ティーの子犬たち-6 末っ子ココと仲間たち
私たちが散歩する公園には、湖がある。
二十分ほど歩けば、湖を一周できるので、エクササイズしている人も多い。
そこには、四季折々の水鳥たちもやって来る。
初夏の晴れた日に、湖畔を歩いていると、小山の方から雛の声が聞こえてきた。
辺りを見回すのだけれど、雛は見当たらない。
そして次の日、同じ場所へ戻ってくると、母鳥と小さな雛たちが、湖の水面を元気に泳いでいた。
そこには、カナダ雁もやって来る。
水の上にいるだけでなく、緑の芝生の上で休んだりもしている。
ある日、十数羽が、なぜか一列に並び、木陰のある美しい丘を登り、駐車場を横切り、
その先の広場を目指して、よったよったと歩いていた。
また、七~八羽の群れが、湖の上を、すべるように岸辺へ向かい、
次々に、岸へ上がっているのも見かけた。
それはまるで、「白鳥の湖」の白鳥たちのようで、優雅さと気品に満ちていた。
冬の寒い日、たまに湖に氷がはると、
水鳥たちが、氷の上をペンギンのように歩いていたりする。
鳥たちは、戸惑っているのかもしれないけれど、可愛い。
私たちは、そんな公園で犬の散歩を楽しんでいる。
五匹ものヨークシャーテリアを連れているので、
「区別が付くのですか?」
と聞かれたりする。
「もちろん、幼稚園の先生のようなものです。」
と、私は答える。
私も、よくもまあ、こんなに増えたものだと思う。
さらに、ジャスミンが子犬を産んだので、「私たちの仲間」はまた増えてしまった。
子犬は、朝、ジョイの孫息子が目を覚ますと、同じベッドの上で生まれていた。
アメリカでは、少年と犬は一緒に寝るのが好きだから、ありえるのだそうだ。
「少年と犬」と言えば、ノーマン・ロックウェルの有名なイラストを思い出す。
なんだかほほえましい。
ところで、生まれた子犬は、二匹ともオスで、一匹目は死産だった。
知らせを受けた私は、急いでジョイ宅へ行く。
そして、二匹目の子犬も、へその緒からの出血が止まらないでいた。
ペギーに電話すると、デンタルフロスで縛るように言う。
生まれたばかりの子犬の、短いへその緒を縛るのは簡単ではなかったけれど、
なんとか上手くいき、出血は止まり、子犬は無事だった。
ジョイは、その子犬を飼うことにし、
真っ黒な子犬の名前は「シャドウ」に決まった。
そして、シャドウが十週目ぐらいになると、私たちは一緒にキャンプへ行った。
フィニーは、キャンピングカーの中で、シャドウと遊ぶ。
半年若い、手下のような可愛い弟ができ、フィニーは嬉しそうだった。
ところが、シャドウは、ママのおっぱいを一人締めできたからなのか、
あっという間に大きくなり、フィニーを追い越してしまった。
シャドウの体の毛は、成長しても、ジャスミンママのように黒かった。
二匹は、とても仲の良い親子だ。
一緒にいると、どちらがどっちなのか分からなかったりする。
フィニーの体の毛の色は、黒からティーママ色に変わっても、
こちらはティーママがデカイので、すぐに見分けが付く。
顔はタフィーパパに似ているけれど、毛は美しい直毛だ。
ココの頭の毛は、ゴールド色になっても、体の毛は、黒いままだった。
しかも、女の子なのに、くりくりの、雑木林のような毛をしていた。
それで、前の飼い主に、体だけ刈られてしまった。(刈った後で、後悔していた)
まるで、ピタッとした黒いウエットスーツでも着ているみたいだ。
ココの体の毛は、シャドウのように黒いのかと思っていたら、
しばらくして、ティーやフィニーの色に変わった。(つまり、とろろ昆布色)
生家に戻ってきたココは、しっかりした女の子に成長していた。
以前の飼い主から、お手や、ハイファイブなどを教えてもらっている。
性格も、フィニーのように生意気ではない。
ティーママと言うより、ナナおばちゃまに近い雰囲気がある。
ココは、ナナのように、私のそばにいることが多い。
もしかしたら、女の人が好きなのかもしれない。
ココは、いつもニッキーに遊んでもらっているし、お隣の若い奥さんも好きみたいだ。
ニッキーとお隣さんは、素敵なお姉さんたちで、
いつもファッショナブルな格好をしている。(ココちゃんは、むさい男はいや;ニッキー談)
そんなココだけれど、子犬の時から、へそ天で寝る癖があった。
ニッキーの前でも、シュパーッと、お腹を上にして、降参ポーズを取る。
ところが、ナナにはしない。
ナナは、我慢していたのだけれど、フィニーやココが私に甘えるのを気に入らなかった。
ココはそれを感じていたのだ。
私が、ピンクの小さな椅子に座ってテレビを見ていると、みんなが集まって来る。
時には、猫のレディージェーンまで来たりする。
すると、ナナは私の横、フィニーとココは私の膝、レディジェーンは私の胸に陣取り、
狭い椅子で、ぎゅうぎゅう詰めになる。
そしてココは、レディジェーンが気になってしかたがない。
同じ大きさだし、レディジェーンと遊びたいのかもしれない。
レディジェーンは、犬と遊ぶつもりはない。
と思っていたら、しょっちゅう一階に下りてくるし、ココをからかっている風でもある。
両者は、かみ合っていないようにも見える。
それでも二匹は、近くで昼寝をしたりしているので、それなりのルールがあるらしい。
さて、ココは、ティーママとナナの関係に疑心暗鬼だった。
フィニーは、ナナに取り入ろうとするけれど、ココはしない。
しかも、ティーママとナナが喧嘩を始めると、ココはナナに噛み付いた。
まるで、「ママを苛めちゃだめー!」と言わんばかりだ。
そうして、ココとナナは、ビミョーな関係になっていった。
自分の立場が脅かされているように感じたナナは、フィニーも襲った。
ココは、お兄ちゃんの一大事と、ふがいない兄を助けるため、ナナに反撃する。
とにかく、喧嘩になると、いつも最後はココとナナの戦いになる。
とは言っても、普段のナナは昼寝をしていることが多いので、我が家は平和だ。
私も、犬たちが喧嘩をしないように気をつけている。
たまにナナが、戦闘モードに入ると、
ココは、二本の前足を、サッとナナの背中に乗せて、ナナを押さえようとする。
ナナも仕方なくあきらめる。
とにかく、以前のような、ナナ vs. ティーとは違うようだ。
一旦、喧嘩が始まると、私は、ナナを二階のケージに入れる。
罰というよりは、間を置きたいのだけれど、ナナはそこから出されるまで吠えている。
私は、仲直りさせるため、ナナとココを対面させ、一呼吸入れさせる。
そして二匹は、何事もなかったかのように一緒に階段を降りて行く。
そんなお転婆なココだけれど、
フィニーとレスリングをして遊ぶ時は、フィニーとどっこいどっこいだ。
二匹は、お相撲さんのように、後ろ足で立って、お互いを押し合う。
ナナは、子犬たちの「小競り合いお遊び」は無視する。
それでもナナは、「この家の犬は自分だけだったら良いのに」と思っている。(できれば、猫もいなければ最高)
ひいきをして、ナナを特別扱いしないけれど、(と言うか、どの子もカワイイ)
ナナの気持ちは汲んでやることにしている。
逆に、ナナに、「私が他の子をひいきしている」と思われても困るからだ。
それに、多頭飼いのおかげで、ナナの社会性は向上していた。(もちろんティーも)
ナナは、雄々しい。
私にぶつけられても、まるでパンチを受けたプロレスラーの如く、ウッシ!と耐える。(タフィーやフィニーのようではない)
貫禄はあるので、もう少し寛大であって欲しいものだ。
ナナは、走る時は、いつも一生懸命だ。
ペギーの夫は、ナナをを見て、
「何のために、そんなに一生懸命に走っているんだー!」と言って笑っていた。
なんだか可笑しくて、それがまた、ナナの可愛さにもなっている。
ナナが白いセーターを着て、雪が積もり始めた裏庭で、私の所へ来ようと、
一生懸命に走っている姿を撮った写真がある。
私は、それが大好きだ。
私は、必死に後を追ってくるナナと、かくれんぼをして遊んだりする。(と言うか、からかう)
私の匂いは家中にあるので、匂いでは私を見つけられない。
ナナは、行ったり来たりして私を捜す。
私は、ドアの後ろに隠れて、ナナの慌てている様子を見て笑いをこらえる。
そしてナナは私を見つけると、思いっきり尻尾を振る。
ところで、お茶目なタフィーだけれど、
相変わらず、外にいる犬を見つけては、一生懸命に吠えている。
そして、「来て、来てー!」と言う風に、私を誘いに来たりする。
ある日、いつものようにタフィーが吠えていると、ナナがぶつかった。
タフィーはナナを怒って、「ガウッ」と一声。
ナナは、「あ、すみません」とでも言うように身を引いた。
私は、これがタフィーの実力だと思いたい。
ニッキーの、タフィーを「ドライブでからかうお遊び」は、今でも健在だ。
フィニーでやったら、私が「バイバーイ」と言ってもなんのその、
助手席で、くつろいで座っているし、
戻って来ても、「ここ、楽ちんなの~」と、そこを動こうとしなかった。
ココは、助手席の下に降りて、「なになに、ど~なってるの?」と探索に専念していた。
フィニーとココにとって、生まれた時から顔見知りのニッキーは、
養育係りのようなものだから、新鮮味がない。(ムキーッ!私は養育係ではなーい!;ニッキー談)
そして、ナナとティーの場合、反応は分かりきっているので、やる気も起こらない。(つまり、もろにいやなのだ)
結局、このお遊びは、タフィーだけのものらしい。
このように、まだまだ、我が家の犬たちは若くて元気だ。
ティムと私は、一旦「飼う」と決めたのだから、最後まで面倒を見ようと思っている。
犬の寿命を考えると、「一番若いフィニーとココは、私が**歳になるまではいるなー」
などと思ったりする。
巣立っていく人間の子供と違い、犬猫は、ずーっと私たちと一緒にいる。(巣立たない子供もいるけれど)
こうして、私たち夫婦は、毎日、せっせ、せっせと、犬や猫たちの世話をしている。
それは、幸せの毎日でもある。
本当に、本当に、可愛い子たちなのだ。