ふあふあの毛-2 フェニーを愛せる人
ティムは、人間は、動物のsteward(家令)だと言う。
人間は、この自然界において、生き物の世話をする特権をゆだねられている。
そして、ペットの一生を左右できるのも、飼い主だ。
世話をすると決めたのは、自分なのだから、
私は、フェニーのために、できる限りのことをしようと思った。
さて、フェニーは、直接、我が家に戻って来たのではない。
最初、飼い主は、友人に、フェニーを譲りたいと言ったのだ。
そして、その友人は、フェニーを一緒に引き取りに行って欲しいと、私に頼んだ。
ところが、前日になって、飼い主は、自分で、フェニーを友人の家へ連れて行くと言う。
その日、飼い主の母子たちは、友人の家で、フェニーにお別れをした。
それが、この家族の、決別の気持ちだったのかもしれない。
とは言うものの、このお別れは、フェニーのためになったのだろうか。
人間と動物の思いは違う。
私は、自分の犬を他所へ預ける時、ちょっと外へ出る、と言う感じで去る。
別れの言葉は掛けない。
犬には、なぜ私が、そこへ置き去りにするのか分からない。
また、いつ帰ってくるのかも知らない。
我が家で犬を預かる時も、私は、飼い主に黙って去るようお願いする。
理解できないのであれば、犬たちに、余計な悲しみを味わわせたくないのだ。
それでも、飼い主が、自分の犬に「さよなら」を言いたい時はある。
ある時、私の知り合いは、飼い犬を、安楽死させなければならなかった。
彼女が書類にサインしているうちに、犬は連れ去られた。
それで彼女は、「最後のお別れがしたい」と係りの人に告げた。
ところが、時はすでに遅く、犬はもう死んでしまっていた。
「あっという間のことだった」と、彼女は言った。
犬の方は、どうだったのだろう。
今となっては、ご主人様がどんなお別れをしようとしたのかは、分からない。
ただ、少なくとも、この犬は、飼い主の特別の悲しみを感じて、
不安になったり、緊張することはなかった。
慌しい中で連れ去られた犬は、治療するかのように、注射で、静かに眠らされたのだ。
どのように「さよなら」を言うのかは、それぞれだけれど、
もし、私の犬や猫たちに、その時がきたら、
「大丈夫だよ、安心して」そして「ありがとう」と言いたい。
そんな風に、最後まで自分が看取ったペットへの、終止符を打てたらと思っている。
フェニーは、飼い主たちのお別れの様子から、不安になっていた。
そして、この家に置き去りにされたのも知っていた。
私が、連絡を受け、その友人の家へ着くまでの一時間、
フェニーは、ずっと泣き続けていたそうだ。
そして、ドアが開くと同時に、外へ飛び出す。
私は、母犬のナナに、フェニーを追わせた。
フェニーは外に出たものの、そこは全く知らない世界だった。
しかも、ご主人様はどこにもいない。
フェニーは、戻って来るしかなかった。
フェニーの持ち物は、買い物の紙袋の中に入っていた。
それは、餌が入った袋と、食事用の容器が一つ、
それから、ベッドとして使われていたらしい布製の入れ物だけだ。
新しい飼い主は、フェニーのために買い物をしたいと言う。
それで、私たちは、フェニーを連れて、ペット用品店へ向かった。
車の中のフェニーは、ナナが一緒なので安心していた。
ところが、お店に着き、ほかの犬を見ると、けたたましい声を上げて大騒ぎする。
私たちだけでなく、ナナとタフィーでさえ「エッ、何これ」と驚く。
ここまで来ると、私たちは、フェニーの問題が、尋常でないことに気が付いた。
友人は、その数日前、フェニーを引き取ることを別の友人に告げると、
「オー、ノー!」
と言ったそうだ。
今、その意味をしっかりと思い知らされた、この新しい飼い主は、
とてもフェニーを、家に連れて帰れないと言う。
それで、私は、しばらくの間、フェニーを預かることにした。
ナナが、フェニーを訓練するのを助けてくれるはずだ。
後で、前の飼い主が、フェニーを飼うのをあきらめた理由を、私に話してくれた。
そのころ、この家族は、車通りの多い道路沿いの家へ、引っ越したばかりだった。
ドアを開けると、フェニーは外へ飛び出し、道路を横切って反対側へ走って行く。
それで、フェニーが事故に遭うのを、心配したのだそうだ。
私は、フェニーが事故に遭う前に、彼らがフェニーを手放してくれて良かったと思う。
フェニーは、走るのが好きだ。
彼らの新しい家は、庭にフェンスはなかった。
そして、次の飼い主になるはずの友人の家も、フェンスはない。
私は、フェニーを、ペギーのところへ連れて行った。
そのころ、ペギーは、動物病院で働くのを止めて、
自分の家で、トリミングショップを始めていた。
トリミングされ、可愛くなったフェニーを、散歩に連れて行く。
ところが、フェニーは、散歩に連れて行ってもらったことが無かったらしい。
フェニーは、四足では歩かないのだ。
リードを引っ張って、それでも足りないので、後ろ足で立って歩く。
そして地面を激しく蹴る。
しばらくすると、爪から出血しているようなので振り返ってみる。
血の跡が、転々と道の上に残されていた。
それでも、二足歩行を止めようとはしない。
また、公園で、他の犬や、リス、鳥を見ると、狂ったように吠える。
それは、もはや犬の吠え声ではなかった。
公園で散歩していた人々も、何事ぞとやって来る。
その間、私は、フェニーを抱いて押さえるのに必死だった。
これ以上、フェニーを歩かせることは出来ない。
それで、抱きかかえたまま、家へ戻ることにした。
とにかく、フェニーを、外の世界に慣れさせなければならない。
しばらくの間は、一日数回、家の近所で、短い散歩をする事にした。
1週間後、再び公園に連れて行くと、また爪から血を出す。
フェニーにとって、外の世界は、狂気するほど、すばらしいものだったらしい。
しかたがないので、引き続き、近所の短い散歩を繰り返す。
そうしている内に、フェニーは、四足で歩けるようになった。
それでも、まだ家の中では、窓から人や犬を見かけると、金属的な悲鳴を上げる。
それを直すのには、さらに時間が掛かりそうだ。
さて、秋は深まり、ガス暖炉に火を入れる季節となった。
窓の外の景色は、早い夕暮れで、青く染まっていく。
葉が落ちて、枝だけになった林は、シルエットとなって浮かんでいた。
私は、窓際の長いすに座り、読書をしながら暖炉の火を楽しむ。
フェニーは、ナナやタフィーと一緒に、長いすの上ですやすやと眠っていた。
私は、フェニーの毛を、そっと触る。
柔らかくてふわふわだ。
今は、まだ毛は短いけれど、その内ナナやタフィーのようになるはずだ。
そして、肉球も触る。
フェニーが我が家に来た時、その肉球は、
赤ちゃんのほっぺたの様に、ぷにゅぷにゅだった。
それも、散歩に行くうちに、硬く、たくましくなってきた。
ナナは、そんなフェニーを静かに見守っていた。
ナナは、自分の子供が大人になっても、母親として我が子を守る気持ちが強い。
フェニーが子犬の時、二階へ駆け上がると、ナナは血相を変えて後を追った。
それは、今でも変わらない。
ナナは、次女のジャスミンも同じように追う。
それは、私たちが、ジョイや犬たちと共に旅行した時のことだった。
私たちは、後からホテルに着いたジョイの手伝いをしていた。
ジョイは、残りの荷物を取りに外へ出る。
置いてきぼりにされたと思ったジャスミンは、ドアの隙間をすり抜け、ジョイを追いかけた。
ところが、駐車場でジョイを見失ってしまった。
あわてたジャスミンは、別の方へ向かう。
私は、「ジャスミン!」と声を上げた。
私の一声で、その時まで私の横にいたナナは、我が子の一大事と知る。
そして、ジャスミンを追いかける。
ナナに追い付かれたジャスミンは、振り返った。
そこには、ジョイがいた。
ジャスミンは、尻尾を振って、ジョイの元へ向かった。
次の日も、私たちが、砂浜で散歩をしていると、
ジャスミンは、遠くにいる人と犬をめがけて、急に走り出してしまった。
ナナは、すぐにそれを追う。
ところが、あまりにも遠すぎるので、なかなかそこまで行けない。
そうして、ナナが追いかけているのに気付いたジャスミンは、走るのを止めた。
それから、ナナと共に、私たちのもとに戻って来た。
秋から冬に変わり、十二月に入った。
フェニーが我が家へ戻ってきて、二ヶ月近くになる。
もう、玄関のドアから飛び出すことはない。
それでも、フェニーの新しいご主人様になるはずだった友人は、
引き取れないと言ってきた。
フェニーの性格は、彼女の手に負えないのだそうだ。
無理もない。
私たちも、フェニーを、このまま家に置いておくことは出来ない。
フェニーは、自分をたくさん愛して、助けてくれる飼い主を必要としている。
私は、それを与えることができない。
我が家には、ナナとタフィーもいるし、猫たちもいる。
フェニーの必要は、私には荷が重過ぎるのだ。
とは言え、フェニーを飼える人が見つかるのだろうか?
すでに、友人たちの間で、フェニーの評判は悪い。
確かに私は、以前から、フェニーのことが気になっていた。
それでも、まさか、これほどひどいとは思っていなかった。
後に、友人の一人は、元飼い主だった家族を訪問した時の事を、話してくれたことがある。
「フェニーを見かけないけれど、どこにいるの?」
と尋ねると、
「うるさいので、クローゼットに閉じ込めている。」
と言われ、びっくりしたそうだ。
元飼い主たちは、フェニーを可愛がった、と言うかもしれない。
それでは、どうして、フェニーはこんなになってしまったのだろう。
そして、今や、誰がフェニーを愛し、世話してくれると言うのだ。
私は、先の見えないフェニーの将来に、心を痛めていた。