも私は、「猫の治療のために、そこまでするなんて」と驚いてしまった。

当時、まだ私とティムは、一匹目の猫、フリスキーすら飼っていなかった。

今、こうして、自分たちの猫が病気になると、あの飼い主の気持ちがよく分かる。

私は「余計なことを言わなくて良かった」と胸をなでおろす。


 十数年経った今でも、その猫のことは良く覚えている。

触ろうとして、差し出した手に「パパパン!」と猫パンチを食らった。

その感触が、なぜか妙に懐かしい。


 タイニーのインスリン注射は、ティムがする。

ところが、タイニーはひきつけを起こしてしまった。

ペギーは、「インスリンの量が多すぎる」と言う。

それにペギーは、タイニーの入院が長すぎるとも思っていた。

結局、獣医から得られた情報は、すでにペギーが教えてくれたものでしかなかった。

まあ、ベテラン看護婦との経験の差、なのかもしれない。


 さて、インスリン注射のおかげで、タイニーは具合が良くなってきた。

やれやれと思っていたら、今度は、排尿による問題を起こすようになった。

タイニーは、砂箱で排尿した後、なぜかそこに座り込んでしまうのだ。

そして、濡れた後ろ足に砂がこびり付き、傷になり、そこが丸く腫れて化膿する。

ペギーに切開してもらって膿を出す。

ペットシーツも考えたけれど、砂箱のままにした。

他の猫たちの砂箱に入れば同じだし、本人は砂箱を気に入っているようだった。

出来るだけ、タイニーの足を清潔にするように心がける。

それでも、その後、足が交互に腫れたりした。


 しかもタイニーは、排尿を床の上でもするのだ。

そこは、私たちの寝室に置かれたタイニーのベッドと、

バスルームの中の砂箱との間の辺りだ。

仕方がないので、床をプラスチックのシートで覆い、新聞紙を引き詰める。

他の場所では、そそうをしないので、何か理由があるのだろう。

あれこれ考えてみる。

それでも、私たちが寝ている間に起こるので、どうしようもない。


 毎朝、私たちは、タイニーの尿の匂いで目を覚まし、掃除をする。

その強烈な匂いを嗅ぐたびに、これがどれくらい続くのだろうかとも思ってしまう。


 しかも、汚れたタイニーを洗わなければならない。

尿の臭いもあるけれど、足にこびりついた砂をお湯でふやかして取る。

新聞紙のインクで染まった足もきれいにする。


 そして半年もすると、インスリン注射の効果はなくなったらしく、

ティムは、注射をするのを止めてしまった。

私たちにできる事は何でもしてやりたい。

それでも、治らないのは分かっている。

これ以上治療をするべきかどうか迷ってしまう。

この状態で、長く生きさせてやるのが良いのかどうか分からないのだ。

タイニーは、もう十分に生きた。

猫として、自然に生かしてやりたいし、自然に逝かせてもやりたい。

 

 タイニーは、運動能力が、そんなに衰えているわけでもなかった。

窓際のベッドにも上れる。

排尿の問題が無ければ、普通の老齢猫のようだ。

おしめを着けることも考えたけれど、いまさらタイニーには不愉快でしかない。

糞は砂箱でもするし、新聞紙の上に落ちている時もある。

さすがに、糞の上には座らない。

それで、私達が我慢できる限り、そのまま自由にさせてやることにした。


 高齢猫の病気の世話は、色々なことを考える機会になった。

それに最近は、病気になったペットを最後まで看取らない飼い主たちのことも聞く。

それぞれに事情があるのだろうけれど、なんだか悲しくなる。


 私の母は、十年もの間、自分の母親を介護した。

私を可愛がってくれて頼りがいのある祖母だったのに、倒れた後は同じ人ではなかった。

それでも母は、よく世話をしていた。

その祖母も、もういない。

大変だったけれど、母は世話ができて良かったと言う。

私は、すべての動物を飼っている人たちが、同じように言えたら良いのにと思う。



 さて、両親が訪問してくれて、タイニーが糖尿病にかかった夏は終わり、

十月にフェニーが戻ってきて、十二月にいなくなり、

翌年の二月に、ティーがやって来た。

ヨークシャーテリアのティーは、なぜか、優しいタイニーが好きだった。


 タイニーとティーは、階段の踊り場でよく一緒に座っていた。

二匹は、お互いに触ったりするわけではなく、穏やかに横に並んでいるだけだった。

そんな二匹を、タフィーとナナも煩わせたりしなかった。

ティーの過去には、辛いことがあったらしい。

タイニーの横で、ティーは癒されていたのかもしれない。

そんなティーを、タイニーは静かに受け入れていた。


 この家に住むようになって、タイニーは、ずーっと二階にいた。

タイニーにとって、二階は十分の広があった。

通路の、窓際に置かれたウィングチェアの下で、ゴロンと横になることも多かった。

特に夏は、そこに、心地良い風が通るのだ。


 そんなタイニーが、階段の踊り場まで下りてくるようになったのは、

フリスキーに猫用缶詰を食べさせるようになってからだ。

フリスキーは、カリカリを食べなくなっていた。

もちろん、老猫のタイニーとミスティにもおすそ分けする。

それで、私が缶詰を開けると、タイニーは、あわてて踊り場まで降りて来る。

そして、格子の間から台所を覗いて、時にはその白い手をチョイチョイと出しながら、

「ミャッ、ミャッ」と鳴いて催促する。


 あまりにも催促するので、私は餌を指にのせて舐めさせてやったりする。

ところが、あわてたタイニーは、何度か私の指を噛んでしまった。

それは、タイニーが糖尿病にかかった後も続いていた。

タイニーは、排尿の問題と足が腫れる以外は、元気そうに見えた。



 また夏がやってきた。

タイニーが糖尿病になって、一年を過ぎた。

そして、八月の最後の木曜日、タイニーは階段の踊り場に下りてこなかった。

あれほど、猫缶を開ける音はタイニーを狂喜させていたのに、降りてこないのだ。

それでも、それ以外は普通通りだったので、私はさほど気にしなかった。


 次の日も降りてこない。

タイニーは、いつものように、ウィングチェアの下で横になっていた。

その夜、私は気になって、タイニーを見てみる。

そのピンク色の鼻から、赤黒い塊が出ていた。

私は、ティムに向かって叫んだ。

そうして、終わりは、突然にやって来た。

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