第8章 ふあふあの毛-1 子犬たちの幸せ
お茶好きのティムは、次女の、ジャスミン(Jasmine)の名前を気に入っていた。
ジャスミン・ティーとも言えるからだ。
子犬だったジャスミンは成長し、次第にヨークシャーテリアらしくなってきた。
ヨークシャーテリアの毛は、子犬の時には黒い色をしている。
その毛の色は成長と共に変わっていく。
まるで毛染めしていた黒髪の下から、明るい色の髪が伸びてくる様な感じだ。
成長すると、頭とお尻の毛はゴールドやシルバーになる。
その色は、犬を暗い炭鉱で見つけるためだった。
「動く宝石」と言われるヨークシャーテリアの原石は、地下の奥深くで生まれたのだ。
ジャスミンの頭の毛は、シルバーに近い美しいゴールド色だ。
ご主人様のジョイは、自分でジャスミンの毛をカットする。
ボブスタイルのヘアカットは、ジャスミンに良く似合っている。
ジョイは、ジャスミンの良く動くたれ耳が、彼女の表情をより豊かにしていると言う。
ジャスミンは、まさに「ティーンエイジャーの女の子」という雰囲気があった。
海岸沿いの街を歩く「イパネマの娘」のイメージだ。
若い子が、バッグにこだわるように、
ジャスミンも、ピンクのバッグ型のおもちゃを気に入っていた。
その取っ手を銜えて得意げに歩き回る。
ジャスミンは、自分のお気に入りのバッグを汚さず、きれいに扱っていた。
だから、オス犬のリコに自分のお気に入りを触られるのを嫌がった。(リコは、ジョイが、少しの間、世話をしていたヨーキーだ)
ジャスミンは、デリカシーのない男の子に、自分のバッグを台無しにされたくないのだ。
ところがある日、リコは、ジャスミンの目を盗み、そのバッグで遊ぶ。
そして取ってをちぎってしまった。
「しまった!」と思ったリコは、その上に座って隠そうとする。
そこへ、ジョイが、やってきた。
「ん?」と思ったジョイは、リコが何を隠しているのか調べてみる。
そうして壊れたジャスミンのバッグは見つかってしまった。
ジョイが修理したけれど、もはやジャスミンにとって、百八十度、同じバッグではなかった。
「ファッショナブルな女の子」の持ち物ではなくなってしまったのだ。
時々、ジョイと私たち夫婦は、ワンコたちを連れて旅行やキャンプに出かけたりする。
ある夏の終わり、ジョイが知り合いの海の別荘に招待してくれた。
そして私たちは、皆で浜辺へ散歩に出かける。
空は曇っていて、霧が出ている。
青い空の下の海も素敵だけれど、霧の砂浜は、神秘的で美しい。
ジャスミン、ナナ、タフィーの親子がそろって前を歩いている。
その後ろ姿を見ていた私は、ちょっとジェラシーを覚えた。
ナナの体の毛は、少しカールしていてアフロっぽい。(特に湿っていると)
タフィーは毛が多いので、ほうきが、足を付けて歩いている様にも見える。
ところがその娘ジャスミンの毛は、美しい黒髪のようで艶があり、スカートのように、ゆらゆらと揺れている。
おまけにシルバーゴールドの足の毛は、ふさふさのブーツを履いているようだ。
ジャスミンの毛質は、パパ・タフィーの親譲りなのかもしれない。(隔世遺伝)
ドッグショーで優勝するような犬の毛並みは、やはり違うのだろう。
ジョイは、ブラッシングした時に抜けた、ジャスミンの毛を集めている。
後で、紡いで、糸にして編むのだそうだ。
手芸好きのジョイらしい。(それで、私も集めることにした)
飼い主のペットの毛で、バッグを編むビジネスをする人もいる。(猫も出来る)
私は、ジョイが、ジョスミンのご主人様になってくれて、本当に良かったと思う。
ジョイは、それまで飼った犬の中で、ジャスミンは一番だと言う。
ジャスミンも、ジョイが大好きだ。
ジャスミンを飼い始めた時、ジョイは、夫の介護をしていた。
そして、夫は、ジャスミンが一歳になろうとしていたころ、亡くなった。
その朝、ジョイは、娘の一人に夫の看病を代わってもらい、
ジャスミンと、ふたりだけで、小旅行に出かけようとしていた時だった。
悲しみに浸る間もなく、忙しくしているジョイを手伝おうとして、別の娘が、
「ジャスミンを預かるね」と言う。
すると、ジョイは、
“Don’t take her! I need her!”
「連れて行かないでー! ジャスミンが必要なの!」
と叫んだ。
後で、ジョイは、
「ジャスミンがいてくれたから、辛い看病も乗り越えられた。」
と言った。
三女のオリーブ(Olive)は、パピーカットをしているので、いつも毛が短い。
顔も毛質も、ナナに良く似ている。
一歳年上のお姉さんの、白いトイ・プードル、ポルシェと共に飼われていて、仲が良い。
そして、毎週グルーミングに行く、というリッチな家のペットになってしまった。(家にはプールもある)
後で、オリーブは、心臓障害の疑いがある、と言われてしまい、
シアトルのスペシャリストのところへ、検査に連れて行かれた。
結局、問題はなかったけれど、オリーブは、とても可愛がられている。
オリーブは天真爛漫、弾丸のように猪突猛進で体系も丸くて子犬っぽい。
自分の体の大きさほどある、かえるのおもちゃが大好きで抱いたまま寝たりもする。(壊れた時のため、何個か買い置きしてあるらしい)
「まだ子犬よ」なんて言ったら、皆、信じるかもしれない。
オリーブの近くに住んでいるニッキーは、時々オリーブを見かけるらしく、
元気で無邪気な様子に「あの子は何も考えていない」と言って笑う。
ナナが美人犬なので、子犬たちも、耳が立っていない美犬三姉妹だった。
パグを飼っている友人は、人間がその犬種に、手を加えれば加えるほど、
耳は垂れてきて、尻尾は曲がってくる、と言っていた。
猫の耳を触ると、ピンと硬く立っている。
猫は、より自然に近いのかもしれない。
大きさも、犬のように豊富ではない。
もっとも、猫に、セントバーナードのように、大きくなってもらいたくはないけれど。
我が家を離れた三匹の子犬たちは、もはや私たちの犬ではない。
だから私は、飼い主のやり方に口出しするつもりは無かった。
それでも、あるジャーマンシェパードのブリーダーは、
飼い主が子犬をきちんと扱っていないと分かると、
お金を返して、子犬を取り戻したそうだ。
チャンピョン血筋の子犬を売るヨークシャーテリアのブリーダーも、
「それは当然だ」と言っていた。
このヨーキーの子犬たちは、日本円で数十万する。
たとえ、高額であっても、お金より、子犬の幸せの方が重要なのだそうだ。
ところが、まさか、私たちが、このような問題に遭遇するとは思ってもみなかった。
フェニー(Fenny)は、小学生の子供たちがいる家庭に引き取られていた。
とは言うものの、それを決める時、私は心配だった。
ヨーキーは、あまり子供を好まない。
もちろん、きちんと世話すれば、子供のいる家庭でも充分に幸せに暮らせる。
私は、ヨーキーの性格を説明したのだけれど、分かってもらえたのかどうか不安だった。
それで、母親に、図書館へ行って、この犬種について詳しく調べるように勧めた。
出来れば、諦めさせたかった。
母親は子供たちと図書館へ行き、調べたそうだ。
そしてますます、ヨークシャーテリアが好きになり、きちんと世話できると主張する。
「そこまで言うのであれば、譲りましょう」と、私は言った。
(それに、元気なフェニーは、この家族に合っているかもしれないと思った)
後で考えると、私も浅はかだったと思う。
出版されている本は、その犬種の良いところだけ、書かれている場合が多い。
子犬を引き渡した後、私は、すぐに問題に気が付いた。
それで、ナナとタフィーを連れて、ちょくちょくそこへ寄って、裏庭で一緒に遊ばせ、
何とか、状況を改善できないかと考えた。
ナナは、フェニーを教育しようと、躍起になる。
しばらくすると、その家の母親から、
「ナナが、フェニーに良くない影響を与えている。」
と言われ、出入り禁止となってしまった。
分かりきったことだけれど、私たちが訪問するくらいでは、どうにもならない。
この家族にとって、私は、おせっかいの迷惑人間だったと言える。
それは、飼い主の問題なのだ。
私は、しばらく、様子を見ることにした。
実は、私たちは、子犬たちに、値段を付けていなかった。
私たちはブリーダーではなかったし、ティムが「値段を付けたくない」と言ったからだ。
それでもペギーは、
「子犬の、尻尾切りやワクチンの費用、えさ代その他を考えると、経費だけでも貰うべき」
と言う。
それで、相手の出せる金額を受け取ることにした。
ところが、フェニーの飼い主からは、何も貰わなかった。
それでも、私たちは、気にしていなかった。
私たちが言い出したことだし、子犬を可愛がってもらえれば、それで良かったのだ。
そして、後になって、私たちは後悔した。
世間では、ただより高いものはない、と言う。
反対に、ただの物には、ただの価値しかない、と見なされたりもする。
1年後、ナナとタフィー(フィニーの親)の元飼い主だったパムは、
「フェニーが、可愛そうだ。」
と私に言ってきた。
パムは、タフィーの子犬を欲しがっていたのだけれど、
残念なことに、引き取ることが出来なかったのだ。
それでも、子犬たちのその後を、気に掛けてくれていた。
私は、ついに、フェニーを返して欲しいと申し出た。
ところが、父親は、「子供たちが可愛がっているので、このまま飼い続けたい」と言う。
それは、分かる気がした。
もし、これが、私の知らない人たちだったら、私は、フェニーを取り返していた。
この時、私は、フェニーより、子供たちの気持ちを優先したのだ。
私は、今でも、この責めを負っている。
その翌年、2歳半になったフェニーは、やっと我が家へ帰ってきた。
そして、フェニーは、もはや、普通の犬ではなくなっていた。




