Frisky-4 もちつもたれつ
果実が実る季節になると、それを狙う動物たちが我が家の裏庭へとやって来る。
ある夏の夜、私が裏のドアを開けたら、ドアのすぐ横にあるブラックチェリーの木に狸がいた。
しかも私の目の高さ、触れるくらいに近かったので、
お互いにびっくりして数秒の間、見詰め合ってしまった。
狸をこんなに近くで見るのは、初めてだったけれど、
オポッサムはフリスキーの餌を盗み食いしているのをよく見る。
オポッサムと言えば、街の中をのそのそと歩いているのを見かけたことがある。
初め、そのオポッサムの毛並みが変に思えたので病気かと思ったら、
なんと子供たちを背中に乗せて別の巣へ移動している最中だった。
時々、彼女らはそれをやるらしい。
数えてみると子供たちは八匹いた。
どの様にして、お母さんが自分の背中に八匹も乗せるのかは知らないけれど、
首の周りには大きな子供たち、そしてだんだん小さくなり、
お尻にしがみ付いていたのは一番ちっちゃい子供だ。
無事に次の巣へ移動できるよう願いつつ、この家族を見送った。
オポッサムが、裏庭のプラムの実を食べているのを見たこともある。
それでフリスキーが、実りの季節に果物を狙う輩を追い払ってくれたかどうかは定かでない。
犬であれば使命感をもって追い払うのかもしれないけれど、
猫に期待はできない。
でもまあ果物はたくさん生る。
豊作の年には、ティムが食べきれないくらいの量になる。(ティムは果物やトマトを、ボウルにてんこ盛りしたポップコーンのように食べる)
取れ過ぎた果物は友人たちにおすそ分けもする。
取り残したり、木の上の方の鳥が食べ残した実は落ちてきて腐る。
「本来、腐った実は肥料になり養分として木に戻っていく」と誰かが言っていた。
これは手間が省けたと思ったけれど、腐ると汚い。
結局、掃除することになる。
ヘーゼルナッツは問題なかった。
りすが全部片付けてくれたから。
とはいえこれもあまり嬉しくない。
実が膨らんできて食べごろだと思っていると、忽然と消えてしまうのだ。
そのかけらさえ落ちていなかった。
我が家には結構大きなヘーゼルナッツの木が二本もあるのに、その実すべてが持ち去られてしまう。
私は「自分の裏庭でヘーゼルナッツを収穫できるなんて」とワクワクしていたので、
少しはフリスキーにりすを追い払って欲しかった。
ところがフリスキーは、
とっくの昔に、彼らを追いかけるのは無駄だ、と悟っているようだった。
りすは、すばしっこいので猫には捕まえられない。
それに可愛いし、こちらに害を及ぼす訳でもないので敵対視したくはない。
さらに鋭い爪、狂犬病のリスクなどを考えると、猫と格闘してもらいたくない。
「とにかく、捕まえるのは危ないから、りすを追い払うことだけお願い~」
なんて犬に求めるような、都合のよい要求を猫にはできない。
では、いっそのこと犬に追い払わせては、とも思うのだけれど、犬は木に登れない。
木の下ではうるさく吠える犬、そして木の上では悠々とヘーゼルナッツを収穫するりす、
という展開は目に見えている。
このように帯に短し襷に長しと思うようにいかないのだ。
「ヘーゼルナッツの木の根元を、プラスチックのような滑るもので囲ってみたら」と言う人もいたけれど、
人間が、りすと争奪戦をするのも容易ではない。
かなり前に、イギリスのテレビ番組で、りすの研究者たちが、
The Anti Squirrel System(反りすシステム?)なる物を作って、りすに挑戦しているのを見た事がある。
りすの、飽く無きナッツへの欲望を阻むことができるかどうか、人間と知恵比べをするのだけれど、いたってまじめな教育番組だった。
定番の滑る円盤から、トンネルの中を乗り物で移動する、なんて色々と楽しい代物が連なっていた。
改良番まで作られたけれど、りすの勝ちだった。(りすは1ヶ月の努力の末に成功したという)
とにかくヘーゼルナッツは諦めるしかない。
とは言っても、猫は頼りにならない訳ではない。
猫には猫の流儀がある。
ある日、フリスキーがおすわりをして、地面の一点をじーっと見つめていた。
何をしているのかと私もそのまま見ていたら、
その見つめている先の地面が、もこもこっと動く。
そして、フリスキーが、急に飛び上がったと思ったら、
ぷふっと、二本の前足をその動いている地面に押し付けた。
ねずみかもぐらのようである。
次の日、そこに穴が空いていたので、中に水を入れてやった。
どんどん、どんどんと入ってく。
両者とも泳げるので水ぐらいでは死なない。
ねずみも困るけれど、もぐらだと庭を荒されてしまう。
できれば、ここは、居心地が悪いと思ってもらいたい。
その後、裏庭の家庭菜園の横に、
フリスキーが見ていない時に出来た、と思われるもぐらの塚があった。
それでも、やはり、フリスキーが怖いのか、その後見かけることはなかった。
このように、猫は町でも田舎でも私たちを守ってくれる。
猫が地上を巡回してくれているので、ねずみなどは思うように地上に出て来れない。
ゆえに、地下生活を余儀なくされる。
ということは、私たち人間にとって猫がいなくなると、
代わりに招かれざる客がやって来ることになる。
「ねずみの天敵は猫」なのだ!
それで、皆さんに猫を飼ってほしいのだけれど、
飼いたくても飼えない人は、いっぱいいる。
もちろん嫌いな人もいるし、野良猫の問題で困っている人もいる。
それでも、もし猫が近所にいるのであれば、仲良く付き合う道を探ってほしい。
そんなある日、知り合いの家の芝生の庭がもぐらに荒されて、でこぼこになるという事件が起きた。
どう解決したかは聞かなかったけれど、
しばらくすると、小型犬を飼い始めたと聞いた。
見に行くと、フェンスで囲われた庭をちっちゃい犬が駆け回っていた。
モグラ対策のためにその犬を飼ったのではないにしても、貢献しているとは思う。
変わりに、犬が走り回った芝生の被害なんてのはあったかもしれないけれど。
ところで猫が嫌いといえば、
「猫のお気に入りの場所が車の上だから」というのがある。
猫の足跡が車の上にペタペタと付いていたりもする。
車の上は暖かくて居心地が良いらしい。
帰ってきたばかりでエンジンの熱が残っていたり、お日様の熱で暖められていると、
誘われるように猫がやって来て、車の上に座る。
反対に、暑い日だと車の下で涼んでいる。
フリスキーも車の上が大好きだ。
なぜか小雨の中を、ふかふかと毛を立てて座っている時もあった。
もちろん足跡も車に付いている。
いつもの通り道なのか、車の屋根に登って降りる時に、ツーッと伸びた足跡をフロントガラスに付けたまま運転したりする。(急いでいる時に限って足跡が付いている)
車を車庫に入れる方はこの心配はない。
ところが、その後増えていった、我が家の猫たちの一匹は車庫の中が大好きだ。
もっとも、うちには車が三台もあるのに(一台は修理中)いずれも車庫には入っていないから大丈夫。
確かに猫を飼うことには長所短所があるけれど、やっぱり益の方が大きいと私は思う。
そんなこんなで、私たちはお互いに持ちつ持たれつの生活をしている。
それにフリスキーは飼い主たちをありがたく思っているらしい。
猫は恩返しをするという。
ある日、いつものようにフリスキーが私の方へ向かって駆けて来た。
でも口が膨らんでいて、なんだか様子が違う。
何かを銜えている。
そして、私の前まで来るとポロッとその何かを落とした。
それはなんと、生まれて間もない二羽の小鳥ではないか!
"How could you do it!?" (なんてことしたの!?)
と、言いたいのをグッとこらえて、
「良くやった」と言わんばかりに、ポンポンとフリスキーの頭を軽く叩き、
すぐに二羽を綿に包み、動物病院へ急いだ。
その間、私は黙ったままだった。
残念ながら一羽は死んでしまったけれど、
残りの一羽は無傷だったので、病院で「生き残れる」と言われた。
小鳥は、危機を脱したのを悟ったのかどうかは知らないけれど、
すぐに茶目っ気を出してとても可愛いかったのが印象に残っている。
そこには鳥が専門の獣医がいたので、そのまま置いてきた。
その後フリスキーは、二度とそんなことをしなかった。
もしかしたら私が喜ばなかったのを察したのかもしれない。
猫の恩返しは、時によっては厄介である。
とは言うものの、それはそれ、人間と猫は違うのだから仕方がない。
フリスキーは「ありがとう」と言いたかっただけなのかもしれない。
言い忘れたけれど、
「どういたしまして、フリスキー」